Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第12章 ロマンス
第134話 Rainy Romance -1-
港町ティークバウムに滞在してから、一週間が過ぎ去った。
相変わらずの大雨が続き、早朝から激しく雷鳴が鳴り響く。一際凄まじい轟音に、ティエルは思わず飛び起きた。
勢いあまってベッドから転げ落ちてしまった彼女は、一体何が起こったのか暫く理解できずにいるようだ。
冷たい床に尻餅を搗いたまま寝惚けた瞳を数回瞬いた。ベッド脇の時計に顔を向けると、早朝の六時過ぎである。
「いたた……お尻打っちゃった。まだ今日も雨かー……しかもこれ、余計に酷い雨になってない?」
尻を擦りながら立ち上がったティエルは、ほんの少しだけカーテンを引くと外の様子を眺めながら溜息をつく。
辺りを照らす雷光。空は灰色のペンキで塗りつぶしたかのように分厚い雲に覆われ、朝の雰囲気など微塵もない。
この七日間、大雨のために宿から一歩も出ていない状態である。
こじんまりとした宿の中は隅々まで探検済みで、ティエルは少々暇を持て余していた。早く外を駆け回りたい。
「あーっ、もう! 早く晴れないかな。こらーっ、雨! 早くやみなさーいっ!」
頬を膨らませ、ティエルは届くはずがないとは知りながらも暗雲に悪態をつかずにはいられなかった。
そんな大声に雷鳴では起きなかった同室のリアンが、何事かと飛び起きていた。雷鳴以上の騒音だったのだろう。
ちなみに元々朝が弱く寝坊魔の素質があるジハードは、ここぞとばかりにだらだらとした生活を送り続けていた。
このままでは、怠け癖が付いてしまって大変なのではないか。今のだらけた状況はジハードのためにも良くない。
まずはきちんと三食取らせることから始めよう。このところ彼は夕食時にしか姿を現さないのだ。
あと三十分ほど経てば朝食の時間だ。確実にジハードを叩き起こすためには……三十分は十分すぎる時間だろう。
ベッドの上で丁寧に髪を結っているリアンを後目に、腕捲りをしたティエルは自室の扉を勢いよく開け放った。
それと同時に向かいの部屋から、きっちりと身なりを整えたクウォーツが姿を現した。相変わらず今日も早い。
むしろ身なりが整っていないクウォーツを見ること自体が少なかった。いや、少ないというか皆無に等しかった。
「おはよ、クウォーツ。丁度よかったー、今からジハードを叩き起こしに行くんだけど……協力してくれない?」
「何故」
「だってわたしが声をかけても全然起きないんだもん。クウォーツの方がわたしよりもジハードと仲良いしさぁ」
「ほっとけよ」
「そういうわけにもいかないよ。おーい、ジハード、サキョウ。朝だよー、お邪魔しまーす!」
全く協力する気のないクウォーツから視線を外したティエルは、隣の部屋へずかずかと勢いよく足を踏み入れた。
案の定二人とも熟睡しているようである。
ベッドに大の字になって寝転がったサキョウは口を開け、盛大な鼾をかいていた。一夜にしてヒゲが伸び放題だ。
一方。反対側のベッドではジハードが掛け布団をぐるぐると己に巻き付け、丸まった状態で眠り続けている。
まずは外の光を入れなければ。とはいっても、外は大雨のためにカーテンを開けても然程明るさは変わらないが。
「手っ取り早く終わらせちゃおうかな! ……ジハード、今日こそは一緒に朝ご飯食べようよ。起きてってばー」
無駄だとは知りつつも、ティエルはジハードの両肩をゆさゆさと揺さぶってみる。が、やはり反応はない。
普段はまるで光の糸のように美しく整っている彼の白髪は、残念なほどに絡まっており、まるで鳥の巣であった。
あまりの反応のなさに思わずめげそうになるが、ここで諦めるわけにはいかない。今日こそは叩き起こさねば。
何度も揺さぶり続けた甲斐があり、漸くジハードは薄っすらと目を開いた。しかし完全に目が覚めてはいない。
「なに……」
「やっと起きてくれた! いくら宿に足止めされてるからって、規則正しい生活を送らないと健康に悪いよ?」
「……どうせ起きたって、雨降ってて外に出れないだろ。雨が止んだら起こしてくれよ……」
「ふぅん。まだ寝惚けてるみたいだから、リアンに大きな雷の魔法でも目覚めの一発にお願いしちゃおうかな!」
「えっ」
「リアーン、ジハードが眠気覚ましにライトニングサンダーかけてほしいって!」
「わーっ、ちょっと待て! お、起きるってば!?」
ティエルが言うと冗談に聞こえない。いや、決して冗談ではなかった。そしてリアンも悪乗りするかもしれない。
さすがのジハードも血相を変えて飛び起きると、ティエルはしてやったりと満面の笑顔である。
「えへへ。ジハード、おはよ」
「えへへじゃないよ、全く。多くの苦楽を共にした仲間に対しての仕打ちがこれかと思うと、ぼくは涙が出るね」
