Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第12章 ロマンス
第139話 おやすみなさい
「……あれっ、ミノタウロスちゃん殺されちゃったみたい。おかしいなー、召喚は完璧だったんだけどなぁ」
小雨が降り続ける中、宿の屋根にちょこんと腰掛けていた美しい少女は可愛らしく首を傾げて見せる。
彼女こそがミノタウロスを召喚した悪魔族であり、混乱する人々の様子を外から面白おかしく眺めていたのだが。
どうやらミノタウロスはあっさりと殺されてしまったらしい。面白いじゃないか。これから楽しめそうである。
「まぁ、この程度で簡単に死んでもらっちゃ面白くないもんね。じわじわと追い詰めて嬲り殺してあげるから★」
肩を震わせながら顔を歪めた少女は、傍らのクマのぬいぐるみに向かって優しく語りかける。勿論返事はない。
一瞬だけ辺りを稲光が照らし、再び暗闇に戻る頃には少女の姿は忽然と消え失せていた。
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皆で手分けをしてテーブルや椅子を元に戻し、散乱した食器類を片付け終える頃には、既に日付が変わっていた。
戦いの痕跡がちらほらと見受けられるが、レストラン内は思ったよりも損壊が少ないようだ。
片付けを終えた宿泊客が椅子に腰掛けていると、マスターの計らいにより酒やつまみ、菓子などが運ばれてくる。
ミノタウロスへ勇敢に立ち向かっていってくれた客達への礼、そして片付けを手伝ってくれた客達への礼だった。
ティエルは運ばれてきた菓子類に目を輝かせ、ミノタウロスのことなどすっかり忘れてしまっているようだ。
言わずもがなジハードは良い飲みっぷりを披露しており、酒豪のハンター達と意気投合して盛り上がっていた。
サキョウは酒をしきりに勧める戦士風の男相手に断り続けていたのだが……どうやら折れてしまったらしい。
茹で上がったタコのように顔を赤くさせ、戦士風の男と肩を組んで陽気に歌っている。サキョウは酒に弱いのだ。
そしてリアンは、気に入った菓子の包みを広げながら隅の方で一人座っていた。
先程シオンと名乗る青年が話しかけにきたが、彼女が素っ気なく対応し続けていると肩を落として去って行った。
今は誰かと会話をする気分にはなれない。周囲を見回してみるが、やはりクウォーツの姿は見当たらなかった。
その時。リアンに向かってマリアという名の従業員が遠慮がちに歩み寄ってきたのだ。
煌びやかで派手なリアンとは対照的な、家庭的で控えめな印象の娘。恐らく世の男達はこんな娘が好きだろう。
勿論あのクウォーツが一般的な男と同じように思うかどうかはさて置いて、マリアの方がずっと素直で献身的だ。
顔を合わせれば嫌味を口にし、いらない世話を焼こうとする喧しいだけの女よりも彼女の方がずっと魅力的だ。
思い返してみれば自分は随分と嫌な女である。馴れ馴れしいと先程彼に言ったが、馴れ馴れしいのは自分の方だ。
「先程は、ありがとうございました」
リアンの前で立ち止まったマリアは、彼女に向かって深々と頭を下げる。
果たして自分は礼を言われるようなことをしただろうかと、思い当たる節がなくリアンは首を傾げていたのだが。
「あの時、あなたが腕を引いてくれていなかったら……私、あそこでずっとしゃがみ込んだまま震えていました」
「そんな大したことはしていませんわよ」
「いいえ。逃げようって言ってくれて、私なんかを助けようとしてくれて……本当にありがとうございました」
「べ、別に私は……それに大体ミノタウロスを倒したのはクウォーツなんですから。礼なら彼に言って下さいな」
「そう、あの時! わたしすっごい慌てちゃってさ」
「えっ?」
素直に礼を言われて柄にもなく照れていたリアンの元へ、もぐもぐと菓子を頬張ったティエルが飛び込んでくる。
「ミノタウロスがリアンに飛び掛かろうとしていて、でもリアンはその子を助けるために背を向けてたでしょ?」
「ええ……」
「やだどうしよう、って思った瞬間にね、真っ先にクウォーツが飛び出したんだよ。誰よりもね、早かったんだ」
「……」
