Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド

第140話 サキョウの里帰り -1-




ミノタウロスの襲撃から二日が経った。
一週間ほど降り続けていた激しい雨はその日の深夜にはすっかりと上がっており、長い雨季が漸く明けたのだ。
早速町に出たティエル達は旅に必要なものを購入し、そして部屋も整理しつつエルキド行きの準備を進めていた。

そして現在。ティエル達を乗せた船は港町ティークバウムを出港し、サキョウの故郷エルキドへと向かっている。
時刻は清々しい潮風の吹く早朝だ。天気も良く、甲板に出ている旅人達もちらほらと見受けられる。
ティエルとリアン、そしてサキョウの三人は甲板のベンチに腰掛けながら他愛のない話を続けていたのだった。


「そういえばリアン、ティークバウムではずっと塞ぎ込んでいたみたいだけど……少し元気になったみたいだね」
「うむ。普段は賑やかすぎるリアンが静かだったのは、却って不気味だったな!」
「……悩んでいても解決しませんし、仕方がないなって思ったんですのよ。吹っ切れたわけではないですけど」

「で、一体何を悩んでいたのだ? ワシらでよければ話してみい」
「うん、わたしも聞きたい!」
「そんなに大した話ではないですわよ……もう、ティエルったら絶対に面白がっていますわね!?」

リアンが悩むほどの問題に興味があるのか、ティエルとサキョウは興味津々といった様子で彼女を見つめてくる。
ふざけて腕を振り上げて見せると、リアンが怒ったーとティエルはきゃっきゃと逃げ回り始めた。
元気のない自分を元気づけようとしてくれているのだ。その様子を眺めながら、リアンは微かに笑ったのだった。







一方。リアン達とは反対側の甲板では、クウォーツが今はもう見えぬ港町ティークバウムの方角を見つめていた。
潮風でさらさらと揺れる青い髪。軽く手櫛を入れてから、彼は懐から封の破られていない白い封筒を取り出す。
相変わらずの無表情で暫く封筒を眺めていたクウォーツだったが、やがて読まぬまま破り捨てようと手を掛ける。


「あれ? 読まずに破り捨てちゃうのはどうかなー。その手紙、あの従業員のマリアって子から貰ったんだろ?」

背後から聞こえる、のんびりとしたジハードの声。
厄介な人物に見られてしまった、と。クウォーツは手紙を破きかけていた手を止めてゆっくりと背後を振り返る。
案の定ジハードが胡散臭い笑顔を浮かべて立っており、クウォーツの隣まで歩み寄ると手摺りに寄り掛かった。


「あ。貴様には関係ないだろって顔してるね。まぁ、確かにぼくには関係ないといえばないけどさ」
「……」
「人の真剣な気持ちは邪険に扱っちゃ駄目だよ。どうせ暇なんだから、手紙くらいは目を通してあげろって」

本心の見えない笑みを浮かべながら、ジハードはクウォーツの肩に自分の肘を乗せてくる。はっきり言って重い。
お節介なやつだとクウォーツは声に出さずに呟くと、破りかけた手紙に軽く目を通し始める。
港まで見送りに来たマリアから渡されたこの手紙には、迷惑を掛けてしまった数々の非礼に対する丁寧な詫びと、
そしてクウォーツに対する嘘偽りのない本心からの好意も綴られていた。……夢のような一週間でした、と。


『また……会えますか?』

出発時に、彼女はそんなことを言っていたような気がする。もう二度と会えないと分かっているはずなのに。
眉一つ動かさずに手紙を読み終えたクウォーツは、今度こそびりびりと破り捨てる。
結局彼女がどういう心境で気持ちを伝えてきたのか、クウォーツには最後まで理解することができなかったのだ。

「……分からない」
「うん?」
「好きだと言われ、抱こうとすれば……惨めになると言われた。それならば何故好きだと言ったのだろう」

「相変わらずあなたは乱れた性生活を送ってきてるねぇ。まぁ、案外愛情ってやつは単純なものではないんだよ」
「?」
「そんなに真顔で首を傾げないでよ。いつかはあなたにも、この感情を分かってほしいな」


恐らくクウォーツの無感情は後天的なものだろうとジハードは考えている。
感情を失わざるを得なかった彼の人生は、どれほど壮絶だったのだろう。記憶を失くしていると言っていたが、
心が完全に壊れてしまう前に彼自身の防衛本能が無意識のうちに働き、あえて記憶を全て失ったのかもしれない。

ただ一人の親友と呼べる存在のクウォーツの境遇を思うと、ジハードの心は得も言われぬ痛みを感じたのだった。







「おおーっ、見えてきたぞ我が故郷が!」

弾んだ声を発しながら船の手摺りから身を乗り出しているのは……ティエルではなくサキョウ。
普段はティエルを注意する立場であるサキョウが、己の立場も忘れて童心に返っている様子はどこか微笑ましい。
段々と近付いてくる大きな港を指さし、懐かしい光景に涙を浮かべている。それにしても変わった作りの建物だ。

島国エルキド。
島国と表現するにはあまりにも広大だが、大陸と表現するには少々規模が小さな、独特の文化栄える国家である。
四季の美しさ、彩りや栄養が考えられた料理、建築や服装など、その文化に惹かれてエルキドに渡る学者は多い。


「里帰りは本当に久々だ。本来の目的はイデアのジェムを探すことだが……暫くゆっくりしてもいいだろう?」
「わたし、露天風呂に入ってみたーい! 外にあるバスルームって全然想像がつかないよ」
「それなら私は着物や浴衣とやらを着てみたいですわぁ。うふふ、この私に着こなせない服はないんですから」

「うわー、完全に観光客気分丸出しなんだから。あなた達は割とすぐに目的を忘れるからなぁ」


はしゃぐ三人を呆れがちに眺めているジハードだが、彼の手に握りしめられている雑誌は『エルキド味百選』だ。
その本を目にしたクウォーツは何か言いたそうな目付きで彼に視線を向けたが、やがてふいと視線を外した。

サキョウにとってエルキドは懐かしい故郷であるのと同時に、母を惨殺された残酷な記憶が蘇る場所でもある。
だが彼は満面の笑顔でティエル達に故郷の素晴らしさを語っていた。暗い表情など欠片も見せない。
心から里帰りを喜んでいるのだ。決して悲しくないわけがない。だが、いつまでも悲しんでいては前に進めない。


「父であるモンジ=タチバナは道場を営んでおってな、ワシもかつては多くの門下生と共に暮らしていたのだ」
「その門下生さん達の中にいい男がいたらいいんですけどねぇ。黒髪黒目の美男子とか素敵じゃありません?」
「またー、リアンはそればっか!」

「美男子とやらはどうだろうなぁ。ワシの親友である師範代のトガクレはいい男だぞ? 昔からモテておった」
「きゃーっ、楽しみですわねぇ」

そんな他愛のない会話を続けている間にも船はゆっくりとエルキド港へと進んでいく。
次々と下船する旅人達の後に続いて、サキョウ達もまたエルキドの地を踏んだのであった。





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