Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第12章 ロマンス
第137話 死神が誘う茶会 -1-
「いやーん、お気に入りのスカートが濡れちゃったぁ! 悲しいよね、マールもとっても悲しいよねぇ」
土砂降りの雨の中。誰一人歩く者のいない大通りに小さな人影が一つ。どこか怒ったような幼い少女の声である。
この暗い雨の中でも随分と目立つ、フリルをたっぷりと使用した可愛らしいピンク色の傘。
傘を差していたのは小柄な美少女だ。あどけない顔立ちに、少々癖のある桃色の髪を左右でリボンで結んでいる。
レースや大きなリボンが目立つ赤い色のワンピースを身に着け、暗闇でも爛々と光る赤い瞳は人ならざる者の証。
人々は彼女を一目見た瞬間、可憐で美しい少女の天使が舞い降りたのかと錯覚してしまうだろう。
しかし彼女は天使とは真逆に位置する、妖しき夜の住人。人々から恐れられる悪魔族と呼ばれる存在であった。
人の心をいとも容易く奪ってしまう愛らしい顔立ち。尋常ではなく、気味の悪い魅力を彼女は持っていた。
血管の透けている青白い顔色に華奢な身体。わざとらしく整った人形を思わせる容姿は、悪魔族の特徴である。
「バアトリちゃんったら用心深いんだからぁ。居場所が分かっているなら、さっさと殺しちゃえばいいのにね。
でもただ様子見をするだけじゃ面白くないよね、マール。ちょっと悪戯しちゃお。いっぱい死ぬといいなあ!」
少女は極上の笑顔を浮かべながら、抱えていたクマのぬいぐるみに向かって問い掛ける。……勿論返事はない。
くすくすと不気味な笑い声を上げた悪魔族の少女は、そのまま夜の町へと消えていった。
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「いただきまーす!」
白い湯気を上げる運ばれてきたばかりの料理達を前にして、ティエルはすっかりとご機嫌である。
港町のために全体的に海産物を使用した料理が多く、魚よりも肉が好きなサキョウには少々物足りないだろう。
だが新鮮な魚を使った料理はどれもが絶品で、シェフの腕前は相当なものだとジハードが初日に絶賛していた。
早速気持ちの良い食べっぷりを披露するティエルと同じく、シーフードパスタを口に詰め込んでいるサキョウ。
ジハードは貝類が苦手なのか、皿の上の貝の煮物を次々にサキョウの皿へと乗せている。
カリュブディスと共に海底神殿で暮らしていた頃は、貝の料理を無理矢理に食べさせられたと眉を顰めていた。
好き嫌いはあまり良くありませんわよ、と華麗にフォークとナイフを操っているのはリアン。
時折ティエルの方へと向き直り、正しいナイフの使い方を教えてやっている。未だに持ち方が危なっかしいのだ。
そして濡れた服を着替え直してきたクウォーツは、ティエルやサキョウの豪快な食べっぷりを無言で眺めていた。
食欲という欲求がほぼ欠如しているため、先程から皿の上の料理は一向に減る様子を見せない。
己の皿の上の白身魚のソテーを、完全に持て余してしまっているようにフォークで転がしているだけであった。
それを横目で眺めていたリアンはフォークを翻し、食べかけた料理でも気にすることなく彼の皿から奪っていく。
「このソテー、いらないのなら全部貰っちゃいますわよ」
「奪ってから言うな」
「別にいいじゃない。どうせ食べないんでしょ。でもあなた、それ以上痩せたらいくらなんでも不健康ですわよ」
「余計なお世話だ」
「……これでも一応心配しているんですからね。旅の最中、栄養失調で倒れられたりしたら困りますし」
「失礼だな。私は痩せて見えるだけで、実際はそこまで虚弱体質ではない。むしろそれなりに鍛えている方だ」
鍛えている? 彼なりのお茶目な冗談なのだろうか。
クウォーツはどんな時もしっかりと着込んでいるため、体型が分かりにくいのだ。薄着の彼など見たことがない。
脱いだら意外に男らしい体型をしているのだろうか。想像がつかない。どう見ても華奢な印象が強すぎるのだ。
襟元から覗く首筋や、時折見える手首は明らかに細い。よくもまぁ一撃で敵の首を落とせるものだと感心する。
