Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド

第142話 サキョウの里帰り -3-




掃除担当である若者コウは、庭の掃除を終わらせてからお伺いします、と礼儀正しく頭を下げて去って行った。
サキョウとヤイバを先頭にして綺麗に整備された中庭を抜けて玄関へと向かう。
庭には季節の花々が植えられており、サキョウの父であるモンジが大切にしている盆栽が所狭しと並んでいた。

昔は遊んでいる最中によくこの盆栽を壊してしまっていたものだ。その度に父の拳が飛んできたことを思い出す。


「何だかんだ言ってもモンジ師範もいい歳だからな……サキョウやゴドーがいなくて実は寂しがっているんだぜ」
「父上が?」
「ああ。お前が帰ってくるとそわそわとしてすげぇ嬉しそうだし、帰っちまった後の数日は本当に溜息ばっかだ」
「頑固で弱音を全く吐かぬ、あの厳しい父上が嬉しそうだと? ううむ、ワシには信じられぬよ」


玄関へと辿り着くと、ヤイバはさっさと草履を脱ぐと、師範に伝えてくる、と言って廊下を走って行ってしまう。
サキョウも同じく靴を脱ぎかけ、そこで初めてティエル達が首を傾げてその行動を見つめていることに気が付く。
……そうだった。ティエル達には靴を脱ぐという風習がない。靴を脱ぐときは眠る時と風呂に入る時だけなのだ。


「サキョウ、靴なんか脱いで何やってるの?」

「そうそう言い忘れておったが、エルキドでは家の中に入る時は靴を脱ぐのだ。土足で歩いてはならんのだよ」
「なんで?」
「わはは、なんでと言われてもそういう風習なのだ。ほれ、この戸棚に靴をしまってくれ」

古く湿った木の匂いが強い玄関にて、サキョウは手本を見せるべく脱いだ靴を玄関脇に設置された戸棚にしまう。
初めて接する異文化の様子に、ティエルはきょろきょろと周囲を見回しながら己のブーツを脱ぎ始めた。


「そうだ。靴を脱ぐんだったら、家の中で落としたお菓子も綺麗だから食べられるんだね。砂も付かないし!」
「どちらにしろ、ティエルは落としたお菓子をいつも食べているじゃないですの。あまり変わりはありませんわ」
「そ……そんなことしてないもん!」
「うふふ、していましたわよぉ。昨日の朝食に落としたドーナツ、少し砂を払って食べていたじゃない」
「あれは落としたうちに入らないからいいの!」

靴を脱ぎながら騒いでいるティエルとリアンを後目に、元気だなーと呟きながらジハードも腰掛けつつ靴を脱ぐ。
確かにティエルは落としたドーナツを食べていた。まあ落とした程度で菓子を捨ててしまうのは勿体ないと思う。
皆が靴を脱いでいる中で、クウォーツだけは思うところがあるのか、なかなか動き出さなかった。


「どしたの、クウォーツ。派手な靴下でも履いてんの」
「敵襲があったらどうする」
「うん?」

「靴下では走り出す時に滑って転ぶだろ」
「うん……」
「私の最大の武器は踏み込みによる素早さだ。わざわざ靴を脱いで弱点を曝け出すわけには」

「あなたは割と真顔で冗談かます時があるね。そんな心配しなくていいから、早く脱いだ脱いだ」
「真面目に言っている」
「だからって、いくらなんでも土足で上がるのはまずいだろ。サキョウのパパはなかなか厳しい人みたいだし」
「……」


ジハードから諭されても暫く無言で葛藤を続けていたクウォーツだが、観念したのか渋々と革靴を脱ぎ始める。
全員が靴を脱ぎ終わったことを確認したサキョウは、庭に面した板張りの長い廊下を進んで行った。

そこへ、こちらに向かって静かに歩いてくる人影があった。歩き方に隙がなく、どうやら相当の手練れのようだ。
年齢はサキョウよりも若干年上だろうか。艶やかな黒髪を長く伸ばした細面の男である。
サキョウの前までやってきた男は懐かしそうに笑い、彼らは言葉を交わすこともないままがっしりと抱き合った。

