Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド

第145話 サキョウの里帰り -6-




「クウォーツから見たら、わたしなんて甘ったれたことを言ってる小娘だと思う」
「……」
「でも、手を汚さずに国を取り戻せるとは思ってない。わたしは強くなりたい。役立たずのままは嫌なんだ!」


ティエルの茶色の瞳と、クウォーツの薄青の瞳が見つめ合う。いや、睨み合うといった表現が正しい。
先程彼女は己のことを『役立たず』と称したが、確かに戦闘では他の面々には後れを取っているのかもしれない。
しかし彼女の直向さや天性の明るさに救われている者達も多い。だからこそ、封魔石も彼女を選んだのだろう。

暫く沈黙したまま睨み合っていた二人であったが、先に口を開いたのはティエルではなくクウォーツの方だった。


「私がお前に教えられることは、攻撃の仕掛け方。急所の位置。引くタイミング。その程度だ」
「それじゃあ……!」
「少しはお前の言う、守るための剣とやらの役に立つかもしれない。けれど、一切容赦はしない。そのつもりで」
「望むところだよ。どんなに厳しくても、わたし絶対にへこたれないからね! ありがとう、クウォーツ!!」


ガリオンとの特訓は、ティエルが怪我をした時点で即刻終了であった。それが単なる打撲や擦り傷であっても。
勿論それは姫君である彼女を大切に思うからこそであり、本来であれば怪我をさせること自体が大罪である。
怪我をした時点で即刻特訓を終了させたのは、ガリオンの甘さでもなんでもなく、彼の精一杯の譲歩だったのだ。

その点、クウォーツは本当に容赦がない。そしてティエルも、最初から彼に甘さなどは求めてはいない。
ティエルから努力が感じられなければ、恐らくクウォーツはあっさりと剣を教えることをやめてしまうだろう。
その結果は、剣を教えることを本意ではなく了承してくれたクウォーツに対して大きな裏切りとなってしまう。

少しでも彼に近付けるように、彼が教えてくれることを全て吸収し、まさに必死で食い付いていかなければ。


全身で喜びを現したティエルは、クウォーツの両手を掴むと己の決意を示すかのように、ぐっと強く握りしめる。
いつものように冷たい彼の両手だが、微かに感じる人の体温。
握りしめられた両手を表情もなく見つめていたクウォーツだったが、気配を感じたのか突然背後を振り返った。

開け放たれたままの障子から見える薄暗い廊下には、いつの間にかサキョウの父であるモンジが立っていたのだ。
一体いつの間に立っていたのか。ティエルが慌てて会釈をすると、モンジもまた静かに会釈を返す。


「おぬしは、ゴドーが教師をしていたというメドフォードの姫君じゃったか。我が息子が本当に世話になったな」
「わたしは何も……! むしろゴドーには迷惑を掛けてばかりで、それに……彼が命を落としたのも、わたしが」

「我が息子は立派に務めを果たしたとサキョウから聞いておる。ワシにはそれで十分だ」
「……でも」
「先程の会話を立ち聞きしてしまった。おぬしの強くなりたいという決意は、ゴドーのためでもあるのじゃろう」


姫君にこれほどの決意をさせる切っ掛けになった息子が誇らしい、とモンジは彼女に向けて深々と首を垂れる。
決して息子の死を悲しんでいないわけではない。親よりも先に子が命を落とすなど、この上ない無念であった。
しかしモンジはゴドーの死を誇らしいと口にした。嘆くことをせずに息子を褒め称えているのだ。

口を閉ざしてしまったティエルにもう一度だけ深い礼をしてから、そこでモンジはクウォーツへと顔を向ける。


「おぬし、名はクウォルツェルトといったな。人々を魅了し欲に溺れさせ、堕落させてしまう魔物……悪魔族」
「……」
「サキョウの母親の話を聞いておるか? あいつの母親が悪魔族に惨殺され、深い憎しみを抱いていることを」
「知っている」

顔を上げずにクウォーツが口を開く。その声は普段と同じく、感情の込められていない淡々としたものであった。
彼が『あえて感情を省いている』わけではなく、『元から感情が存在しない』ことをモンジは既に察していた。
そのためにモンジは気にする素振りを見せることもなく、厳しい表情のまま更に会話を続ける。


「サキョウは口癖のように言っておった。全ての悪魔族を皆殺しにしてやると。この地上から殲滅させてやると」
「……」
「周囲が止めるのも聞かずに、復讐に燃えていたあいつはエルキドを出て行ってしまったのじゃ。それなのに。
 ワシは分からぬ。そのサキョウが何故、悪魔族であるおぬしを仲間と呼んでいるのか。全く理解できぬのじゃ」


