Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド

第146話 As time goes by -1-




タチバナ道場の朝は早い。トガクレ師範代の指導の下、三十名を超える門下生達の厳しい鍛錬が始まるのだ。
ある者は道場の清掃を、ある者は炊事を、ある者は洗濯を。鍛錬の内容は武道に関連するものだけではなかった。
強靭な精神力を磨く方法は武道を学ぶだけではない。日々の過ごし方も大切なのだ。それがモンジの教え方だ。

門下生達の気合の声が響く中、広い庭では木刀を手にしたティエルとクウォーツが激しい打ち合いを続けていた。
早速剣の稽古が始まったのだ。イデアと妖刀幻夢ではさすがに命の危険を伴うので、木刀を借りることにした。
木刀でも当たり所が悪ければ大怪我に繋がる。勿論痛い。案の定ティエルは先程から青あざを増やし続けている。

「右」
「わっ」
「左」
「わわっ」
「上」
「ひっ」

「次右。全力でいく。両手を使ってでも受け止めろ」
「はいっ!」

涼しい顔付き、というより普段のとおりの無表情で軽やかにクウォーツが木刀を振り下ろす。
クウォーツの動きは目で追えぬことが多い。そのため、先程から木刀を振り下ろす方向を予告してくれるのだが。
残念ながらティエルの反応よりも速くクウォーツは木刀を振り下ろしてくるのだ。完全についていけていない。

これも鍛錬を続けていくうちに目で追えるようになっていくのだろうか。……いや、追えるようにならなくては。
最初からこんな弱気でいてどうするのだ。稽古はまだ始まったばかりなのだから。
そして先程の予告通り、やや遅めに右方向からクウォーツが木刀を振り下ろしてくる。この程度なら目で追える。

実に軽やかに。華麗とすら言えるような動作で振り下ろされたクウォーツの木刀の威力を、正直甘く見ていた。
彼はいつもあんなにも細い長剣で敵の首を次々と刎ねていたではないか。それを完全に失念していた。
両手で受け止めきれると思っていた彼の木刀はティエルの木刀を叩き割り、衝撃で彼女の身体は飛ばされていた。


「い、いたた……お尻打っちゃった」
「大丈夫か」
「大丈夫だよ、頑丈なのが取り柄だから。それよりも威力にびっくりしたよ。木刀が真っ二つになっちゃったし」

「全力でいくと言っただろ」
「それはそうだけど……実はクウォーツ、左腕だけ筋肉でムキムキだったりするんじゃないの?」


情けなく尻餅を突き続けているティエルは、差し出されたクウォーツの左手を掴むと勢いをつけて立ち上がった。
彼は仰々しい普段のドレスコートは稽古のために着ておらず、ふんだんにフリルの装飾がされたブラウス姿だ。
華奢で手足が長く、いわゆるモデルのような体型だ。この身体からあんなに強力な一撃を繰り出せるのだろうか。

左腕だけムキムキ説を正当化するため、ティエルはブラウスの上から彼の左腕を様々な角度で触れてみるのだが。
確かに想像していたよりは筋肉が付いているようだが、決してムキムキではない。ジハードの方が筋肉質である。

「満足したか」
「うん……ムキムキじゃなかったね。しかも女の人みたいに柔らかいと思ってたら、結構硬くてショック……」
「お前は一体何を期待していたんだ」
「え? 触り続けたくなるような柔らかさを」
「筋肉がどうとか言っていたのは何だったんだ」


「二人とも、朝食の時間ですわよー。汗を拭いて上がってきなさいな。私の力作、だし巻き卵もありますわよ!」

白い割烹着姿のリアンが姿を現したところで、本日の稽古は終了となった。
どうやらリアンはエルキド料理の良さに目覚めたらしく、早朝から再びサクラの手伝いを名乗り出ていたのだ。
出し巻き卵はサクラから教わったのだろう。初めてにしては成功したようで、朝から彼女は上機嫌であった。

