Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第10章 勇気の条件
第120話 勇気の条件
盗賊騒動も漸く落着し、時計広場の真ん中で焚かれた火の前でティエルは頭からタオルを被りながら震えていた。
それほど肌寒くはない気候といえども、濡れた服や濡れた身体で風に当たり続けていれば寒くもなるだろう。
町人達によってぼこぼこに殴られたサンドラ盗賊団は、どうやら皆縄で縛られ広場の隅に転がされているようだ。
近隣の村や町を好き勝手に荒らし回り、恐怖に陥れた悪名高い盗賊団もこれで終わりである。
転がされた盗賊の周囲では、厳つい体格をした町人達が見張りを続けていた。恐らく逃げ出すのは不可能だろう。
指名手配されていたザンギはギルドに引き渡され、賞金額三百万リンがティエル達に支払われるというのだ。
ゾルディスで手荷物全てを奪われ路銀の乏しかったティエル達にとって、これは大きな助けとなった。
町のあちこちに松明が掲げられ、人々は壊れた看板や割れたビンなどの掃除を続けていた。
盗賊に荒らされた宿は現在体力自慢の冒険者やサキョウ達による片付けの真っ最中であり、まだ戻れそうもない。
女子供は邪魔になるだけだと追い返されてしまい、この時計広場で声がかかるまで待機し続けているのであった。
屈強な男達にはクウォーツやジハードのような細身の体格の男も『役に立たない女子供』の部類に入るらしく、
彼らも追い返されていた。まぁ楽ができるならいいや、と相変わらずジハードは飄々とした様子で笑っていたが。
「……へぷしょい、ぐしゅん!」
「ティエル、くしゃみをする時は口を押さえてくれよ。それと人に向けてしないこと。顔にかかったんだけど」
「ふえっくしょい! ご、ごめ……ぶしゅん!」
噴水に落ちてからティエルのくしゃみは止まらない。
盛大に唾の洗礼を受けたらしく、眉間に皺を寄せたジハードは顔を拭いつつ実に不愉快な表情を浮かべている。
「仮にもお姫様なのに……色気の欠片もないおっさんみたいなくしゃみをするなよ。保護者としてぼくは悲しい」
「そんなこと言われても、こんなくしゃみなんだから仕方ないじゃない!」
「百歩譲ってへぷしょいはいいとして、でもふえっくしょいはないと思う。それだけは姫君として駄目だと思う」
「ジハードのバカ! 人のくしゃみを冷静に分析しないでよ。あーん、わたし一番貧乏くじ引いてない?」
「そんなことはないですわよ、ティエルはよく頑張りましたわ。くしゃみくらい許してあげなさいよ、ジハード」
苦笑を浮かべながら歩み寄ってきたのはリアンである。
彼女が一歩進むたびに、豊満な胸がゆっさゆっさと揺れていた。彼女はいつもこんな薄着で寒くないのだろうか。
先程まで震えながら彼女から離れようとしなかったケビンの姿がないことから、親の元へと送り届けたのだろう。
普段の憎まれ口もなく、素直な態度を見せるケビンは子供らしくて可愛い部分もちゃんとあるなと彼女は思う。
「それにしても気温が低くなってきましたわね。ティエル、鼻水を拭いてもっと焚き火の側に寄りなさいな」
「ううぅ……このままじゃ風邪引いちゃうよ。魔法で服が乾かせたらいいのになー」
「魔法はそんな便利なものじゃないですわ。熱風を出すためには、炎の魔法と風の魔法の均衡を保ちつつ……」
「リアン、何言ってるか全然分かんない」
魔法力学の話を始めるリアンだが、全く理解できないティエルは彼女の話を右から左へと聞き流しているようだ。
そんな様子を呆れた表情を浮かべながら、ぼんやりと眺めていたジハードの背後に突然気配が忍び寄る。
足音もなく立っていたのは勿論クウォーツであり、紺を帯びた黒のドレスコートは夜の闇に半分溶け込んでいた。
「騒ぎは終わったのか」
「うわ、びっくりした! ……いつもながら、あなたは音もなく忍び寄るのが得意だね」
「貴様が油断のしすぎなのでは」
「いやいや、何言ってんだよ。こんな時まで周囲を警戒なんてしないって」
「あ、クウォーツ!」
彼の姿に気付いたティエルが小走りに駆け寄ってくる。手の平に乗せているのは、折れた銀色のネクタイピン。
地面に散らばっていたものを集めてきたのだ。相当強い力で弾き飛ばされたらしく、殆どが折れ曲がっていた。