明るく人間味の溢れる悪魔族だったのなら、モンジはサキョウの気持ちも少しは理解できたのかもしれない。
だが、残念ながらそんな悪魔族は存在するはずがない。この目の前の青年も、悪魔族らしすぎる悪魔族であった。
一体サキョウは彼のどこに惹かれたのか。理解できない。そしてできることなら永遠に理解はしたくはなかった。

しかし。

「あいつはあのとおり一直線でお人好しで、融通が利かないところもある頑固なやつじゃ。昔からそうじゃった。
 けれど人を見る目だけは確かだとワシは思っておる。頼む。どうかあいつを、これ以上不幸にせんでくれ……」

顔を上げたクウォーツなのか、じっと黙って話を聞いていたティエルなのか。それとも二人に向けた言葉なのか。
モンジは苦しげにそう呟くと背を向けて去って行った。







一方。先程夕食を取っていた座敷にて、ジハードはちびちびと一人酒宴を続けていた。
傍らにはふんどし姿で大の字に寝転がるヤイバと、彼に寄り掛かりながら清酒を飲んでいるアヤメの姿があった。
エルキドの酒は米と米麹とで醸造したもろみを濾した澄んだ酒だ。口当たりがよくついつい飲み過ぎてしまう。

ティエル達の中でも特にジハードは酒に強い。自他ともに認める酒豪である。そして滅多に酔うことはない。
サキョウは酒好きではあるがめっぽう弱く、リアンはワインをたまに嗜む程度だ。勿論ティエルには飲ませない。
唯一ジハードに付き合える人物なのはクウォーツだが、風呂に行くと言って今夜はあっさりとフラれてしまった。

現在サキョウとトガクレは縁側で幼なじみ同士の語らいを続けており、二人の邪魔をするのは無粋だろう。
そんなジハードに先程までヤイバとアヤメが付き合って飲んでいたのだが、ヤイバの方は既に酔いつぶれている。
アヤメの方も目付きが据わっており、そろそろ彼女は飲酒を止めた方がいいだろう。


「ヤイバったら酔いつぶれて、情けないなぁー。最近の男達はぁ、みんなだらしないんおよぉぉー……」
「ちゃんと喋れてないから。夜も遅いし、アヤメちゃんはもう寝た方がいいね。夜更かしは美容によくないよ」
「アヤメ"ちゃん"って! 薄々思っていたけどぉ、ジハードくん、もしかしてアタイを子供扱いしてるね?」

「いや、うちのティエルと同じくらいかと」
「あの子は本当に子供でしょおおぉー……アタイはこれでも二十三歳なんだってばぁ」
「げっ、同い年かよ」


若い二人の声を背に、サキョウとトガクレは涼しい音の響く鳴り物が吊るされている縁側にて酌を交わしていた。

「お前とこうして酒を飲むのも本当に久々だな。お前がベムジンへ修行に出てから、もう二十年以上も経つのか」
「未だに修行の真っ最中であるがな! 大僧正様であっても、日々鍛錬し続けている。修行に終わりはないのだ」
「ふふふ、それは我々とて同じことだ。モンジ師範も日々鍛錬を怠ってはいない」

長い黒髪を簡単に背中に流しているトガクレ。今では格闘術の師範代である彼も、昔はいじめられっ子であった。
近所のガキ大将に殴られては泣いており、その度にサキョウが向かっていき、二人ともぼこぼこにされていた。
そのガキ大将も今では立派な大人だ。家庭を持ち、反物屋の若大将として奮闘中だ。そして良き飲み友達である。
彼もサキョウの里帰りを楽しみに待っている一人であり、明日知らせてやればさぞかし喜ぶだろう。


「なぁ、サキョウ」
「うむ?」
「そろそろエルキドへ帰ってくる気はないのか?」
「……」
「ゴドーが死に、師範にとって家族はお前ひとりになってしまった。家庭を持ち、師範を安心させてやってくれ」

普段ならば微塵の迷いを見せないサキョウは、トガクレの言葉にどこか答えを迷っているような様子であった。
既に空になっているサキョウの猪口に酒を注ぐと、勢い余って少々溢れ出てしまう。


「ワシは勿論エルキドを愛しておる。そして、ベムジンもまた愛しておる。ワシの故郷は二つあるのだ」
「サキョウ」
「先程も言ったが、修行に終わりはない。ワシはベムジンに骨を埋める覚悟で……あの日、故郷を飛び出した」
「……そうか」

