Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド
第147話 As time goes by -2-
タチバナ道場を出発してから五十分ほど歩いた頃から、サクラの言ったように天気が下り坂になりつつあった。
どんよりとした灰色の空は徐々に暗雲となり、今にも雨が降り出してきそうだ。エルキドの雨は大粒なのだ。
こんなに早く天気が崩れ始めるとはサキョウも思っておらず、傘を持ってくればよかったと少し後悔をしていた。
悩んでいる様子のサキョウに気付いたのか、ティエルと他愛のない会話を続けていたジハードが彼を振り返る。
「……せっかくここまで来たんだから、とりあえず墓地まで行ってみようぜ。雨宿りする場所くらいあるだろ?」
「わたしもこのままお墓参りに行きたいなー。今から戻っても、あまり変わらないと思うよ」
「ううむ、付き合ってくれているお前達がそれで良ければいいのだが。いざとなれば住職に傘を借りて帰ろうか」
「それよりサキョウの昔のお話が聞きたい! 子供の頃のゴドーとか、サキョウのママはどんなひとだったの?」
「兄上と母上か。そうだなぁ……」
太いサキョウの腕に絡み付いたティエルは、きらきらとした瞳を彼に向ける。
ゴドーはティエルにとって厳しくも優しい父親のようであった。そして厳つい見た目に反して繊細な人物だった。
元々彼は二週間に一度風呂に入っていたらしいのだが、ティエルから『おじさんの臭いがする』と言われてから、
一週間に一度は風呂に入るようになったという。これでは繊細なのか豪快なのか分からない。
「兄上は道場を継ぐために、武闘家としての修業を日々続けておったが、ワシは何も考えず遊んでばかりいた。
だが母上が殺されてからは……兄上は戦う力を捨て、流れの教師として各地を放浪して生きる道を選んだのだ」
「その頃にミランダおばあさまと出会ったんだよね」
「うむ。そして母上は心配性でな、ガキ大将と喧嘩をして帰ってきたワシを怪我はないかと抱きしめてくれた」
「優しいお母さんだったんだね。ぼくには母親とそういう思い出はないから、サキョウが羨ましいな」
確かに教師にしてはゴドーは筋肉があり、メイスで敵を粉砕できる腕力を持っていたことをティエルは思い出す。
残念ながらここ数年で筋肉は見事な脂肪に変わっていってしまっていたが。
母親が惨殺されたことが切っ掛けで、兄であるゴドーは戦う力を捨て、逆に弟のサキョウは復讐に身を捧げた。
対照的である兄弟の生きる道。一体どちらの道が正しかったのかは分からない。どちらも理解できる生き方だ。
そんな話を続けていると、やがて塀に囲まれた大きな墓地が見えてきた。どうやら雨はまだ待ってくれそうだ。
そのまま墓地の門を潜り抜けようとすると、今まで沈黙に徹していたクウォーツが不意に足を止める。
「私はここで待っている」
サキョウの返事も待たずに彼は歩き始め、墓地の外壁へと寄り掛かった。
さすがにクウォーツに無理を言うのもここまでが限界だろう。墓参りに彼が同行してくれただけでも有難かった。
母を殺したのはクウォーツではないのだから、彼が気を遣う必要はないと思う反面、それも仕方がないとも思う。
クウォーツと出会う前まで、サキョウは女子供含めた全ての悪魔族を根絶やしにしてやりたいと思っていたのだ。
勿論その中には人と関わったことのない悪魔族だっているだろう。ひっそりと暮らしている悪魔族もいるだろう。
そんな者達を全て含めて、いつの日か必ず根絶やしにしてやろうと日々ベムジンで修行を続けていたのだ。
暫くの間複雑な表情を浮かべていたサキョウであったが、そうか、と小さく呟くと墓地の中へと足を踏み入れた。
整然と並ぶ墓石。墓地は小奇麗に掃除されており、とても静かであった。鳥の鳴き声すらも聞こえない。
