Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第12章 ロマンス

第138話 死神が誘う茶会 -2-




「くたばれ、この化け物!」
「畜生、一体誰なんだよ……こんなの召喚しやがった悪魔族は!?」

大剣を振り上げ、あるいは斧を、あるいは自慢の拳を握り締め、また別の者は早口で攻撃魔法の詠唱を口にする。
しかし戦い慣れた冒険者達が束になっても、狂ったように暴れ回るミノタウロスには歯が立たない。
倒れたテーブルや椅子が障害物となり、ハンターや戦士達はミノタウロスに上手く近付けずにいるようであった。


「うがああぁっ!?」

単身突っ込んで行った格闘家の男が悲鳴と共に殴り飛ばされてくる。
ティエルの横の壁に激突した彼は、大きな窪みを残して地に崩れ落ちた。そのまま立ち上がれずに倒れたままだ。
もしかしたら骨が折れているかもしれない。すぐさま駆け寄ったティエルだが、男は苦しげに呻くだけである。

「大丈夫? しっかりして!」
「オレに任せてくれ、ティエルちゃん。これでも治癒魔法には自信があるんだ」


ティエルの隣でしゃがみ込んだのは、斜め向かいの部屋で宿泊をしていた僧侶の青年だ。名はシオンといった。
一人旅の最中だという。純白の法衣を身に着け、なかなかのイケメンだと従業員が噂をしていたことを思い出す。
実は何度かティエルはこのシオンと会話をしており、彼からリアンを紹介してくれと頼まれていたのだが……。

ここ最近のリアンは他の男のことなど考える余裕もないと、重度の鈍感であるティエルにもさすがに理解できた。
そのため、彼女にはまだ何も伝えてはいない。

そんなことなど露知らず、シオンは一度大きな深呼吸をしてからぱっくりと裂けた男の腕へと両手をかざした。
稀代の癒術師であるジハードの治癒魔法とは比べ物にならない力ではあるが、薄緑の光は確実に傷を癒している。
町の僧侶などよりもずっと魔力が高い。治癒魔法に自信があると自負するだけのことはあった。


「ふーん……斜め向かいの部屋の彼、治癒魔法が使えたんですのねぇ。それに割といい男じゃない」
「治癒魔法を使ういい男だなんて、ぼくと完全にタイプが被っているよなー。益々ぼくの出番はないじゃないか」
「自分で言っちゃいますのね……。さて、そろそろ他の冒険者の方々ばかりに負担させるわけにもいきませんし」

頬杖を突きながらにやにやとした笑みを浮かべて口を開いたジハードに、呆れたように顔を向けたリアンは、
愛用のロッドを手にしながら席を立った。声にならない声で詠唱を済ませ、大きな火炎の塊を生み出していく。


「くらいなさいな、メギドフレア!」
「僕も助太刀いたします、美しい魔女殿。これでも巷では結構名の売れている魔術師なんですよ」

リアンの隣に黒い帽子を身に着けた壮年の魔術師が並び、同じく火炎の魔法を生み出した。
二人の炎が次々とミノタウロスを包み込む。皮膚を焦がす臭いが辺りに充満するが、致命傷には至っていない。
そこへイデアを振り上げたティエルが突っ込んで行き、ミノタウロスの左足を深く切り裂いた。飛び散る血飛沫。


「いいぞお嬢ちゃん!」
「その調子よ、やっつけちゃえ!」
「何やってんだ! そこ、右! 真面目にやれー!」

次々と飛ぶ声援にティエルが振り返ると、ロビー付近まで避難していた従業員や客達が身を乗り出していた。

それにしても怖くはないのだろうか。やっつけちゃえと軽く言われるほど、ミノタウロスは甘い相手ではない。
正直に言えば強敵である。まず皮膚が硬く、刃が通りにくい。斬り付けるだけでも体力を大きく消耗してしまう。
中には数回斬り付けただけで剣がぼろぼろになってしまっている戦士もいるというのに……観客は呑気なものだ。


「ミノタウロスは随分と皮膚が硬いようだね。既に武器が使い物にならなくなった者もいるようだし、困ったな」
「……にやけ顔で言うな」
「ぼくの天使の微笑みをにやけ顔だなんて言うのはクウォーツくらいだよ。あれ、テーブルが飛んできたね」

