Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第11章 華の都セレステール
第129話 いつの日かきっと -1-
ヴリトラの騒動から、早三日が過ぎた。
この三日間セレステール城内は大混乱であった。怪我人の手当てや、恐怖のあまり寝込んでしまった貴族の女達。
それこそ問題は山積みだ。そして事の原因であるセイファは王から厳重注意を受け、後始末に追われ続けていた。
流石のセイファといえども随分と反省しているような様子であったが、あの日から彼の姿を見ていない。
これを機に己の行いを振り返ってくれるといいな、と。三日前ジハードが微笑みながらそんなことを言っていた。
他種族の命を軽んじ、単なる興味本位で見世物にするような行動ができれば二度とないように願うばかりである。
セレステールは比較的気温が暖かく、どこか湿気を帯びた風が特徴的な地方だ。
髪の毛を洗ったまま乾かさずに寝てしまうと、次の日には大変なことになっていた。まるで巨大な鳥の巣である。
普段から髪を乾かすことに面倒臭さを感じているティエルにとって、それは決して些細とは言えない問題なのだ。
そんな他愛のないことを考えながら大理石で作られた白い渡り廊下を歩いていたティエルは、ふと足を止めた。
右手には大きな窓が並んでおり、優しい風を廊下に運んでくる。早速窓枠に歩み寄ると大きく身を乗り出した。
「わぁ、綺麗だなー」
空は快晴。丸々と太った白い雲がぽっかりと浮かんでいる。
時刻は丁度十時を過ぎた頃だろうか。太陽の光に照らされたセレステール城下町が、ここからは一望できるのだ。
白で統一された建物に、赤い屋根やオレンジ色の屋根がよく映える。どうやら暖色の屋根の色が多いようだ。
通りを歩く町の人々の姿までは確認できず、ティエルは更に窓枠から身を乗り出した。
「あまり身を乗り出していると危ないですよ、ティエル姫」
突如背後から声が掛けられた。ゆっくりと振り返ると、柔らかな金色の髪が視界に映る。
一瞬だけ、その金髪が失ってしまった大切な人物と重なってしまったティエルは、思わずごしごしと目を擦った。
ガリオンがここにいるはずがないのに。彼はあのメドフォードの炎の夜に間違いなく殺されてしまったのだから。
やはり背後に立っていたのはガリオンではなく、苦笑を浮かべているセイファ王子であった。
あれほど自信満々だった態度がほんの少しだけ陰りを帯びているのは気のせいだろうか。若干元気がないようだ。
「あ……こんにちは、セイファ王子」
「ティエル姫にもしものことがあっては、僕は父上と妹に半殺しにされますから。危険な真似はおやめください」
「はぁい。おにいさんは少し元気がなさそうね」
「まぁ、あんなことがあった後ですからね。二十八年間生きてきた僕の人生の中で、一番の衝撃的な事件でした」
「そうなんだ」
「あんなにも巨大な竜を見るのも初めてでしたし、年下の若造にあれほど激しく叱られたことも初めてでしたよ」
年下の若造とは、勿論ジハードのことを指しているのだろう。
父にすら説教をされたことがなかったのにとセイファは溜息をつく。常に自信に満ち溢れた彼らしい発言である。
そんなセイファを窓枠から手を離したティエルは暫く見つめていたが、やがて小さく首を傾げた。
「冷静に説教ができるほど、あの時のジハードには余裕なんてなかった気がする」
「え?」
「説教じゃなくて、ただジハードは……セイファ王子に自分の気持ちを伝えようと必死だったんじゃないかな」
狩られる側の恐怖や苦しみを。身体の一部分の色素が抜けているだけで、命を軽んじられてしまう悔しさを。
確かに残酷なことをしてしまったとセイファは思う。しかし、そこに悪意はなかった。だからこそ恐ろしいのだ。
元の小さなトカゲの姿に戻ったヴリトラは近日中に森へ帰す予定である。暫くの間は狩りなど懲り懲りであった。
「……そういえば、ティエル姫はイデアのジェムとやらを探しておられましたね」
「うん。手掛りはないけど。ずっとここでお世話になっているのも悪いし、一度仕切り直そうって話しててさ」
「そんな遠慮をするなんて山猿姫らしからぬ発言ですね。別に僕らは構いませんよ。先日の御恩もありますし」
そもそもセレステール王国に立ち寄ったのはイデアのジェムを手に入れるためである。
ヴリトラ騒ぎですっかり忘れてしまっていたが、本来の目的は未だ果たせずにいた。手掛かりすらない状況だ。
