Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド

第144話 サキョウの里帰り -5-




サキョウやコウの案内で道場周辺の観光地を散歩していると、やがて日が暮れてくる。
ティエル達にとっては目に映るもの全てが珍しく、次々と二人に質問し、彼らの解説に興味深く聞き入っていた。
瓦、鳥居、提灯、芸者、寿司などなど、この数時間で覚えたエルキドの単語は様々で、ティエルは大興奮である。

日も暮れてきたので一度道場に戻ると、食事の時間まで『露天風呂』に行って来いとサクラから勧められたのだ。
屋外の風呂。しかも男女が同じ風呂に入る混浴風呂というものも存在しているという。

エルキド人は意外に大胆だとリアンは頬を上気させていたが、現在向かっている露天風呂は混浴ではないそうだ。
そして残念ながら、いや予想通りだが……露天風呂の誘いを、クウォーツからはあっさりと断られてしまった。
文字通り『裸の付き合い』で、彼と腹を割って会話ができるいい機会だとサキョウは期待していたのだが……。


「これが露天風呂かぁ。ねぇねぇリアン、エルキドのお風呂って素敵だねー!」

もうもうと立ち込める湯煙。大きな石を削って作られた広い浴槽は、旅の疲れを癒してくれるように思えた。
時折吹く風は心地よく、火照った顔を優しく冷ましてくれる。
はらはらと落ちてきた葉が浮かぶ湯船に浸かりながら、ティエルは長い髪を洗っているリアンへと顔を向けた。


「わたし、このままエルキドに住んでもいいかなって思っちゃった。サキョウの故郷、とっても素敵な国だね」
「何を言っているんですのよ、観光ならともかくずっと住むのは嫌ですわぁ」
「なんで?」
「私、正座が苦手なんですのよ。サキョウのパパのお話を聞いていた時も、足が痺れて痺れて大変でしたわ」


ぶつぶつと文句を口にしながら髪を洗い続けるリアンをぼんやりと眺めていたティエルだったが、
彼女の腕の動きに合わせてメロンのような豊満な胸がゆさゆさと揺れている。改めて目にすると物凄い迫力だ。
しかし決して太いというわけではなく、ウエストはとても細く、腰は悩ましげな肉感的な曲線を描いている。

女である自分ですら釘付けになってしまうほどの女性的な魅力が溢れている身体だ。同じ女とは思えなかった。
服の上からでも十分魅力的であることが察せられたが、やはり生で見ると迫力が桁違いである。
残念ながらティエルは一般的な十六歳の身体に比べるとやや幼い。胸もウエストも腰回りもほぼ同じサイズだ。


「いいなぁ、リアンは……女らしくてさ」
「え? ああ、このGカップのことですの? これだけ大きいと肩が凝りますわよぉ」
「Gカップ!? なにそれ、胸のサイズってGまであるの!?」
「うふふ。ティエルはまだまだ成長期ですから、きっとこれからBくらいまでは成長しますわ」

そう言いながらリアンは胸を重たげに揺らせて見せる。思わず誰もが顔を埋めたくなる衝動に駆られてしまう。

こんなに魅力的な身体の持ち主が近くにいるというのに、周囲の男達はリアンをあまり女扱いしていないのだ。
純情なサキョウや無感情のクウォーツはともかく、ジハードも女性に興味がある態度をただ演じているだけで、
実際は殆ど興味がないように見える。不健康な男達ですわ、とリアンは溜息と共に肩を落としたのだった。







一方男湯では、サキョウとジハードが湯に浸かりながら他愛のない雑談を続けていた。
客は少なく貸し切り状態である。こんなにも広い露天風呂を自由に使えるとは、なんて贅沢なのだろうと思う。
タオルを頭の上に乗せたサキョウは実に上機嫌だ。湯にタオルを入れてはならないというルールがあるらしい。


「やはり故郷の風呂は落ち着くなぁ。外の景色をゆっくりと眺めながら、季節の移り変わりも堪能できるのだ」
「確かに風情があるけど、全身刺青だらけの身としては割と人目が気になるんだよ。人がいなくて良かったかも」
「……それにしても前々から思っていたのだが、凄い刺青だな。彫る時は痛くなかったのか?」

ジハードの全身には見事な刺青が彫られている。左腕や右腿には昇り龍、右腕には民族的な模様など様々である。
それが彼にはよく似合っているのだが、刺青というものは肌に針や刃物で傷を付けて色素を流し込むのだという。
考えただけでも恐ろしい。美しいとは思うが、自分は絶対に刺青は入れないと思うサキョウであった。


