Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第109話 Do not be afraid -3-
城の混乱に乗じてティエル達四人は謁見の間から抜け出し、松明の灯る長い廊下を進んでいく。
目的は二つ。この城のどこかに囚われているであろうリアンを救出し、五人で生きて城から脱出することである。
早くリアンの無事を確認したい。早く彼女の優しい笑顔を見たい。下級兵士に酷いことをされていないだろうか。
リアンを目にした兵士の目線に下卑た色が混じっていたことを思い出す。ああ、一体彼女はどこにいるんだろう。
ウェーブのかかった眩いハニーシアンの長い髪は遠くからでも目立つはずだ。それなのに見つからないなんて。
彼女が大人しく閉じ込められているとは思えない。如何なる方法を用いてでも、ティエル達の元へ向かうだろう。
「あいつは囚われてはいないと思う」
「クウォーツ?」
「……私の元へ解毒剤を持ってきたのはあいつだった。どこで入手したのかは知らないが」
「解毒剤自体はアリエスが調達したんだろうけど……あっ、ちっくしょう。あいつ彼女の行方を知ってたんじゃ」
締め上げてでもリアンの行方を吐かせればよかったと、ジハードは思わずぐしゃりと白髪を掻き毟るが既に遅い。
恐らく何らかの方法でヴェリオルの元を抜け出したリアンはアリエスと接触し、解毒剤を受け取ったのだろう。
クウォーツに解毒剤を与えた後は、全員でこの国を抜け出す方法を探すために彼女は単独行動を取っているのだ。
だとすれば、やはりリアンはこの城のどこかで様子を窺っているのかもしれない。
その時。外側から衝撃を受け、壁が粉々に弾け飛んだ。破片に紛れて兵士達も何名か吹っ飛ばされているようだ。
もうもうと立ち込める砂埃の向こうに姿を現したのは見覚えのあるシルエット。
気の強さが見て取れる大きなカーネリアンの瞳。ウェーブのかかったハニーシアンの長い髪が爆風で靡いていた。
「リアン?」
ティエルに名前を呼ばれ、その人物は暫く迷ったように俯いていたが。やがて意を決したように微笑んでみせる。
神秘的な美しさを持った女。ほんの数日間離れていただけなのに、とても長い時間会えなかったような気がした。
もう二度と会えないとすら思っていた。それほどにまで、この数日間のティエルは追い詰められていたのだ。
「……やっぱりリアンだ! よかった、よかったぁ……無事だったんだね!」
「私は無事ですわよ、掠り傷も負ってはいませんわ。あなた達とまた生きて出会えることができてよかった……」
安堵のために溢れ出した涙を拭いもせず、ティエルは彼女に駆け寄ると力一杯抱きしめる。
もうどこにも行かないでと、もう二度と離れたくはないと。震えるティエルの腕から様々な感情が伝わってくる。
一瞬だけ寂しげな表情を浮かべたリアンであったが、ゆっくりと手を伸ばし、彼女の頭を優しく撫でてやった。
「みんな、こんなに傷だらけになって。一体何があったんですの?」
「後ほど詳しく話すが……ティエルを褒めてやってくれ。こいつはワシらを守るために一生懸命頑張ったのだ」
「そうなんですのね。ええ、勿論後ほどたっぷりと聞かせていただきたいですわ」
「色々と積もる話もあるだろうけど。リアンと合流もできたことだし、本格的に逃げないとまた捕まっちゃうよ」
そう口にしながら背後を指し示すジハード。武器を構えた黒騎士達が、大勢こちらへ向かってきているようだ。
だが彼の口調も状況の割には随分と緊張感がない。そろそろ気を張り詰め続けるのも疲れてきたのかもしれない。
ここで気を抜いて連れ戻されてしまえば元も子もないが、そこが空気をあまり読まないジハードらしい発言だ。
「……それなら私に任せて下さいな、抜け道を発見したんですの。どなたか追っ手の足止めをお願いしますわ!」
自信満々に豊かな胸を揺らして見せるリアン。若干不安が募るが、今は僅かな可能性でも信じて進むしかない。
彼女の見つけた抜け道とは、この穴の開いた壁の向こうにあるのだという。
中二階程度の高さの長い渡り廊下。手すりを越えて飛び降りれば、外は鬱蒼とした森に繋がっているというのだ。
これなら追っ手を森で振り切ることも不可能ではない。だが、そのためには少々追っ手の足止めが必要であった。
「足止めなら、貴様の魔法ですればいいだろ」
「わ……私の魔力は、あなた達を探している最中に殆ど使い切ってしまったのよ。大変だったんですから」