サキョウの幼なじみでもあり、タチバナ道場の師範代を務めるトガクレ=キサラギである。


「トガクレよ。長い間連絡を寄越さず、すまんかったな」
「……よく帰ってきた、サキョウ。サクラやアヤメもお前の帰りをずっと待っていた。勿論、モンジ師範も」

「三年経ってもお前はちっとも変わらんなぁ。その細い眉も、神経質な顔も昔からちーっとも変わっておらん」
「サキョウこそ。幼い頃からの老け顔も、漸く年齢に追い付いてきたぞ」
「わははは、大切な幼なじみに対して老け顔とは酷いではないか! お前も昔は泣き虫鼻たれ小僧であったのに」

「昔……近所のガキ大将に苛められていたオレを、お前はよく助けてくれたな。お前はいつでもオレの憧れだよ」
「かつての泣き虫鼻たれ小僧が、今では師範代ではないか。トガクレ、ワシはお前を誇りに思うぞ!」


肩を組み、笑い合うサキョウとトガクレ。
二人の姿を眺めて笑顔のティエルの隣では、リアンが『トガクレさん、素敵なおじさまですわぁ』と呟いていた。

一頻り再会を喜び合うと、トガクレは名乗りながらティエル達に向かって深々と首を垂れる。
クウォーツの姿を目にすると一瞬だけ顔が強張ったトガクレだったが、サキョウの連れだということもあって、
特に非難めいた台詞などは何も言うことはしなかった。それは先程出会ったヤイバやコウも同じであった。

トガクレとサキョウの後に続いて庭に面した長い廊下を歩き続けていると、やがて広い座敷へと通される。
そこには、白髪を短く刈り上げた気難しい顔付きの老人が、背筋をしゃんと伸ばして正座をして待っていた。
老人とは思えぬほどがっしりとした体格に太い眉。まだまだ己は現役であると、精気が満ち溢れている男である。


「モンジ師範、失礼いたします。サキョウが戻って参りました。彼の友人達も一緒です」
「父上、只今戻りました! 勿論父上のお好きな、カドヤのよもぎ団子も土産にお持ちしました……」


一礼をしたトガクレは身を引くと、サキョウにちらりと目配せをする。
本来ならば里帰りの前にモンジ達に向けて手紙を書くべきだったが、手紙が届くよりもサキョウ達が到着する方が
明らかに早いだろう。手紙は届くまで最低でも一月は時間を要するのだ。それでは手紙を送る意味がなかった。

だが、父モンジにだけは先に伝えておかなければならなかったことがある。それをサキョウは失念していたのだ。
険しい表情で振り返ったモンジは、よもぎ団子を手にしたサキョウには視線すらも合わせずに飛び掛かってきた。
武術の達人というだけあって衰えを感じさせられない機敏な踏み込み。標的は勿論悪魔族のクウォーツであった。


「穢らわしき淫魔め、よくも白昼堂々と姿を現せたな! このワシの手で引導を渡してやるわ……!」
「お待ち下さい父上!」
「ええい、邪魔をするかサキョウ!?」

モンジは怒りの形相でクウォーツに掴み掛ろうとするが、サキョウが割り込むかのように二人の間に立ち塞がる。
彼の背に守られるようにして立つクウォーツは、己が標的だというのにまるで他人事のように眺めていた。


「この青年は母上を殺害した悪魔族ではありませぬ!」
「それがどうしたというのだ、淫魔など皆同じ。全ての悪魔族を根絶やしにするという誓いを忘れたのか!?」
「……決して忘れたわけでは」
「ならば何故じゃ!」

「父上。ワシは決して悪魔族に対する憎しみが消えたわけではありませぬ。そして消えることもないでしょう。
 しかし種族という理由だけで、全ての悪魔を否定し続けてもいいのだろうかと……そう思い始めているのです」

「何を世迷い事を」
「人間に色々な者がいるように、悪魔族にも色々な者がおります。ワシにとって、彼は大切な仲間の一人です」


睨み合う父と子。ともすれば気圧されそうになるほどの気迫を備えているモンジだが、サキョウは全く動じない。
ティエル達ははらはらとした表情で、ただ成り行きを見守っていることしかできなかった。
双方の気持ちが痛いほど理解できるためだ。サキョウの言い分も、そして勿論モンジの言い分も十分理解できる。

そんな緊迫した雰囲気の二人の間に入ったのは、トガクレであった。


「モンジ師範、サキョウにはサキョウの考えがあるのでしょう。もっと彼を信じてもいいのではないでしょうか」
「なんだと?」
「あれほど悪魔族に対する憎しみに囚われ続けていたサキョウが仲間と呼ぶ悪魔族……興味深いではないですか」
「……」

