Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第10章 勇気の条件
第112話 煉瓦の町フィオレ -3-
見上げると、吸い込まれてしまいそうなほど晴れ渡った青い空。己のスカイブルーの瞳と全く同じ色をした空だ。
群れを成して飛んでいくのは白い鳥。どこか暖かい地に向かっているのだろうか。
彼らは自由だ。果て無き大空を翼を広げて飛んで行けたのなら、さぞかし気持ちが良いだろうとジハードは思う。
太陽の光に反射して、彼の白い髪が僅かな虹色を発している。
銀でもなく、老いた白髪でもない。生まれながらにして白髪は非常に珍しく、幼い頃はよくからかわれたものだ。
恐らく頭髪のみ色素の産生が欠失してしまったのだろう。二人の兄は揃って漆黒の髪色だ。
だが髪の色素と引き換えに、ジハードは魔力を持たない二人の兄とは異なり膨大な魔力を持って生まれてきた。
一言でいえば異端と呼ばれる存在である。人間は異端に対しては冷たく、容赦なく罵声を浴びせるのだ。
そんな奴らを見返してやるために、彼は人一倍努力した。武術も学問も料理ですら、全て手を抜かずに努力した。
認めてもらうために努力を重ね、全てに対して一生懸命に打ち込み……そしてある日突然虚しくなった。
人当たりの良い笑顔を貼り付けたまま斜に構えることが多くなり、人を信用することは無くなってしまったのだ。
・
・
・
煉瓦の町フィオレはその名の通り、建物全てが煉瓦で造られている。
青い空と、煉瓦の赤茶けた色。そして街路樹の緑が美しいコントラストを生み出していた。芸術的な町だった。
時刻は昼過ぎで、中央通はそれなりに人が多い。通行人の何名かは、ジハードの珍しい容姿に振り返る者もいた。
普段は良い意味でも悪い意味でも非常に目立ってしまうクウォーツが隠れ蓑となってそれほど注目はされないが、
単独で歩いていればジハードの容姿は一際目立つ。白い髪に異国の衣装、整った顔立ち。その上全身刺青だらけだ。
とにかく、まずは路銀を稼がなくてはならない。旅を続けるためには金が必要だ。多ければ多いほど役に立つ。
腕に自信があれば、最も効率の良い稼ぎ方は魔物討伐だ。命を賭す代わりに高額な賞金を受け取ることができる。
魔物が凶悪であればあるほど賞金額は高くなっていく。だができるだけ現在は、命のやり取りは避けたい。
高額魔物討伐だけではなく、ギルドには小額の仕事もいくつか存在する。できればそちらの方を狙いたかった。
立ち止まって暫く周囲を見回していると、果物店が視界に入る。様々な果物が店先に山盛りになって並んでいた。
リンゴやオレンジ、バナナに……そして見たことのないような果物もいくつか見受けられる。
勿論鮮やかに色付いた桃もあり、サキョウの顔を思い出す。値段を見ると……やはり高い。桃は贅沢な食い物だ。
「あら、いらっしゃい。新鮮な果物が揃ってるよ。お勧めは、今朝入荷した蕩けそうな甘みたっぷりの桃だよ!」
随分と体格の良い中年の女が、腕まくりをしながら店の奥から歩み寄ってきた。
サキョウが希望している桃は買えないが、代わりに違う果物を購入して帰ろう。きっと彼も喜んでくれるはずだ。
眺めてみると他の果物と比べてオレンジが若干安い。丸々と大きく、手に取るとずっしりとした重みを感じる。
「桃も捨てがたいけど、オレンジを三つほど貰おうかな。……ここは平和でいい町だね、人々の顔も穏やかで」
「あいよ、オレンジ三つで二百リンね! お兄さん、いい男だから桃一つおまけしちゃおう。主人には内緒だよ」
「え、いいのかい? ありがとう、連れが凄く喜ぶよ」
ジハードからリン銅貨を受け取った女は、山積みされた果物の中でも特に大きなものを選んで紙袋に入れていた。
買い物に行くと、彼は割とおまけをしてもらえることが多い。なかなか得な性分である。
純粋な厚意に対しては最高の笑顔で応えようではないか。天使も斯くや、という極上の笑顔を浮かべるジハード。
その途端、女の顔が耳まで真っ赤になる。
無意識のうちに人を誑し込む、性質の悪い天然タラシだと以前リアンに言われたことがあった。人聞きが悪い。
「そうだ。……ところでこの町にギルドはあるのかな。路銀が乏しくて、仕事を探そうかなって思ってさ」
「ギルドならこの道を真っ直ぐ行った突き当たりにあるよ。今一番高額な賞金首は、サンドラ盗賊団だったかな」
「サンドラ盗賊団?」
「町から少し離れた廃墟をアジトにしている盗賊団さ。……頭領のザンギは確か賞金三百万リンだって話だよ」