先客はおらず、真っ直ぐに進んで行ったサキョウは一つの墓石の前で立ち止まる。大分年季の入った墓であった。
「母上、ご無沙汰しております。このとおりワシは元気でやっておりますよ」
母親が生前好きだったという白いかすみ草を墓の前に添えると、サキョウは両手を合わせて静かに目を閉じる。
背後のティエルとジハードもサキョウに倣い、暫しそれぞれの故郷に伝わる祈りの形で彼の母親の冥福を祈った。
「……あの日はワシの誕生日だったのだ。母上はご馳走をたくさん作ってやると言い、買い物に出かけて行った」
サキョウの大好物である肉じゃがと、豆腐の田楽、風呂吹き大根。楽しみにして待っててねと出かけて行った。
しかし、夕方を過ぎても、夜になっても、いつまで待っても母は帰ってこなかったのだ。
不審に思った父と町の自警団と共にサキョウ達は、母の姿を探し回った。声が枯れるまで名を叫びながら走った。
そして市場からほど近い林の中で、母親は変わり果てた姿で発見された。
ぼろ雑巾のように捨てられていた凄惨な亡骸の横には、ひっくり返った買い物籠。大根や人参が散らばっていた。
目撃者によると、母親を殺したのは『右手首に黒薔薇の刺青をした鞭を使う悪魔族』であった。
忌まわしき悪魔族の中でも最も狡猾で、残虐だと言われているヴァンパイア。間違いなく奴らの仕業である。
その日からサキョウ達兄弟は変わった。兄のゴドーは跡継ぎの道を捨て去り、弟のサキョウは復讐へ身を投じた。
後悔はしていない。……悪魔族は確かに憎い。今でも根絶やしにしてやりたい気持ちがないといえば嘘になる。
小さく震えているサキョウの手を目にしたティエルは、彼の手を両手で包み込む。震えが少しでも治まるように。
彼女の手の温もりに、サキョウは漸く顔を上げた。その顔は、普段の快活な彼の顔であった。
「すまんな、さあ戻ろう。クウォーツが待ちくたびれているかもしれぬ。あいつはなかなか短気なやつだからな」
その笑顔を見てティエルは、いつか自分も辛い思い出を優しく話せる日が来ればいいなと心から思ったのだった。
ゆっくりと門の前まで戻った三人の姿を目にすると、表情もなく壁に寄り掛かっていたクウォーツが首を傾げる。
想像していたよりも戻ってくるのが早かったのだろう。もういいのか、と言いたげであった。
「もう十分だ。ティエルも、ジハードも、クウォーツも。三人とも本当にありがとう。ワシは今、幸せだよ」
「サキョウ」
「折角サクラに弁当を作ってもらったのだが……早めに帰るとしようか。雨が降り出すのも時間の問題だしなぁ」
「うん、じゃあ早く帰……」
「ぼくとティエルはもう暫く経ってから帰ることにするよ。サキョウとクウォーツは先に帰っててくれないか?」
「え、なんで、ジハード!?」
帰ろうと言いかけたティエルの言葉を突然ジハードが遮った。
当のティエルは一体何を言い出すんだとばかりに茶の瞳をまん丸に見開いている。そんな話は聞いていない。
「うむ? それではワシらは先に戻るが、この天気だ。お前達も早めに帰ってくるんだぞ」
「分かってる、それじゃあね」
にこにこと不自然なまでの完璧な微笑みを浮かべながら、ジハードは背を向けるサキョウ達に手を振った。
彼らの姿が見えなくなると、ティエルは眉を顰めながら白髪の青年を恨めしそうに見上げる。
ジハードのことだ。何かを考えた上での発言なのだろうが、それでも事前に知らせてくれてもいいじゃないかと。
「何考えてんの、ジハード」
「ティエルは気が利かないなぁ。……サキョウとクウォーツを二人きりにさせたかったんだ」
「どうして? 今あの二人、少し気まずい雰囲気なんだよ?」
「だからこそだ。気まずいまま会話もなければ、いつか必ず決定的な亀裂が入る。そんなこと、ぼくは許さない」
「ジハード……」
