Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第11章 華の都セレステール
第122話 セレステール王国 -2-
酔っ払った町人達に教えられたとおりに中央広場に向かって進んでいくと、人の数が段々と増えているようだ。
触れるとご利益があるという、全身の鱗が白い魚人族を一目見ようと人々が集っているのだ。
こんな大勢の人間達に触れられては、いくら頑丈な皮膚を持つ魚人族でも鱗が剥がれ落ちてしまうのではないか。
それにしても、先程から押し黙ったようにして隣を歩くジハードが気に掛かる。
ティエルがちらりと視線を向けると、ジハードの様子は一見すると普段と全く変わらない。実に穏やかな表情だ。
だが晴れ渡った青空のように澄んでいるはずの彼の瞳は、酷く濁っていたのだ。これは決して気のせいではない。
そこで、漸くジハードは己を見つめるティエルの様子に気が付いたようだ。顔をほんの少しだけ彼女に向ける。
「一体どうしたのさ、ティエル。先程からこっちをじっと見て。ぼくの顔なんか見つめても面白くないと思うよ」
「……ジハード、無理してるよね」
「どうしてそう思うんだい」
「だって、さっき辛そうな顔してたよ。中央広場……やっぱり行かない方がいいんじゃないかな?」
「ありがとう、心配してくれているんだ?」
「当たり前でしょ」
「当たり前、かぁ……そっか。当たり前なんだよな」
不安を隠し切れていない表情で見上げているティエルに向かって、ジハードは得意とする完璧な笑みを見せた。
ジハードと初めて出会ってから既に四ヶ月が過ぎ去っていたが、彼は未だに本心を見せることが少ない。
こんなにも近くにいるのに。こんなにもいつも側にいるのに。本音を伝えてくれないのが……どこか悲しかった。
ティエルがそんな無言の葛藤を続けている間にも、中央広場は段々と近付いてくる。
石畳で美しく舗装のされた中央広場は、王子の捕らえた異端の生き物を一目見ようと見物人達で溢れ返っている。
鋭い槍を携えた衛兵達。周囲に張り巡らされたロープ。珍しい生き物に是が非でも触れようと手を伸ばす町人達。
そこでティエル達が目にしたものは、両手を拘束された一人の魚人族の少年の姿である。
本来はくすんだ青色をしているはずの身体を覆う鱗は、全てが透き通るように白い。異端と呼ばれる存在だった。
多くの人々から乱暴に触れられたためか鱗の殆どは擦り切れ、皮下組織が露出している部分も見受けられた。
肉を少しずつ削り取って苦しめる拷問のようなものだ。人々に悪意がないからこそ、その行動に躊躇がなかった。
何よりも本来水中での生活に適している魚人族を、長時間日光に当て続けるのは非常に酷である。
痩せ細った魚人族の少年は物言わずぐったりと項垂れている。痙攣を続けている様子から、まだ息があるようだ。
息を呑んで思わず立ち止まったティエルの背後で、えぐいことをしますわね、とリアンが眉を顰めながら呟いた。
その時。不意に魚人族の少年が顔を上げた。濁った虚ろな瞳。まるで助けを求めるようにぱくぱくと開かれた口。
少年は真っ直ぐにジハードを見つめていた。……瞳を逸らそうとしても、ジハードに逸らせるはずがない。
その姿をかつてのカリュブディスと重ねてしまったのだ。見世物小屋から逃げ出してきた、傷だらけの幼い彼と。
「……ジハード?」
立ち止まったティエル達を通り過ぎ、ジハードは引き寄せられるようにして魚人族の少年に向かって進んでいく。
珍しい生き物に触れようと順番待ちをしている町人達を押し退け、悪態をつかれても彼の歩みは止まらない。
その異様なジハードの様子は当然衛兵達の目に留まり、槍を構えながら彼の前に威嚇するように立ちはだかった。
「貴様、順番に一列に並べという札が読めんのか?」
「これ以上勝手に立ち入ることは許さんぞ!」
「ん? その顔は……貴様、中東大陸の民族だな。字すらも読めない低脳の民族か?」