いくつかのネクタイピンはティエルも見覚えがある。クウォーツがクロスタイを留める時に使っていたものだ。
「助けてくれてありがとう。ネクタイピン、全部折れちゃってたの。これじゃもう使い物にならないよね……?」
「別に構わない。どうせ安物だ」
「えー絶対に嘘だぁ。クウォーツ、安物なんて身に着けないでしょ」
「そういうわけでもない」
「おにーちゃん達ー!」
その時。ぱたぱたと大きな足音を立てながら、ケビンが真っ直ぐとこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。
ティエル達の前まで辿り着くと、ケビンは立ち止まって息を整える。
「あの、その……ボクを助けてくれてありがとうって……それだけ言いたくて……」
「どういたしまして。もう廃墟なんて危険な場所に近付いたら駄目だよ?」
「言い方が甘いですわ、ティエル。こういう無謀なクソガキに対しては、もっとガッツリと叱ってやらなくちゃ。
ケビン、あなた……やっぱり勇気を認めてもらいたかったんでしょう。本当に素直じゃないクソガキですわね」
「う、うるせーな! 紐みたいに変なパンツ穿いてる女のくせに」
「私の下着は関係ないでしょ。友達が欲しかったのなら、そんな無謀な勇気の見せ方をしなくてもいいじゃない」
腰に手を当てたリアンに叱られて、拗ねたようにそっぽを向くケビンだが、その顔が耳まで真っ赤になっている。
他人の感情に聡いジハードは勿論それに気付いており、にやにやと笑みを浮かべていた。
だが幼い恋心をからかって面白がるほど彼は非道ではない。あえて話題に出さずにケビンの頭を軽く撫でてやる。
「サンドラ盗賊団が壊滅したとはいえ、もう廃墟には近付いちゃ駄目だ。また善からぬ奴が巣くう場合もあるし」
「……ごめんなさい。おにいちゃん」
「ぼくと男の約束、できるかい?」
「うん!」
ジハードと小指を絡め合うケビンの姿を、リアンは面白くなさそうに眺めていた。
自分に対してはあんなにも反抗的な態度であるのに、何故ジハードに対しては素直で可愛らしい態度なのだろう。
それにしても先程から視線が突き刺さる。確認せずとも想像できる。視線の持ち主は恐らく背後のクウォーツだ。
恐る恐るリアンが背後を振り返ると、案の定クウォーツが木箱に腰掛けながら硝子の瞳を彼女に向けていた。
クウォーツが言いたいことは既に分かっている。彼はすらりと伸びた足を組み替え、想像通りの言葉を口にした。
「まさか、本当に露出狂だったとは」
「誤解ですわ! このガキが勝手に私のスカートを捲ったんですのよ!? 私から見せたわけではないですわ!」
「どうだか……」
クウォーツに完全な誤解をされてしまっているようだ。
恐らく彼の中では子供相手に下着を見せ付けた露出狂になっている。下着は見られたが見せ付けたわけではない。
慌てて弁解しているリアンの様子を面白がって眺めていたケビンは、鼻の頭を擦りながら彼女に近付いて行く。
「おねえちゃん、そんな怖い顔ばかりしてると男ができないって言ってるだろ?」
「う、うるさいですわね。余計なお世話ですわよ」
「……本当に誰もお嫁に貰ってくれなかったら、その時はボクがおねえちゃんを貰ってやるからさ」
「おーい、ケビーン!」
そうケビンが口にした時。片付けをしている町人達の間を縫って、数名の少年達がこちらに向かってきたのだ。
彼らの顔にはジハード達も見覚えがあった。ケビンを弱虫扱いしていたガキ大将達である。
ガキ大将達を前にするとケビンの表情に思わず怯えの色が走ったが、ぐっと唇を噛み締めると彼らを睨み付けた。
「な、何か用かよ」
「……いや、その……お前さ、怖い盗賊達に捕まっていただろ。大丈夫かなって……」
「オレ達が廃墟に行けとか言っちまったから、お前捕まっちゃったんだろ?」
顔を見合わせながら申し訳なさそうに口を開いた少年達。それから、意を決したようにガキ大将が前に進み出た。
「お前、盗賊に捕まっても泣かなかったし。すげぇなって思ってさ。……弱虫って言葉、取り消すよ」
「もう二度とケビンを弱虫呼ばわりなんてしねーからよ。オレだったら、絶対小便チビりながら泣き喚いてたし」
「オレ達の中で一番勇気があったのは、ケビンだったんだな」
