Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第11章 華の都セレステール

第130話 いつの日かきっと -2-




そろそろ昼食の時間が近付いてきた。
朝からジハードはおろかクウォーツの姿さえ見ていない。先度彼らの部屋を訪れてみたが、誰もいなかったのだ。
一体どこに行ったのだろう。特にジハードは数日前から元気がなく、ティエルが話しかけても上の空であった。

すれ違う女官達に向けてぎこちない会釈を忘れずに、先程セイファと出会った大理石の渡り廊下に差し掛かる。

からんと涼やかに鳴る聞き覚えのある鈴の音。勢いよく振り返ると、見覚えのある人物がこちらに向かってきた。
透き通るような白髪。陽に照らされて、まるで光の糸だ。美しい牡丹が刺繍されたターコイズブルーの民族衣装。
天空を駆け巡る龍を描いた全身の刺青。常に柔らかな笑顔を浮かべている、整った顔立ちをした青年であった。


「どこに行ってたの、ジハード!?」
「どこって……部屋のテラスに朝からいたけど」
「朝食にも姿を現さなかったし、ずっと探してたんだよ。……あれ、昨日と比べて表情が晴れ晴れとしてない?」
「そうかな」

ぱたぱたと目の前に駆け寄ってきたティエルに向けて、普段と何一つ変わらぬ柔らかな笑みを浮かべるジハード。
確かに彼女の言うとおり、ここ数日思い詰めた表情を浮かべていたジハードの顔付きが晴れ晴れとしているのだ。
今ではすっかりと見慣れた優しい笑顔。そこには先日までの陰りは影も形も残っていなかった。


「色々と考えていたんだ。ほら、こう見えてもぼくって知的な好青年は仮の姿で、青臭く悩んじゃう青少年だろ」
「知的な好青年って自分で言っちゃうんだ。……色々って、何を考えていたの?」
「人間は自分と違う存在には容赦ないな、とか。ぼくもいつかは大勢の前で見世物にされるんじゃないか、とか」

そこまで口に出すと、ジハードの表情がほんの僅かに曇る。
彼は紛れもなく異端と呼ばれる存在だ。髪の色素を持たず、人間にはありえぬほどの膨大な魔力を持っている。
王子が見世物にしていた対象は魚人族や魔竜であったが、その矛先が人間に向けられる日が来るのかもしれない。


「でもね、信じてる。いつかきっと、種族の違いも髪色の違いも皆が些細なことに思えるような日が来ることを」
「大丈夫だよ」
「え?」
「確かに世界中の人達がそう思えるようになるのは難しいと思うけど、わたしにとっては些細なことだもの」
「……」

「どんな力を持って生まれてこようが、そんなのどうでもよくなるくらい……ジハードのことが大好きだから!」


小さな両手をぐっと握りしめ、真剣この上ない顔付きでティエルはジハードへと詰め寄った。
暫く彼女の剣幕に呆気に取られていたジハードだが、やがて泣きたいのを堪えているような表情で口元を歪める。
それは、普段から貼り付けていた偽りの笑顔の仮面を完全に脱ぎ捨てた、彼が本心から浮かべた表情であった。

「ほんと、あなた達って……なんでこうなんだろう。どうして、もっともっと早く出会えなかったんだろう……」
「ジハード?」

口元を歪めたまま、ジハードはティエルの額に軽く自分の額をこつんと当てる。
常に微笑みを浮かべて余裕の態度を崩さない己の、余裕のない年相応の表情をこれ以上見られたくなかったのだ。
そして彼は小さく一言、ありがとう、と呟いたのだった。







「実は……騒動のあった次の日、檻の中でヴリトラがこんな物を口に咥えていましてね」

昼食後。
約束をしていた客間までティエル達が訪れると、布に大切に包まれた一つの小さな宝石をセイファが差し出した。
角度によって様々な色に輝く宝石。女ならば一瞬で心を奪われるような、この世のものとは思えぬ美しさである。

