Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第11章 華の都セレステール
第128話 魔竜ヴリトラ戦 -2-
「……いつまで手こずっている」
ひっくり返された椅子やテーブル。割れたグラスの破片。床に飛び散った数々の料理や食器類。惨憺たる状態だ。
逃げ遅れ、腰を抜かした貴族達。王子達の救出も叶わず表情を強張らせている兵士達。巨大な純白のドラゴン。
壁に激突したダメージが相当大きかったのか、ぐったりと項垂れているリアン。彼女に寄り添っているサキョウ。
火傷と打撲の痕が目立つジハード。そして、細かい瓦礫に塗れて地に伏せているティエルの姿。
普段のように全く変わることのない表情のまま順繰りに視線を向けてから、クウォーツはティエルを振り返った。
「貴様達が苦戦するような相手ではないはずだが」
「ジハード達はともかくとして、わたしはドラゴンを簡単に倒せるほど強くないよ。まだまだ見習い剣士だし」
「そうなのか」
「うん、いくらなんでも買い被りすぎです」
どうやらクウォーツから少々過大評価を受けてしまっているようだ。
自分はまだまだ見習い剣士の身だ。これは訂正しなければ、とティエルが瓦礫を振り払いながら立ち上がった時。
先程クウォーツから斬り付けられていたヴリトラの眉間の傷が、白煙を上げながら見る見るうちに回復していく。
その様子を無言で眺めていたクウォーツは、何故こんなにもティエル達が手間取っているのかを理解したようだ。
傷が完全に塞がると、ヴリトラは彼を新しい獲物と見做して勢いよく尾を振り下ろした。びゅっと風を切る音。
既にその攻撃を予測していたかのように難なく避けたクウォーツと、ほぼ反射神経のみで慌てて避けたティエル。
先程まで二人が立っていた床に尾が叩き付けられ、磨き上げられた大理石の床にいくつもの大きな亀裂が入った。
巨体であるために、ヴリトラの動きは鈍く恐れるほどではない。しかしその油断が命取りとなってしまうのだ。
一瞬のうちに至近距離まで踏み込んだクウォーツは、厄介なヴリトラの尾をあっさりと斬り落としてみせるが、
切断面からすぐに尾の再生が始まってしまう。どうやら二度と再生ができないほど致命的な一撃が必要であった。
一方。尾に飛ばされて壁に叩き付けられたジハードは、未だにくらくらとする頭を押さえながら周囲を見渡した。
近くにセイファがいた。妹であるセーラに縋り付きながら、顔面を蒼白にしながら震えていた。
出会った頃の自信満々だった完璧な王子の姿など既にどこにもない。むしろセーラの方が気丈に兄を宥めている。
「ええい、大砲部隊はまだか!? 一刻も早くセイファ殿下とセーラ姫様をお助けするのだ!」
「しかし隊長……この会場に大砲を撃ち込んでしまうと、逃げ遅れた者達にも大きな被害が出てしまいますぞ!」
「かといって、ドラゴンの皮膚には弓矢が全く効かない。畜生、なんて硬い皮膚なんだ……」
サキョウに介抱されているリアンは、打ち所が悪かったようで目を閉じてぐったりとしている。
今すぐにでも彼女に治癒魔法をかけたかったが、中央で暴れるヴリトラの巨体が阻んでどうすることもできない。
まずはヴリトラの気を逸らし、極陣で自由を奪う。その隙に致命傷となる魔法をヴリトラに叩き込まなければ。
そう決断したジハードは一気に立ち上がるが、途端に全身に痛みが走る。恐らく左腕と右足の捻挫の痛みだろう。
応急処置的に治癒魔法を己にかけながら、ジハードは一歩ずつゆっくりとヴリトラに向かって進み始めた。
動きを止めるだけでいい。ほんの数秒間だけでも気を逸らすことができれば、極陣の範囲に誘い込めるのだ。
不吉に響くジハードの詠唱が耳に入ったのか、振り返ったヴリトラはじっと彼を見つめる。だが詠唱は止まない。
この白髪の人間は危険な存在だとヴリトラは本能的に悟った。人間にはありえぬほどの魔力を内側に秘めている。
まるで魔力の塊が青年の形を取って具現化しているようであった。早く食い殺さなければ。早く、早く、早く。
次第に恐怖の感情に支配されつつあったヴリトラは牙を剥き出すと勢いよくジハードの肩に食らいついた。
飛び散る鮮血。ほんの少し苦痛に表情を歪めたジハードであったが、彼は一歩も飛び退こうとはしなかったのだ。
全てはヴリトラの気を逸らすため。ジハードの真意を悟ったのか、背後に回ったサキョウはヴリトラの首を掴み、
同じく地面を蹴って飛び出したクウォーツは、再生したヴリトラの尾に剣を突き刺して床に縫い止めたのだ。
彼らが動きを止めている間に極陣を完成させなければ。再び暴れだしてしまえば極陣に誘い込むのが難しくなる。
食い付かれた肩の傷に治癒魔法をかけている時間などない。極陣を完成させることが、何よりも優先であった。
身体のあちこちがずきずきと痛み、気を抜くと意識を手放してしまいそうになる。それでも耐えなければ。
……その時。
痛みに耐えながら詠唱を続けるジハードの右足に、完全に腰を抜かしているセイファが縋り付いたのだ。
負傷している足を突然強く掴まれては、さすがのジハードといえども痛みのためにぐっと詠唱に詰まってしまう。
「おい、君はあの化け物と同じ異端の者だろう!? 異端同士で、説得するとか何とかできないのかよ!」
「……」
「黙ってないで何か言えよ下民! ……畜生、トカゲがあんな化け物に変身するなんて、何でこんなことに……」