衛兵達に侮蔑の言葉を投げつけられても、ジハードは立ち去ろうとはせずに彼らをじっと見つめている。
いや……衛兵達を見つめているというよりは彼らの背後、ぼろぼろに傷付いた魚人族の少年だけを見つめていた。
ティエルやリアン達ですらジハードを止めることはできず、ただ彼を眺めていることだけしかできなかったのだ。
「本当にこの男、言葉すらも分からない低脳だな」
「さっさと下がらんと城に連行するぞ? それとも、臭い飯でも食いたいのか……っ!?」
嘲笑を浮かべながらジハードの肩を乱暴に掴んだ衛兵の一人が、突然息を呑んだように彼から慌てて手を離す。
ジハードは普段のような完璧な微笑みを浮かべていた。完璧であるはずなのに、瞳だけが凍り付いていたのだ。
その姿はまさに阿修羅。彼の瞳は屈強な男である衛兵達の心を、呆気なく打ち砕くのに十分すぎるほどであった。
硬直している衛兵達を通り過ぎ、ジハードは魚人族の少年の前で膝を突く。
「あなたは……魚人族だね。どうして捕まったんだ」
「……」
「この国の王子があなたを捕らえたと聞いた。もしかして王子に危害を加えたのかい。……何故、こんなことに」
生気を失った瞳でジハードを見つめ続けていた魚人族の少年は、穏やかな彼の声を耳にすると一粒の涙を零した。
ジハードに伝えたいことがあるのだろうか。少年は口を開くと、必死に言葉を紡ごうとしているようであった。
しかし声帯が切除されているのか、それは掠れた空気の漏れる音にしかならなかった。
この魚人族の少年はもう助からない。治癒魔法をかけても、既に手遅れだということはジハードも理解していた。
今まで幾百という人物を治癒してきた彼だからこそ、それが分かってしまう。
治癒魔法の回復速度よりも、命の灯火が燃え尽きる方が早い。治癒した傍からその細胞が次々崩れてしまうのだ。
そう理解してはいたけれど……黙って眺めていることはできなかった。
「大丈夫、きっとよくなる。今傷を治してあげるから」
魚人族の少年の胸に片手で触れると、淡い緑の光が彼の手の平から溢れ始める。
皮下組織が露出していた部分の傷が急速に塞がっていくが、間髪を容れずに皮膚が裂け、緑色の血が溢れ出した。
これ以上治癒を続けることは、逆のこの少年を苦しませてしまうことになる。己の無力を改めて思い知らされた。
「……み、湖の、ほとりまで……久しぶりに、遠出した……んだ」
「え?」
「突然……人間達が、近付いてきて……とうさんと、かあさんは……王子達に殺され、た」
治癒魔法が声帯を僅かに回復させたのか、魚人族の少年は絞り出すような声を発した。
湖のほとりとは、この国の隣に位置する大きな星型の湖か。恐らく狩りのために立ち寄ったこの国の王子一行は、
珍しい白い鱗の少年に目を付けて攫ってきたのだろう。その際、利用価値のない少年の両親は殺されたのだ。
「……ろ……して……」
「!」
「おねがい、僕を殺して……。苦しいのは、痛いのは……もう、いやだ……」
窪んだ瞳でジハードをじっと見つめながら魚人族の少年は掠れた声を発した。
思わず治癒魔法を中断し、言葉を失ってしまったジハードに向かって少年は一度だけはっきりとした声を発した。
「僕を……殺して」
……ああ、また救うことができなかった。
誰よりも高い治癒能力を持っていながら、カリュブディスも、この魚人族の少年も救うことができなかったのだ。
勿論治癒魔法は万能ではない。死人を生き返らせることもできず、病気や毒にも効果がないことは知っている。
けれど本来の役割である傷を治すことすら満足にできないなんて。この力を持つ意味は果たしてあるのだろうか。
暫く迷ったように瞳を閉じていたジハードだったが、やがて少年の頬に優しく手を触れると静かに頷いて見せる。
このまま苦しみ続けて死を待つよりも、一思いに楽になりたいという少年の願いを聞き入れたのだ。