未だにのんびりと食事を続けているジハード達の元へ、投げ飛ばされたテーブルが勢いよく突っ込んでくる。
もしも直撃すればただでは済まないが、クウォーツとジハードの二人はひらりと身軽に地面を蹴って飛び退いた。
正直足の踏み場もないほどレストラン内は壊れた食器などが散乱している。割れたグラスは最早凶器だった。


別のテーブルへ飛び移ったクウォーツは、周囲の惨状を感慨もなく見つめてからゆっくりと左手を前に突き出す。
赤く毒々しい妖気が彼の左手に集っていき、薔薇の装飾が美しい長剣の形を作り上げていく。妖刀幻夢であった。
普段は腰のベルトに吊り下げている妖刀幻夢は、屋内では邪魔なために赤い霧へと姿を戻しているのだ。

完全に手を出す気のなかったクウォーツも、テーブルを投げ付けられては傍観を続ける気は失せたようである。
慣れた手つきで妖刀幻夢を構えると風の速さでミノタウロスへと突っ込んで行った。その姿はまさに青い突風だ。
その途端、レストランの入口で応援を続けていた女性達が一斉に身を乗り出して黄色い悲鳴を上げる。

「クウォーツさぁん、頑張ってー!」
「きゃーっ、やっぱり性格悪くても美しすぎるわ……!」
「ちょっとあんた、あっちの僧侶のシオンさんの方がタイプだって言ってたじゃない。この浮気者!」


調子の狂う声援を背に受けても、勿論クウォーツが己のペースを崩すはずがない。
掴み掛ろうと両手を伸ばしてくるミノタウロスの攻撃を容易く避けると、あっさりと左腕を切り落とす。
無駄のない流れるような華麗な動作に、声援を送る観客はおろか戦闘中のハンター達ですら見惚れているようだ。


「ワシのファンもおらんかなぁ……」
「どうだろうね。それはさておき、従業員や宿泊客達が応援できるくらい余裕があるうちに終わらせてしまおう」
「おお、ジハード。お前も漸くやる気になったのか」
「今はまだ皆余裕があるけど、恐怖で余裕がなくなってきたら場が混乱する可能性があるし……って、危ねぇ!」

レストランの入口に向けて投げ飛ばされた椅子や食器類に気付いたジハードは、すぐさま極陣で壁を作り上げる。
このまま戦いが長引けば宿が破壊されてしまう可能性があった。
極陣などの大きな魔法が思うように使用できない理由の一つである。だが、できれば早めに決着をつけたかった。


「もう、敵も味方も手加減を知らない連中なんですから。見てらっしゃいな、私が一撃で仕留めてあげますわ」
「無茶しないようにね、リアン」
「……ふふっ、勿論分かっていますわよ。さーて、怪我をしたくなければミノタウロスから離れて下さいな!」

観葉植物に突っ込んだ衝撃で膝を擦り剥いたティエルに向けて、リアンは豊かな胸を反らしながら片目をつぶる。
リアンが詠唱を開始すると同時に、さすが戦い慣れたハンター達は一斉にミノタウロスから身を離した。


「眩き光よ、貫く刃となりて大地を引き裂かん……ライトニングサンダー! 」


耳を劈くような轟音と共に、リアンの掲げたロッドの先端から眩い光が迸る。触れただけで全身を焦がす雷撃だ。
閃光は一直線にミノタウロスへと向かっていき、避けようともしない巨体を見事に貫いたのだ。
この世のものとは思えぬ絶叫を上げたミノタウロスは、このままゆっくりと倒れていく。そう、誰もが思った。
だが倒れる瞬間。ミノタウロスは右足をしっかりと踏ん張ったかと思うと、リアンに向かって突進してきたのだ。

「えっ……!?」
「リアン、危ない!」


完全に倒したものだと、周囲はあまりにも油断をしていた。
そしてリアン本人も咄嗟の状況に思考が止まってしまっており、呆気に取られた表情のまま立ち尽くしていた。
ティエルの声で漸く我に返った彼女は、逃げ出そうと足を一歩踏み出した時。視界の端で見つけてしまったのだ。

リアンの背後のテーブルの影に隠れるように、恐らく逃げ遅れたのかと思われる女性従業員が座り込んでいた。
……彼女の名は確かマリアといった。あのクウォーツが珍しく話し掛けられ、返事をした相手であった。
二人が一緒にいるところを目にすると、何故か無性に苛立った。不安な思いに胸が押しつぶされそうになった。