筋肉質のサキョウやジハードが近くにいるせいで、恐らく必要以上に痩せて見えてしまうのかもしれないが……。
悪魔族は体型の変化が殆どないのだという。いくら食べようが体型が変わらないというのは羨ましい限りである。
そんなことをリアンが考えていると、赤毛でそばかすの目立つ女性従業員の一人が水を継ぎにやってきた。
「お水、お代わり入れますね! 今晩の料理、お味はいかがでした?」
「もー最高! 三食美味しすぎて、いつまでもここにいられるなら大雨も悪くないなぁって思ったよー」
「うむ。この宿は雰囲気もほのぼのとしていて居心地が良いなぁ。きっとマスター殿のお人柄にもよるのだろう」
「ふふっ、そう言って頂けると嬉しいです!」
大喜びで空のコップを差し出すティエルと、先程ジハードに乗せられた貝の煮物に手を付けているサキョウ。
従業員の女性も褒められて悪い気はしないのだろう。
笑顔で全員分の水を継ぎ終えて立ち去ろうとした彼女のエプロンの端を、リアンがぐいと軽く引っ張ったのだ。
「わっ、びっくりした! ……なんですか?」
「この宿の雰囲気が良いのは認めますけれど、客と店員の立場だけはしっかりと守ってもらいたいんですけどね」
「え?」
「うちの仲間に勝手に想いを寄せて、挙句の果てには殴るなんて……あまり深く関わってこられても困りますわ」
周囲には悟られぬように従業員の耳元で小さな声で囁くリアン。
嫌味がたっぷりと含まれた台詞を口にされ、従業員は視線を泳がせる。確かにそのとおりだと思ったためである。
「マリアとカシムのことは、本当にご迷惑をおかけしました。……でも、一つだけ言わせていただくと」
「なんですの?」
「……マリアは私達とは違って、客にすぐ惚れちゃうような軽い子じゃないんです。とても真面目な子なんです。
彼女が面白半分であの男の人に近付いたわけじゃないことは分かってください。カシムはただの馬鹿ですけど」
「……」
背を向けて去って行く従業員を眺めながら、リアンは何も反論することができなかったと唇を噛み締める。
よくよく考えてみれば、自分が口出しをする筋合いはどこにもない。これはクウォーツ一人だけの問題なのだ。
それこそ彼に言わせれば『余計なお世話』である。……いや、仲間として口出しをしたのだ。変な話ではない。
その時。眉を顰めながら黙って考え込んでいたリアンの顔を、クウォーツがひょいと覗き込んでくる。
人の葛藤も知らずに、周囲を散々振り回しておいて、何故彼はいつも通りなのだ。頭に来るほど何も変わらない。
「変な顔を続けていると、元に戻らなくなるぞ」
「真剣に悩んでいる顔に対して変な顔とはなんですの? あの娘もこんな無神経な男のどこが良かったのかしら」
「何の話だ」
「大体あなたは無神経すぎますわ。周囲からちやほやとされて、いい気になっているのはあなたの方じゃない?」
「周囲からちやほやとされて? 誰が?」
「あなたよ! 今まで散々人の心を傷付けてきたんでしょうね。あなたに好意を寄せる人達が本当に可哀想だわ」
ああ、もう言葉が止まらない。堰を切ったように、後から後から溢れ出てくるのだ。
分かっている。これは単なる八つ当たりだ。何が起こっても全く意に介さない彼に対して腹を立てているだけだ。
確かにクウォーツは無神経だ。空気を読むことに長けているくせに無神経だ。
だが周囲から決してちやほやとされているわけではない。むしろその逆だ。今回のケースが非常に珍しいだけだ。
そして彼が美貌をひけらかしていい気になっているわけでもない。そんなことは十分理解しているつもりだった。
むしろ今までの幸薄いクウォーツの境遇を考えると、もっと図太く生きていてもいいとさえリアンは思っている。
それなのに、八つ当たりの言葉は止まらない。彼に人並みの感情があれば、本気で怒らせてしまうような言葉が。
「悪魔族の習性なのか知りませんけどね、周囲の人の心を弄ぶのもいい加減にして下さいな。本当に迷惑ですわ」
「おい」
「それに大体あなた、ちょっと私に馴れ馴れしいんじゃなくて? ……私は一体、あなたの何なのよ!?」
「……どうした?」
台詞の最後は殆ど心の叫びに近かった。
それでもクウォーツは表情を変えることも、声色すら変わることはない。ただ無感情な硝子の瞳を向けるだけだ。