「その時思ったんだ。ああ、もう二人とも大丈夫だなって。どうしてだか分からないけど、そう思ったんだよ」
知ってる。
彼は誰よりも速く動けるがゆえに、誰かに迫る危険をすぐに察知してしまう。そして救えるのも彼だけであった。
そのために人一倍怪我を負うことが多い。常に生傷を絶やさない。自分自身が傷付くことに躊躇いがないのだ。
以前ジハードがそんなことを言っていた。いつか、取り返しのつかない大怪我を負ってしまうのではないのかと。
「彼……クウォーツさん。あの人、凄く冷たそうに見えて……本当は優しい心を持っているんじゃないかなって。
そんな夢みたいなことを、勝手に思っているんです。私、好きになると昔から思い込みが激しくなっちゃって」
「いくらなんでもクウォーツを美化しすぎですわよ」
「そうでしょうか。カシムを挑発したのも、ひどい男なんだと私に諦めさせるために言ったんじゃないかなって」
「わ……割と半分くらいは本気で言っていたように見えましたけど、まぁ殴られたのはわざとでしょうね」
「私もそう思ってます。あんなに素敵な方ですし……元々、相手にされていないことくらい承知の上でしたから」
そう口にすると、マリアはぼろぼろと大粒の涙を溢れさせる。
クウォーツに想いを受け止めてもらえるわけがないと、勿論そんなことは初めから理解しているつもりだった。
頭でそう理解はしていたのだが、感情が追い付いてこない。涙が後から後から溢れるようにして止まらないのだ。
あの時。雨の中クウォーツを追っていくと、素っ気なく帰れと言われた。だがマリアは頑として帰らなかった。
戻るのなら一緒に戻りましょうと彼に言った。元々こんなことになってしまったのは、私が悪いんです、と。
好きでもない相手から突然好きだと言われ、相当彼を困らせただろう。その上カシムに殴られるという結果だ。
クウォーツにも、そして彼の連れの者達にも謝っても謝りきれなかった。
だが、彼はそれ以上マリアに帰れとは言わなかった。
その後まずは傘を買うために店に寄り、あの時間まで喫茶店や雑貨屋を彼の気が済むまでふらふらとしていた。
勿論他の従業員が噂をしていたような『せめて一夜だけでも共に……』なんて色気のある話などあるわけがない。
それでもマリアにとっては、とても幸せな時間だったのだ。
「……マリア!」
「?」
「怪我はないか? ああっ、ちっくしょー! 本当はオレがこんな時マリアを守ってやらないといけないのに!」
その時。泣いているマリアの元へ、橙色の髪をした青年が必死の形相を浮かべながら駆け寄ってくる。カシムだ。
ハンカチを差し出そうとしていたリアンや状況が呑み込めずに目を瞬いているティエルを気に留めることもなく、
カシムはマリアの両手をしっかりと握りしめる。
「あんな青い髪のクズ野郎なんかじゃなくて、オレだったら……絶対にお前を泣かせないから。約束する」
「カシム」
「もし今度魔物が襲ってきたとしても、オレがマリアを守る。あのクズ野郎でも勝てたんだし、オレだって!」
「ちょっとお兄さーん? その青い髪のクズ野郎ってのはさぁ、一応うちのエースなんだけどなぁああ?」
「ひぇっ!?」
急に肩に回された腕に驚いたカシムが振り返ると、酒瓶を片手にしたジハードであった。既に出来上がっている。
ジハードにねちねちと絡まれているカシムを、漸く涙の止んだマリアが笑顔で見守っていた。
呆れた表情で暫くジハード達を眺めていたリアンだったが、やがて腰を上げると静かにレストランを後にする。
あんなにも賑やかなレストランとは打って変わって、人気がなく薄暗いロビーはしんと静まり返っていた。
そこにも、クウォーツの姿はない。
彼の姿を求めて階段をゆっくりと上がって行き、更に静寂に包まれた二階の廊下を中ほどまで進んだ頃だろうか。
テラスに面した大きな窓の前で佇むクウォーツの姿を見つけた。雨は止んでおり、月明かりが彼を照らしている。
「……クウォーツ」
リアンが声をかけると、彼は驚くこともなく静かに彼女を振り返った。やはりいつもと変わらず無表情である。
初めて出会った時も無表情で。クウォーツが何を考えているのか全く分からなくて、何度も何度も彼と衝突した。
しかし実際衝突していたのはリアンの方だけで、恐らく彼は何も感じてはいなかったのだろう。