何も知らないくせにクウォーツに近付くなと言いたかった。だがそれは恥ずべき行為だということも知っていた。


今なら間に合う。全力で逃げれば自分だけは助かる。勿論、背後で隠れているマリアは即死であろうが。
この娘がいなくなれば。自分を何度も苛立たせたこの娘が惨たらしく死んでしまえば、楽になれるのだろうか。
この娘がいなくなれば。彼は、私を……。


……そんなこと、あるはずがない。
クウォーツは人を愛することができない男なのだと、よく分かっているはずだった。理解しているはずであった。
唯一彼の心を占め続けているギョロイアだけが例外なのだ。自分は、彼女のような存在には決してなれない。
それでもいいと……思っていたではないか。

そこで思考を中断させたリアンは頭を振ると、座り込んだまま震えているマリアの腕をぐいと己に引き寄せる。


「早く立ちなさいな、逃げますわよ!」
「え!?」
「死にたくないなら逃げろって言っているんですの!」
「はっ、はい!」

しかし腰が完全に抜けてしまっているのか、マリアはこくこくと何度も頷くだけで立ち上がれずにいるようだ。
こうなったら何が何でもこの場から逃げ出さなくてはと、リアンはマリアの腕を己の肩に回して走り始めたが。
ミノタウロスはそんな時間を与えてくれなかった。太く鋭い爪が、背を向けたままのリアンへと振り下ろされる。

……だが。その爪はリアンの前に躍り出たクウォーツの肩を掠め、彼は無表情のまま妖刀幻夢を前に突き出した。
剣はミノタウロスの眉間を貫通し、彼が勢いよく剣を引き抜くと同時に今度こそ地に崩れ落ちる。即死であった。
しんと周囲が静まり返る中、クウォーツは無言で妖刀幻夢に付着した血を落ちていたナプキンで拭い始める。


「クウォーツ……」
「?」
「肩、大丈夫なんですの?」

暫く呆然としていたリアンであったが、先程ミノタウロスの爪が彼の肩を掠めたことを思い出して駆け寄った。
クウォーツにしてはあっさりとして飾り気のない簡素な白いシャツの肩部分が小さく裂けてしまっている。
出血はしていない。破れた部分をぐいと覗き込むと、ただ服が裂けただけで、素肌には傷一つ負っていなかった。

途端に安堵と脱力感が一気に押し寄せ、クウォーツの腕に縋り付いていたリアンはその場にへたり込んでしまう。
ああ、命がいくつあっても足りない。捨て身の攻撃が多いのだ、クウォーツは。それが彼の強さの源でもあった。
……その捨て身の攻撃で、いつも誰かを守っている。

ミノタウロスが倒れたことを知ったハンター達も、リアンと同じく次々と脱力したかのようにその場に座り込む。
途端に上がる歓声。二階やレストランの入口付近で見守っていた従業員や宿泊客達が手を叩いて喜び合っていた。


「すっごーい、あんな大きな魔物を倒しちゃったのね!」
「あの青い髪した綺麗な兄ちゃん、なかなかやるじゃねぇか。動きが速すぎて目で追えなかったぞ」
「オレ、ミノタウロスなんて初めて見たぜ。早速明日、皆に自慢してやらなきゃ!」
「その前に後片付けでしょ?」


従業員はマスターの指示で早速後片付けに取り掛かり、避難していた客達も散乱している食器類を拾い始める。
残りの者達は疲労のために座り込んだままのティエル達を取り囲み、口々に感謝の礼を述べる。
彼らに向かって軽く会釈をしたティエルは、それから倒れているミノタウロスを振り返った。完全に死んでいる。

すると突然紫色の魔法陣が浮かび上がり、ミノタウロスの死体は魔法陣に吸い込まれるようにして消えてしまう。
そこへ怪我人の治療を続けていた僧侶の青年、シオンが歩み寄ってきた。


「いやあ、とんだ災難だったなぁ」
「そうだね」
「それにしてもミノタウロスなんて一体誰が召喚したんだろう。幸いにも死人は出なかったけどさ」
「うん……単なる悪戯にしては酷いよね」

シオンに問い掛けられ、ティエルは表情を曇らせながら答えたのだった。





+ Back or Next +