Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス

第108話 Do not be afraid -2-




「うっ……ぐ、ああぁぁっ!!」

毒々しい深い赤をした衣装の切れ端と、真っ赤な血が宙を舞った。まるで美しい真紅の花の吹雪のようであった。
苦しげな呻き声を上げた焔の魔女は斬られた腹を押さえながら、王座に腰掛けるようにどさりと倒れ込んだ。
血相を変えた表情の魔女達が次々と彼女に駆け寄り、祈祷を始めている。白い法衣を纏った女達は僧侶だろうか。

揺れは大分小さくなっているようだが、未だ瓦礫はぱらぱらと降り注いでいた。
焔の魔女を倒したのだ。あの恐ろしい魔女を倒したのだ。緊張がぷつんと切れたティエルは、床に両膝を突く。


「なんだか……もう真っ白になりそうだ……」
「真っ白になっちまうのはまだ早いぜ、ティエルちゃん」
「アリエス」

焔の魔女を倒したことが信じられぬ様子のティエルの元へ、笑みを浮かべたアリエスが静かに歩み寄ってきた。
僧侶に治癒魔法をかけてもらったのか、爆発の魔法を間近で浴びた割には軽い火傷である。
半分焦げたトレードマークの帽子を頭に乗せ、初めて出会った頃と同じような人懐っこい笑顔で手を差し出した。

「焔の魔女にあんたは勝った。真っ白になって脱力しちまうのも分かるけど、これで終わりじゃねぇんだぜ?」
「終わりじゃ、ないって?」
「守り抜いた仲間と一緒に、この国から生きて脱出する大仕事がまだ残っているじゃねぇか」
「……分かってる。けれどアリエス、あなたはどうするの?」


大剣に姿を変えたまま転がっているイデアを手繰り寄せてから、ティエルはアリエスの手を掴んで身を起こした。
アリエスがこの国を既に見捨てていることくらい、ティエルですら手に取るように分かる。
この混乱に乗じて、ティエル達と共に逃げ出すことも不可能ではない。追っ手など今なら全て倒せる自信がある。

何かと気に掛けてくれていたアリエスには大きな恩がある。ティエルは、彼にも幸せになってもらいたかった。


「オレはここに残る。腐りきった国だけど、置いていけない大切な家族がいるからさ。逃げねぇって決めたんだ」
「アリエス……」
「実はティエルちゃん達のこと、オレ結構気に入ってたんだぜ? そんな顔すんなよ……また、会おうな」
「うん」
「ジハードくんのこともよろしくな。あの兄ちゃん、意外と寂しがりだから。家族に思いっきり裏切られてるし」

どこか照れたような笑みを浮かべたアリエスは、ティエルの頬に付着した煤を指で拭ってやる。
ほんの僅かな間だけど、ティエル達と共に昔のような冒険ができて楽しかった。大分情が移ってしまったようだ。
そんなアリエスの手の温かさを感じながら、ティエルは少しの間だけ迷ったように俯き、やがて顔を上げる。


「地下牢で出会ったんだ。彼は自分よりもあなたの幸せを願ってた。モーリンさんが……あなたの、息子さんが」
「!」

地下牢に囚われていた、モーリンと名乗った男。彼は父親がこの国から逃げ出さないように人質となっている。
だがモーリンは自分のことは忘れ、父には幸せになってほしいと願っていた。
暗く湿った地下牢で、それでも明るさを失わなかった男であった。そして、彼はアリエスにとてもよく似ていた。

「モーリンが?」
「うん」
「なんだ……知ってたのか、モーリンのこと。あいつ、オレの幸せだって? なに馬鹿なことを言ってやがる」

お前がいなくちゃ幸せになんてなれるかよ、とアリエスは溜息と共に眉を顰める。
爆発の魔法でぼろぼろになったアリエスの緑のローブの襟元から、ブルーの石が嵌ったペンダントが見えていた。
特徴的なそのデザインのペンダントは、モーリンが身に付けていたものと全く同じであった。


「それにしても、よく気付いたな。オレがモーリンの父親だってこと」
「二人ともお揃いのペンダントしてたから。……ちょっと信じられなかったけどさ」
「ははは、そりゃそーだ。だってオレ、どう見てもモーリンよりも年下に見えるだろ。まぁ理由があるんだけど」

