Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第11章 華の都セレステール
第123話 セレステール王国 -3-
「先程は衛兵達が本当に失礼をいたしましたわ。……ごめんなさいね、ティエル姫とそのお友達の方々」
国賓用の客間に通されたティエル達の前には『姫君』と耳にして誰もが思い浮かべるような女性が腰掛けていた。
ティエルよりも恐らく幾許か年上の、金色の巻き毛をしたつり目の少女。
多くフリルを使用した淡いグリーンのドレスに、大きなリボン。にっこりと優雅な微笑み。溢れる気品。貫禄。
同じ姫君と呼ばれる存在でも、ここまで違ってしまうのか。お転婆姫と呼ばれるティエルとはまさに雲泥の差だ。
愛らしい小さな唇に乗せた薄い桃色のルージュ。剣などただの一度も握ったことがないような白魚のような手。
そんなセーラ姫を前にすると、ティエルはどこか気恥ずかしさが否めなかったのだ。
「異端の魚人族さんの件は、どうか心配なさらないで。わたくしの方からセイファお兄様に説明しておきます」
「魚人族を長時間太陽に晒して大勢に触れさせるなんて、最早拷問だよ。悪趣味としか言いようがないな」
「ええ……あなたの仰るとおりだわ。お兄様はとても悪趣味なの。わたくしも何度か止めたんですけれど……」
微笑みながらもどこか刺のあるジハードの物言いだが、セーラは真摯に受け止めているようだ。
魚人族の少年の返り血を浴びていた彼は客間に通される前に身を清められており、若干髪が湿り気を帯びていた。
仄かな石鹸の匂いを漂わせるジハードの隣に腰掛けていたティエルは、横目で彼の表情をちらりと盗み見る。
先程までの厳しい表情は鳴りを潜め、外面だけはすこぶる良い好青年じみた普段の表情に戻っているようだった。
こんな短時間で吹っ切れているはずがない。だがそれでも、平然と笑みを浮かべる彼は強いとティエルは思う。
「……それにしてもセーラ姫、五年前のほんの数回しか遊んだことのないわたしの顔をよく覚えていたね」
「忘れるなんてとんでもないわ! メドフォードに滞在した七日間の思い出は、今でも大切な宝物なんですから」
「宝物?」
「ティエル姫と遊んだ木登りや駆けっこ、泥遊び……どれも初めての経験ばかりで、とっても楽しかったわ!」
「そう思ってくれていたなら嬉しいなぁ」
「メドフォードが悪しき者の手に落ちて、ティエル姫は亡くなられたと聞いていたけれど……本当によかった」
どれも初めての経験。普通の姫君ならばそうだろう。しかしティエルにとってはいつもの遊びのつもりであった。
思い返してみれば、セーラは常に目を輝かせながら時間も忘れて一生懸命に遊んでいたような気がする。
「木登りや駆けっこ、泥遊びって……姫君が遊ぶ内容とは思えませんわねぇ」
「い、いいの。わたしはそれが楽しかったんだもん。セーラ姫も楽しんでくれたし、いいじゃない!」
「まぁいいですわ、セーラ姫が覚えていてくれて幸運じゃないの。さっさと本来の目的を果たしちゃいましょう」
反対側の隣に腰掛けていたリアンが、セーラには聞こえぬようにこそこそとティエルに耳打ちをしてきた。
「この国はジハードにとって嫌な記憶が残る国ですし、長居はせず目的を果たして早々に出て行きましょうよ」
「うん、ジハードのためにもそれが一番いいよね。……えっと、本来の目的って何だったっけ?」
「おバカ! 私達、このセレステールにはイデアのジェムの手がかりを求めて訪れたことを忘れたんですの!?」
「おバカなんてひどい……」
そんな一行の元へ忙しない足音が段々と近付いてくる。応接間の扉が勢いよく開くと、一人の青年が姿を現した。
眩いばかりの黄金の髪、空色の瞳。すらりと背が高いが、決して痩せているわけではなく適度に鍛えられた身体。
神聖なる美青年像が命を持って目の前に立っているのかと錯覚してしまいそうな、華やかで洗練された美男子だ。
長身を包んでいるのは白を基調とした衣服に、瞳と同じ色をしたマント。
『ハンサムな王子』と近隣諸国にその名を轟かすほどの容貌。確かに彼は噂に違わぬ美貌の持ち主であった。
女ならば誰もが頬を染めるであろう彫りの深い顔立ちに爽やかな笑顔を浮かべていた青年は、優雅に一礼をする。
「ティエル姫、遠路遥々ようこそ我がセレステール王国へ。僕はこのセレステールの王子、セイファと申します」
早速ティエルとリアンの二人に目を留めたセイファは、一瞬も迷わずリアンの元へと歩み寄るとその手を取った。
その瞬間ティエルの身体が僅かに押し退けられたような気がするが、最早セイファの視界に彼女は入っていない。
「お初にお目にかかります、美しきティエル姫。噂ではまるで山猿のようなお転婆姫だと聞いていましたが……」
「え? あ、あの」
「噂とはまるで違う。美の女神も嫉妬する、なんと神秘的な姫君だろうか。ああ……僕の心は既にあなたの虜だ」
「山猿!?」
己の前をあっさりと通り過ぎて行ったセイファを睨み付けながら、ティエルは思わず眉を顰めた。