「イデアのジェムとやらに関係があるのかは分かりませんが、あの騒ぎの後に少々気になる物を見つけましてね」
「気になる物?」
「ええ。皆さんに是非お見せしたいので……昼食の後、来賓用の客間までお越し下さい」
では会議があるので僕は失礼します、とセイファは女ならば誰もが卒倒してしまうような極上の笑顔を浮かべた。
だが残念ながら相手はティエルだ。絶世の美貌を誇るクウォーツにすら殆ど意識をしない彼女には無意味である。
思った通りの反応を得られなかったセイファは、若干がっかりしたような表情で去って行ったのだった。
・
・
・
爽やかな風が吹く、セレステール城の五階に位置する大理石のバルコニー。
流石は国賓用の客室のバルコニーである。セイファ達が使用している部屋と比べても、まるで遜色がなかった。
そんな優美なバルコニーで、場にそぐわぬような重苦しい表情を浮かべながら長椅子に腰掛けている白髪の青年。
……勿論ジハードである。
丁寧な細工が施された白いテーブルに両肘を突き、景色をぼうっと眺めていた。普段の知的な様子は欠片もない。
晴れ渡った空のように明るい色をしているはずの青い瞳は、まるで雨が降り出す前の空のように暗く曇っていた。
ヴリトラの戦いで負った火傷や裂傷は全て治癒している。捻挫をした右足が若干痛むが、気になる程度ではない。
「……いつまでそうしているつもりだ」
そんなジハードの頭上から、唐突に声が掛けられる。だが彼は返事をすることも視線を動かすことすらもしない。
同時にふわりと香る微かな薔薇の匂い。咽返るコロンのような強い匂いではなく、優しい香りである。
一体どこからこの匂いを発しているのかと暫く謎であったが、彼の愛用している洗髪剤の匂いだと最近発覚した。
「悩み続けるのは貴様の勝手だが、いつまでも塞ぎ込まれては辛気臭くてかなわない」
少しだけ視線を上に移動させると、バルコニーの白い手摺りの上にクウォーツが立っていた。
彼に辛気臭いなどと言われたくない。心外だ。そう言う彼なんて、辛気臭いどころか重度の不愛想ではないか。
確かにいつまでも塞ぎ込んでいる自分も悪いが、もっと他の言い方があるだろうに。それでも仲間かと言いたい。
常日頃から笑顔を絶やさないジハードらしからぬ暗い表情のまま、抗議の意味も込めてクウォーツを睨み付ける。
「私に辛気臭いと言われるのがそこまで嫌か」
「……嫌だよ」
「だろうな」
「ひでぇ。分かってて言ったのかよ」
「一度鏡で自分の顔を見てみろ。何日も寝ていないような酷い顔をしている。正直目障りだ」
思ったことをはっきりと口にするクウォーツの物言いは、落ち込んでいる相手に対しては完全に追い打ちである。
一体何の用だろう。だが普段ならばそこで立ち去るであろうクウォーツは、そのままジハードの隣に腰を下ろす。
クウォーツの行動の意味が全く分からない。目障りとまで言い放った相手の側にいて一体何が楽しいのだろうか。
暫くの沈黙。空は、これでもかというくらいの晴天である。
隣に腰掛けるクウォーツは、あれから一言も話そうとはしない。何か用があるから立ち去らないのではないのか。
どのくらいの時間が経過したのだろうか。長いようで、とても短い沈黙を破ったのはジハードの方である。
「あのさ」
「……」
「衛兵達に囲まれた時に……真っ先にぼくを守ろうとしてくれたよね」
「は?」
「覚えていなかったら別にいいよ」
セレステールに訪れた初日、中央広場にて魚人族の少年を手に掛けた時。
ジハードを拘束するために駆け寄ってきた衛兵達から、彼を守るように立ちはだかったのがクウォーツであった。
感情を全く表に出さないクウォーツが守ろうとしてくれた。実際の彼の心境は知る由もないが、ただ嬉しかった。
肝心のクウォーツは覚えているのかいないのか、それともわざと覚えていない振りをしているのか。
ジハードの言葉を否定することもなければ肯定することもなく、普段のとおり無表情で首を傾げていたのだが。
風で微かに揺られている青い髪。爽やかな朝の光景で、本来ならば決して目にすることがないはずの髪色である。
「……ぼくはね。他人と少しだけ違う髪色や鱗の色を持っているだけで、命を軽視されて当然だとは思わない」
クウォーツが返事をしないことなど百も承知の上でジハードの独白は続く。
とにかく悶々とした思いを吐露したかった。誰かに胸の内を聞いてもらえば、少しは心が軽くなるのだろうか。
「けれどあの王子にとっては、異端と呼んで差別し、見世物にして、殺されても構わないような存在なんだ。
