Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第11章 華の都セレステール

第124話 Moonlight waltz -1-




小気味の良い靴音を廊下に鳴り響かせながら、セレステール王子セイファは父バルバロ王の私室に向かっていた。
一歩足を踏み出す度に滑らかな絹のマントが翻る。すれ違う侍女達は皆、彼の麗姿に見惚れずにはいられない。

セイファは己の容姿が他人よりも優れていることを自覚しており、そんな侍女達の様子を満足そうに眺めていた。
勿論彼女達にとびきりの会釈も忘れない。セイファの笑顔は侍女達にとっては何よりも喜ばしい労いとなるのだ。
容姿だけではなく、彼は頭脳も飛びぬけていた。そして剣の腕も。近衛兵達との模擬試合では負けたことがない。

バルバロ王の私室の前まで辿り着くと、警備の近衛兵はセイファに向かって深々と頭を垂れた。

「父上、セイファが参りました」
「おお……セイファよ、待っておったぞ。近う寄れい」
「はっ」

扉を開けると、赤く長いガウンを羽織った年老いた男が嬉しそうにセイファを手招きしているのが視界に映った。
つるつるに禿げ上がった頭に、真っ赤に染まった大きな団子鼻。まるで子供のように輝いている小さな黒い瞳。
丸々とした体型も相俟って人懐っこそうな印象である。この男こそセイファとセーラの父であるバルバロ四世だ。

妻はセーラを産んだ直後に身体を壊して亡くなっている。
なかなか子宝に恵まれず、遅くにできた子供のためか王は妻の面影を色濃く残すセイファ達を大層溺愛していた。
その溺愛っぷりは王国内では最早周知の事実である。人柄の良い王だからこそ、皆それを微笑ましく思っている。


「……聞くところによると、メドフォードのティエル姫が生きておられたとか。本当になんと喜ばしいことじゃ」
「おや父上、もうご存知だったとは。セーラから聞いたのですか」
「うむ、今夜お会いするのが楽しみじゃのう。メドフォード王国は現在大変な状況だと聞いておるが」
「そのようですね。大臣の謀反により国が乗っ取られ、女王ミランダ様が崩御されたとか」

「亡くなられたミランダ様には、若い頃に大変お世話になった。聡明で、誰よりも国を愛していたお方じゃった。
 少女と淑女の面を持ち、妻と知り合う前でなければ……ワシはあの方に心を奪われておったじゃろうなぁ……」

すっかり白くなった長い顎ヒゲを撫で付けながら、若い頃を思い出したのかバルバロ王の瞳に涙が溜まっていく。
その話は随分前に聞いたような記憶があった。その時は数時間ほどミランダとの思い出話を聞かされた気がする。
父の思い出話は非常に長いのだ。それを痛いほど思い知っているセイファは、早速話題を変えようと口を開いた。


「そうだ父上、イデアのジェムとやらをご存知ですか? ティエル姫は今回それを求めてやって来たそうですが」
「イデアのジャム? 聞いたことのないフルーツのジャムじゃのう」
「セーラと全く同じ台詞を言わないで下さい。イデアを所持していない我が国にとってはジェムなど不要なもの。
 ここでジェムを姫にお渡して大国メドフォードに恩を売っておけば、後々のためにも悪い話ではないでしょう」

「セイファ……お前はなんてことを言うのじゃ。恩を売るなど、むしろワシは恩を返したいほどであるのに……」
「父上が恩を返したいミランダ様は亡くなられております。今度は僕達が、あの山猿姫に恩を売ればいいのです」

一体誰に似たのやら、とバルバロ王はセイファの狡猾な台詞に思わず丸い肩を落としたのだった。







夜も更け、空にはレモン色に輝く満月が浮かんでいる。
パーティー会場が位置するホールに面した中庭は、招待客のために簡易テーブルやベンチなどが用意されていた。
賑やかな会場に疲れを覚えた招待客達が少しでも心休めるようにといった配慮だが、人影一つ見受けられない。

会場から流れてくるのは優雅な音楽。選び抜かれた楽団を用意したと、セイファが自慢げに言っていた気がする。
リアンは一人、テラスのベンチで涼んでいた。時折吹いてくる風は心地よく、火照った身体を冷ましてくれる。
華やかなパーティーは決して嫌いではなかった。むしろ大変好んでいたが、何故こんなにも疲れているのだろう。

ああ、理由は分かっている。あのセイファという王子が、リアンの大きなストレスとなっているのだ。
小国といえど相手は王子。気乗りのしない誘いだとしても無下にはできず、何曲もダンスの相手をしてしまった。
すらりとした長身に誰もが認める美男子。地位と名誉を兼ね揃えた、リアンにとって理想の男性像のはずだ。
少し前の彼女ならば喜んでダンスの相手をしていた。それなのに手を触れられるだけで拒絶をしたくなったのだ。


……パーティー会場では、ジハードの姿は見受けられなかった。
我が道を行く伯爵様はともかくとして気に掛かるのはジハードだ。一人どこかで自分を責めてはいないだろうか。
恐らく彼は、あの魚人族の少年とカリュブディスを重ねてしまっている。助けられなかったと悔いているだろう。

不安を隠せないティエルとリアンの心境を察したのか、まぁ心配するなと現在サキョウが様子を見に行っている。
常日頃から大人びた態度で本心を見せないジハードのことだ。
たとえティエルやリアンが様子を見に行ったとしても、完璧な笑顔を浮かべながらはぐらかされてしまうだろう。
けれど、きっとサキョウならば大丈夫。そんな気がした。今は待つしかないのだ。