両手をしっかりと握られているリアンは、呆れ果てたような表情を浮かべながら王子の台詞を聞き流しているが。
すらりと背が高く、薔薇の匂いが香るような美男。リアンの好みのタイプであるはずだが、顔が引き攣っている。
本音を言うと、すぐにでも手を離せと言いたい所だが……相手が王子であるために失礼な態度は取れないようだ。
「あなたほどの女性ならば、僕の妻に相応しい。過酷な旅などやめて、このセレステールで暮らしませんか?」
「ちょっと、一人で盛り上がっている最中に申し訳ないんだけど!」
「……なんだい。君はティエル姫の侍女かな? 僕とティエル姫の大切な時間を邪魔しないでくれるかなぁ」
「残念でした、ティエルはわたしですぅー」
「そうよセイファお兄様、勝手に先走っちゃって……。ティエル姫はこちらの方なのよ」
「は!?」
一体何を言っているんだと大げさに表情を歪めたセイファであったが、妹セーラの表情から冗談ではないようだ。
わなわなと小刻みに震え始めたセイファは、憤慨した顔付きのティエルを頭を振りながら指さした。
「こちらのレディがティエル姫? おいおい嘘だろセーラ、どちらかというと姫というよりは子猿のような……」
「小猿のような!? 重ね重ね失礼なおにいさんね!」
「セイファお兄様。わたくしの大切なお友達であるティエル姫を、これ以上馬鹿にすることは許さないわよ!」
ティエルとセーラの二人から詰め寄られ、セイファは整った顔に苦笑いを浮かべながらじりじりと後退していく。
確かにティエルはお世辞にも姫君らしい容姿とは言えない。そして、決して人目を引く美人というわけでもない。
それは自分でも十分理解しているが……他人にここまではっきりと言われると腹が立つ。そして物凄く落ち込む。
怒りのために震えているティエルの肩に、そっと優しくサキョウが触れた。
「ティエル。腹が立つだろうが、相手は一国の王子。ここは堪えるのだ。リアンの言うとおり早々に立ち去ろう」
「分かってる! ……ねえセーラ姫。わたし達、封魔石イデアのジェムを探しに来たんだけど、何か知らない?」
「イデアのジャム? 聞いたことのないフルーツのジャムね」
「ジャムじゃなくてジェム! 名前からしたら宝石のようなものだと思うんだけど……」
「封魔石といえば、使い方を誤れば国一つ滅ぼしてしまう力を持つという宝石ね。セイファお兄様はご存知?」
「いや、僕もイデアのジェムとやらは聞いたことがないな。後で父上にも尋ねてみるよ。
それと魚人族の件は、気にしていないから大丈夫だよ。気味の悪い異端の命なんて重いものではないからね」
「お願いします」
顔を見合わせる兄妹に向かって、ティエルは深々と頭を下げる。それに倣ってリアンとサキョウも頭を垂れた。
一人離れた場所に立ち、まるで関心のないクウォーツはともかく、ジハードだけは頑として頭を下げなかった。
穏やかな表情を浮かべながらも凍り付いた眼差しをセイファに向けていたのだ。
「僕は会議があるので、ここで失礼させていただきます。そうだ、城の方でも今夜パーティーがあるんですよ」
壁時計に視線を向けたセイファは扉に向けて歩き始めるが、あっと思い出したようにしてくるりと振り返った。
一つ一つの動作が洗練されており、それでいて全く嫌味がないのだ。天から二物三物も与えられた人物である。
流れるようなしなやかな動きでセイファはリアンの手を取ると、その甲にそっとキスをした。
「僕が先日捕らえた珍しい生き物をお見せいたしましょう。美しきレディ、是非あなたにも見ていただきたい」
「……珍しい生き物?」
「生きたまま捕らえた異端の魔物ですよ。僕は剣の腕も優秀でね、先日の狩りの戦利品とでもいいましょうか」
生きたまま捕らえた異端の魔物。魚人族の少年だけではなかったのかと、ジハードの表情が僅かに強張った。
勿論セイファが彼に気付くはずがない。リアンに向けて、どんな女性でも卒倒してしまうほどの笑顔を浮かべる。
しかし次の瞬間、その笑顔が凍り付いた。……視線の先は、無表情で腕を組んで立っているクウォーツである。
恐らく男達の姿はセイファの視界に入っていなかったのだろう。そこで初めてクウォーツの存在に気付いたのだ。
人間の範疇を遥かに凌駕する彼の美貌は、容姿に絶大な自信を持っていたセイファの心を粉々に砕いてしまった。
そもそも神から美貌を妬まれて地に堕とされた天使達の末裔、と言われる悪魔族と張り合うことが間違いである。
人間と悪魔族。種族が違うのだから仕方がないのだが、プライドを大きく傷付けられたことには変わりはない。
「ふん、美しいというより……まるで化け物だな」
ぼそりと、わざわざクウォーツに聞こえるように口に出したセイファは、そのまま振り返りもせずに歩き去った。
勿論クウォーツは微動だにしない。言われたところで、感情の欠落している彼には何も感じていないのだろう。
王子の去った扉に向けて、不機嫌そうに眉を顰めたリアンはこっそりと小さく舌を出していたのだった。
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