「大切な仲間だからこそやってるんじゃない。早く顔洗って髪の毛ちゃんとしてきてね」
「あー、へいへい」
完全に観念したと思われるジハードはベッドから下りると、ぼりぼりと頭を掻きながら洗面所へと向かって行く。
聡明な好青年という外面がすこぶる良いジハードが、気を許した相手だけにしか見せない本来の姿だ。
ティエルはそんな一面を彼が見せてくれることが嬉しいのだが、リアンは『残念な美青年』と肩を落としていた。
洗面所でジハードが顔を洗う音を背に、今度はサキョウのベッドへと歩み寄っていく。
あんなにも側で大騒ぎをしていたというのに、相変わらず大きな口を開けながらぐっすりと眠ったままであった。
普段は早起きのサキョウだが、昨夜は遅くまでジハードとボードゲームをしていた。恐らく結果は惨敗だろう。
「サキョウ、起きて! ……鼻つまんでみたら起きるかなー?」
ぽつぽつと無精ヒゲが伸びたサキョウの寝姿は、『熊ゴリラ』という形容が実にしっくりとくる。
若干の汗臭さが逆に安堵感を覚える。きっと、父親という存在はこういうものなのだろう。頼もしくて大きくて。
なんとなく嬉しい気持ちになり、ティエルが軽くサキョウの顔を覗き込んだ時。突然彼から両手が伸ばされる。
「好きだ、サクラあぁぁーっ!」
「きゃー!?」
危うく強い力で抱き付かれそうになったティエルは、咄嗟に枕を引き抜いてサキョウの顔面に投げ付けた。
強い衝撃で目を覚ましたサキョウは、無精ヒゲを擦りながら目を瞬く。何が起こったのか理解していないようだ。
一体ティエルを誰と間違えたのだろう。サクラという名を叫んだことなど、まるで覚えていない表情であった。
「……ティエルではないか。一体どうしたんだ、朝っぱらからそんなに不機嫌な顔をして。両頬が膨れておるぞ」
「もー、サキョウ達を起こしただけで疲れちゃったよ。わたし達、先に一階のレストランに行ってるからね!」
「う、うむ?」
「クウォーツ、リアン呼んで先に行っちゃお!」
「だからほっとけと言ったのに」
扉の枠に寄り掛かっていたクウォーツの腕を引き、ティエルは呆れた様子で部屋から出て行ったのであった。
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「ねえ、この雨っていつになったら止むんだろうね」
ふわふわのパンに心ゆくまでイチゴジャムを塗りたくったティエルは、姫君とは思えぬ大口を開けて齧り付く。
両頬にべったりとジャムが付着するが、そんなことはお構いなしだ。
レストランのテーブル上には小さな天使の硝子細工が置かれ、まるで彼らを微笑ましく見守っているようだ。
「折角新しい町に来たのに、この雨じゃどこにも行けないし。……知ってる? 雨が止むおまじないがあるんだ」
「そんなものがあるんですの」
「うん。黄色のハンカチをね、窓辺に吊るしておくんだって。でもわたし、黄色のハンカチ持ってないんだぁ」
「黄色じゃなくて、クリーム色のハンカチでいいなら私が持っていますわよ。早速後で吊るしましょうね」
「ほんとに? やったー!」
「……けれど、その前に口元を拭いなさいな。イチゴジャム塗れになっていますわよ」
食後のミルクティーに口を付けていたリアンは、苦笑を浮かべながらティエルに白いナプキンを差し出した。
彼女の食事作法はサキョウに影響されて随分と酷いものになっていたが、リアンが必死に矯正しているようだ。
物を口に詰めたまま話さない、物を口から落とさない、お皿から零さない。最近は大分まともになってきている。
ティエルの食事マナーに悪影響を与えた張本人であるサキョウも、同じく口の周囲はバター塗れであった。
クウォーツやジハードの二人はほぼ完璧な食事マナーだというのに、何故こちらに影響されなかったのだろうか。
「まじないといえば……ワシの故郷では雨やみ坊主といってな。白い布に綿を詰め、人型にして窓に吊るすのだ」
「へぇ、面白そう! どうやって作るの? 暇ならジハードも一緒に作ろうよ」
「確かに暇だけどさ。白い布や綿とか、材料はあるのかい? 使い古されたサキョウの下着で作るなんて嫌だな」
周囲の客達もそろそろ食事が終わったのか、皆席を立ち始めているようだ。
ティエルとサキョウ、そしてジハードの三人は雨やみ坊主の詳しい作り方や布や綿の調達について相談している。
クウォーツは表情もなく紅茶を飲んでいた。そんな彼をリアンがじっと見つめていると、不意に彼が顔を上げる。
思わず彼から目を逸らしてしまった。……実を言うとリアンは、数日前から彼とまともに会話をしていないのだ。
数日前とは、クウォーツとあの女性従業員がレストランで紅茶について話をしていた日からだ。
