Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第13章 島国エルキド
第149話 天使の顔をした悪魔
「自己紹介が遅れちゃったけど、名前はミカエラっていうの。バアトリちゃんのお友達なのよ。よろしくね!」
ミカエラと名乗った悪魔族の少女は、きゃらきゃらと悪気のない純粋な笑顔を浮かべてサキョウ達を眺めている。
それよりも聞き捨てならないことを彼女は口にした。『バアトリの友達』だと。
バアトリといえば、邪教・サバトの福音の総本山で戦った悪魔族である。今までにないほど苦戦した相手だった。
右手首に黒薔薇の刺青をした、鞭を使う悪魔族。サキョウの母親を惨殺した悪魔族によく似ている男であった。
「バアトリ……だと?」
「ミカエラはバアトリちゃんの古くからのお友達だからね。お友達が人間に苛められたら、仕返しするでしょ?」
「この騒ぎは全てお前の仕業か。サクラを殺したのもお前か!?」
「あはっ、だってキミ達見てるとイライラするしぃ。悪魔族に理解示している振りとか偽善者ぶるんじゃないよ。
あの必死に人間の振りをしている青い髪の男の子も本当に苛つくな。人間なんかに媚び売ってバッカみたい!」
「……」
「バアトリちゃんが苛められた件とは別に、個人的にキミ達のことは嫌いだし。全員ここで殺しちゃおうかなぁ。
キミ達はイデアのジェムを求めてエルキドに来たんでしょ。残念でした、もうミカエラが奪っちゃいましたー」
バアトリちゃんの情報網を馬鹿にしちゃいけないよ、と彼女は胸を張って見せる。
挑発するように笑みを浮かべているミカエラだが、意外にもサキョウは挑発に乗る様子を見せない。
食屍鬼達と戦って傷付き倒れているモンジやトガクレの元へ、努めて冷静な表情を浮かべながら歩み寄っていく。
「父上、トガクレ。大丈夫か」
「案ずるな、ただの掠り傷じゃ。それよりもあの悪魔族を一刻も早く倒さねばならぬ。あれは大きな災いじゃ!」
「すまんサキョウ。オレがついていながら、たった一人の悪魔族の少女にここまでやられるなんて」
「相手は召喚魔法を使う凶悪な悪魔族。あの見た目に惑わされてはならぬ、奴らは外見で相手を油断させるのだ」
「もしかしてミカエラ無視されてる? えーん、そんなの悲しいなーっ」
サキョウから完全に無視をされている状況のミカエラは、若干不満そうにぷくっと両頬を膨らませて拗ねていた。
そんな様子を眺めていると、ただの幼い少女のようにも見える。しかしその愛らしい姿に騙されてはならない。
悪魔族とは魅力的な姿で人間達の心を奪い、今日まで生き長らえている種族なのだとサキョウは思い知っている。
「ジハード」
「なんだい」
「悪いが、ヤイバや他の門下生達の手当てを頼んだ。あのまま放っておけば、手遅れになってしまうかもしれぬ」
「分かった。けれど、ティエルと二人だけであの悪魔族を相手にするのか」
「……大丈夫だ。屋敷の様子を見に行ったクウォーツや、留守番をしていたリアンもじきにここへ来るさ」
「残念だけど、あの子達ならここには来ないよ。今頃ミカエラの可愛いペット達の餌になっちゃってるかもね!」
「誰が餌になっているんですって!?」
そうミカエラが口にした瞬間、爆音と共に焼け焦げた数体の食屍鬼達の首がこちらに向かって飛んできたのだ。
きゃっ、と短い悲鳴を上げて食屍鬼達の首を避けたミカエラの眼前に向けられたのは赤い剣先。
掠り傷さえ負っていないクウォーツが、彼女に妖刀幻夢を突き出していた。彼の背後には傷を負ったリアンの姿。
ミカエラと座敷で遭遇してしまった二人は、彼女に食屍鬼の群れを嗾けられ、たった今全てを始末してきたのだ。
リアンの怪我はクウォーツが辿り着く前に負ったもので、彼が合流してからは傷一つ負ってはいない。
リアンに食屍鬼達が向かわぬように彼は動いており、そんなクウォーツの背後を彼女が魔法でフォローしていた。
