Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第10章 勇気の条件

第111話 煉瓦の町フィオレ -2-




「……サキョウ、ぼくに何か言わなければならないことがあるんじゃないの」

「すまぬ」
「それだけ?」
「ワシもこの通り深く反省しておる。今日から暫くは無理をせず、大人しくしているとマーチャオ神に誓おう」
「マーチャオ神ではなくて、ぼくに誓ってほしいんだけど」

ぼさぼさに乱れた寝癖頭のまま髪を梳かそうとすらせず、ジハードは椅子に腰掛けたまま深い溜息をついている。
そんな彼の前のベッドではサキョウが苦笑を浮かべながら上半身を起こしていた。
彼が早朝に行った激しい修行の結果、閉じかけていた傷口が開いてしまったのがジハードの溜息の原因なのだ。


「血の滲んだ傷口を見せられちゃ、全力で治療したぼくとしては小言も口にしたくなるでしょうが」
「うむ、確かにそうだな!」
「無駄に元気よく答えないでくれよ。どうするんだ、これ」
「このくらい平気だ。ベムジンでの修行中は、これよりも酷い傷を放置していたこともあったしなぁ」


寝起きなのにジハードはよく喋るな、とサキョウは半ば感心しながら彼の小言を聞いていた。
元はといえば無理をした己が悪いことは承知の上なので、ジハードに対してひたすら低姿勢を貫くことに決める。
寝る間も惜しんで治療をしてくれたジハードには大変申し訳ないことをした。努力を無駄にしてしまったのだ。

ジハードは滅多に怪我を治癒魔法では完治させない。あとは自力で治るだろうという程度まで治癒させるだけだ。
刺し傷や切り傷は止血まで治癒魔法に頼り、その後は包帯やガーゼで保護をして自然治癒力に任せるのだ。
あまりにも治癒魔法の回復ばかりに頼ってしまうと、自然治癒力が衰えてしまうという理由であった。

それにしても……長い小言である。


「そもそもあなた達は無茶をしすぎなんだ。いくらぼくでも、死んだ者を生き返らせることはできないんだよ?」
「う、うむ」
「この町に滞在している理由を忘れたのかい? とにかく傷を癒すことを最優先にしようって言ったよね」
「……」
「なのにあなたは宿中を歩き回ったり、挙句の果てには早朝トレーニングなんかして傷口広げちゃってさぁ……」
「相分かった! つまりお前が言いたいことは、安静にしろということだな。十分伝わったから勘弁してくれ」

まだまだ言い足りない様子のジハードであったが、サキョウの反省した様子が伝わったのだろう。
分かってくれたのならいいんだ、と彼は漸く口を閉じたのだった。そこへリアンが扉からひょいと顔を覗かせる。


「あらジハード、やっと起きたんですの? もうお昼過ぎちゃってますわよ。宜しければこれどうぞ、差し入れ」

扉が半開きのまま小言を続けていたので、廊下にもジハードの声は延々と響き渡っていたのだろう。
可愛らしいウサギを模して剥かれたリンゴが乗った皿を手にしながら、リアンが二人の元へと歩み寄ってくる。
リンゴの形は歪なものなどなく均一だ。大雑把な性格が若干目立っている彼女にしては、意外にも器用であった。

「ありがとう、リアン。朝から何も食べていないから助かるよ」
「朝から何も食べていないって……ずっと眠っていたんだから当然じゃない。私達、何度も起こしたんですのよ」
「嘘だろ? 記憶にないけど」
「呆れましたわ。寝ぼけて私に抱き付いた挙句、キスしたことも覚えていないんですの?」
「ふぅん」

「……冗談ですわよ」
「だろうね」

剥かれたリンゴを口にしながら、胡散くさい微笑みを崩すこともなくリアンと会話を続けているジハード。
その一方でリアンは、少しは慌てなさいよと頬を膨らませていた。なかなか彼の笑顔を崩すことは難しいのだ。
ジハードは余程空腹だったようで、見る見るうちに皿の上のリンゴは無くなっていく。

開け放たれた窓から爽やかな風が吹いてくる。早朝の冷気を帯びた風とは違い、昼時の暖かさを含んだ風である。
寝癖の付いたジハードの白い髪と、彼の額に貼り付けられている青い札が揺れている。
この青い札は一体何の意味があるのだろうか。もしも剥がしてしまったら一体何が起きるのだろう。謎である。
それとも単なるアクセサリーなのかと以前ジハードに訊ねたことがあったが、彼は笑いながら首を振っていた。

どんな爆風に煽られても決して剥がれることのないこの青い札は、恐らく魔法で貼り付けられているのだろう。
確かに魔力を感じる。そんなことを考えながら、リアンはじっとジハードの顔を食い入るように見つめていた。

彫りの深い顔立ちであるクウォーツと比べると、若干あっさりとしている顔だ。だが決して薄い顔立ちでもない。
よく見ればかなり整っている。リアンの好みのタイプの美青年だ。両頬に入れられた刺青が遠い異国を連想させる。
ジハードが旅に加入したばかりの頃は、ほんの少しだけ嬉しかったことを思い出した。