朝食に行く前に、恐らく未だに眠り続けているであろうジハードを叩き起こすという大仕事が待っていたのだが。







エルキドに到着してから二日目の朝。
昨日とは異なって空は早朝からどんよりとした分厚い雲に覆われ、輝く太陽の姿を目にすることができなかった。
縁側から空を見上げたティエルの心も同じように晴れなかった。なんとなく不吉な予感が頭から離れないのだ。

今朝はクウォーツから念願の稽古をつけてもらい、美味しいエルキドの朝食を堪能できたのにも拘らず。

サキョウはこれから母親の墓参りに出掛けると言っていた。場所はこの道場から歩いて一時間ほどの墓地らしい。
特に予定のないティエルとジハードは墓参りに同行することになり、リアンは料理を学ぶために留守番であった。
そしてクウォーツは元より墓参りに行く気など更々ないようで、出掛ける用意すらしていない。

当然である。サキョウの母親は悪魔族に殺されており、悪魔族である自分は自粛すべきだと思っているのだろう。
サクラから弁当を手渡されたサキョウは、目線を合わせることもなく廊下ですれ違ったクウォーツを振り返る。


「どうした、クウォーツ。早く出掛ける用意をせんか」
「は?」
「今日は墓参りに行くと言っていただろう。それとも、予定があるのか? ないなら観光も兼ねて出掛けよう」
「頭でも沸いたか」

クウォーツのサキョウに対する素っ気ない態度は普段のことだ。サキョウもそんな彼の態度など既に慣れていた。
しかしタチバナ道場を訪れてから、クウォーツは普段以上に素っ気ない態度を彼に対して取り続けている。
いや、『素っ気ない』なんて程度ではない。目も合わせず必要最低限の会話すら交わさない。半ば拒絶であった。

これもモンジから『サキョウにこれ以上関わるな』と、言葉の端々から滲み出る感情を感じ取ったためだろうか。
勿論、それを知らないサキョウは急にクウォーツから拒絶をされたと若干戸惑っていたのだ。
そんな二人の様子を先程から眺めていたサクラは、見ちゃいられないよ、と溜息をつきながら歩み寄ってくる。


「ちょいとサキョウ。この子、さっきからずっと困ってるじゃないか。こんな綺麗な子を困らせるんじゃないよ」
「うむ!? こ、困らせている?」
「本当に分かっていないのかい。あんたのお袋さんは悪魔族に殺されたんだろ?」
「そうだが……」

「同じ悪魔族の自分が行くわけにはいかないって、普通はそう思っちまうだろ? 少しは頭を使いな脳筋ゴリラ」
「の……脳筋ゴリラは酷いではないか……」


確かにこれはサクラの言うとおりだな、とジハードは思った。
時折サキョウ達はクウォーツが悪魔族であることを忘れている節がある。それは決して悪いことではない。
恐らくクウォーツ自身も『悪魔族だから』と色眼鏡で見ることのないティエル達だからこそ共にいるのだろうが。


「何かと思えば、お前はそんなことを気にしていたのか。もしや昨夜、父上から何か言われたのではないか?」
「……」
「お前にはこの国で色々と嫌な思いをさせてしまっている。その上気を遣わせてしまっているな。本当にすまぬ」

何一つ表情の変わることのないクウォーツに向けて、サキョウは申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
クウォーツはサキョウを完全に拒絶しているわけではなく、彼なりに気を遣っているからだと漸く気付いたのだ。
だが、果たしてそれで良いのだろうかとサキョウは思う。クウォーツがそこまで気を遣う必要があるのだろうか。


「けれどな、クウォーツ。ワシはお前にも来てもらいたいのだ。いちいちワシに気を遣うなどお前らしくもない」
「……失礼だな」
「普段はワシに全然気を遣わんではないか。そんなお前に気を遣われると却って不気味だぞ」