「なぁんだ、生きていたんだぁ。せっかくミカエラが二人仲良くあの世に送ってあげようとしたのにぃ」
「淫魔よ、もう黙れ。サクラの仇、お前のその命でもって償え!!」
「きゃーん! おじちゃんったら怖い顔しないでよぉ。そんな顔されたら、ミカエラ怖くて泣いちゃうじゃない」
遂に怒りが頂点に達したのだろう。修羅のごとく形相で、サキョウが拳を振り上げながら突っ込んできた。
口元を醜く歪めて笑みの形を作ったミカエラは、クウォーツの妖刀幻夢から逃れると屋根の上へ身軽に飛び移る。
宙に向かって差し出された彼女の右手の先に赤い妖気が集っていき、次第に巨大な鎌の姿を作り上げていった。
クウォーツの妖刀幻夢、バアトリのサタネスビュートに続き、悪魔族だけが扱える美しくも毒々しい武具である。
人間が扱えばたちまち生命力を吸い取られて死に至ってしまう、恐ろしい武具だった。
「じゃーん。ミカエラのお仕事道具、デスサイズだよ。あんまり可愛くないデザインだけど、結構役に立つんだ」
けらけらと高い笑い声を上げたミカエラは、デスサイズを軽く構えると真っ直ぐにサキョウへ突っ込んで行った。
掴み掛ろうと伸ばされた太い腕を避け、十分な距離を取ってから真紅の鎌を振り下ろした。
その瞬間。厚い筋肉に覆われたサキョウの胸がぱっくりと大きく裂ける。刃が届く距離ではなかったはずなのに。
「なっ!?」
「大丈夫ですの、サキョウ!」
「……一応言っておくけど、このミカエラちゃんを倒そうだなんて考えない方がいいよ。だって無理だもん」
膝を突くサキョウに駆け寄るリアン。それを横目で確認したティエルは背からイデアを引き抜くと駆け出した。
だが相手は普通の人間ではない。素早さを誇る悪魔族に、ティエルが速さで太刀打ちできるはずがなかった。
あっさりと彼女の一撃をかわしたミカエラは、人間はのろまだなぁ、と馬鹿にしたように溜息をついて見せる。
「やっぱりキミ達大したことないね。なんでバアトリちゃんも、こんな人間達に負けちゃったんだろう?
これならわざわざミカエラが戦う必要はないよね。ペットの食屍鬼ちゃん達に相手をしてもらおうかなー」
ミカエラが指を鳴らすと地面に紫色の魔法陣が現れ、中からぞろぞろと食屍鬼達が這い出てくるではないか。
最早顔の原型が分からぬほど腐り果てた死体達。ただ生ける者の血肉を食らうことだけを求めて動く屍達だ。
アンデッドと大きく違うところは、食屍鬼達の行動を操っているのは、本人ではなく術者のミカエラである。
食屍鬼達一体一体は恐れるほどではないが、彼らは集団で力を発揮する。数で獲物を追い詰める場合が多い。
魔法陣は消えずに食屍鬼達を次々と生み出し続けており、次第にティエル達は囲まれていく形となっていった。
複数を相手にする戦法が得意であるジハードは、現在ヤイバ達の傷を治すためにこの場にはいない。
「リアン、魔法で食屍鬼達を一気に倒せないかな!?」
「言われなくてもやってやりますわよ、冥府に潜む者達集いて灼熱の火炎となれ……メギドフレア!!」
じりじりと迫りくる食屍鬼達の群れに、一歩だけ後ろに下がったリアンは早口で呪文の詠唱を完成させる。
彼女の放った炎の魔法が勢いよく食屍鬼達を包み込むが、燃え盛る炎に身を包まれても彼らは歩みを止めない。
辺りに漂う腐臭。焼かれながら向かってくる食屍鬼達。呪いの籠った呻き声。糸を引きながら滴り落ちる腐肉。
あまりにも凄惨な光景に、思わずティエルの足が竦んでしまう。
この世の地獄だ、と放心したように座り込むモンジの隣で、拳を握り締めたトガクレが食屍鬼達に向かっていく。
力強い拳は食屍鬼の頭蓋骨を粉砕し、一体、また一体と確実に仕留めていった。やはり師範代というだけはある。
「畜生、邪魔をするな食屍鬼どもよ! ワシが用があるのはあの悪魔族だけだ……!」