トガクレの言葉に、モンジは確かにそうかもしれない、とサキョウを見つめる。
エルキドを出る前のサキョウは母親を殺された憎しみに囚われ、モンジが不安に思うほど復讐に身を捧げていた。
それが一体何だ。突然里帰りをして悪魔族を連れてきたかと思えば、大切な仲間だと? 笑えない冗談だった。

そこまでサキョウに言わせる肝心の悪魔族の青年は、まるで興味がなさそうな態度ではないか。
男とは思えぬ美貌の持ち主だが、人間味があるわけでもない。他の悪魔族と違いがあるようには見えなかった。
サキョウを信じていないわけではない。ならばこの悪魔族を見極めてやろうと、モンジはくるりと背を向ける。


「……サキョウよ、何をぼさっとしておるのじゃ。四人の客人達が先程から立ちっぱなしではないか」
「父上、ありがとうございます!」


悪魔族に対して深い憎しみを持つモンジが、クウォーツを含めて『四人の客人達』と言ったのだ。
先程から続いていたぴりぴりとした緊迫した雰囲気が漸く薄れ、サキョウはモンジに向かって深々と頭を垂れる。
一時はどうなることかと不安げに見守っていたティエル達に向けて、トガクレは心配はいらないと笑顔を向けた。

「大丈夫。……師範はあんなことを言っているが、本当はサキョウのことを誰よりも思い、信じているんだ」
「トガクレさん」
「サキョウからの文はないのか、帰ってくるのはいつなのかと、もはや口癖になっているしな」


「客人達よ、遠路遥々エルキドまでよくぞ来られた。長い船旅でさぞかし疲れたじゃろう……腰を下ろしてくれ」

モンジが腰を下ろすことを促すと、普段は胡坐や立て膝を突いて腰を下ろすジハードは自然な動作で正座をした。
エルキドでの正式な腰の下ろし方を知らないティエルやリアンは、彼に倣って同じように膝を揃えて腰を下ろす。
そしてクウォーツは皆に倣って腰を下ろすことはせず、障子の端に立ったまま寄り掛かるだけであったが。


「モンジ父上。お伝えするのが遅くなりましたが、ワシは現在訳あってこの者達と旅を続けておりまして」
「旅を? お前、モンク僧の修業はどうしたのじゃ。それにしても年若い者達ばかりではないか」
「確かに若者達ですが、正直ワシの方が教わることも多く……己がまだまだ未熟者だと痛感している日々です」
「……」

「ベムジンでの修行も大切ですが、この旅の経験はワシにとって、何ものにも代え難い修行だと思っております」


モンク僧の修業以上に大切な修行などあるものか、とモンジは思わず眉を顰めた。
しかし穏やかに話す息子の表情を眺めていると、復讐に燃えていた頃よりもずっと晴々としているように見える。
周囲の制止も聞かずに生まれ育った故郷を飛び出し、ベムジンへと旅立ったあの頃よりも、ずっと。

そんなことをモンジが考えていると、急に廊下が騒がしくなる。どたどたと足音が向かってきているようだ。
障子に寄り掛かっていたクウォーツが廊下に顔を向けると同時に、茶の乗った盆を手にした女が飛び込んでくる。

薄桃色の着物を膝上までたくし上げ、ぼさぼさの黒髪を頭上で簡単にまとめているサキョウと同年代の逞しい女。
どこからどう見ても健康的で、生気に満ち溢れている。表情からも気の強さが一目で見て取れた。
乱暴に運んできたために茶があちこちに飛び散っており、湯呑みの中身は既に半分ほどになっているようだった。


「サキョウが友達を連れて帰ってきたんだって!? 茶を持ってきてやったよ!」

よく通る大きな声で快活に笑った女は、唖然とするティエル達を気にも留めることもなく次々と茶を配っていく。
勿論、勢いよく茶を置いた拍子に若干中身が飛び散っていた。
畳に染み込んでいく茶を眺めてから、サキョウは女へと顔を向けると幸せそうな笑顔を浮かべながら口を開いた。


「ははは。サクラ、お前も相変わらずだなぁ。ちーっともガサツが直っておらぬ」
「やだねぇ、何言ってんのさサキョウ。久々に会ったってのに、第一声がそれかい? この脳筋ゴリラ!」
「の……脳筋ゴリラは酷いではないか……」

豪快に笑い続ける彼女には、さすがのモンジも厳しく注意はできないらしく、眉を顰めて腕を組んでいるだけだ。
ある意味この道場で一番強いのは彼女かもしれない……とティエル達は思ったのであった。





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