ああ、何故この王子は邪魔をするのだろう。状況が見えていないのか。
クウォーツ達が身体を張って動きを止めている間に、一刻も早く極陣を完成させなければならないというのに。
「……なんで、こんなことになったかって? 本当に分からないのかよ、セイファ王子」
「え?」
足元に縋り付いてきたセイファ王子に、ジハードはゆっくりと顔を向ける。
正直に言えばジハードにとっては、セイファの命よりもクウォーツとサキョウの二人の命の方が遥かに重いのだ。
セイファに時間を取られている間にも、二人の命は危険に晒されている。王子に構っている時間など全くない。
「よく知りもしない生き物を、珍しい、面白いという理由だけで生け捕ってきたからこんな事態になったんだぜ」
「そ、それは……」
「勝手に興味の対象にして、勝手に異端なんて呼び方をして。ただ色素がないだけで一体何だっていうんだよ」
「ひっ!?」
「珍しいから晒しものにした? 気味の悪い異端は死んでも構わないって? ふざけるのもいい加減にしろよ!」
人当たりの良い態度を殆ど崩すことのないジハードにしては珍しく、腰を抜かしている王子の胸倉を乱暴に掴む。
何を訴えても、一度狩られる側の立場にならなければこの屈辱や恐ろしさは理解できないのかもしれない。
ただ色素がないという理由で興味本位で捕らえられ、奇異の目に晒され、命を軽く見られる屈辱や恐ろしさを。
そのジハードの声が聞こえたのか、ヴリトラの尾を剣で縫い止めていたクウォーツがほんの少しだけ顔を伏せた。
彼は決して語らないが、今まで生きてきた中でそんな光景を多く目にしてきたのだろう。
興味本位で狩られ、誇りを跡形もなく打ち砕かれ、辱められ、殺される様を。そして……彼本人も経験している。
「セイファ王子。己の行動によって招いた結果の意味を、どうかあなたが分かってくれることを信じているから」
そう口に出したジハードはそっとセイファに触れる。彼の手から緑の光が溢れ、全身の筋肉の緊張を解していく。
完全に腰が抜けて歩けなかったはずの足がぴくりと動いた。筋肉の強張りまで治癒してしまう驚異の力であった。
明らかに人間離れした力。奇異の目どころではない。権力者ならば誰もが欲しがる力だろうとセイファは思った。
どこかでこんな迷信を聞いたことがある。高い魔力を持つ相手の心臓を食らえば、その能力が手に入る……と。
ジハードがティエル達に出会うまで治癒魔法を封印し続けていたのは、それも原因の一つだったのかもしれない。
常に殺されるかもしれないという恐怖と戦い続けられるほどジハードは強くない。
桁外れに高い魔力を除けば彼はただの青年なのだから。人一倍悩みもするし、傷付きもする。ただの青年なのだ。
呆然とした表情を浮かべているセイファから手を放したジハードは、覚束ない足取りでヴリトラに向かっていく。
ヴリトラの首を掴んでいるサキョウの表情から、既に押さえ続けているのも限界といった様子である。
すまない、と小さく口の中で呟いたジハードは早口で極陣の詠唱を開始した。一撃で致命傷を与えるつもりだ。
その隙に近衛兵達がセイファとセーラに駆け寄り、彼らを無事に保護する。
一刻を急く兵に手を引かれながらも、それでもセイファはジハードから一時も目を離すことができなかったのだ。
……単なる平民の青年に王子である己が怒鳴られるほど、大層なことをしたつもりはなかった。
珍しい生き物を見かけたから捕まえて、皆の前で披露しただけだ。ただ皆の驚く顔が見たかっただけであった。
だが、捕まえた相手側の気持ちは考えたこともなかった。彼らも人間と同じように感情があることを忘れていた。
両親を目の前で殺され、捕らえられた魚人族の少年は一体どんな気持ちだったのだろう。
父バルバロや妹セーラを殺され、死ぬまで大衆に晒され続ける己の身を想像した時、セイファは恐怖に駆られた。
ああ、漸く分かった。あの白髪の青年の怒りの意味が。どれほど恐ろしく、惨い行いをしたのだと漸く分かった。
気付いたけれど、いくら悔やんでも取り返しのつかないことだった。
「二人とも離れろ! ……極陣・天雷の陣!!」
詠唱が完成し虹色に輝く魔法陣が周囲に浮かび上がると同時に、サキョウとクウォーツはヴリトラから身を離す。
その瞬間。眩いばかりの雷光が縦横無尽に極陣の中を駆け巡り、避ける間もなかったヴリトラに次々と直撃する。
……致命傷だ。極陣が解け、ぶすぶすと黒煙を上げながら地に崩れる魔竜をジハードは表情もなく見つめていた。
水を打ったように静まり返った大ホール。ティエル達、そして兵や招待客達の視線はジハードに注がれている。
一歩。ジハードがヴリトラに歩み寄った瞬間、黒ずんだヴリトラの身体が光に包まれ、次第に小さくなっていく。
光が収まる頃には、ヴリトラの姿は元の小さなトカゲの姿に戻っていた。驚いたことに無傷で生きているようだ。
ぱちぱちと目を瞬きながら、何事もなかったかのように小さなヴリトラは周囲を見回している。
どうやら興奮状態の時に致命傷を与えられると、まるで衣を脱ぎ捨てるように元の姿に戻る習性があるらしい。
そのヴリトラの様子を見て、ジハードは心から安堵したのだろう。
緊張が解けたようにがくりと両膝を突いてしまう。そして皆の方へゆっくりと振り返り、力なく笑ったのだった。
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