Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド

第148話 満月の夜、微笑む悪魔




道場の近くまで漸く辿り着いたサキョウは、すっかり暗くなってしまった空を見上げる。
分厚い雨雲の切れ目から時折覗くのは丸々とした青白い満月だ。予想以上に帰宅が遅くなってしまったようだ。
あれから結局クウォーツとは一言も会話をしていない。彼が返事をしないので、サキョウのほぼ独り言であった。

雨が降る前に帰宅できてよかったと思う反面、後から帰ると言っていたジハードとティエルの二人が気にかかる。
そんなことを考えていると、突然前を歩いていたクウォーツが足を止めた。
既に道場の門が見えているが、珍しく外灯が消えている。普段ならば門下生の当番達が灯りを点けているのだが。


「気を付けろ」
「クウォーツ?」
「人間ではない気配を感じる」
「!」

クウォーツが振り返った瞬間、大きな爆音と共に道場の方角から火柱が上がった。
一体何が。呆然と突っ立っていたサキョウは瞬時に我に返り、勢いよく地面を蹴って走り出すと道場の門を潜る。
中庭で門下生数名が倒れている。どうやら来客用の座敷がある方向から黒い煙がぶすぶすと上がっているようだ。


「ヤイバ……ヤイバ、しっかりしろ! 一体何があったのだ!?」
「サキョウか……」

中庭で倒れている門下生達の中にヤイバがいた。名を叫びながら駆け寄ったサキョウは慌てて彼を抱え起こした。
まるで鋭い鎌のような巨大な刃物で引き裂かれたかのように胸元がぱっくりと赤く裂けている。
ヤイバは決して弱くはない。並の相手ならば簡単に負けはしないはずだ。それが何故。一体誰がこんなことを。


「は、早く逃げろ……悪魔族が、悪魔族が現れたんだ……」
「悪魔族!?」
「……モンジ師範とサクラ達はどうなったのかは分からねぇ。このままじゃ、あいつに皆殺されちまう……!」
「あいつ?」


苦しげに呻いたヤイバから身体の力が抜けた。一瞬ひやりとしたサキョウだったが、どうやら気を失ったようだ。
だが出血量が多い。このままでは死んでしまうかもしれない。
倒れている門下生の中にも夥しい量の出血をしている者もいる。すぐさま全員に止血処置をしてやりたかったが、
モンジやサクラ、それにリアン達の安否が気にかかる。そしてヤイバの言った『あいつ』とは何者なのだろう。

大きな雷鳴が轟きぱらぱらと雨が降り始める。まずい。長い時間雨に打たれていては怪我人の体温を奪っていく。
背後から砂利を踏む足音が聞こえ、振り返るとクウォーツが立っていた。
倒れているヤイバ達に視線を向けてから、彼はサキョウに顔を向ける。何があったんだ、と瞳が問いかけている。


「ワシにも分からぬ。……ただ一つ言えることは、明らかな悪意を持った者がヤイバ達を襲ったということだ」
「……」
「リアンや父上達の安否が気にかかる。二手に分かれて彼らを探そう」


こくりとクウォーツが頷くのを確認したサキョウは、黒煙を上げ続けている来客用の座敷を目指して駆け出した。
家の中を通るよりも中庭を突っ切る方が早いのだ。
モンジが大切にしている盆栽のいくつかが地面に落ちている。先程の爆発の余波で砕けてしまったのだろう。

襲った者がどんな凶悪な相手であろうと、あらゆる強力な魔法を扱うことのできるリアンが道場には残っていた。
彼女がいればそう簡単にモンジ達も殺されはしないはずだ。先程の大きな爆発もリアンの魔法だと信じたい。

そんなサキョウの瞳に、黒い煤に包まれた廊下からふらふらと歩いてくる人影が映った。
サクラだった。胸や首はヤイバとは違い何度も喰いちぎられた傷痕があり、止めどもなく血が溢れ出していた。
彼女の名を叫んだサキョウはこちらに顔を向けたサクラに駆け寄り、崩れかけた彼女の身体を優しく支えてやる。


「サ……サクラ! ワシらがいない間、何があったのだ!? 一体誰がこんな惨いことを……!」
「よかった……あんたは無事だったんだね……」
「ワシは無事だ。傷一つだって負っておらぬよ。ヤイバから突然悪魔族が現れたと聞いた」
「……モンジ師範も兄貴達も必死に戦ったんだ、けれど……あいつが、あの化け物が……みんなを切り裂いて」