「仕方ない、要は気を逸らすことができればいいのか。造作もないこと」
小さく口笛のようなものを吹いたクウォーツは、迫り来る黒騎士達に向けて左手を向けた。
途端に何百という吸血蝙蝠達が姿を現し、次々と追っ手へ食らい付いていった。気を逸らすどころの話ではない。
辺りを漆黒で埋め尽くす蝙蝠の群れに、黒騎士達は完全に怯んでいるようだ。必死の形相で振り払っていた。
「クウォーツ、もう魔力は使っちゃ駄目だって言ったじゃないか。足止めならぼくの極陣の方が得意だったのに」
「心配せずとも貴様の魔法は、後ほど存分に使ってもらう。こんな場面で魔力を消費されては困る」
「そうですわ。ティエル達の負った怪我を完璧に治癒できるのはあなただけなんですから。さぁ行きますわよ!」
確かにティエル達は大怪我といえるような怪我を負っている。
通常の魔法では恐らく完治させることが難しいであろうこの怪我を、完璧に治癒できるのはジハードだけだった。
人使いが荒いんだから、とジハードは溜息をつくが悪い気はしない。誰かに必要とされれば、やはり嬉しいのだ。
森へ姿を隠すタイミングは今しかない。
黒騎士が群がる吸血蝙蝠に襲われている隙にティエル達は渡り廊下を飛び降り、森へと足を踏み入れたのだった。
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数十分ほど森の中を走り続けただろうか。
深い森はティエル達の姿を完全に隠してくれているようだ。恐る恐る背後を振り返るが、追っ手の姿はなかった。
そろそろ夜明けが近いのだろう。ゾルディスにも朝は来るのだと、至極当たり前のことが意外に思えてしまう。
清々しい朝独特の澄んだ空気が辺りに満ちているようだ。森の中はほんの少しだけ肌寒く、霧が立ち込めていた。
逃げ切った。
ティエルだけではなく走り続ける他の面々も恐らくそう確信したのだろう。次第に安堵の表情へと変化していく。
二度と朝日を見ることもなく死んでいくのだと思った。惨たらしく殺されてしまうのだと諦めてしまっていた。
だが、生きる希望を決して捨ててはいけないのだ。……諦めてしまえば、そこで全ては終わってしまうのだから。
国を追われてから、ティエルは己が強くなったと過信していた。
決して強くなったわけではない。周囲に支えられていたために、強くなったと勘違いをしていただけであった。
ならば自分も彼らを支えたい。守りたい。既に仲間ではなく家族のように思い始めた彼らを決して失わぬように。
朝霧に包まれた森の中を暫く走り続けていたティエル達は、やがて緊張の糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
肩を大きく上下させながら両手を突いて座り込み、あるいは大の字に寝転がり、そのまま動こうとはしない。
「も……もう走れない……」
「これ以上は無理、限界来た。あー……今回ばかりは本当に死ぬかと思った」
「ううむこれは困ったぞ、安心してしまったら足に力が入らぬ。ワシとしたことが、修行がまだまだ足りんなぁ」
「あらまぁ、ジハードもサキョウもだらしないですわねぇ。ティエルったら思い切りパンツが見えていますわよ」
「もうどうでもいいー」
「一応お姫様なんですから恥じらいくらいは持って下さいな……って、あなた見慣れない剣を持っていますわね」
リアンの視線の先は、ティエルの右手に握り締められた大剣である。
少女が手にするにはあまりにも大きすぎる剣だ。封魔石イデアがティエルの願いを聞き、具現化した姿だった。
勿論そんなことなど知る由もないリアンには、大剣を軽々と握り締めている彼女の姿に心底驚いたであろう。
「イデアがね、わたしのお願い聞いてくれたんだ」
「え?」
「焔の魔女を前にして、みんなを守りたいって。みんなを守る力を下さいって願ったら、剣に姿を変えたんだよ」
「そうなんですの……」
「でも前にアリエスが言っていたように、このイデアは五つのジェムが抜き取られた単なる器のような物だから、
本来のイデアの力を取り戻すためには……全てのジェムを集めないといけないんだよね。長い道のりだなぁー」
むくりと上半身を起こしたティエルは、銀色に輝く大剣を眺める。
このイデアは力を殆ど抜き取られた単なる器のような存在だとしても、あれほど恐ろしい焔の魔女を圧倒させた。
全てのジェムが揃ったイデアならば、国を取り戻すことだって確かに可能なことなのかもしれない。