暫くの間クウォーツはサキョウの黒い瞳を見つめていたが、やがて彼はふいと視線を逸らすと廊下を歩き始めた。
やはり行かないのかと肩を落としたサキョウの気配を感じ取ったのか、足を止めたクウォーツは静かに振り返る。


「上着」
「う、うむ?」
「羽織るものがないと外は冷えるだろ」

どうやら墓参りに付き合うようだ。事の成り行きをはらはらと眺めていたティエル達も、漸く胸を撫で下ろす。
だが、これも逆に気を遣わせてしまったのかもしれない。元々クウォーツは行く気など更々なかったのだから。
上着を取りに戻ったクウォーツの背を眺め、サキョウはどうすれば一番よかったのかと自問自答を続けていたが。

そんな彼の背に、サクラは優しく触れる。炊事で大分痛んではいるが、温かな彼女の手。


「……サキョウ。良かれと思って選んだ答えが、正しいかなんて誰にも分からない。それでもいいじゃないか」
「サクラ」
「その時はそれが最善だと思ったのなら、結果間違っていたとしても、それが人生ってもんだとアタイは思うよ」


かつてサキョウがエルキドを飛び出した選択も、悪魔族と共にいる選択も、サクラの縁談を止めなかった選択も。
それらが全て正しい選択だったのかは今はまだ分からない。
果たして正しかったのか誤っていたのか、結果はこれからのサキョウの行動や考え方次第で変わっていくのだ。

「そうだな。……お前の言うとおりだ」
「なんて顔をしてんだい! 男ならしゃきっとしな、情けないねぇ。昔っからちっとも変わっていないんだから」


暗い面持ちのサキョウの背をばしんと力強く叩き、サクラは白い歯を見せて笑った。
この色気の欠片もない彼女の笑顔が好きだった。餅屋の若大将なんぞと出会う前からずっと好きだった。
しかし彼女の幸せを願うならば、相応しい相手は自分ではないと同時にサキョウは理解しているつもりであった。

時が経てば、いつかは彼女の結婚を心から祝福することが……選択は間違っていなかったと思えるのだろうか。


「いってらっしゃいなー」
「午後から天気が崩れるみたいだから、墓参りを終えたらさっさと帰ってくるんだよ!」

リアンとサクラの二人に見送られ、クウォーツを含めたサキョウ達四人は墓地に向かってゆっくりと歩き始めた。
手を振り続けるリアンの隣で、サクラはどこか名残惜しそうに小さくなっていくサキョウの背を見つめていた。
そんな彼女とは対照的に、リアンは随分とご機嫌である。これからサクラからエルキド料理を習う予定のためだ。


「ねえ、サクラさん。早く肉じゃがという料理を教えてくださいな! 私、昨夜から楽しみにしていたんですの」
「……」
「サクラさん?」
「ごめんよ、ぼーっとしてた。肉じゃがはアタイの得意料理だからね。あんたも好きな男に作ってやるといいよ」

サキョウ達の姿が曲がり角の向こうに消えてしまうと、漸くサクラは我に返ったようにリアンに顔を向けた。
エルキドの男達は肉じゃが好きが多く、肉じゃがの腕で美女よりも醜女を妻に選んだ男がいるという伝説がある。
そしてサキョウもサクラの作る肉じゃがが、どんなご馳走よりも一番好きだと言ってくれた思い出の料理だ。


「す、好きな男というか……食に全く興味のない男がいて、彼に色々な美味しいものを食べてほしいだけですわ」
「そんなに照れることないじゃないか。わざわざ好きでもない男のために、異国の料理なんざ習わないだろ」
「私が個人的にエルキド料理を気に入っているんですの! それに……彼と結ばれたいなんて考えていませんし」

「ふーん……まぁいいけどさ。好きな男と必ず結ばれるわけじゃないってのが、人生の複雑なところだけどね」
「え?」
「リアンちゃん。あんたは、後悔だけはするんじゃないよ」

彼女の言葉の真意が読み取れず、リアンは大きな赤い瞳を瞬くが。サクラはどこか寂しげに笑っただけであった。





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