賞金額三百万リン。なかなか魅力的な金額だったが、現在ジハードは体力の回復を待つ身だ。
そんな状態で盗賊団を相手にするほど彼は命知らずではない。やはり細々と稼いでいく方が好ましいだろう。
「三百万は魅力的だけど、ぼくには無理だろうね。教えてくれてありがとう」
「お兄さんなら、喫茶店か酒場の給仕の方がいいんじゃないかな。きっと女の子のお客さんも増えるだろうし」
「あはは。それはどうかなぁ」
果物店の女に軽く手を振って別れを告げたジハードは、果物の入った袋を抱えながらギルドに向けて歩き始めた。
喫茶店か酒場の給仕か。金額は小額だろうが、命のやり取りをして稼ぐよりはずっといい。
そんなことを考えつつ歩いていたジハードの両目が突如背後から塞がれた。ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「だーれだ」
「……リアンだろ? 手からリンゴの匂いがする」
「うふふ、天然タラシの決定的瞬間を目撃いたしましたわよぉ。先程の女性、母親くらいの年齢だったじゃない」
「別に誑し込もうとしていたわけじゃ……リアン、その下品な笑い方は折角の美人が台無しだよ」
「下品ですって!?」
顔を真っ赤にさせながら怒るリアンであったが、異性からの辛辣な言葉も大分慣れてきたと彼女は我ながら思う。
以前までは男達にちやほやされることが当然だと思っていた。男達は皆、壊れ物のようにリアンを扱うのだ。
だが、現在共に旅を続けている男達は違った。丁重に扱うどころか、リアンを女として全く見ていない節がある。
「あれ、リアンも買い物かい?」
「誤魔化しましたわね……まぁいいですわ。宿にいても退屈ですし、調理場を借りて料理でも作ろうと思って」
「ふぅん」
リアンが重そうに抱えている紙袋から食材が覗いている。
意外なことに彼女は料理が得意であった。綺麗に剥かれたウサギリンゴを見れば分かるように、手先も器用だ。
残念ながらその自信は、ジハードが見せた料理の腕によって跡形もなく打ち砕かれてしまったが。
「キャベツに合い挽き肉、ケチャップ、セロリにローリエ……コンソメスープのロールキャベツでも作るの?」
「ええ。コンソメから作るのは初めてですけど」
「意外にいじらしいな、リアンは。ロールキャベツといえば、あのクウォーツが初めて興味を示した料理だよね」
「そ、そうだったかしら」
あれは港町アモールに滞在中での出来事だったか。
食に全くというほど興味を示さないクウォーツの前には、いつもの通りお節介気味に料理の盛られた皿があった。
感慨もなく料理を口に運んでいた彼が手を止め、これは何だ、と聞いてきた料理がロールキャベツである。
恐らく口に合ったのだろう。生きた人形のような彼が見せた珍しい一面だったため、ジハードもよく覚えていた。
「理由はどうであれ、リアンみたいに強引でお節介な存在が側にいるのは……彼にとっていい刺激になるかもね」
「……何の話をしていますの」
「さあ、何の話だろうね。でも割と本気で言ってるかもよ?」
恐らく無意識のうちに浮かべているであろう、全てを見透かしているようなジハードの笑顔がとてつもなく怖い。
リアンがそんなことを考えているとは露知らず、持つよ、と言ったジハードは彼女の荷物を抱えて歩き出した。
向かう先はギルドである。短期かつ安全で高給な仕事があればすぐにでも始めたいが、そんな好条件は稀である。
そんなことを二人が話しながら歩いていると、騒がしい子供達の声が耳に入ってきた。
「弱虫ケビン、弱虫ケービーン! お前となんか誰も遊んでやらねーよ」
「弱虫が近くにいると、弱虫菌がうつっちまう!」
「悔しけりゃ言い返してみろよー。怖くて何も言えないのかよ。また泣きながらママに言いつける気だろぉ?」
思わず子供達の方へと顔を向ける。数人の少年達が、一人の小柄な少年を囲みながら先程の台詞を口にしていた。
取り巻きを率いて囃し立てているのは体格の良い少年だ。上向きの丸い鼻に、生意気そうな顔付きが特徴である。
一方。弱虫呼ばわりをされている少年は、下を向いたまま両手を握り締めていた。何も言い返せないようだ。
「おい、何か言えったら!」
「あははは、こいつ情けねぇー」
「やっぱりお前は弱虫野郎だ、弱虫ケビン!」
ケビンと呼ばれていた少年が、どん、と突き飛ばされ、小さな身体はバランスを失って地面に転がってしまう。
どこでも見かけるような子供の喧嘩だが、いくら子供であろうと一人に対して多数で詰め寄るのは無視できない。
大きく溜息をついたリアンは、やれやれと腰に手を当てながら少年達に向かって歩き始める。