「そりゃあ痛かったよ。……幼い頃は泣き叫んでいたし」
「ならば無理に刺青を彫らんでもよかったのではないか? しかもそんな幼い頃から……」
「でもほら、ぼくは異端の子だったからさ。魔除けの刺青を、誕生日を迎えるごとに入れなきゃいけなくてさ」
「そ、そうか」

想像していたよりも話が重かった。ジハードの故郷では『異端の子』は災いを運んでくると言い伝えられている。
魔除けの刺青を彫ったからといって、何が変わることもない。災いを運ぶなどという言い伝えは単なる迷信だ。
聞いたことを若干後悔したサキョウだが、ジハード本人は実にあっけらかんとしていて気にしている様子はない。

そんなジハードに向かって手を伸ばしたサキョウは、彼の白髪をわしゃわしゃと掻き回すようにして頭を撫でる。
突然乱暴に頭を撫でられる形になったジハードは驚いたように目を丸くさせていたが、子供扱いしないでよ、と
どこか照れたように唇を尖らせた。その動作がやけに幼くて、サキョウは思わず笑いを吹き出してしまう。

「わはは! 子供扱いするなと言われても、ワシから見ればお前もクウォーツも殆ど息子みたいな存在だぞぉ?」
「まだそんな年齢じゃないだろ。言ってることが既に隠居してるおっさんだよ……」







入浴後、道場に戻ったティエル達はサクラとアヤメの手料理を存分に満喫した。
エルキドは生魚を使った料理が中心であり、生魚を食する機会のないティエル達にとっては全てが物珍しかった。
刺身、酢の物、煮魚、茶そば、茶碗蒸し……どれも絶品で、ジハードは是非レシピが知りたいと口にしていたが。

ただ一つ困ったことは、エルキドにはフォークとナイフが存在しないことであった。
箸と呼ばれる二本の短い棒を使って食べるのが一般的だと、サキョウが教えてくれた。エルキド人は器用である。
勿論ティエルやリアンもサキョウの真似をしながら『箸』を使用したのだが、ぼろぼろと落としてばかりだった。

だが『箸』はジハードの故郷でも使われているらしく、彼は顔色一つ変えずに上手く使っている。
そしてその隣のクウォーツは、案の定華麗に『箸』を使いこなしていた。やはり彼は、全てに対して器用すぎる。


一方ティエルは、箸の使い方を丁寧に教えてくれている隣の席のコウと意気投合しているようだ。

「へぇー、コウくんって十歳の頃からここで武術を習ってるんだ」
「うん。十歳からこの道場でお世話になっているから、かれこれ八年かな。でもまだまだ一人前とは呼べないよ」
「武術の道って険しいんだね。わたしもいつかは一人前の剣士になりたいなー」

メドフォードで暮らしていた頃はガリオンが剣術の師匠であったが、今は完全に独学になってしまっている。
現在目指している人物はクウォーツだ。しかし、彼の剣技とガリオンから教わった剣技はあまりにも違っていた。


「お嬢ちゃんよ、上達するにはまず目指すべき師匠が必要だぜ。オレもいつかはモンジ師範を超えてみせるぜぇ」
「ヤイバ先輩、酔っぱらってべろべろですよ! ティエルちゃん気を付けて、この人酔うと脱ぎ始めるんだ」
「きゃーっ、ヤイバったら乙女達の前で汚いもの見せないでよぉ!」
「……目指すべき師匠、かぁ」

顔を真っ赤にさせながら上機嫌で脱ぎ始めるヤイバを、コウとアヤメが慌てて隣の座敷へと引っ張っていく。
だがティエルの目には既にヤイバは映っておらず、彼の台詞を噛み締めるように頭の中で何度も繰り返していた。
確かに最近剣の技術が伸び悩んでいる。まだまだ未熟なティエルの独学では、成長には限界があるようだ。

強くなるためには、守り抜くためには、師が必要なのだ。もう二度と、祖母やゴドーのように失わないためにも。







ティエル達に用意された部屋は、東の離れに位置する『東の間』であった。道場からは渡り廊下で繋がっている。

綺麗に並べられた四組の布団の一つに、ティエルは背筋を伸ばした状態で正座を続けていた。
広々とした印象の座敷であったが、さすがに大きな布団を四組も並べて敷いていると若干狭さを感じさせられる。
サキョウは自室で寝泊まりをすると言っていたため、この部屋は彼を抜いた四人で使用することになったのだ。

現在サキョウやジハードは、トガクレやヤイバを交えて先程の座敷で晩酌を続けている。酒飲み達の夜は長い。
リアンはサクラの手伝いを申し出ており、洗い物をしている頃だろう。
ちなみにティエルも張り切って申し出たのだが、皿を割る常習犯である彼女はリアンから止められてしまった。