静かな風が吹き、頭上でちりんちりんと涼しい音が鳴り響く。これは恐らくサクラの手作りの風鈴だ。
売り物にしては少々形が歪すぎるのだ。これでよく、こんな美しい音が鳴り響くものだと逆に感心してしまう。
彼女は手先が不器用なくせに、昔から繊細な作業が好きだった。どこかの風鈴体験教室にでも通ったのだろうか。


「実は、サクラに縁談が来ている」
「……」
「相手は実直な餅屋の若大将だ。先方はサクラの気っ風の良さに心底惚れ込んでいるらしい」
「そ、それはめでたい話だな! サクラも昔から餅が好きだったし、餅屋の若女将というのも良いではないか」

「サキョウ、お前は本当にそれでいいのか」
「何を言っておるのだ、サクラの幸せがワシの幸せだ。兄であるお前だってそうだろう?」
「それはそうだが……お前の気持ちはどうなる。このままサクラに何も伝えず、黙って身を引くつもりなのか」


サキョウが昔からサクラに想いを寄せていることは、周知の事実であった。サキョウは大変分かりやすいのだ。
気付かれていないと思い込んでいるのはサキョウ本人だけで、周囲は彼ら二人を微笑ましく見守っていたものだ。
だが、サキョウは想いを伝えぬまま彼女の縁談を応援しようとしている。

「トガクレよ。サクラの兄として、一体どちらの男と一緒になることがサクラの幸せになると思う」
「どういうことだ?」
「片方は実直な餅屋の若大将。そして片方は……復讐に身を投じ、いつ終わるかも分からぬ敵討ちを続ける男」
「……サキョウ。我が妹はその程度で幸せを左右されるような女では」

「ありがとう、トガクレよ。だがワシはもう決めたのだ。サクラに想いを告げるようなことはせぬと」


そう口に出している割には今にも泣きそうな顔ではないか、と喉まで出かかった言葉をトガクレは飲み込んだ。
昔からずっと想いを寄せていた女の、自分ではない他の誰かとの幸せを祈ることは相当の覚悟が必要だろう。
恐らくサクラもサキョウに対して全く好意がないわけではない。だからこそ兄であるトガクレは歯がゆかった。

しかし、サキョウの男の決意を無下にするわけにもいかなかった。同じ男として、決意を汲み取ってやらねばと。

「サキョウ。朝まで付き合ってやる。飲み明かすぞ!」
「うおっ!? トガクレよ、お前が泣くことはないではないか……折角ワシが涙を堪えているというのに……」







「……おや、サキョウ。今から寝るのかい?」
「サクラか」

朝まで酒に付き合ってやると言っていたトガクレは、あの後早々に酔いつぶれてしまった。
そういえば昔からお互い酒に弱かったことを思い出す。彼を自室へ運んだサキョウは己も自室へと向かっていた。

すると、廊下で風呂上がりのサクラと出くわしたのだ。ほんのりと朱に染まっている両頬が妙に色っぽく見える。
普段は纏めている黒髪は洗い立てで湿り気を帯びて後ろへと流しており、サキョウの心臓がどくんと跳ね上がる。
先程はトガクレに対して潔いことを言ったが、やはり彼女のことを諦めきれていないのが現状であった。

当然である。ぽっと出の餅屋の若大将などよりも、自分の方がずっとずっと昔からサクラの側にいたのだから。
そんな男などに渡してなるものか、という気持ちも決してないわけではない。だが、彼女の幸せを願うならば。
願うならば……すっぱりと諦めるしかない。彼女の縁談を心から喜ばなくてはならないのだ。


「……どうしたんだい、サキョウ? あんたがいつもそんな顔をするのは、決まって思い悩んでいる時だよね」
「サクラ」
「なんだい? 改まって」
「え、縁談が……来ているんだってな。トガクレから聞いたぞ。相手は餅屋の若大将だってな!」

「やだねぇ。聞いちまったのかい」
「実直な男だと聞いた。お前も餅屋の若女将か。……式には必ず呼んでくれ、どこにいても必ず駆けつけるぞ!」

「ははは、サキョウがそんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。そっか。アタイの単なる思い違いだったかな」
「思い違い……?」
「なんでもないよ、明日は早いんだろ。聞いたよ、お袋さんの墓参りに行くんだって?」

「う、うむ……」


からからと笑ってサキョウの背を叩いたサクラは、明日は弁当を作ってやるよと言いながら廊下を歩いて行った。
彼女の背を眺めながら、一人取り残されたサキョウは唇を噛み締めていたのだった。





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