Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第12章 ロマンス

第135話 Rainy Romance 2-




「私……あの女の人に失礼なことをしてしまったんでしょうか。凄く怒ってらっしゃいましたけど……」


マリアと名乗った従業員は沈んだような表情で顔を伏せた。馬鹿正直で穢れを知らぬ、純朴そうな娘であった。
階段から滑り落ちそうになった彼女を助けてから、恐れもなくクウォーツに話し掛けてくるようになったのだ。
人目を引き過ぎる容姿のゆえ、遠巻きで噂をされ避けられることが多い彼にとって、随分と意外なことである。

そしてマリアはどことなく、ハイブルグ城で出会った庭師トキオに似ていたのだ。
深い茶の髪に、鼻の頭にはそばかす。人を疑うことなど知らず、何度も何度も懸命に話し掛けてきたトキオと。
だからクウォーツは彼女を拒まなかったのかもしれない。いつものように、ほんの気まぐれを起こしたのだ。

その気まぐれによって、誰かの心を深く傷付けてしまう結果になるとは夢にも思わずに。


「もしかしてあの方、クウォーツさんの恋人ですか? お二人とも華やかな美男美女で、とてもお似合いですし」
「……」
「でもクウォーツさんは、雨が止んだら行ってしまう。だから、雨の間……少しでも……あなたの側にいたくて」

一体何を言っているのだろう、彼女は。
あの喧しい女の存在が何故そこに出てくる。お似合いだとは何度か言われたことがあるが、何がお似合いなのだ。
そもそも悪魔族と人間、その時点で似合うはずがない。容姿だけで似合う似合わないと決められてしまうのか。

これ以上他人にあれこれと決め付けられたくはないな、とクウォーツが表情にも全く出さずに辟易としていると、
顔を耳まで真っ赤にさせたマリアがこちらを見上げてくる。何かを口に出そうとして、迷っている顔付きだ。
ロビーに隣接したレストランには彼ら二人だけしか姿が見えず、雨の音が辺りに響き渡っていた。


「雨なんか、このまま止まないでほしいなって思っているんです」
「何故」
「それは……あなたのことが」
「私のことが?」

「あなたのことが、好きに……なってしまったんです。こんな地味で美人でもない私が恐れ多い……です、けど」

暫しの沈黙。
既に聞き飽きた陳腐な台詞だ。彼に近付いて甘い言葉をかけてくるのは、皆下心を持った者達ばかりであった。
偽りの言葉で近付いて、揃いも揃って身体の関係を強要された。応じなければやがては脅迫へと変化していった。
急激に全身の体温が低くなっていくような錯覚。純朴そうな顔をしているこの娘も、やはり偽りの愛を語るのか。


「……それで?」
「えっ」
「そう言うからには、私に何かを求めてきているんだろう」
「想いを受け止めてもらえるなんて思っていません。ただ、この気持ちを知ってもらいたかっただけなんです」

「ただ知ってもらいたかった? それだけ? 何故? 私はどうすればいい。ああ、貴様を抱けばいいのか?」


本当に彼は分からなかった。理解できなかった。裏表のない純粋な好意に対して、返す術が分からなかったのだ。
普通の青年ならば、優しい笑顔を浮かべて『気持ちは受け取れないけれど、ありがとう』と口にしていただろう。
だがクウォーツは普通の青年ではない。長い間意思のない人形であることを強いられた、感情が欠落した青年だ。

自分に対して向けられた純粋な愛情を、到底理解できるはずがなかった。
今まで愛を語ってきた多くの者達に抱かれもしたし抱きもした。ただ、それだけだった。そこに愛情は全くない。
愛という言葉はただ肉欲を満たすための言い訳に使われているだけなのだと、クウォーツは割り切っていたのだ。


「どっ……どうしてそうなるんですか!? 単なる同情で抱いてもらうのは、私が惨めになるだけです!」
「意味が分からない。その気がないなら、くだらないことを口にして私を煩わせるな」
「くだらない、こと……?」

「おい、お前! さっきから黙って聞いていれば、最低なことばかりマリアに言いやがって……彼女に謝れ!!」

あまりにも心無いクウォーツの台詞に、マリアの瞳から涙が溢れ出した時。
怒りで顔を赤くさせた橙色の髪の青年が彼女を守るように前に立ちはだかったのだ。従業員の一人カシムである。
彼の怒鳴り声に、リアンやジハードは勿論、ロビーで寛いでいた宿泊客も一体何事かとレストランへ集ってくる。


「カシム!? やめて、あなたには関係のない話だから!」
「いいから黙ってろ、マリア。オレはこういう、人の真剣な気持ちを踏み躙る根性腐った野郎が大嫌いなんだよ」
「やめてってば……!」
「さっきの言葉を訂正して早くマリアに謝れ。彼女がどれほど勇気を出してあの台詞を言ったと思ってるんだ!」


カシムの登場にも、クウォーツは表情一つ変えることもなく硝子の瞳で二人を眺めていた。
一体どういう状況なのか、瞬時に思考を巡らせる。この男は、恐らくマリアという名の従業員を好いているのだ。
好いているからこそ、彼女を泣かせた自分に対して本気で怒っているのだろう。

……なんだ、答えは簡単じゃないか。そうクウォーツは思った。
彼女が自分に対する興味を失えばいい。興味を失ってしまえば、後は勝手に人間同士で惹かれ合っていくだろう。
傷付いた心は隙があり、近くに支えを求めることが多いのだと聞く。ならば下衆野郎に徹し続けようじゃないか。