一方、露天風呂を断っていたクウォーツは只今風呂を借りて入浴中だ。そしてティエルは彼の帰りを待っている。
そろそろ正座をしている両足が痺れてきた。慣れない座り方をしているのだから当然だ。
別に正座をして彼を待ち続ける必要はないのだが、エルキドの由緒ある座り方で待つ方がしっくりときたのだ。


その時。微かな足音が聞こえ、濡れた青い髪をタオルで拭きながらクウォーツが姿を現した。

真剣な表情を浮かべながら正座を続けるティエルに首を傾げるが、すぐに興味を失ったようでふいと視線を外す。
普段は白皙の肌をしている彼も、さすがに風呂上りは多少血色が良いように感じられた。石鹸のいい香りがする。
そしてやたらと色っぽい。……いや、こんなことを観察するために彼を待っていたわけではない。本題に入ろう。

「クウォーツ」
「?」
「お願いがあります」
「断る」

「あのね実は……って、もう断っちゃうの!? わたし、まだ何も言っていないんだよ? 最後まで聞いてよ!」
「聞かなくとも大体想像がつく」
「えっ?」
「私から剣を教わりたいんだろ」

見透かされていた。それにしても何故分かったのだろう。クウォーツの前でそんな素振りを見せていただろうか。
しかもきっぱりと断られてしまった。だが彼がそう答えることも想定内だ。簡単に彼が首を縦に振るわけがない。
肝心のクウォーツは会話は終了とばかりに既にティエルから視線を外しており、タオルで髪を乾かしている。


「どうして」
「?」
「どうして、剣を教えてくれないの? わたしはまだまだ未熟だ。自分一人だけで上達するには限界がある」
「……」

「強くなりたいんだ。もう二度と大切なものをこの手から失わないように、みんなを守れるように強くなりたい。
 でも今のままじゃ……魔法も体術も使えない、剣の腕じゃクウォーツの足元にも及ばないただの足手まといだ」


高い魔力を持つリアン、格闘技の達人であるサキョウ、強力な攻撃もサポートもバランスよくこなすジハード。
そして圧倒的な剣技と素早さ、冷静な状況判断、更には召喚魔法や黒魔術も自在に操るクウォーツ。
封魔石イデアを所持しているとはいえ、完全に使いこなしているわけではないティエルは中途半端な存在だった。

これでは大切なものを守ることなど到底不可能である。強い意思とは裏腹に、技量が全く追い付いていないのだ。

素っ気ないクウォーツの言葉にもめげずに、真摯な表情でじっと彼を見つめるティエル。
その声に彼は髪を乾かす手を止め、無表情のまま顔を向ける。勿論、薄いアイスブルーの瞳に浮かぶ感情はない。
彼がこれほど剣の腕を磨き続け、強さを求めた理由をティエルは知らないが、単なる趣味の範疇ではないはずだ。


「ならば、尚更教えるわけにはいかない」
「だからどうして!?」
「お前と私は、強さを求める理由が決定的に違う。お前は誰かを守るため、国を取り戻すために剣を握っている」
「……じゃあクウォーツは、何のために剣を握るの?」

「私は」

ティエルから問い掛けられ、クウォーツはそこで言葉を止めて己の手の平に視線を落とす。
女のように滑らかで繊細な右手の平と比べて、彼の左手の平は長い年月剣を握り続けたために随分と痛んでいた。
誰よりも強くなって誇りたいわけではなく、強くならなければ生きていけなかった。強くならざるを得なかった。

「私は自分を守るために剣を握る。戦う力を持たない悪魔族が生きていけるほど、この世界は甘くはない」
「クウォーツ……」

「一度剣を握ったからには、確実に相手を仕留める。如何にして一撃で致命傷を狙えるか、それが私の戦い方だ」
「……」
「相手を確実に仕留める覚悟がお前にあるのか。私から剣を教わるということは、そういうことだ」


確かにクウォーツの言うとおりであった。その覚悟があると胸を張って言えるのかと言えば……嘘になる。
できれば誰も傷付くことのないような幸せな未来を望んでいた。だが、それは単なるティエルの夢物語であった。
そもそもゲードルから国を取り戻すといった目的が、誰一人として傷付けずに達成できるはずがない。

多くの者が傷付くだろう。多くの者が死ぬかもしれない。それでも、誰も傷付けたくないと言っていられるのか。
己の手を汚さなくてはならない時もある。……いつまでも甘いことを言っているわけにはいかなかった。





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