Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第12章 ロマンス
第136話 Rainy Romance -3-
「前々から思っていたのだが……ジハードお前、普通に読書はできぬものなのか」
「え?」
大雨といえどもモンク僧は修業を怠ってはならない。
朝から筋力トレーニングに勤しんでいたサキョウは、浴室でさっぱりと一日の汗を流してきたところであった。
髪をタオルで拭きつつ室内に戻ると、床の上ではジハードが片手の指一本で腕立てをしながら読書を続けていた。
読みにくくはないのだろうか。腕立てが終わった後に、改めて読書をするという選択は彼にはないのだろうか。
この大雨で時間なら有り余っている。だがジハードは筋トレをしつつ読書をするという理解し難い趣味があった。
サキョウから半ば呆れたような声をかけられたジハードは顔を上げ、一体何を言っているんだと首を傾げる。
「うーん。そうは言われてもな……身体を鍛えつつ読書をした方が、何故か内容が頭に入るんだ。お勧めするよ」
「ワシには全く理解できぬが、そういうものなのか。お前がそれで良いならもう何も言わぬが……」
「ちなみにエルキド料理の本だよ。濃厚さはなくて素朴だけど、彩りや栄養がちゃんと考えられていて面白いな」
「そうだろう! わはは、早くエルキドに帰ってサクラの手料理が食いたいよ」
「サクラ? 誰だろー。女性の名前だよなー、サキョウ?」
何気なく零してしまったサキョウの一言をジハードが聞き逃すはずがない。
慌てて口を抑えるサキョウだったが、もう遅かった。意地の悪い笑顔を浮かべながらジハードが歩み寄ってくる。
ティエルが相手ならばともかく、ジハードは残念ながら簡単に誤魔化せる相手ではないのだ。
「サ、サクラは単なる幼なじみの女性であるよ……」
「ふぅん。単なる幼なじみの女性が、手料理を作ってくれるんだ?」
「それはだな……ワシらは一緒に暮らしておってな、炊事担当はサクラの仕事であって深い意味は全くないのだ」
「へぇー、サキョウもやるねぇ。そのサクラさんとやらと同棲してたんだ」
「どっ……同棲!?」
「同棲だろ?」
「断じて違う! ジハード、お前は大きな勘違いをしているぞ。そう、根本的な勘違いをしておるのだ!」
「同棲でなきゃ何なのさ。……意味が分からないんだけど」
顔を真っ赤にさせたサキョウが両手を振りながら弁解を始めた。若干興奮気味の彼の話をひとまず整理してみる。
サキョウの実家は格闘技の道場を営んでおり、住み込みの弟子達が数十名も存在しているのだという。
跡継ぎであったはずのゴドーは、母親が悪魔族に惨殺された日から戦う力を完全に捨て、エルキドを飛び出した。
流れの教師として生きる道を選んだゴドーは、旅の最中メドフォードの女王ミランダと出会ったそうだ。
一方次男のサキョウは兄とは違い、更なる強さを求めるようになる。モンク僧に友人がいるという父の伝を使い、
いつの日か悪魔族を殲滅させる日を夢見てベムジンにて修業を続けていたのであった。
現在道場は師範であるサキョウの父と、師範代であるサキョウの幼なじみのトガクレが切り盛りしているという。
多くの門下生達の世話や、家事担当をしているのが師範代トガクレの妹であるサクラとアヤメ姉妹である。
一つ屋根の下に住んでいる、とはいっても同棲ではなく同居人の一人のような形だ。そこに色気のある話はない。
「ちぇっ。期待して損したな」
「だから初めから違うと言っていたであろう! お前が一人で突っ走るからだ」
「突っ走るとは人聞きが悪いな。ぼくはサキョウの脱童貞のチャンスかと思って、つい力が入っちゃったんだよ」
「だ、脱童貞って……そもそも結婚するまで、そういった行為は慎まなければならんと思うのだがなぁ……」