彼とあの従業員が会っていたのはその日だけではなかった。今日に至るまで、何度も二人でいる場面を目撃した。
その度にリアンはじわじわと胸に広がる不快感に悩まされ、クウォーツと会話をすることすら避けていたのだ。
出会ったばかりのあの従業員に、一体彼の何が分かるというのか。何も知らないくせに近付くなと言いたかった。
彼の背負った宿命や悪魔族という種族を受け止めることもできないくせに、軽い気持ちで近付かないでほしい。
……しかしクウォーツもクウォーツだ。全くその気もないくせに、戯れもいい加減にしてくれと言いたかった。
あの純朴そうな従業員が本気になったら一体どうするつもりなのだ。いつものようにあっさりと切り捨てるのか。
愛情を全く理解することができないクウォーツのことだ。恐らく心無い台詞で彼女の心を深く傷付けるのだろう。
「さて、そろそろ我々も部屋に戻ろうではないか。ティエルよ、後でワシらの部屋で雨止み坊主を作ろうか」
「はーい。少し休憩してから部屋に遊びに行くね」
サキョウの声を合図にして、がたがたと皆席を立つ。
ティエルとサキョウは既に階段に向かっており、軽く伸びをしたジハードは大きなあくびをしながら立ち上がる。
さて、自分もサキョウ達の雨止み坊主作りを手伝うか、とリアンが歩き始めた時。背後から声がかけられた。
「この硝子細工が気になるのか」
リアンが振り返ると、クウォーツが立ち上がろうともせずにテーブル上の天使の硝子細工を指で小突いていた。
悪魔が天使を小突く姿はなんともしっくりとくるような光景である。
同じことをジハードも考えたらしく、にやにやと下品な笑みを浮かべたところをクウォーツに軽く頭を叩かれる。
「どうして、そう思うんですの?」
「この町に来てから、喧しすぎる貴様が大人しい。そしてこの硝子細工を目にする時だけ悲しい顔をしている」
「……」
呆れた。普段はあれほど鋭いくせに、どうしてこんな時だけ鈍感すぎるくらい鈍感なのか。
天使の硝子細工はテーブルの真ん中に鎮座しており、確かにこれを見つめている時は暗い表情をしていただろう。
だがその理由はいつも真正面に座っているクウォーツの姿をできるだけ目にしないように、視線を下に外した時に
丁度硝子細工を見つめる形になっただけであった。悲しい顔をさせている元凶は硝子細工ではなくクウォーツだ。
「あなたには全く関係のないことですわ。……ただこの硝子細工が可愛いから欲しいな、って思っただけですし」
「本当に私に関係がないのか。言いたいことがあるのならはっきりと言え。言う気がなければ態度に出すな」
「おい、クウォーツ……」
「……あ、おはようございます。クウォーツさん!」
クウォーツから投げ掛けられる言葉に、次第に表情が沈み込んでいくリアン。
見かねたジハードが思わず助け舟を出そうと彼の肩に手を触れた時。背後から場違いな明るい声が近付いてきた。
食器の片付けに来たのだろう。あのマリアという名前の従業員が、トレイを手にしながら駆け寄ってきたのだ。
「皆さんおはようございます。今日も雨ですねー。そろそろ雨季を抜ける頃だってマスターが言っていましたよ」
「おはよう、早く雨が止むといいな。こう雨が続くと何もできないからね」
「私、お邪魔みたいですから部屋に戻りますわ。可愛い従業員さんの相手でもしてあげなさいな、クウォーツ」
にこやかに応対するジハードとは裏腹に、リアンの吐き出した棘の含まれた台詞に場が凍り付く。
不機嫌な態度を隠そうともせずに背を向けて歩き始めた彼女を、深い溜息をつきながらジハードが追ってきた。
こんな可愛くない態度を取るはずではなかったのに。ジハードにも、あの従業員にも悪いことをしてしまった。
そしてクウォーツからは、態度の悪い女だと更に嫌われてしまったかもしれない。
ああ、もう。彼に嫌われたところで、一体何が変わるのというのか。きっと、今までと何も変わらないはずだ。
リアンが二階への階段に向かって数歩進んだところで、背後から随分と沈んだ様子の従業員の声が聞こえてきた。
「私……あの女の人に失礼なことをしてしまったんでしょうか。凄く怒ってらっしゃいましたけど……」
「さあ」
「もしかしてあの方、クウォーツさんの恋人ですか? お二人とも華やかな美男美女で、とてもお似合いですし」
「……」
「でもクウォーツさんは、雨が止んだら行ってしまう。だから、雨の間……少しでも……あなたの側にいたくて」
「は?」
聞きたくない会話が嫌でもリアンの耳に飛び込んでくる。
これ以上言葉を続けないでほしい。そして彼女の台詞に対するクウォーツの非情な返答も聞きたくはなかった。
それでもリアンの両足は、まるで冷たく凍り付いたかのように動けなかったのだ。
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