勿論そういう考えを持っている人間は決して少なくはないんだろう。別にセイファ王子に限ったことじゃない。
本音を言うとさ、ぼくはそれが怖いんだ。彼らの普通から少し逸れるだけで、同じ人間として扱わないのかと」
相手に感情があることを忘れてしまうほどに。
異端と呼ばれる存在でも、家族を亡くせば人間と同じように悲しみ嘆き、見世物にされれば己の運命に絶望する。
生まれながらに髪の色素が全て抜け落ち、周囲に影響を及ぼすほど暴走する魔力を纏って生まれてきた存在。
母の命と引き換えにこの世に生を受けてしまった、罪深い母殺しの異端だと責められ続けてきた。
望んで魔力を生まれ持ってきたわけじゃない。けれど授かった力なら役立てたい、そう思っていた時期もあった。
しかし驚異的な治癒能力は、古いしきたりに縛られ続けるジハードの故郷では単なる畏怖の象徴でしかなかった。
癒しの力が畏怖の対象になるならば、せめて魔力で皆を守ることができるように、禁忌を破って魔法を会得した。
彼らに、家族に、兄達に認めてもらうために、見返してやるために、武術も学問も料理も手を抜かずに努力した。
それでも周囲の目は何一つ変わることはなく……ある日突然、全てが虚しくなったのだ。
「青い髪でも臆することなく前を向いて歩いているあなたは強いよ。悪魔族だと周囲に知れたら命も危ういのに。
……ああ……でも、でもさ。それでもさ、ぼくは馬鹿だよ。今でもずっと馬鹿みたいに期待し続けているんだ」
そこまで一気に話し終えたジハードは、寂しげに顔を歪めながら俯いた。
「いつかきっと、兄さん達も周囲の人達もぼくを認めてくれるって。……本当の家族になれるんじゃないかって」
「そんなもの」
「え?」
「そんなもの、貴様の努力でどうこう出来る問題ではない。他人の心を変えるのは、とても難しいことだと思う」
「そう……だね」
「……けれど、貴様が諦めたらそこで終わりだろ。その時点で永遠に、何一つ変わらないのではないか。
そんな弱気な発言は図太い貴様らしくない。誰に何と言われても前を向いて歩いているのは……お前の方だろ」
そのクウォーツの言葉に、ジハードは驚いたように顔を上げて彼を振り返る。
まさかクウォーツからそんなことを言われるとは思わなかった。もしかして彼なりに慰めようとしてくれたのか。
突然ジハードから見つめられる形となったクウォーツは、表情を崩すこともなく硝子の瞳で見つめ返してくる。
「何か?」
「……図太いだなんて酷い言われようじゃないか。こう見えても、ぼくは誰よりも繊細なんだけどな」
「馬鹿言え。そんな繊細な奴が、人が寝ているベッドに寝ぼけて飛び込むのか。蹴り落されても眠り続けるのか」
「え? そういえば何回かあなたのベッドの真下の床で寝ていたことはあったけど、あれ蹴り落とされてたの?」
蹴り落とすなんて酷いじゃないか、と憤慨する振りをしながら、ジハードは久々に心の底から笑ったのだった。
・
・
・
「ねえ、ずっと言おうとして言いそびれちゃったことがあるんだけどさ」
自室のベッドの上で寝転んでいたティエルは、傍らでカードゲームを続けているリアンとサキョウに顔を向ける。
カードを続ける手を止めて二人が振り返ったことを確認すると、彼女はカーテンを引いて部屋を暗くした。
するとイデアが微かに輝き出し、白い壁に大きな地図を浮かび上がらせる。……セレステールの地図ではない。
「イデアが映し出す地図がね、変わっちゃってるの。星形の湖も、セレステール王国も映ってないんだよ」
「あらまあ、本当ですわね。まだジェムを手に入れていないのに……次の目的地なのかしら?」
「これは島国だな。それも随分と大きな……はて、どこかで見たような記憶があるのだが。どこだったかな……」
確かにティエルの言うとおり、新たに映し出された地図は特徴的な大きな島国が映し出されているだけである。
島の形を暫く眺めていたサキョウが、やがて思い出したようにぽん、と手を打った。
「思い出した、島国エルキドではないか!」
「エルキド?」
「ワシと兄上が生まれ育った島だ。七つの国と、大小様々な四十七の町や村が集う、それは大きな島国なのだ」
「へー! ワクワクするなぁ」
「そんなに大きな島国ですと、ジェム探しも難儀ですわねぇ……」
早速故郷に思いを馳せるサキョウ、未知なる地に瞳を輝かせるティエル。そして深い溜息をつくリアンであった。
+ Back or Next +