あからさまに残念そうな表情を浮かべているジハードを、サキョウは思わず深い溜息をつきながら眺めてみる。
クウォーツ、ジハード、そしてサキョウと一応まだ若い男が集まれば、『下がかった話』になることも多かった。
だが思い返せばジハードはあまり自分の話をしない。容姿や落ち着き具合からして童貞ということはないだろう。
「ワシのことよりも、お前の方はどうなんだ」
「どうって?」
「こんな若い身空で旅ばかりでは、満足に恋もできぬだろう?」
「いや別に、ぼくはそこまで恋愛を求めているわけじゃ……今はあんまり興味が持てなくてさぁ」
「そういえばお前、確かこの間クウォーツと二人で卑猥な雑誌を読んでいただろう。……ワシは知っているぞ」
「一応男の嗜みとしてエロ本くらい読んでおいた方がいいかなって、あいつと話してて」
「どんな嗜みだ!」
あれは数週間前の出来事であったか。
心底どうでもいいような顔付きのクウォーツと、退屈そうにあくびをしているジハードが一冊の本を読んでいた。
難解な魔導書でも読んでいるのかと思えば、ほぼ衣服を身に着けていない女達が載っている雑誌だったのだ。
その後、卑猥な雑誌はジハードの枕として使われていた。そして次の日には丸められてごみ箱に捨てられていた。
少しサキョウも内容が気になっていたのは秘密だ。だが決して読んではいない。断じて読んではいない。断じて。
「……そもそもクウォーツは、そっち方面も感情が薄いだろう」
「うん?」
「前々から疑問なのは、そういった場面になって……ちゃんと……その、できるものなのか……とか、思うのだ」
「なにが?」
「いや、だから……感情がなくともそういう状態にできるのか、っていう……」
「勃つのかって?」
「ま、まぁ……うむ、そうだ」
まるで初心な乙女のように顔を赤くさせているサキョウの姿は、なかなか不気味な姿である。
そして本人のいないところで随分と失礼な質問をされていることをクウォーツが知れば、一体どう思うだろうか。
確かにクウォーツは感情が希薄である。しかし、それは喜怒哀楽がほぼ皆無というだけで五感は非常に鋭いのだ。
悪魔族だし、その辺は何とかなってるんじゃないの、とジハードが口を開いたとき。扉が数回ノックをされる。
部屋の中で猥褻な話を繰り広げられていることなど夢にも思わず、ティエルとリアンが姿を現したのだ。
「みんな、夕飯の時間だよー! ……って、あれ? 二人だけ? クウォーツここじゃなかったんだ」
「もうそんな時間か。いや、朝食の後からクウォーツの姿は見ていないが……部屋にもおらんかったのか?」
「うん……外に買い物に出掛けたっきり戻ってきてないのかな。この雨だし、いくらクウォーツでも心配だよ」
ティエルの発した台詞を耳にして、ジハードは『あれからまだ戻ってきていないのか』と、リアンに目線を送る。
両手を腰に当てたリアンは重苦しく溜息をつき、こくりと頷いて見せた。
「ティエルったら、別にクウォーツなんかいなくてもいいじゃない。どうせいつもいない方が多いんですから」
「リアン?」
「あれでも一応男性なんですし、何かあったとしても自分の身は自分で守れますわよ」
「そういう意味じゃなくて、雨で濡れたら風邪引いちゃうかなって思ってさ。リアン、クウォーツに冷たいよー」
「そ……そうかしら。気のせいですわよぉ」
普段以上にクウォーツに対する棘の含まれたリアンの台詞にティエルは納得が行っていないのか頬を膨らませる。
実年齢よりも幼く見えてしまう彼女のその仕草は、まるで小さな子供であった。
……今現在、ティエル達の部屋の窓辺に吊るしてある五つの雨止み坊主を、クウォーツにも早く見て欲しかった。
実を言うと自分達五人をモデルに雨止み坊主を作ったのだ。従業員からカラーインクも借りて、髪色も完璧だ。
「まあまあ、そのうち戻ってくるだろ。雨止み坊主は明日ゆっくり見てもらえばいいじゃないか」