「あなたのせいで、罪なき一人の青年がジハードにねちねちと絡まれていますわよ」
「?」
「口の端、内出血の痕が残ったままじゃない。あんな最低の断り方をすれば、殴られるのは当然なんですからね」
「それを言うためにここへ来たのか。……暇なやつだな」
普段ならば『暇なやつ』という彼の言葉にリアンは眉を吊り上げ、心にも思わぬ憎まれ口を叩いていただろう。
だがいつまでもそれでは駄目なのだ。彼にとって大切な存在にはなれなくとも、せめて素直ないい女でありたい。
そう、ティエル達には素直でいられるのだ。彼に対して、ほんの少しずつでも変わっていかなければならない。
「……ごめんなさい、クウォーツ」
「?」
「食事のときに八つ当たりをしてしまって。私、この町に来てから空回りばかりで……でも、もう大丈夫ですわ」
クウォーツの前まで歩み寄ったリアンは、嘘偽りのない本心からの言葉を口にした。
言う前までは大きな勇気を必要とした言葉であったが、一度声に出してみると案外素直に言えるものだと思った。
いつになく素直な態度のリアンに、硝子のように薄い色の瞳をぱちりと瞬いたクウォーツは少しだけ首を傾げる。
「この町に来てから、貴様が一体何を気にしていたのかは知らないが」
「え?」
「私に吐き出したことで、吹っ切れたのならそれでいい」
そう言ったクウォーツは、思い出したように胸ポケットから小さな包みを取り出すとリアンに向けて放り投げた。
慌てて両手で受け取ったリアンだが、この簡素な包みには全く覚えがない。
「これ、一体なんですの?」
「偶然見つけた」
「偶然ってあなた……」
偶然見つけた、ではあまりにも答えになっていない。普段のように文句を言おうとして、リアンは口を閉ざした。
少し素直になろうと決めた矢先に憎まれ口を叩いてはいけない。とにかく、まずは包みを開けることが先である。
がさがさと古びた包装を開くと……中に入っていたのは、見覚えのある可愛らしい小さな天使の硝子細工だった。
確かレストランのテーブルに置かれていた天使の硝子細工と同じものだ。
クウォーツから目を逸らすために見つめていた硝子細工だった。だが端の方が大きく欠けてしまっているようだ。
何故硝子細工を見つめていたのかと彼から問われ、可愛いから欲しい、と嘘をついて誤魔化したことを思い出す。
「欲しいって言っていたこと……覚えてくれていたんですのね」
「胸ポケットに入れていたのが失敗だった。先程の戦いの衝撃で欠けたのかもしれない。捨てておいてくれ」
「……ううん、いいんですの。これがいい」
「?」
「私は、この、……欠けた硝子細工がいいの」
切っ掛けは何であれ、クウォーツが初めて買ってくれたものだ。
大きく欠けていたとしても、ひびが入っていたとしても、たとえどんなものであっても嬉しくないわけがない。
勿論クウォーツのことだ。そこに愛なんて込められているわけもなく、本当にただ偶然見つけて買ったのだろう。
それでもいい。それでも一生大切にしよう。
幸せそうに硝子細工を両手で包み込むリアンを暫く眺めていたクウォーツだったが、そうか、と小さく呟いた。
この町に来てからリアンは随分とクウォーツに振り回されていたと思っていた。しかし、それは違うのだ。
彼はリアンを振り回してはいない。彼女の想いに気付いていないだけだ。そして永遠に気付くことはないだろう。
……クウォーツに見返りを求めてはならない。決して同じように愛情を返してほしいと願ってはならない。
「それじゃ、私。もう寝ますわね。さすがのあなたも今日は疲れたでしょう、早く休みなさいな」
「ああ」
「おやすみなさい」
返事はなかった。元々返事など期待はしていないが。
クウォーツはリアンから視線を外し、窓の外へと顔を向ける。そして、再び彼女に視線を向けることはなかった。
リアンも振り返ることもなく薄暗い廊下を歩き始める。彼は近いようでとても遠い存在。これでよかったのだ。
辺りに静寂が戻る。リアンが去った後でもクウォーツは表情を変えることもなく、窓の外を眺め続けていた。
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