「ヴリトラが?」
「ええ、一体いつの間にこんな宝石を咥えていたのか……あ、唾液はちゃんと洗っていますから綺麗ですよ」
「高価そうな宝石ですわね。会場で逃げ回る貴族が落とした宝石を咥えた、というわけでもなさそうですけれど」
「もしかしたらイデアのジェムかもしれぬぞ。ティエル、確認してみろ」

興味深そうに宝石を見つめるティエル達。そんな三人の背後から、ジハードはひょいと覗き込む。
あの騒動の後から初めてジハードの姿を目にしたセイファは、複雑な表情を浮かべて暫く彼に視線を向けていた。
勿論セイファの視線に彼が気付かぬはずはない。気付いていたが、あえてジハードは気付かぬ振りを続けている。

ちなみにクウォーツにも客間に来るよう声を掛けているのだが、興味がないと言われてしまいこの場にはいない。


サキョウに催促されたティエルは背負っていたイデアを引き抜くと、その瞬間虹色の宝石がぱりんと弾け飛ぶ。
欠片となった光はイデアに吸い込まれるようにして消えていく。一見すると特に変わった部分は見受けられない。
だがよく見てみると、元々イデアに嵌め込まれていた淡い薄緑の宝玉の中に小さな光の点が浮かび上がっていた。

五つに分割された本来のイデアのうち、漸く一つを取り戻すことができたのだった。







「うふふ、雲一つない晴天ですわねぇ。絶好の旅日和ですわぁー」
「まるで貴様の頭の中のようだな」
「……どういう意味なんですの」
「さあ」
「まさか能天気だって言いたいんですの? あなた最近、回りくどい嫌味を言うようになってきましたわね!」

セレステールに別れを告げる出立の日。
見渡す限りの快晴。遥か彼方の地平線まで見渡すことができる、正に新たな旅の始まりに相応しい天気であった。
そんな清々しい朝に、周囲の目を気にすることもなく他愛のない口論を続けているのはリアンとクウォーツだ。
他愛のない口論は二人の不器用なコミュニケーションの一つなのだと、最近はティエル達は思うことにしている。


「ティエル姫!」

緑の溢れる中庭で、ティエル達を迎えたのはセーラだった。この国を発つことを彼女に告げたのは昨日である。
思えば彼女には大変世話になった。セーラがいなければ、今頃は魚人族殺しの罪で牢生活だったのかもしれない。
ティエルが旅立ちを告げるとセーラは、もう少しゆっくりして下さってもいいのに、と寂しげに笑っていた。

バルバロ王とは既に挨拶を済ませてある。もう一つの故郷だと思っていつでも立ち寄ってほしいと言ってくれた。


「ティエル姫、そのお仲間の方々もお元気で。またわたくしのお友達としてセレステールに遊びに来て下さいね」
「色々と本当にありがとう。セーラ姫のお陰でジェムも手に入ったし! また木登りや駆けっこをして遊ぼうね」
「ええ、勿論よ! お父様と一緒に楽しみにしているわ」

それにしても姫君同士の会話とは思えない内容だ。まぁ本人達がとても楽しそうなので、何も言わないでおこう。
そんな意味の溜息をつきながらサキョウを振り返ったリアン。勿論サキョウも微笑ましくも苦笑を浮かべていた。
無表情で髪を整えているクウォーツの隣で、すっかり普段の様子に戻ったジハードが大きな欠伸を披露している。


「それじゃ、そろそろ出発するね。あまり長居しちゃうとお別れが寂しくなるからさ」
「ええ……」

セーラの手を優しく両手で握りしめたティエル。その言葉に、寂しさを隠し切れない表情で彼女が俯いたとき。
遠くの方角から聞き覚えるのある男の声が聞こえてきた。段々と声はこちらに向かって近付いてくるようだ。
綺麗にセットされた自慢の金髪を乱しながら、はあはあと息も荒く駆け寄ってきたのは意外にもセイファである。
呆気に取られているティエル達の前で立ち止まったセイファは、大きく息継ぎをしつつ呼吸を整えて顔を上げた。