「長い道のりだが、その道のりは国を取り戻す確実な一歩となろう。ワシは最後までお前と歩んでいくつもりだ」
大の字に寝転んだまま拳を強く握り締めるサキョウ。
ゴドーを殺害したヴェリオルは彼にとっても仇だ。そして悪魔族を壊滅させるという目的も諦めたわけではない。
旅を続けていれば、報復を目論んでいるバアトリともいずれは出会うことになるだろう。
「ジェム探し、ぼくも付き合うよ。それに……無茶を重ねるあなた達の傷を癒せるのは、ぼくしかいないだろ?」
自慢の天使の笑みを浮かべ、ジハードは小首を傾げてみせる。さらさらとした癖のない白い髪が僅かに揺れた。
パンドラの箱との契約が切れた瞬間から、元々最後まで付き合うつもりであった。
それが単なる罪悪感によるものなのか、それとも己の意思なのか。もう既にどちらでも良くなっているけれど。
「長い道のりだなんて、何を今更」
命を持っていることを誰もが疑ってしまうほど美しく整った顔を上げ、淡々とした声音でクウォーツが口を開く。
彼は口数が極端に少ない上に、無駄な単語を一切省いた会話をする。決して回りくどい言い方をしない。
相手に伝えたいことだけを短い言葉の中で表現する青年だった。だからこそ彼の意思が真っ直ぐに伝わってくる。
「勿論私も最後まで付き合いますわ。ジェムが全て揃ったイデアは、私がずっと探し続けていた封魔石ですもの」
ティエルに向けて、リアンは微笑みながらしっかりと頷いてみせた。同性でも惚れ惚れするような天女の笑みだ。
元はといえば、彼女の封魔石探しからティエルの旅が始まったようなものであった。
リアンと出会わなければ封魔石の存在を知ることもなく、そしてティエルは今ここにいなかったのかもしれない。
「……みんな、本当にありがとう」
思わずティエルの瞳にじわりと涙が滲む。
そうと決まれば一刻も早くこの国から離れよう。悪夢のように恐ろしい記憶が色濃く残るこのゾルディス国には、
できることならば二度と訪れることがないように願う。しかしそう簡単に焔の魔女が引き下がるとは思えない。
「とにかくこの国から出よう。いつまでもここにいたら、見つかっちゃうかもしれないよ」
そう口に出しながら立ち上がったティエルであったが。
改めて面々の格好を眺めてみると、血に塗れた酷い有様である。町に出れば医者を呼ばれて大騒ぎになるだろう。
だがいつまでもこの場所で立ち止まっているわけにはいかない。一刻も早くこの国を後にしたいのが本音である。
「もう歩き始めるんですの? 私はあなた達と違って繊細でか弱い乙女なんですからね。もっと労って下さいな」
「大怪我をしているぼくやサキョウ達と違って、あなたは一応無傷なんだから……むしろ率先して進んでくれよ」
「む、無傷ですって!?」
「無傷に見えるけど」
「無傷ですわね……」
口から先に生まれたといっても過言ではないリアンでも、笑顔で厳しいことを言うジハードには敵わなかった。
さあ歩いた歩いたと彼に急き立てられ、渋々といった様子で立ち上がる。
面々の中で最も衰弱しているであろう人物は恐らくクウォーツだったが、態度に出さないのは流石というべきか。
サキョウに肩を貸されながらも無表情のまま一歩ずつゆっくりと進んでいく彼の元へ、ティエルが駆け寄った。
「クウォーツ、大丈夫?」
「これ以上走るのは無理だろうが、歩くだけなら何とかなる」
「でも、辛くなったらすぐに言ってね」
「遠慮なく言わせてもらう。それと……」
「なに?」
「町に着いたら暫く眠らせてほしい。一週間ほどで構わない」
クウォーツに顔を向けられて、ティエルはすぐに頷いてみせた。
彼の言う『眠る』とは単なる睡眠を指す言葉ではないと、いくら悪魔族に疎いティエルでも察することができる。
自然治癒に長けている悪魔族の回復力でも補えないほど衰弱した場合、彼らは眠りに入って治癒力を高めるのだ。
……まだ全てが終わったわけではないけれど、今は清々しい気分でティエルの胸は溢れそうであった。
この先何が待ち受けているかは分からない。更に辛い経験も多く待ち受けているだろう。それでも進んでいこう。
大切な者を守り抜きたいというティエルの願いは封魔石イデアに聞き届けられ、彼女は大きな力を得たのだ。
朝霧に包まれた静かな森を歩き始めたティエル達を、ひんやりとした冷気を帯びた朝の風が通り過ぎていく。
それは白く霧深い、そんな——……夜明け前の幻想的な光景であった。
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