一刻も早くミカエラを倒すために駆け出したサキョウは、行く手を阻む食屍鬼達の群れで足止めを食らっていた。
倒せど倒せど魔法陣から食屍鬼達は湧き出てくる。止める方法はただ一つ。術者を倒すことだった。
心底悔しげに唇を噛み締めるサキョウの様子を満足そうに眺めていたミカエラの目が細められ、鎌を振り上げる。
途端に散る火花。
音もなく背後から振り下ろされたクウォーツの真紅の剣と、ミカエラの真紅の鎌が激しく打ち合いを始めたのだ。
「キミさぁ……それだけ強いのに、なんであいつらと一緒にいるわけ? ねぇ、ミカエラ達の仲間にならない?」
「……」
「実はバアトリちゃんから、キミだけは生かして連れ帰って来いって言われてるんだ。悪い話じゃないでしょ?」
「うるさいな」
彼女の勧誘にも無表情が崩れることもなく、クウォーツが指をぱちんと鳴らすと無数の吸血蝙蝠が姿を現した。
血に飢えた吸血蝙蝠が一斉にミカエラへと向かっていくが、彼女は器用にも一匹残らず切り裂いていく。
だがそれは単なる気を逸らすための囮であった。……そのミカエラの隙を狙って、サキョウが飛び掛かったのだ。
「き、きゃーっ!? やだやだぁ、離れてってばぁー!」
「サクラの無念、父上の、トガクレの、門下生達の痛みを思い知れぇぇっ!!」
「ぎゃっ!?」
ミカエラと取っ組み合ったサキョウは、そのまま彼女を軽々と持ち上げると地面に向かって勢いよく叩き付けた。
短い悲鳴と共に骨の砕けた音が響き、ミカエラは余裕の表情も無くしてもんどり打ちながら倒れている。
サキョウの怪力であれほど力任せに叩き付けられたのだ。彼女の右腕と足は、あらぬ方向へと折れ曲がっていた。
あまりの痛みに痙攣を続ける彼女を、サキョウは哀しみとも憎悪とも言えない眼差しで見つめているだけだった。
早く息の根を止めなければならない。この者はこんなに幼い少女の姿をしていても、サクラを殺した仇なのだ。
ミカエラが倒れたことによって紫色の召喚魔法陣は消え、同時に食屍鬼達の姿も霧のように消え失せていた。
「……畜生、よくもやったな……お洋服、汚れちゃったじゃないっ……」
「!」
「覚えてろ。キミ達全員、バラバラにして殺してやる。悪魔族を敵に回すと、とっても怖いんだから……!」
憎しみの表情でミカエラはぎりぎりと歯ぎしりをすると、折れた側とは逆の足で地面を蹴ると屋根へと飛び移る。
そして転移の魔法が封じ込められていた水晶玉を懐から取り出すと、己の足元へと投げ付けた。
煙に包まれた彼女の姿は一瞬にして消え失せ、ころん、と忘れ去られたかのように一つの宝石が転がり落ちた。
角度によって様々な色に輝く宝石。セレステールで手に入れたイデアのジェムと同じものであった。
誰もが心を奪われるような美しい宝石を、ゆっくりと拾ったサキョウは、握りしめながら声を殺して泣いていた。
先程までは小降りであった雨も、段々と激しさを増しているようだ。
それでも、サクラの亡骸の前で膝を突いて涙を流し続ける彼に、誰一人として声をかけることができなかった。
ティエル達は勿論、父であるモンジも、幼なじみであるトガクレですら声をかけることができなかったのだ。
「サキョウ」
「……今はそっとしておきましょう。私達が何を言っても、きっとサキョウには届かない」
彼に向けて一歩足を踏み出したティエルの肩を、そっとリアンが掴んで首を振った。
愛する女性を突然失ったサキョウの悲しみは計り知れない。そんなこと、リアンに言われなくても分かっている。
分かってはいるけど、ならばどうしたらいいのだ。あんなにもサキョウは故郷に帰るのを楽しみにしていたのに。
肩を震わせて泣き続けるティエルを両手で抱きしめるような形で、リアンは重苦しい表情を浮かべて顔を伏せる。
時折鳴り響く雷鳴。そして稲光だけが、物言わず佇む彼らを照らしていた。
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