だがいくら気の乗らないパーティーだとしても、セイファ達の機嫌を損ねることは大きなマイナスとなる。
そのためにリアンは不快感をぐっと堪えてセイファの相手を続けていたのだ。いい加減気付けと王子に言いたい。
耐えかねた彼女が会場を抜け出してきてしまったため、ティエルは今頃ぽつんとテーブルに残されているだろう。

慣れない環境でさぞかし居心地が悪いであろうティエルに対する懺悔のように、彼女は溜息と共に小さく呟いた。


「ごめんなさいティエル、もう暫くしたら戻りますから。……もう、クウォーツはどこに行ったのかしらね」
「呼んだか」
「えっ?」

静まり返ったテラスに突如響き渡る、聞き慣れた甘いテノール。誰もいないと思っていた。
思わずびくりと肩を震わせたリアンの前に、ドレスコートの裾をはためかせながらクウォーツが飛び降りてくる。
どうやら先程からずっとパーティー会場の屋根の上で腰掛けていたようだ。相変わらず神出鬼没の青年である。

「……そんなところにいたんですの。わざわざ会場の上にいるんなら、パーティーくらい顔を出しなさいよ」
「顔を出す必要性が感じられない」
「相手は王族なんですのよ。私だって好きじゃないのに、セイファ王子のダンスの相手を何度もしたんですから」

「貴様はあんな男が好きだと聞いたが」
「サキョウですわね……クウォーツに余計なことを喋ったのは。まぁ確かに、あなたに出会う前はそうでしたわ」
「? 何故そこで私が出てくる」
「優しくて紳士的で、私の我が侭を聞いてくれて、容姿が良くて、地位のある富豪の男性がタイプでしたからね」


私くらいの美人はそれくらい望んで当然でしょう、とリアンはふふんと豊かな胸を反らして見せた。
まさにセイファ王子は先程リアンが並び立てた理想の男性のタイプに当て嵌まったが、微塵も心が動かないのだ。
何故だろう。その原因を考え始めると分からなくなってくる。原因に心当たりがないかといえば、そうではない。

彼女の話に相槌を打つわけでもなく、興味を示す素振りすら見せないクウォーツをリアンはこっそりと盗み見た。
確かにクウォーツは、容姿だけはとびきり良いのだ。桁外れに美しい容姿だということは悔しいけれど認めよう。
しかしいくら美しい容姿といえども四六時中顔を合わせていれば、それもすっかり見慣れてしまった。

無感情で優しくもない。紳士的どころか女に対して無神経だ。我が侭を聞いてくれるどころか逆に振り回される。
自他共に認める面食いのリアンであるが、容姿が良ければ他の全てを許してしまえるほど盲目的ではない。
……だがクウォーツに振り回されることを不快だとは思わなかった。むしろ、彼との時間が増えて嬉しく思えた。

彼が側にいるだけで温かな気持ちになれる。幸せとはこういうことなのかと、らしくもなく実感してしまう。
その理由の答えはもう少しで理解できそうだったけど、今は分からないままでいい。このままでいいのだ。
彼にとって最も大切な存在は今も昔も変わらずあの老婆で。リアンの居場所など、元々あるはずがないのだから。







王宮にて賑やかなパーティーが行われている頃、ジハードは随分と人通りの少なくなった城下町を歩いていた。
昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っている。大通りはすっかりと片付けられ、祭の名残は既にどこにもない。
明日から普段と変わらぬ日常が戻り、人々は一ヵ月後の祭を楽しみにしながら日々を過ごしていくのだ。

ジハードの足は自然と中央広場に向かっていた。衛兵達もおらず、魚人族の少年の亡骸は既に片付けられていた。
しかし、氷の刃を突き刺した際に飛び散った血痕は未だ地面にうっすらと残っている。
その場にゆっくりと膝をついたジハードは、微かに残る緑の血痕に手を触れた。乾いた地面の感触が指に伝わる。


「……ぼくはきっと判断を誤ったんだろうな。あなたを殺さなくても、救える方法は他にあったのかもしれない」

けれどその方法が思いつかなかった。
あの時あの場所で。命の灯火が殆ど消えかかっていた魚人族の少年を、救うことのできる術はあったのだろうか。
何も思いつかなかったから、それ以上考えることを放棄した。命を奪えば少年を救えると思い込みたかったのだ。


「できればあなたに……生きていて欲しかった」

初めて出会った頃のカリュブディスとそう変わらぬ年頃の幼い少年だった。ああ、やはり重ねてしまっている。
生きていれば、これから先様々な経験を重ねていくことができただろう。
切っ掛けを作ったのはセイファだとしても、少年の命を完全に摘み取ってしまったのは他でもないジハードだ。

その時。片膝を突いたまま地面に手を触れていたジハードの肩を、ぽんと背後から優しく叩く大きな手があった。
……サキョウの手だ。気配を消すことを常としているクウォーツとは違い、サキョウは己の気配にとても鈍感だ。
そんな彼の気配すら気付かなかった。周囲に注意を向ける余裕すらもなかったのだと、改めて思い知らされる。

「やはりここにいたのだな」
「サキョウ」
「ティエルやリアンが心配しておったぞ。……屋外は冷える、部屋に戻ろう」

振り返ると、普段のように穏やかな笑顔を浮かべたサキョウが心配そうにこちらを見つめていた。
どこか父親を連想させる優しくも力強い瞳。初めて出会った頃からサキョウは海のような男だとジハードは思う。
荒れ狂う嵐の面も、晴れ渡った大海原の面も併せ持つ、全てを委ねてしまいそうになる海のような男だと思った。

ティエルが彼を父のように慕う気持ちが、ほんの少しだけ……分かったような気がした。





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