遠くでごろごろと響く雷鳴を耳にしながら、ティエルは表情を曇らせて二人が去った方向を振り返ったのだった。
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ティエル達と別れたサキョウとクウォーツは、道場までの長い帰り道を無言で歩き続けていた。
空はいよいよ雨が降り出しそうだ。どこからか雷鳴も響いてくる。このまま早足で進めば、二十分ほどで到着だ。
先を進むクウォーツの背を眺めながら、サキョウは先程墓地の前で別れたティエル達のことを考え続けていた。
「やはりティエル達も連れ戻した方が良かったのではないか? ほれ、通りに誰も歩いておらん」
「……」
「雨に濡れて風邪でも引いたら大変だ。治癒魔法は病気には効かぬし……おいクウォーツ、聞いているのか?」
「……」
「こちらを向くのだ、クウォーツ」
普段以上に言葉を発しないクウォーツに、サキョウは彼の肩を掴むと振り返らせる。
思っていたよりも華奢な肩に少し驚く。顔をこちらに向けたクウォーツは、やはり普段と変わらぬ無表情だった。
正真正銘、悪魔族の青年。出会った当初は、彼に迫る危険を知っていながら見殺しにしようとすら思っていた。
「何も気にしていない振りをするな」
「どうした、クウォーツ? おいおい、無表情でワシを睨むでない。お前は睨むと怖いのだ」
「それをやめろ」
「何をやめるんだ。そうだ、帰ったらサクラの弁当を食べよう。卵焼きが美味いのだ。きっとお前も気に入るぞ」
「茶化すな!!」
……あの感情を表に出すことができないクウォーツが、突如声を張り上げて怒鳴ったのだ。
流石のサキョウもあまりにも唐突だったため、驚きの表情を浮かべたまま彼を眺めていることしかできなかった。
エルキドを訪れてから、じわじわと追い詰められてきたクウォーツの鬱憤が耐えきれずに溢れ出た瞬間であった。
「貴様は悪魔族を、私を、殺したいほど憎んでいるんだろう!? ならば詰れよ! もっと私を責めろよ!
お前など助けるのではなかったと、指輪を渡したことを後悔していると、胸倉掴んでいくらでも詰ればいい!」
「……」
「私は悪魔族だ。人間じゃない、人間じゃないんだよ!!」
クウォーツの言いたいことも分かる。確かに今も変わらず、悪魔族は穢らわしい存在だとサキョウは思っていた。
悪魔族という存在を受け入れているわけではなく、クウォーツだから、信念を曲げて悪魔族でも受け入れている。
助けるのではなかったと、指輪を渡して後悔したことなんて唯の一度もないが、恐らく分かって貰えないだろう。
「別にお前を茶化しているつもりはなかったのだ。そう思わせていたのなら、すまん」
「……」
「確かにワシは悪魔族を憎んでいる。だがそれはお前ではないし、指輪を渡して後悔したことなど一度もない」
「それは建前だ」
「建前ではない」
「悪魔族を憎んでいるのに、私は憎くないと? 意味が分からない」
「お前は分からなくていいんだ。分からないままでいい」
「……っ!」
どうして、何故、そんな答えが欲しいんじゃない。……クウォーツが初めて見せる、苦しげな表情であった。
サキョウの言葉は納得が行く答えではなかったのだろう、反論を続けようと口を開きかけたクウォーツだったが。
まるで蝋燭の灯がふっと消えてしまったかの如く、先程までの激しい感情が消えてしまったように口を閉ざした。
表情が動くこともなく、言葉を発することすらもない。普段の人形のような彼にすっかり戻ってしまっていた。
くるりと背を向け、何事もなかったかのように再び歩き始めたクウォーツ。
そんな彼の背中を眺めながら、サキョウは、またかける言葉を誤ったのかもしれないと拳を握り締めたのだった。
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