「ちょっとあなた達、弱いものいじめはいけませんわ! 喧嘩をするなら男らしく正々堂々、一対一でしなさい」
「うわっ、なんだよお前!?」
「だってこいつ、弱虫なんだぜ? オレ達がケビンを鍛えてやっているんだよ」
形の良い眉を吊り上げたリアンに首根っこを掴まれたガキ大将の少年は、精一杯強がりながら暴れているようだ。
「お前には関係ないだろ、離せよー!」
「とにかく、弱いものいじめは絶対に駄目ですわ。いい男はいじめなんて情けないことはしないんですのよ?」
「ち、ちくしょー。こいつ女に助けられてやんの! なっさけねー弱虫ケビン!」
漸くリアンから逃れたガキ大将は捨て台詞を口にしながら、取り巻きの少年達を連れて逃げるように去っていく。
その後ろ姿を憤慨したように眺めていたリアンだったが、やがて自慢の長い髪を揺らせながら振り返った。
ガキ大将の少年達が去った今も、ケビンという名の少年は涙を浮かせ、ぶるぶると震えながら俯いたままである。
明るい茶色の髪を丸くおかっぱに切り揃えた幼い少年だった。
上等な衣服を身に着けていることから金持ちの息子なのだろう。転んだ時に擦り剥いた頬から血が滲んでいる。
「ねぇ、あなた」
「……」
「あなたも言われているばかりではなく、しっかりと言い返しなさいよ。弱虫呼ばわりされて何も思わないの?」
「う……うるせーなっ、弱いものいじめとか言ってるんじゃねーよ。ブス!」
眉を顰めたリアンが少年の顔を覗き込もうとした瞬間。
突如顔を上げた少年は、彼女の大きく開いたスリットが特徴の白いスカートを両手で掴み、盛大にめくったのだ。
布地が極端に少ない黒の下着と、むっちりとした尻のライン。道行く男達の目が露わになったそこへと集中する。
だが。傍観しているジハードから冷ややかな視線を向けられ、男達は顔を赤くさせながらそそくさと去っていく。
「きゃああぁぁっ!?」
「へっへーん、パンツ丸見え! 紐みてーな変なパンツ!」
「こっ……このエロガキ……泣いて謝っても許しませんわよ、子供だからって許されると思ったら大間違いよ!」
「待てリアン! いくらなんでも子供相手に本気で殴るのはまずい」
「離して下さいな、クソガキには身体で分からせるのが一番なんですのよぉー!」
これは傍観している場合ではない。ジハードは怒り狂っているリアンの手首を掴むが、彼女の怒りは収まらない。
その原因を作った少年は、勿論反省しているような様子はない。舌を出しながら更に彼女の怒りを刺激する。
先程まで弱虫だとからかわれていた時の気弱さは微塵にも残っていない。知らない相手には強気になれるのか。
「へへーん、ボクのことを散々弱いもの扱いするからだよ。バーカ」
「確かに弱いものいじめと連呼していたリアンにも非があるかもしれないけど、スカートめくりはやりすぎだ」
「ボクに偉そうに説教する気かよ、白髪のおっさん!」
「白髪のおっさん……幼いあなたから見れば、ぼくは白髪のおっさんに見えても仕方がないか」
笑みを崩すこともなくケビンと目線を合わせるように膝を突いたジハード。
優しげなスカイブルーの瞳と穏やかな声。頑なであった幼き頃のカリュブディスを一撃で落とした笑顔である。
ジハードにじっと見つめられて、案の定悪態をついていたケビンは居心地悪そうに段々と小さくなっていった。
「ケビンといったね。あなたが目指している男とは、女の子のスカートをめくって困らせるような男かい?」
「……違うよ」
「じゃあどんな?」
「弱虫なんかじゃなくて、みんなから頼られるような強くて格好いい男だよ」
「うんうん、いいじゃないか。そんな強くて格好いい男は、女の子を困らせてしまった時はどうするのかな?」
「男らしく……謝る」
「何をやっているの、ケビン!」
ケビンの声を遮るかのように、高いヒールの音をかつかつと鳴り響かせながら一人の女が足早にやってきたのだ。
きっちりと巻いた髪に、上等な仕立ての衣服。首元には透ける素材の紫色したスカーフを巻いている。
「ママ……」
「こんな所にいたの? またお洋服を汚して……言ったでしょ、庶民の子達と遊ぶと品位が下がるって」
「ご、ごめんなさい」
「さあ行くわよ。これからピアノのレッスンがあることを忘れたの?」
ケビンの母親はジハードやリアンの姿などまるで目に入っていないようだ。
名残惜しそうな表情を浮かべながらジハードを何度も振り返るケビンの手を取ると、足早に歩いていく。
嵐が過ぎ去ったかのような感覚である。肩を竦めてリアンを眺めたジハードに、彼女は小さく、もう、と呟いた。
+ Back or Next +