彼の性格を知ってしまった今となっては、その当時の嬉しさなど遥か彼方へすっ飛んでいる。彼は微笑の悪魔だ。


「……ぼくの顔に何か付いてる?」
「口の端にリンゴの欠片がたくさん付いていますわ」
「あ、ほんとだ」
「私のハンカチ使いなさいな。あなたって、冴えている時と気の抜けている時の落差がかなり激しいですわねぇ」

「そうだ、リアンよ。クウォーツの様子はもう見に行ったのか?」
「ええ。朝と昼の二回ほど部屋に行きましたけど……相変わらず食事が手付かずのまま、眠り続けていますわ」


不意にサキョウから問い掛けられ、俯いてしまったリアンの表情に微かに影が差す。
いつクウォーツが目覚めてもいいように、リアン達は毎晩夕食をトレイに乗せて彼の部屋に置いているのだ。
今朝もリアンは夕食を回収しにクウォーツの部屋に訪れ、何度か彼の愛称を囁いたが、目覚める兆しは無かった。

元々人形めいた人物である彼が昏々と眠り続ける様は、まるで本当に命を手放してしまった人形のようで。
このままもう二度と目覚めることが無いのでは、と不安に駆られているのはリアンだけではない。皆同じだった。


「眠り始めてまだ七日だろ? 元々クウォーツは一週間ほど眠るって言っていたし、気長に待ってあげてくれよ」
「そう……ですけど」
「心配されるなんて、あいつの本意じゃないだろ? リアンの役目は、彼が目覚めた時に笑顔で迎えることだ」
「……ええ」

「うーむ。その、なんだ! これからは未来に目を向けていかんとな、旅の目的地がまだ何も決まっとらんし」

完全に重くなってしまった部屋の空気を吹き飛ばすかのように、サキョウがわざとらしいほど明るい声を発した。
確かにそうである。イデアを入手したのはいいが、五つのジェムを揃えなければ封魔石は真価を発揮できない。
しかし各地に散らばっているとされるジェムの在り処を一体どうやって調べたらいいのだ。途方もない話である。


「ジェムの在り処ねぇ……やっぱり地道に情報を収集しつつ探さなければなりませんわね。ゼロから出発ですわ」
「地道が一番だよ。ぼくとしては、こうして旅の終わりが延びたことも悪くないと思ってる。いや、むしろ……」
「むしろ?」
「あ……今の台詞は忘れてくれ。ごめん、リアンやティエルは一刻も早くジェムの揃った封魔石が必要なのにね」

ジハードの台詞の真意が読めず、首を傾げているリアンとサキョウ。
やんわりと手を振りながら誤魔化したジハードは立ち上がり、寝癖の付いた髪を軽く撫で付けながら歩き始めた。


「おい、ジハード。どこに行くんだ?」
「天気もいいし、顔洗ってから軽く散歩でもしてくるよ。サキョウ、何か買ってきてほしいものはある?」
「久々に桃が食いたいな。それと、ヒゲ剃り一式を頼む! 一日二回使っていると、すぐに刃が駄目になるのだ」

「桃なんてまた高価なものを……ぼくらはゾルディスで持ち物全て没収されて、無一文になったんだからね」
「そ、そうだったか」
「この宿に長期滞在できるのも、リアンが隠し持っていたリン金貨のお陰なんだから。暫く節約しないと駄目だ」
「節約か。しかし節約とは、一体どうしたらいいのか分からぬよ」

「ヒゲ剃り一式は、ぼくのをあげるから。じゃあ散歩がてら短期の仕事でも探してくるよ」


天使のような見た目に反してジハードは時折シビアである。いや、シビアというか現実的だといった方が正しい。
彼は三兄弟の末っ子だと前に聞いた。恐らく二人の兄に対して、相当な苦労を重ねたのだろうとリアンは思った。
節約宣言をされて実に残念そうな表情を浮かべているサキョウを部屋に残し、ジハードとリアンは廊下に出る。

「少し意外ですわね」
「え、なにが?」
「……あなたがヒゲ剃りを使っていることが。いえ、成人済みの男性なんですから当然なんでしょうけど」

「何が意外なのかよく分からないけど、サキョウほどは生えてこないよ。数ヶ月に一回剃ればいいくらいだし」
「そうなんですの。じゃあ……クウォーツも同じような感じなのかしら」
「いや、あいつはヒゲ剃りすら持ってないよ。男だからって誰にでも生えるわけじゃないとか真顔で言われたし」

やはり悪魔族は謎である。
そして、ヒゲという男らしさの記号を一つ失っているクウォーツが、少々気の毒に思えてしまうリアンであった。
立ち止まったままそんなことを彼女が思案している間に、ジハードはあくびをしながら廊下を歩いて行った。







「……これって、一体何なんだろうなぁ?」

一方。ティエルはカーテンを閉め切った己の部屋で、大剣となった封魔石イデアを前にしながら首を傾げていた。
先程から彼女を悩ませている原因は封魔石である。イデアは微かな光を発し、離れた壁に地図を映し出している。
それに気付いたのは昨夜。暗い中でイデアを引っ張り出した時であった。しかしこの地図には全く見覚えが無い。

暫く唸っていたティエルであったが、一人で考え続けていても答えが見つかるわけでもない。
後でリアンに相談しよう。それが一番いい。うじうじと考えることを止め、ティエルはカーテンを開け放った。





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