血濡れた手をサキョウに伸ばしたサクラは、心底悔しげに唇を噛み締めた。
胸の傷は内臓にも達しているのだろう。激しい咳と共にごほりと鮮血を吐き出す。それでも彼女は先を続けた。
もうサクラは助からない。死は確実に彼女を蝕みつつある。その事実を否定するかのようにサキョウは首を振る。


「アタイは悔しいよサキョウ……あんな化け物に負けちまうなんて。悔しいよ……!」
「もういい、サクラ。あとはワシに任せて、お前はゆっくりと休んでいるのだ。必ずワシが助けてやるからな!」







サキョウと別れたクウォーツは一人、一番損傷の激しいであろう来客用の座敷に向かっていた。
これほどの被害であるのに、やけに家の中は静まり返っていた。魔物の姿どころか人影すら見受けられないのだ。
廊下のあちこちに生々しい血が飛び散っている。一際目立つ引き摺るような赤い跡は、物置の中へと続いていた。

クウォーツが勢いよく物置の戸を開けると、中にはコウとぶるぶると震えて縮こまっているアヤメの姿があった。
二人ともあちこち傷を負っているようだがどれも軽傷で、命に別状はないようである。

「ぎ、ぎゃああぁっ!? いやああぁ助けて、殺さないでえ!」
「アヤメさん、よく見て下さい! この男の人はサキョウ先輩の仲間の悪魔族さんですよ」
「もう悪魔族なんて嫌よぉ……サキョウがこんな悪魔族なんか連れてくるからこんなことになったのよぉ……」
「この人は関係ないでしょう? もう大丈夫です、落ち着いてください」


子供のように泣きじゃくるアヤメをコウが落ち着かせるようにして背中を優しく叩いている。
己が非難されているというのに感慨もなくその光景を眺めていたクウォーツだったが、コウに向けて口を開いた。

「何があった」
「は、はい……サキョウ先輩達が墓参りに出掛けてから少しして、先輩を訪ねて見知らぬ女の子が来たんですよ」
「エルキド人か」
「いえ。あなたと……よく似た雰囲気を持つ、異国の少女です。先輩にはとても世話になったと言っていました」

クウォーツとよく似た雰囲気を持つ異国の少女。
コウの表現が正しいのであれば、訪れたという少女は間違いなく悪魔族である。だが世話になったとは一体何だ。
遠い国から遥々訪れたという幼い少女を、サクラ達は追い返すわけにもいかずに来客用の座敷に通したという。


「それから暫くして、中庭から次々と魔物達が姿を現したんです。あれは人の肉を食らう……食屍鬼でした」
「サクラの姉貴はアタイをかばって奴らに腕を喰い千切られたんだ! でもアタイは怖くて何もできなくて……」
「……僕は腰が抜けてしまった彼女をサクラさんから頼まれて、この物置で身を隠していたんです」

「他の奴らは」
「すみません……分かりません。でも、僕だって戦えます! 食屍鬼どもからこの道場を守らないと」
「中庭で切り裂かれている奴らを見たか」
「いえ、外には出ていないので見ていませんが……」

「ああなりたくなければここを動くな。その女を守っていろ」
「えっ?」


相手はあれだけ大勢の門下生達を完膚なきまでに叩きのめしていた。コウが殺されてしまうのは目に見えている。
コウの返事も待たずにクウォーツは来客用の座敷に向かって廊下を再び歩き始めた。
悪魔族の少女や食屍鬼達がいるとすれば、その問題の来客用の座敷である。恐らく先程爆発が起きた場所だろう。

周囲に漂う妖気。妖刀幻夢を腰からすらりと抜きつつ、黒く焼け焦げた来客用の座敷へ用心深く足を踏み入れる。

……そこには、一人の少女が退屈そうに座っていた。
非常に幼い顔をした少女であった。桃色の髪に、青白い顔色。まるで作り物のように奇妙なほど整った美しい顔。
もしもこの美少女の背に白く大きな翼があったなら、人々は天使が舞い降りたのかと錯覚してしまうだろう。


「おっそーい、待ちくたびれちゃったよぉ。退屈だったから人間狩りして遊んでたんだけど、みんな弱すぎるよ」
「……」
「あれ? 誰かと思えば同じ悪魔族のキミかぁ。ふーん……聞いていたとおり、女の子より綺麗な顔してるね」
「誰だ」
「人間達と馴れ合って、必死に人間の振りをしているキミってさぁ……痛々しいんだよね。プライドないのぉ?」