喜怒哀楽といった感情を失っている彼に感情で訴えかけても意味がなかった。そう、全ては無駄なことであった。
「リアン、クウォーツと何かあったの?」
「食事中に喧嘩はいかんぞ。ほれ、周囲の者達がこちらを見ておるではないか」
「ご、ごめんなさい。何でもないんですの。悪いのは私ですわ。……私、少し部屋で休んでいますわね」
食事の手を止めてリアンを見つめるティエルとサキョウ。小さく溜息をついているジハード。
そして普段と変わらぬクウォーツ。この町に滞在してから、何もかもが空回りであった。もう消えてしまいたい。
皆の視線を受け止めることに耐えられなくなってしまったリアンは、部屋で頭を冷やすために慌てて立ち上がる。
その時。突如レストランの中心から巨大な魔法陣が広がっていく。
ジハードの使用する極陣の虹色の魔法陣ではなく、毒々しい紫色をした光の帯が幾重にも折り重なった魔法陣だ。
一体なんだと、宿泊客達は食事の手を止めて魔法陣を眺めていたが……冒険者風の男が顔色を変えながら叫んだ。
「早く魔法陣から離れろ! これは悪魔族が使う召喚用の魔法陣だ!!」
「な、なんだって!?」
「うわああぁぁっ、逃げろーっ!」
その言葉に宿泊客達は一斉に中心の魔法陣から遠ざかる。
幸いにもティエル達の席は中心部から離れた壁際だったため、席に着いたままジハードは魔法陣を観察していた。
「確かに悪魔族が使う召喚用魔法陣だけど……クウォーツったら屋内で何考えてんのさ」
「私のわけがないだろ」
「だろうね。だったら一体誰が? こんな町中で悪魔族と遭遇するなんて考えにくいけど。おっと、お出ましだ」
魔法陣から紫色の光が消え失せる頃には、一体の魔物が姿を現していた。
闘牛の頭部と強靭な人間の肉体を持った巨大な魔物だ。丸太のような腕は、びっしりと濃い体毛で覆われている。
人里離れた迷宮の奥深くに生息していると言われている魔物ミノタウロス。人肉を好み、凶暴かつ凶悪な魔物だ。
「Aランクハンターの集団ですら、仕留めるのが難しいと言われているミノタウロスだ!」
「誰がこんな魔物を召喚したんだよ!?」
「奴の怪力には気を付けろ、拳の一撃だけで鉄に穴を空けるって話だぜ!」
悲鳴と共に逃げ出す宿泊客達。なぎ倒されるテーブルや椅子。
レストランを駆け抜け、宿の外へと飛び出そうとした何名かの宿泊客が壁に弾かれたようにして転がっていった。
知らぬうちに宿全体が魔法陣に覆われており、外へ出ようとすると透き通った紫の壁に弾かれてしまうのだ。
「外には逃げられない、完全に閉じ込められたね」
「落ち着いている場合じゃないよ、ジハード! 早くみんなを二階に避難させなきゃ……!」
「うむ。少しでも腕に自信がある者はミノタウロスを倒すためにここに残り、戦えぬ者は二階へ避難するのだ!」
力強いサキョウの言葉で皆我に返ったのだろう。慌てて宿のマスターや従業員達が宿泊客を二階へ誘導し始める。
レストラン内には数名の厳ついハンター、魔法使い風の男、治癒魔法を扱える僧侶、そしてティエル達が残った。
耳が張り裂けそうな咆哮を上げ、ミノタウロスはこちらに向かって突進してくる。全員食い殺す気なのだろう。
「よーし、わたしも頑張るからね!」
「何言ってるんだよ嬢ちゃん、あんたも二階に避難しろって。戦えない女子供はすっこんでろ!」
「え!? わ、わたしも一応戦えるんだってばー!」
張り切りながらイデアを抜き放つティエルを押し退け、ヒゲ面の大男がミノタウロスに向かって駆け出して行く。
それが戦いの合図となったようで、サキョウを含めた他のハンター達も飛び出した。
「こんなにハンター達がいるんじゃ、ぼくらの出る幕はないかもね。あ、クウォーツ。そこのソース取って」
「……」
「やぁだ、せっかくの料理が冷めちゃってますわぁ……」
場にそぐわぬのんびりとした声にティエルが思わず背後を振り返ると、ジハード、クウォーツ、リアンの三人は
未だ着席したまま食事を続けていたのであった。
「ちょっと、みんなも落ち着いてないで戦ってよ!?」
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