Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第12章 ロマンス
第131話 降り止まない雨 -1-
「朝はあんなにお天気だったのに、こんなに雨が降るなんてひどいよー!?」
土砂降りの空の下。誰に対するわけでもなく抗議の声を上げながら駆け続けているのはティエルだった。
普段ならばよく通るはずの凛とした彼女の声も、残念ながら呆気なくかき消されてしまうほどの激しい雨である。
頭から外套を被ってはいるが、この雨の勢いでは然程役には立っていない。それでも何も被らないよりはましだ。
泥濘に足を突っ込み、お気に入りのピンクのブーツが泥だらけになってしまう。防水は完璧だが、とても悲しい。
なんてことだ。これは先週十六歳の誕生日を迎えた時に、リアンに買ってもらった大切なブーツだというのに。
使うのが勿体ないと言ったティエルに、リアンは呆れながら笑っていた。靴は本来履き潰すためのものなのだと。
ちなみにサキョウからは吸水性抜群のタオル、ジハードはティエルの大好物であるポトフを沢山作ってくれた。
そしてクウォーツは……誕生日を祝うこと自体を知らなかった。普段のように無表情で小首を傾げていたのだ。
つまり、彼は一度も誕生日を祝われたことがないということだ。改めて彼の環境の複雑さを思い知ったのだった。
「この地方は雨季というものがあるらしい。丁度今頃の時期に差し掛かると、ガイドブックに書いてあったぞ」
サキョウの故郷であるエルキドにも雨季が存在するという。
昔はよく雨の中でゴドーや幼なじみ達と泥だらけになるまで遊んだと、懐かしそうに語っていたことを思い出す。
だがいくら過ごしやすい気温だといっても、長時間雨に打たれていては風邪を引いてしまうのではないだろうか。
雨で滲んで見えている前方の明かりは港町ティークバウムだろう。エルキド行きの船が出航している港町なのだ。
次なる目的地は島国エルキド。
セレステール王国にて最初のジェムを手に入れたティエル達は、次なるジェムを求めてエルキドを目指している。
「あーん、もう最悪ですわぁ……折角綺麗に編んだ髪が、雨でぐちゃぐちゃじゃない。
肩にコートを掛けてくれるような紳士的な男性はうちの男連中にはいないのかしら? ……いないでしょうね」
旅をする前までは取り巻きの男達が挙ってコートを掛けてくれたのに、とリアンは唇を尖らせていた。
しかしここの男性陣にそんな対応を求めても無駄だということは百も承知である。ただ言ってみたかっただけだ。
その声に唯一反応してくれたのはサキョウである。まさに親目線で、男の体臭が染み込んだ外套を掛けてくれた。
ジハードはリアンよりも紙媒体であるリグ・ヴェーダの湿気が気になるのか、己の外套で完全にガードしている。
勿論クウォーツは彼女の言葉にも無反応で、濡れて額に張り付いた長い前髪を軽く払い除けていたのだった。
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「今年の雨季は凄い雨ねぇ……こんな雨じゃ、船も暫くは欠航かしら」
「雨季に入るこの地方に、船が目的で来る旅人なんているのぉ? この雨は降りだしたらなかなか止まないわよ」
銀色のトレイを無造作にテーブルへ置いた一人の若い女が溜息と共に口を開く。
周囲には同じような紺と白の制服を身に着けた若い男女がロビーに面したレストランで午後の休憩を取っていた。
ここは宿屋ミルフィーユ。港町ティークバウムの数ある宿の中でも、割と小さめの落ち着いた雰囲気の宿屋だ。
「でも、宿屋にとっちゃ今が稼ぎ時だぜ? なんせ客達が皆足止めされて長期間滞在してくれるんだからな!」
「馬鹿ねぇカシム。そのお陰で私達、朝から休む暇もなく働いていて……やっと休憩が取れた状況じゃない」
「あーもう、マスターから特別手当を貰いたいくらいだぜー」
全て木で統一されたテーブルと椅子。掃除の行き届いたレストラン内は、先程まで昼食の客で賑わっていたのだ。
テーブルに敷かれた白いクロスの上には、近くの雑貨屋で購入した可愛らしい天使の硝子細工が乗っている。
家庭的で温かな空間。宿泊客が少しでも寛げるようにと、宿の主人であるマスターが徹底的に拘った場所だった。
「とうとう雨季が始まるって、マスターが張り切っていたわよ。今度の雨季は二週間前後くらいかしらね」
「もう少し経ったら夕食時ね。また夜のピークがやってくる前に仮眠でも取っておきましょうよ、ねぇマリア?」
「……えっ?」
フリルのエプロンを身に着けた赤毛の女が、少し離れた席に腰を下ろしていた若い娘に声を掛けた。
肩まで伸ばした濃茶の髪を内巻きにした、鼻の頭に薄っすらとそばかすが残っている二十代前半の純朴そうな娘。
物思いに耽っていたのか、突然声を掛けられて慌てたように振り返る。全く話を聞いていなかったのだろう。
「マリアったら、ぼーっとしちゃって。夜のピークの前に仮眠取ろうかって言ったのよぉ」
「ごめんなさい。昨夜遅くまで小説を読んでたから……そうね、仮眠取っておきましょ。これから忙しくなるわ」
頬を膨らませた赤毛の女に申し訳なさそうな表情を浮かべて謝る、マリアと呼ばれた娘。
その時、急にロビーが騒がしくなる。複数人の話し声と足音。出迎えるマスターの声。どうやら客が来たようだ。
仮眠は後回しだ。レストランで休憩を取っていたマリアや他の従業員の面々も客を出迎えるために立ち上がると、
