Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第10章 勇気の条件

第114話 煉瓦の町フィオレ -4-




明るい色のカーテンの隙間から清々しい朝の光が差し込んでくる。
ベッドから素早く身を起こしたティエルは靴も履かず、裸足のまま窓辺へ駆け寄った。気持ちのいい晴天である。


「うわーっ、今日もいい天気!」

勢いよくカーテンを開けて両開きの窓を開け放つ。大きく深呼吸をすると朝霧を含んだ空気が胸一杯に広がった。
きっと今日はいい一日になりそうだ。わくわくするような出来事が起こるような、そんな予感がする。

このフィオレの町に滞在してから既に八日が過ぎ去った。ゾルディスで負った面々の怪我も殆ど回復しつつある。
一見社交的なジハードなど町に大分馴染んできており、商店街の店員に何名か顔見知りを作っているようだった。
恐らく例の偽りの笑顔を無駄に振りまいているのであろう。外面の良さにかけては、彼の右に出る者はいない。

そんな彼は路銀を少しでも多く稼ぐために、昨日からギルドで仕事を請け負っていた。この行動力は流石である。
仕事といっても高収入の魔物討伐やお尋ね者討伐ではなく、迷子の子犬探しやビラ配りなど比較的簡単な仕事だ。
彼はまだ体力が回復していない。そのため、低収入でも命の危険が少ない仕事を請け負っているのであった。

そして。何よりも嬉しいことは、七日間眠り続けていたクウォーツが昨夜目を覚ましたのだ。
彼は口数が極端に少ない青年である。だが彼のいない数日間を経て、その存在は大きかったのだと実感する。
久々に全員揃ったことがこの上なくティエルは嬉しかった。ゾルディスを脱出してから初めて五人が揃ったのだ。


「……ティエルったら、朝から元気ですわねぇ」

背後から掛けられた声に振り返ると、ベッドの上でリアンが自慢の長い髪を梳きながらこちらに顔を向けていた。
優しく微笑みながら髪を梳かす様子は絵画の中の聖女のように美しい。彼女は口を開くと若干残念な美人である。
極上の微笑みを見れば分かるように、リアンは昨夜から機嫌が良い。恐らく原因はクウォーツだろう。

この七日間、リアンの落ち込みようは誰の目から見ても明らかであった。
普段はクウォーツに対して口喧しく素直ではない態度を取っているリアンだが、やはり彼がいないと寂しいのだ。
そんな素直な態度を普段から見せていれば喧嘩にならないのに、と密かにティエルが思ったことは秘密である。


「リアンおはよう! ねえ、早く朝ごはん食べに行こうよー」
「あらやだティエルったら……寝癖で頭が爆発していますわよ。そんな髪のまま食堂に行くつもりなんですの?」

寝癖頭のまま廊下に出ようとしたティエルを引き止め、苦笑を浮かべたリアンは彼女に向かって櫛を放り投げた。







一階の食堂にティエル達が辿り着くと、既に食堂は大勢の宿泊客達で賑わっていた。
皆はこれからどこへ向かうのか。目的地も様々だろう。彼女達のように大きな目的を持って旅をする者もいれば、
旅行の途中に立ち寄った観光客もいる。ここに集った人々の数だけ、様々な旅の目的が存在するのだ。

食堂に足を踏み入れた途端に、香ばしいトーストの匂いやコーヒーの香りがティエルの食欲を大いに刺激する。
そんな中。ティエルとリアンに向かって、端に位置するテーブルで手を振っているサキョウの姿が視界に入った。
身支度に然程時間を要しない男性の方が早かったようであった。化粧の手間がなくて羨ましい、とリアンが呟く。

元気よく手を振っているサキョウの隣では、ティエルに負けないくらい寝癖の酷いジハードがあくびをしており、
その隣ではクウォーツが新聞に目を落としていた。眠っていた七日間の情勢を把握しようとしているのだろう。


「おはよう! 久々に全員揃ってテーブルが囲めたね。やっぱりみんないる方が賑やかでいいな」

久々に揃った面々の顔を順々に眺めながら、ティエルはがたがたと音を立てながら席に着いた。
正面にクウォーツの姿があり、一瞬だけ目が合った。昨夜の一件を思い出して、ティエルの顔が思わず赤くなる。
そんな彼女の様子にリアンは思わず首を傾げるが、特に追求することはせずに早速嫌味をクウォーツに言い放つ。


「ちょっとクウォーツ、食事時に新聞を読むのは行儀が悪いですわよ」
「……」
「ねえ聞いているんですの?」
「ああ」
「聞いているなら返事くらいしなさいよ」
「うるさいな。新聞くらい静かに読ませろ」
「なんですって!?」

既に熟年夫婦の会話である。傍目から見れば、誰もが羨むような美男美女の組み合わせであるため実に勿体無い。
しかしティエル達はすっかり慣れたもので、むしろ久々に繰り広げられる二人のやり取りが微笑ましかった。

憤慨しているリアンをいつものようにサキョウが宥めている間に、ティエルはパンにイチゴジャムを塗りたくり、
行儀の悪さをジハードに窘められていた。こんな騒がしい中でも相変わらず無表情で新聞を読み耽るクウォーツ。
まとまりがない面々であるが、これが日常である。ゾルディスでの非日常から漸く抜け出せたのだと実感した。