「これはこれは……突然現れて、ナイト気取りかよお坊ちゃん」
「な、なんだと!?」
「彼女がどれほど勇気を出したかだと? 知るかよ、別に頼んだわけじゃない。その女が勝手に言っただけだろ」
「!!」

やれやれと大げさに肩を竦めた動作をしたクウォーツは、椅子の背凭れに寄り掛かるとカシムを一瞥した。

彼の台詞を耳にして、さっと顔色が変わるカシム。当然だ。わざわざ癇に障る言葉ばかりを選んでいるのだから。
外見はクウォーツの方がカシムよりも年下だ。そんな彼から『お坊ちゃん』と言われて完全に見下されている。
その様子を周囲の宿泊客達に混ざって見守っていたジハードは、あからさまに眉を顰めながら首を傾げていた。


「クウォーツのやつ……一体どうしたんだよ。あいつらしくないだろ」

クウォーツはわざとカシムを挑発するような態度、台詞を選んでいる。それはジハードの目から見ても明らかだ。
確かに彼らしくはない。普段の彼ならば無表情のまま聞き流し、決して言い返したりなどはしないはずである。
だがリアンは、この光景と似たような以前の場面を思い返していた。口数の少ない彼が多弁になったあの場面を。


「好みの女じゃないが、まぁ暇つぶしにはなるか。お前、私が好きなんだろ。性処理くらいには使ってやろうか」
「このクズ野郎!!」
「……っ!」
「今度マリアに近付いてみろ、その鬱陶しい顔を二目と見られないようにしてやるからな!」


クウォーツの言葉に思わずかっとなったカシムは、腰掛ける彼の胸倉を掴むと思い切り拳で顔を殴り付けたのだ。
同時にジハードが地面を蹴って飛び出し、殴られた衝撃で床に倒れ込んだクウォーツの肩を背後から支える。
女達の悲鳴。ざわめく周囲。その中から従業員達が駆け寄り、尚も掴み掛ろうとしていたカシムを取り押さえた。

一方。リアンは足が地に根を張ったかのように動けず、クウォーツに駆け寄ることすらできなかった。


「おい、大丈夫かクウォーツ!? らしくないことやってんなよ、口の中切れているみたいだからじっとしてて」
「……」
「確かに先程からあなたの言動は最低だったけど、あなたが他人からクズ野郎呼ばわりされるのも正直不愉快だ」

立ち上がろうともせずに切れた口の端の血を拭うクウォーツに、ジハードは治癒魔法をかけようと手を伸ばすが。
その手を振り払うと、彼は血の混じった真っ赤な唾を床に吐き捨てた。
ゆっくりと身を起こして衣服に付いた埃をぱんぱんと叩き、それから小刻みに震えているマリアへと顔を向ける。


「このとおり、私はそんなクズ野郎だよ。……さっさと忘れてしまうんだな」


その言葉に、暫く呆然としていたマリアは何かに気付いたようにはっと口元を押さえた。
彼女から視線を外したクウォーツは静まり返ったロビーまで進むと、そのまま大雨の中へと飛び出したのだ。

「クウォ……」
「待って下さい、クウォーツさん!」
「あいつを追ったら駄目だ、マリア!」

漸く足が自由になり、彼の後を追おうと一歩踏み出したリアンの横を、マリアが一直線に駆け抜けて行った。
彼女もまたクウォーツに続いて叩き付けるような大雨の中へと消えていく。
あっという間に雨の中へと消えてしまった二人の姿に、リアン達は勿論、カシムも呆然と立ち尽くしていた。







「リアンとジハードったら遅いな。一緒に雨止み坊主を作ろうって思っていたのに……」

足音を立てながら二階の廊下を歩いていたティエルは、湿気でくるんと丸まってしまった毛先に指を絡める。
癖のない髪質だと思っていたが、案外湿気には弱いのかもしれない。手入れをしていないのだから当然だろう。

部屋で一休みをしてからサキョウ達の部屋で雨止み坊主を作るはずであった。しかしリアン達が戻ってこない。
彼らの帰りを待つために、先程からティエルは扉の前を行ったり来たりを繰り返しているのであった。
退屈だな、と唇を尖らせたとき。リアンとジハードが階段を上がってきたのだ。心なしか、二人とも疲れている。


「リアン、ジハード! ずっと待っていたんだよ。どこ行ってたの? 雨止み坊主作ろうよー」
「遅くなってごめんなさいね、ティエル。朝食の後にジハードと話が盛り上がってしまって。ねぇ、ジハード?」
「……え? あぁ……うん、そうだね」


急に話を振られたジハードは、彼にしては歯切れの悪い返事をしていた。
不自然な態度も無理はない。先程までの一部始終を目にしてしまったリアンの心境を思うと、正直居た堪れない。
しかしリアンは普段と変わらぬ様子でティエルに接している。カーネリアンの瞳は暗く澱みきっていたのだが。

「クウォーツは?」
「えっ」
「一緒じゃなかったの? まだ一階にいるのかな。わたし、呼んでくるね。一緒に雨止み坊主を作りたいし!」

「……クウォーツは、外に買い物に行くんですって。暫くは戻ってこないかもしれませんわね」
「なんで大雨の日に行くかなぁ。クウォーツって案外そういうのを気にしないところが、男の子って感じだよね」
「そうですわね。……馬鹿で、不器用な……男ですわ」
「リアン?」


小さく呟いたリアンの表情があまりにも沈んでいたので、ティエルはこれ以上声をかけることができなかった。





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