「クウォーツ、そいつは危険ですわ!」
「!」

背後から掛けられた声にクウォーツが振り返ると、ロッドを構えたリアンが立っていた。
あちこちに残る火傷。彼女の細い肩から流れ落ちる血は、恐らく食屍鬼に齧り取られた傷からの出血であろう。
強敵の悪魔族を相手に、矢面で必死に戦い続けていたのだ。魔法使いが前線に立つのは非常に危険であるのに。


「無事だったのか」
「……ええ、なんとかね。中庭の奥では食屍鬼達を相手に、サキョウのパパとトガクレさん達が苦戦中ですわ」

「あはっ! キミしぶとく生きてたんだ。とっくの昔に可愛い食屍鬼達に食べられちゃったかと思ってたよ」
「簡単に殺さないでいただきたいですわね」
「そうこなくっちゃ。やっぱり男の子より、柔らかくていい匂いのする女の子の方が苛め甲斐があるもんねぇ!」







「サキョウ……あんたは絶対に死んじゃだめだよ。そして自分の選んだ道を、決して後悔するんじゃないよ……」

震える手でサキョウの瞳から溢れ出る涙を拭ってやったサクラは、彼の黒い瞳をじっと見つめる。
エルキド男児がそう簡単に泣くんじゃないよ、と。あんたは昔から泣き虫だったね、と彼女は柔らかく笑った。

どうか己の死が、この先のサキョウの人生に大きく影を落としませんようにと。ただそれだけを祈りながら。
これ以上彼が復讐に囚われることないように。穏やかな人生を歩んでくれることを祈りながら。
悪魔族に対し憎しみを抱き続けてきたサキョウが、悪魔族を仲間と呼んだのだ。漸く変わろうとしているのだ。

そんなサキョウを、これ以上復讐の道に進ませたくはなかった。
たとえ自分が他の男と結婚しても、互いに全く別々の道を選んだとしても、心はいつまでも彼の元にあるだろう。
一つだけ心残りがあるとすれば……彼の優しい黒い瞳を、もう見ることができなくなってしまうことだった。


「ねぇ、サキョウ……最後に一つだけ、お願いしても……いいかい?」
「最後だなんて言うな。ワシは、お前の願いなら、いつだって何でも叶えてやる!」

「……頼むから、アタイのためなんかに復讐は絶対にやめとくれよ? アタイは、あんたに幸せになってほし、」


一際大きな雷鳴が轟いた。
周囲を昼間のように照らした光が消える頃には、既にサクラの瞳はここではないどこかを虚ろに見つめていた。
すっかり力を失った彼女の身体。嘘だ。だって、まだ、彼女の身体はこんなにも温かいのに。それなのに。

「サクラ? サクラ? サクラ……サクラぁぁぁっ!!」


掠れた声で叫んだサキョウは、亡骸となってしまった彼女の身体を強く抱きしめる。
そこへ、漸く道場へ到着したティエルとジハードが姿を現した。異変を感じて途中から走り続けていたのだ。
中庭で倒れているヤイバ達の姿を目にしてから、血濡れたサクラを抱きしめるサキョウへと駆け寄ってきた。

彼女が息を引き取ってから然程時間が経過していないことを悟ると、ジハードは唇を噛み締めながら項垂れる。


「サキョウ」
「……」
「すまない。……ぼくがもっと早くにここへ辿り着いていれば、彼女を助けることができたのかもしれない」

「お前が謝る必要はどこにもないさ」
「え?」
「ワシが駆け付けた時には、既にサクラは手遅れだったのだ。お前の治癒魔法でも治すことができぬほどにな」


サキョウは知っている。ジハードの治癒魔法は、決して万能ではないことを。
死んだ者は勿論、死にゆく者を治すことはできない。命の灯が消えていく速さに、治癒力が追い付かないのだ。
サクラに『己の選んだ道を後悔するな』と言われたが、墓参りなどに行かなければ彼女を守ることもできたのに。

サクラの亡骸を優しく横たえ、溢れる涙を拭おうともせずに立ち上がったサキョウの耳に怒号が響いた。
それは間違いなく裏庭から聞こえた父モンジの声である。
弾かれたように駆け出した三人が屋敷の裏庭へと回ると、そこには傷付いたモンジやトガクレ達の姿があった。

周囲をじりじりと囲んでいく醜い食屍鬼。それらを笑いながら嗾けているのは、可憐な顔立ちをした少女である。


「あはっ! おじちゃん達いらっしゃーい。やっと全員揃ったねぇ」
「な、なんだお前は……」
「自己紹介が遅れちゃったけど、名前はミカエラっていうの。バアトリちゃんのお友達なのよ。よろしくね!」





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