「……とりあえず、これからのことを考えなくてはな。封魔石は手に入れたが肝心のジェムの在り処が分からぬ」

騒がしい朝食が一息ついた頃、膨れた腹を満足そうに撫でながらサキョウが口を開いた。
確かに当初の目的である封魔石イデアは手に入れた。だが、完全なイデアを求めるならば五つのジェムが必要だ。
手がかりが何もない状態で五つのジェムを全て揃えることは難しい。彼らが寿命を迎える方が早いかもしれない。

「それなんだけどね、もしかしたら手がかりがあるかもしれないんだ」
「手がかりってなんですの? あとティエル、テーブルに両手で頬杖をついてはいけませんわ」
「あ、ごめん。手がかりというか……暗い場所でイデアを掲げると、壁に地図みたいなものが映し出されるんだ」
「地図?」
「うん。地図の一点がちかちか光っててね、ジェムの在り処を示してるんじゃないかなぁって思ったの」


映し出される地図が本当にジェムの在り処ならば、これほど強力な手がかりはなかった。調べてみる価値はある。
イデアとジェムは元々一つの存在だ。引き合っていても何もおかしな話ではない。

「ふむ、まずは地図が示している場所を調べなくてはならんな。ティエル、後でワシにも地図を見せてくれい」
「うん」
「あとは地図のスケッチもしなくてはなりませんわ。うふふ、今日は地図屋で一日調べまくりますわよぉ」
「購入する地図が多くなるかもしれんし、調べる人手は多い方がいいだろう。荷物持ちも兼ねてワシも行こう!」


今日は一日地図屋に篭りきりになりそうだ。ジェムの在り処が気の遠くなるような遠方でなければいいのだが。
早速きゃいきゃいと今日一日の予定を計画し始めるティエルとリアン。そしてサキョウ。
暫く安静にすると誓ったはずのサキョウが買い物に同行しようとしているのを、勿論ジハードは見逃さなかった。

「サキョウは行っちゃ駄目だよ、安静にしていると誓ったのを忘れたのかい?」
「う、うむ……」
「確かにそうですわね。それなら、荷物持ちはジハードにお願いしますわ。今日一日私達に付き合って下さいな」
「げっ」
「げっ、じゃないですわ! 美しい乙女達の買い物に付き合えるんですから、もっと嬉しそうにしなさいよ!」

あからさまに嫌そうな表情を浮かべるジハードに、リアンが眉をきりりと吊り上げる。
本当に地図屋だけで終わるのであれば荷物持ちを快諾するのだが、彼女達の買い物がそれで終わるとは考え難い。
恐らくあちこち連れ回されて、帰る頃には身も心もぼろぼろにされてしまうのだ。きっとそうに違いない。


「そういえば昨日、素敵なアクセサリーのお店を見つけたんですの。ねぇティエル、少し寄って行きません?」
「素敵なアクセサリーかぁ……わたしには似合わないと思うけど、見てるだけでも楽しそう!」
「でしょう? あとはケーキが美味しそうなお店と、香水のお店と、お菓子のお店も寄って行きましょうよぉ」

「地図よりも絶対にそっちがメインだろ……ぼく一人じゃ付き合いきれないな。そうだ、クウォーツも行こうよ」
「……」
「いや、素知らぬ顔して新聞読んでても聞こえてるのは分かってるから。アクセサリー見るの、結構好きだろ?」


自分一人だけでは買い物に付き合いきれないと察したジハードは、クウォーツを道連れにしようと決めたようだ。
声を掛けられても無視を決め込んでいた彼であったが、はいそうですかと簡単に引き下がるジハードではない。

クウォーツの両手にはメビウスの指輪を含め、多くのシルバーリングが嵌められている。
そして彼が時折、様々なシルバーアクセサリーを特集した雑誌を購入していることも勿論ジハードは知っていた。
ぐいぐいとジハードに詰め寄られ、漸く観念したのかクウォーツは無表情を崩すこともなく静かに顔を上げる。

「冗談じゃない、ごめんだね」
「え、どうしてさ」
「連れ回されるのが目に見えている」
「ぼくがどうなっても構わないっての?」
「まだ本調子ではない私が連れ回されるよりかはマシだろ」

まるで厄介ごとの擦り付け合いだ。
暫く押し問答が続いていたが、クウォーツから体調を盾に取られ、最終的に折れたのはジハードの方であった。
長々と続いていた二人の問答が終結したところで、ティエル達はそれぞれの行動に移るために席を立ち上がる。


「……あなたねぇ、少しくらいは私達に付き合ったりしなさいよ」

新聞をばさばさと畳んでから立ち上がったクウォーツに向けて、リアンは不機嫌を隠そうともせずに口を開いた。
いつの間にかティエル達三人は食堂を出て行ってしまっているようだ。
体調の悪さを理由に断ったのがリアンには面白くなかったのだろう。彼女は完全に仮病を使ったと思っている。


「さっき言っていたお店、あなたの好きそうな指輪もたくさん置いてありましたのよ」
「……私は体調が悪いと言っただろ」
「行きたくないなら、はっきりと言いなさいよ」

「行きたくないとは言っていない。体調が戻った頃に改めて誘ってくれ」
「それって……二人で行こうってこと?」
「? そうだな」

勿論クウォーツの返事に他意など全く存在しない。
彼は決して含みを持たせるような物言いはせず、言葉そのままの意味である。期待をすると確実に痛い目を見る。
そうと理解はしているはずなのに、先程までの不機嫌な表情はどこへやら。途端に上機嫌になるリアンであった。





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