ガキ大将達の言葉に突っ立ったまま驚いた表情を浮かべていたケビンであったが、やがて笑顔が広がっていく。
良かったじゃない、と頭を撫でてやったリアンを見上げると、ケビンは満面の笑顔で頷いたのだった。
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去っていくケビン達に大きく手を振り続けていたティエルだが、冷たい風を受けて盛大なくしゃみを披露する。
このまま広場にいたら風邪を引いてしまいそうだ。折角次なる目的地も判明し、新たな旅の始まりだというのに。
次なる目的はセレステール王国だ。本当にこの国にイデアの失われた五つのジェムの一つが存在するのだろうか。
「リアン、ここからセレステールってどのくらいの距離なの?」
「何事もなく進めば、歩きで一週間もあれば到着する距離ですわよ。誰かさんが迷ったり道草を食わなければね」
「誰かって誰? リアンひどーい。……ふ、ふぇっ、ふえっくしょい!」
それにしても寒い。片付けの途中でも構わないから、早く宿に戻りたい。
リアンから渡されたハンカチで鼻を拭い、ティエルはぶるっと身震いをした。身体が完全に冷えてしまっている。
温かいシャワーを頭から浴びたい。そしてふかふかのベッドで眠りたい。今日は色々なことがありすぎて疲れた。
折角楽しい一日だったはずなのに、とティエルが頭を垂れたとき。隣の木箱に腰掛けたクウォーツと目が合った。
そういえば彼に砂糖菓子のお土産を買っていたのだ。残念ながら、この盗賊騒ぎで粉々に砕け散っていそうだが。
朝方に顔を合わせた時と比べて、クウォーツの体調は大分戻っているようにも見える。
「寒いのか」
「え? そりゃあ寒いよー。頭から噴水に落ちたんだよ? このままじゃ、わたし本当に風邪引きそう」
「……私がベッドの中で温めてやろうか」
「でもクウォーツ体温低いし、余計寒くなるよ。一緒に寝るならクウォーツよりもサキョウの方が温かそうだし」
クウォーツが発した台詞は明らかに口説き文句である。それも随分とあからさまな口説き文句だ。
彼の言葉を聞いた瞬間、リアンは目を見開いて唖然としていたが、根っから天然のティエルには通用しなかった。
単なる添い寝だと思っているようだ。それなら体温の高いサキョウの方が温かそうだと見事に受け流していた。
「そろそろ宿屋の方に戻ろうよ。片付けの様子も見に行きたいし」
「ええ……そうね」
木箱から身軽に飛び降りたティエルは、皆の返事も待たずに歩き始める。よっぽど寒いのだろう。
彼女に続いて歩き始めたのは疲れた表情をしたジハード。一日中買い物に付き合わされ、その上盗賊達の来襲だ。
一方リアンは隣を歩くクウォーツの様子をちらちらと窺っていた。本人はこっそりと盗み見ているつもりだろう。
「そ、それにしても今夜は本当に寒いですわね。このままじゃ私も風邪を引いてしまうかもしれませんわぁ」
「……」
「なんだか寒気までしてきましたわ。少し熱っぽいし……どうしましょう、寒くて寒くてたまりませんわねぇ」
彼女に視線すら向けないクウォーツの様子を盗み見ながら、リアンはわざとらしいほど大きな声を発している。
前を歩いていたジハードは必死に笑いを堪えており、ぷるぷると肩が小刻みに震えていた。
当然のように無言で歩き続けるクウォーツに痺れを切らしたのか、拗ねたような表情でリアンが口を尖らせる。
「ちょっと、ここにも寒さで震えている女性がいるんですのよ。……色気のある台詞くらい言えないんですの?」
「?」
「真顔で首を傾げないで下さいな! ほら、何かあるでしょう。例えば先程ティエルに言ったような台詞が……」
「そんな薄着じゃ寒いのも当然なのでは? 腹巻でも巻いとけよ。腹壊すぞ」
「腹巻!? レディに対して腹巻とか、腹壊すとかデリカシーのないこと言わないで下さいな! この無神経!」
とうとうジハードが堪えきれずに、ぶはっと笑いを吹き出していた。
それを目にしたリアンは顔を赤くさせながら男二人を足早に抜き去り、ティエルの腕を掴んで歩き去ってしまう。
ぽつんと取り残された形になったクウォーツとジハードは顔を見合わせ、互いに肩を竦めて見せたのであった。
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