ロビーで客を出迎えていた従業員の一人が、頬を紅潮させながらレストランへ飛び込んできた。
「ちょっとちょっと、大ニュース! 今来た客の中に、心臓が止まりそうなほど超いい男がいたんだってば!」
「……またー、あんたの言ういい男は信用できないからなぁ」
「はぁ? どいつだよ、どいつ」
「本当だって! 今までの客達とは桁違いのルックス。耳が長く尖ってたから、きっとエルフ族なんだろうなー」
こそこそと声を潜めながら、レストランにいた面々はロビーに面しているガラス張りの壁を覗き見た。
マスターが笑顔で話している先にはずぶ濡れの五人の客。国籍や衣装もばらばらで、随分と目立った集団である。
その中でも一際目立つ、仰々しいドレスコートを身に着けた青い髪の青年に従業員達の目が一斉に注がれた。
「ほら見てよ、あの一番後ろにいる青い髪の男の人。めっちゃくちゃ格好いい上に、顔小さくて足なっがいの!」
「きゃーっ、本当じゃない! しかも身分高そうだし、絶対どこかの王族か貴族の若君様よ! 素敵ねぇ……」
「……そこまで言うほどいい男かぁ? 気に入らねーな。男だったら、顔よりも中身で勝負しろってんだ」
「いや、よく見ろよ。そんじょそこらにはいないレベルの美形だろ。あれは」
「うーん……何だか人形みたいに整いすぎてて、私はちょっと苦手かも。あっちの白髪の美青年の方が好みかな」
「あのねぇ、あなた達。そんなにじろじろ堂々と眺めていたら失礼でしょ!」
ガラス窓に両手をべったりと付けながら好き勝手に言う同僚達の姿に、マリアは一人重苦しい溜息をついた。
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雨から逃れるためにティエル達が飛び込んだ宿屋は、随分とこじんまりとした居心地の良さそうな宿屋であった。
味わいのある深い色味のフローリングはぴかぴかに磨かれており、埃一つ落ちてはいない。
宿屋というより田舎の祖父母の家というイメージが強い。それがまさにこの宿屋のマスターが目指す雰囲気だ。
確かにのびのびと寛げそうだ。雨季の間、滞在するにはこの上ない宿屋だが……先程から妙に視線を感じるのだ。
首を傾げたティエルが横へ視線を移動させると、隣接されたレストランの窓ガラスに従業員達が張り付いている。
一体何事なのだろうか……。
「ね、ねぇ。お店のひと達がみんなこっちを見てるんだけど。何なんだろうね」
「こっちというより……クウォーツばっかり見ていますわ。もう、あれで盗み見ているつもりなのかしらねぇ?」
「えっ、どうしてお店のひと達がクウォーツを見てるの?」
「あなた、本気で分からないんですの……」
「おい、この宿では三人部屋が満室だそうだ。クウォーツ、ジハード。誰かが一人部屋になるが、構わぬよな?」
先程までマスターと話し込んでいたサキョウが鍵を握りしめながら振り返った。
二人部屋と比べて三人部屋は早々に埋まってしまうことが多い。三部屋借りるために出費が嵩むが、仕方がない。
どちらでも良さそうなジハードの隣で、クウォーツが左手を上げて見せる。己が一人部屋になるという意だろう。
「早く着替えたい。いつまでも部屋割りを悩んでいては身体が冷える」
「そうだな、では各自部屋で着替え終えたらワシとジハードの部屋に集合してくれ。今後のことを話し合おう」
「はーい!」
確かにクウォーツの言ったとおり、いつまでも濡れた服のままでロビーで相談していては風邪を引いてしまう。
ティエルが元気の良い返事と共に手を上げると、それが合図になったかのように一行は二階に向けて歩き始めた。
最後に残ったクウォーツも漸く歩き始めようと足を踏み出した時。
彼が一人になった時を見計らい、三、四人の女性従業員達がタオルを抱えながらぱたぱたと駆け寄ってきたのだ。
「宿屋ミルフィーユへようこそ。よかったらこのタオル使って下さい!」
「やだ、近くで見ても超かっこいいー! 鼻血出そう……」
「ちょっとベスったら、押さないでよ!」
「雨に降られて大変でしたでしょう? この町は色々な雑貨屋さんもあって、長期滞在でも退屈しませんよ」
「この宿屋の紅茶とお菓子、とっても美味しいんです。甘いものお好きでしたらどうぞ!」
クウォーツの内面を知らない彼女達は恐れもなく、きゃあきゃあと騒ぎ立てながら彼に詰め寄っていた。
だが。やはり当然のようにクウォーツは顔を向けることも足を止めることもなく、すたすたと歩き去ってしまう。
まるで彼女達の存在が見えていないかのようだ。一言で表現するならば、完全に無視をしている状況であった。
予想外の対応だったのだろう。暫く呆気に取られた表情で立ち尽くしていた彼女達は、やがてはっと我に返る。
「い……今の態度何なの? もしかして性格めちゃくちゃ悪い?」
「あれだけ容姿が良かったら性格悪くても許せるかなー。ま、目の保養で遠くから眺めてるだけで十分でしょ」
「私、ああいうタイプの男の子に冷たく罵られながら踏まれたいかも……!」
「えーっ、趣味わるーい」
「だからやめときなさいって言ったのに。顔がいいからって調子に乗ってるんじゃないの? 最悪ー」
「それにしても……近くで見たら本当に人形みたいで薄気味悪かったぞ、あいつ……」
好き勝手に文句を言い続ける面々に、マリアは完全に呆れ果て注意をする気もなく大きな溜息をついたのだった。
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