「うん……」
「ティエルがいい子にしていたら、クウォーツもすぐに戻ってくるさ。さ、夕食の時間なんだろ。早く行こうぜ」
「いい子って、またジハードわたしのこと子供扱いしてるし!」
沈み込んでしまった場の雰囲気を一掃するように声を発したジハードは、ぐりぐりとティエルの頭を撫で付ける。
子供扱いされたことにより彼女の機嫌は更に悪くなりかけたが、素直にレストランへ向かうことにしたようだ。
廊下に出ると、他の宿泊客達の姿は見受けられなかった。どうやら一番最後のグループになってしまった。
途中で従業員達が集っている部屋の前を通る。……リネン室だろうか。
中から興奮した様子の女性従業員達の会話が聞こえてきたが、特に気にすることもなく前を通り過ぎようとした。
「……ねぇ、聞いた? カシムの話」
「聞いたわよ! あの青い髪の客を殴ったんでしょ? 何でわざわざあんな超美形の顔を殴るかなー。ひどーい」
「マスターに滅茶苦茶叱られてたわよぉ、カシム。いくらマリアのことが好きでも、客を殴るのは駄目よねぇ」
青い髪の客。間違いなくクウォーツのことを指している。……青い髪なんて、彼以外に存在するはずがない。
殴ったなどと物騒な台詞が耳に飛び込んできたためにティエルの足が思わず止まると、隣のリアンも足を止める。
背後に続いていたジハードとサキョウも会話が耳に入ったようで、彼らも足を止めた。
「肝心のマリアの方は青い髪の客に本気で惚れてるらしいじゃない」
「カシムに殴られた後、彼ったら雨の中を飛び出しちゃったんだって。それをマリアが追っていったらしいのよ」
「……で、まだ帰っていないんだって。もしかして、せめて一夜だけでも共に……ってやつ!?」
「きゃーっ、マリアったら意外に積極的なんだからぁ! いいなぁ、羨ましーい」
「あの青い髪の彼、性格はすっごい問題ありそうだけど……確かに顔だけなら文句ないわね」
褒められているのか貶されているのか分からない会話だ。
しかしティエルは貶されていると判断したのだろう。仲間が貶されているのを耳にして、気分が良いわけがない。
むっとした表情を浮かべて従業員達に向けて口を開こうとした彼女の手を、リアンが握りしめて引き留める。
「ティエル、行きましょ」
「え? だって」
「クウォーツの性格に問題があるのは本当のことなんですから。喜怒哀楽のない、人形のような男でしょう?」
「……そんな言い方しなくても」
「でもね、ティエル。……私達はそれを承知の上で、彼をあの城から連れ出したんですのよ」
本来であれば、悪魔族であるクウォーツはハイブルグ城を出るべきではなかったのかもしれない。
偽りの愛だとしても、利用されていたとしても。ギョロイアが側にいれば、彼なりに幸せだったのかもしれない。
囚われの美しい王子様を、悪い魔女から救い出してハッピーエンド。
子供向けの童話ならばそこで終わるが、これは現実だ。むしろここからが本当の始まりなのだと言えるだろう。
感情のない人形として生きてきたクウォーツの言動は、多くの者達に理解はされないかもしれない。
それでもティエル達は、彼に対して『たとえ無感情な青年だとしても、共に生きたい』という感情を抱いたのだ。
その理由が一体何だったのかなんて、今ではもう思い出すことができない。
あまりにも身近にいるのが自然になってしまった今、クウォーツと共にいる理由などすっかり忘れてしまった。
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既に大勢の宿泊客達で賑わっているレストランへと辿り着くが、やはりそこにクウォーツの姿は見えない。
この大雨の中、一体彼は何をしているんだろう。雨の降り続ける外に面した窓ガラスにティエルが顔を向けた時。