「ひぃひぃ……疲れたぁ……こんなに力一杯、格好悪く走ったのは久々だよ……」
「あらまあ、セイファお兄様。会議で忙しくて見送りはできないと言っていませんでした?」
「か、会議は少し抜け出してきたんだよ。別に大した用事ではないけど、彼らに伝えておきたいことがあってね」

未だに息も荒く肩を上下にさせながら、セイファは退屈そうに欠伸をかみ殺しているジハードへと視線を向ける。

「王族の前で緊張感の欠片もない欠伸をしている、そこの白髪頭をした異端の若造!」
「えっ、ぼくのこと?」
「あのヴリトラというトカゲは、明日森に逃がしてやる。言っておくが、一応僕だって悪気はなかったんだよ!」
「うん」
「生まれた時から恵まれた環境で育ってきた僕には、所詮狩られる側の異端の気持ちなんて分からなかったんだ」

「……そっか。狩られる側の気持ちが分からないなら、ぼくが特別にあなたを狩ってあげてもいいよ。なーんて」
「なっ!?」
「やだなぁ、冗談冗談。そんな恐怖に引き攣った顔をしないでよ」


ジハードが語尾に『なーんて』を付ける時は、その直前の台詞は決して冗談ではなく確実に本音を述べている。
さらりと口にされたジハードの恐ろしい台詞を耳にしたセイファは、顔を引き攣らせながら後退っていた。
ヴリトラとの戦闘時にジハードの強さは思い知っている。こんな男に狩られでもしたら間違いなく逃げられない。

そう思うと彼がにこにこと浮かべる天使の笑顔が、まさに悪魔の微笑みに見えてきてしまうセイファであった。


「ジハードはたまに怖い冗談を言うよね」
「うん? お茶目な冗談の間違いだろ」

「は……早く出発するんなら行けよ! セレステールの輝かしい未来の王に対して君は本当に失礼な男だな!?」

完璧な王子の姿を完全に脱ぎ捨てながら叫んだセイファの姿に、ティエルとジハードは思わず苦笑を浮かべる。
笑顔で大きく手を振るセーラと、若干恨めしそうな顔のセイファに向けて一行は深々と礼をしてから歩き始めた。
セレステールの兄妹は、段々と小さくなっていく後ろ姿をいつまでも見つめ続けていたのだった。


「次の目的地は島国エルキドだって?」
「聞いて驚いてね、なんとエルキドはサキョウの出身国なのでーす!」
「いや、サキョウはどこからどう見てもエルキドの出身だろ。というか、何度もサキョウから聞いてるし……」
「とっても大きな島国なんだって。早速エルキド行きの船が出ている港町を探さなくちゃね!」

青空の下。
セレステール城下町のレンガの歩道を歩きながら、ティエルはジハードに向かってはしゃいだ声を発していた。

「エルキド行きの船ならば、ここから東に一週間ほど進んだ場所に位置する港町ティークバウムから出ているぞ」
「うふふ、サキョウったら随分と嬉しそうですわねぇ」
「当然であろう! 故郷に帰るのは久々なのだ。父上や幼なじみ達は皆元気にしているであろうか。楽しみだ!」


サキョウの嬉しさがティエルにも伝わっているのだろう。危なっかしい足取りでずんずんと元気よく進んでいる。
両手を腰に当てたリアンが小言を口にしながら彼女を追い、その様子を微笑ましく見守っているサキョウ。
賑やかな一行に対して、我関せずと無表情で歩いているのはクウォーツ。とても穏やかな日常の光景であった。

一人離れて彼らを暫し眺めていたジハードは、大きく息を吸い込むと、どこか晴々とした表情で歩き始める。
願わくば、いつまでもこのままでいられますようにと。……彼らの未来が、幸せなものでありますように……と。





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