「あなたがそれを望むのなら」
「……ジハード!」
「おい、こら小娘!?」
立ち尽くしていた衛兵をティエルが押し退けて駆け出したのと、ジハードの極陣が発動したのは同時であった。
生み出された鋭い氷の刃は、寸分の狂いもなく魚人族の少年の心臓に突き刺さる。
まるで雨のように飛び散った大量の緑の血飛沫は、膝を突いたままのジハードの髪や顔、衣服を濡らしていった。
しんと水を打ったように静まり返る周囲。ティエル達も、衛兵も、町人達も呆然とした表情で彼を見つめている。
「な……なんてことをしてくれたんだ……!」
「セイファ殿下の所有物を殺害するなど王家に対する反逆罪だ! 貴様、死罪は免れんぞ!?」
「おい、その男をひっ捕らえろ!」
我に返った衛兵達がジハードに向かって駆け出すと、殺気を放ちながらクウォーツが前に立ちはだかったのだ。
たとえ何があろうと、決してここは通さない。突破する気ならば躊躇なく殺す。そんな無言の圧力を感じた。
感情のない硝子の瞳に動きを絡め取られ、思わず衛兵達の足が止まった。この男も危険だと本能が訴えてくる。
「どうして……彼を晒し続けたんだ? 他人と違うものを持って生まれてきたから? ……それだけの理由で?」
氷の魔法の影響で急激に下がった温度のためか、白い息を吐き出しながらジハードがゆっくりと振り返った。
頭から返り血を浴びたのか、彼の見事な白い髪は血に染まっている。ぽたぽたと小さな雫を髪から滴らせていた。
魚人族の少年の最期の嘆願を耳にしていたティエル達も駆け寄ってくると、ジハードを守るように立ちはだかる。
周囲は応援で駆けつけてきた衛兵達に囲まれており、殺気を放つクウォーツとの間で一触即発の状態であった。
じり、と一歩足を踏み出した一人の衛兵に視線を向けたクウォーツが、妖刀幻夢を握る左手に力を込めた時。
「あらまあ、これは一体何の騒ぎなの?」
実に場違いなのんびりとした女の声が辺りに響き渡った。それと同時にさっと人垣が割れる。
見ると、随分と豪勢な……というより、ど派手な印象が強い駕篭の窓から顔を覗かせている若い娘の姿があった。
金色の長い巻き毛にミントグリーンの大きなリボン。空色の瞳。フリルが多く使われている可愛らしいドレス。
どこかで見たことがあるような少女だな、とティエルは思った。彼女よりは若干年上のように見える少女である。
ティエルが首を傾げた時、槍を構えていた衛兵達が皆一斉に恭しく頭を垂れた。
「これは、セーラ姫様! ……実はこの不届き者が、セイファ殿下の所有物を殺害してしまいまして……」
「不届き者?」
長いまつげを瞬き、そこで初めてセーラは視線をティエル達へと移動させた。
剣を構えるクウォーツと血塗れたジハードの姿に息を呑み、それからサキョウ、リアン、ティエルへ顔を向ける。
その瞬間、セーラの顔中に零れるような笑顔が広がった。まさに場違い。空気の若干読めない姫様である。
「ティエル姫!?」
「えっ?」
歓喜の声を上げたセーラは、呆気に取られている衛兵達を他所に駕篭から勢いよく飛び降りて駆け寄ってきた。
そして硬直しているティエルの両手をしっかりと握り締めたのだ。
全く状況が飲み込めていない衛兵達は顔を青くさせたり赤くさせながら、ティエルとセーラに向かってくる。
「セ、セーラ姫様!? その者はセイファ殿下の所有物を殺害した不届き者の仲間でして……」
「王家に対する反逆罪で死罪にしなければなりませぬ!」
「死罪? どうして?」
「いえ、ですから……この者達は殿下の所有物をですね……」
「いいえ、その必要はないわ」
「え?」
「この方はわたくしの大切なお友達。そのお友達のお友達も、わたくしのお友達よ。丁重に客間にお連れして」
ティエルの両手を握り締めたまま、セーラは花のような笑顔を浮かべたのだった。
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