普段のように明るい笑い声を発したアリエスは、胸元からペンダントを取り出すとぱちんと開いてみせる。
中には少々古ぼけた小さな家族写真が入っていた。緑の帽子を身に着けた中年の男と、彼に似た若い男女の姿。
若い男の方はモーリンだろうか。現在のアリエスと瓜二つの容姿をしている。もう一人は気の強そうな少女だ。

アリエスの記憶の中では、この幸せだった頃のまま時間が止まってしまっているのだろうか。
彼の姿を眺めていると、ティエルの心は小さく痛んだ。アリエスの笑顔がとても幸せそうだったので、尚更。


「モーリンとリナちゃんだよ。オレに似て二人とも美男美女だろー? あ、こっちのおっさんは一応昔のオレね」
「……いつか、リナちゃんに会わせてね。アリエス……本当にありがとう」

心から感謝の笑顔を浮かべると、ティエルはアリエスの手を握り締めた。
恐らく次に出会うときは敵同士であろう。そして、彼の姪であるリナと会えるはずがないことも承知の上である。
それでも願わずにはいられなかった。出会い方がもっと違っていたならば、彼とは友人になれたのかもしれない。

「ティエルー!」

名残惜しそうにアリエスから手を離したティエルに向かって、背後から聞き慣れた声が響いてきた。
振り返ると、クウォーツに肩を貸しながらサキョウが手を振っている。どうやら歩けるほどまで回復したようだ。
その背後ではジハードが自分に治癒魔法をかけている最中であった。……いつも彼は己の治療を最後に回すのだ。


「ティエル、よく頑張ったな! ……まずはリアンを助け出し、こんな狂った国からさっさと逃げ出すのだ」
丸太のような腕を伸ばしたサキョウは、ティエルをしっかりと抱きしめてやる。やはり彼の胸はとても温かい。

「もう限界……今一発でも魔法を食らったら、確実に死ねると思う」
心底疲れたような表情を浮かべ、ジハードは火傷を負った腕を押さえた。しかし口元は笑みを浮かべている。

硝子のような瞳を細めて、無言のまま溜息をついているのはクウォーツ。
どうやら治癒魔法でも回復が追いつかないほど衰弱しているようだが、猛毒による命の危機は既に脱していた。
全員ぼろぼろの痛々しい状態ではあったが、それでも彼らの表情はどこか晴れ晴れとしているようにも感じられた。

崩れる大広間に慄く黒騎士や魔女達は右へ左へ逃げ惑い、幸いにもティエル達のことなど目にも入っていない。
混乱に乗じて一斉に出口に向かって駆け出して行く四つの人影を気にしていた者は、ほんの僅かであった。


「……あんた達とは、どうせなら味方として出会いたかったな……」

遠ざかっていく後ろ姿をどこか寂しげに眺めながら、微かに呟いたアリエスの声を耳にした者はいたのだろうか。
ティエル達とは必ずや近いうちに再会することになる。今度は立ちはだかる敵として姿を現すことになるだろう。
その時は果たして己は非情になれるのだろうかと、本気で殺し合いができるのだろうかとアリエスは目を閉じる。

しかし家族のために戦わねばならない。モーリンとリーナロッテ、いつの日か三人で幸せに暮らせる日を夢見て。


がらがらと派手に崩れる謁見の間の最奥。
斬られた腹を押さえながら、焔の魔女はただ呆然と座り込んでいた。いや、そうすることしかできなかったのだ。
公爵アスモデウスと契約し無敵の魔力を手にした自分が、あんな小娘に負けるなんて。あってはならないことだ。

欲しいものは全て手に入れてきた。手に入らなかったものなどなかった。それなのに、どうして。
本当に欲しいものは手に入らないというのか。それが強大な力を得た代償だというのなら、負けてなるものか。
必ず手に入れてみせようではないか。あの分からずや達に心底思い知らせてやる。……絶対に私が正しいのだと。

「ククク、焔の魔女よ。今回は奴らに勝ちを譲ってやろうではないか」
「……ヴェリオル」
「精々あいつらに束の間の平穏を楽しませてやればいい。オレ達の計画は……まだ始まったばかりなのだから」

呆けたように宙を見つめる焔の魔女の隣に音もなくヴェリオルが歩み寄る。
しかし彼女はそんなヴェリオルに目もくれず、既に四人が走り去ってしまった扉に顔を向け、小さな声で呟いた。

「私にも仲間がいたら……負けなかったのかしら、ね」





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