ロビーの方角から入口の鈴の音が鳴り響き、次第に騒がしくなる。数名の従業員が慌てて向かっているようだ。
一体何の騒ぎなんだとティエル達が振り返ると、目に入ったのは雨に濡れた鮮やかな青い色。
見慣れぬ黒い傘を無表情で畳んでいたクウォーツである。ずぶ濡れとまではいかないが、髪や衣服が湿っていた。
「クウォーツ! 一体どこに行っていたの、こんなに遅くまで。そんなに濡れてたら風邪引いちゃう……あれ?」
勢いよく席を立ってクウォーツへ駆け寄ったティエルだったが、彼に寄り添っていた女性従業員に目を留める。
誰だろう彼女は。……いや、見覚えがある。素朴で、人当たりが良いとティエルが好感を持った従業員であった。
そんな彼女がどうしてクウォーツといるのだろう。もしかして、一緒に買い物に行っていたのだろうか。
「ずっとこの人と一緒だったの?」
「……」
「も、申し訳ございませんお客様! うちのカシムが大変失礼なことを……!」
瞳を瞬いたティエルから問い掛けられ、クウォーツは相変わらず表情一つ動くこともなく、こくりと頷いた。
その横ではタオルを抱えながら慌ててすっ飛んできた宿のマスターが、従業員の非礼を何度も何度も詫びていた。
確かにクウォーツの口の端には殴られた痕がはっきりと残っている。色素の薄い肌のためか、随分と痛々しい。
濡れた髪をタオルで拭きながら二階へ向かおうと足を踏み出したクウォーツの前を、目を細めたリアンが遮った。
「散々心配かけておきながら、こんな時間まで女の子と仲良くデート? ……いい気なものですわねぇ、伯爵様」
「は?」
「口では彼女を突き放すようなことを言ってましたけど、こんな遅い時間まで二人で一体何をしていたのかしら」
「意味が分からない。……邪魔だ」
必要以上に棘の含まれたリアンの台詞を耳にしても、勿論クウォーツの顔色が変わることはない。
抑揚のない声でぼそりと素っ気なく呟き、彼女に目線すら向けずに足音を響かせながら二階へと上がって行った。
普段と何も変わらぬ彼の態度だが、今日はやけに不愉快だ。怒りを隠そうともせずにリアンはマリアを振り返る。
「従業員さん、あなたも物好きですわね。あんな男に惚れるなんてどうかしていますわぁ」
「えっ……」
「先程はごめんなさいね、クウォーツが色々と酷いことを言ったでしょ? 彼、元々ああいう薄情な男ですから」
「いいえ。……クウォーツさんは悪くないんです。だからあの人のことを悪く言うのはやめてください」
ティエル達に向けてぺこりとお辞儀をしたマリアは、自分もまた濡れた服を着替えるために奥へと消えていく。
その言葉を聞いたリアンは、己の胸の中にどす黒い感情が広がっていくのを感じた。嫉妬、そう。嫉妬であった。
『あの人のことを悪く言うのはやめてください』って……。
クウォーツに相手にもされていないくせに恋人気取りか。あぁそうか、それは自分も同じなのだとリアンは思う。
何故こんな惨めな思いをしなくてはならないのだろう。男なんて皆同じ。手に入らなければ別の男を探せばいい。
リアンといえども、全ての男を手玉に取ってきたわけではない。心を奪うことができなかった男も多く存在する。
しかしそれで終わりだった。あっさりと別の男に鞍替えすればいいだけだった。未練すらも感じたことはない。
それなのに、この惨めな感情は一体何なのだ。自分が相手にされていないことが悔しい? プライドが傷付いた?
……まさか。気付かぬうちに、自分は心を奪われていたというのか。よりにもよって、あのクウォーツに。
冗談じゃない。男の心を奪うことはあっても、男に心を奪われることなど決してあってはならないはずなのに。
唇を噛み締め、何かを否定するかのように首を振ったリアンは、努めて冷静な表情でテーブルへと戻って行った。
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