Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第2章 旅の幕開け

第15話 イーストビレッジ -4-




……部屋の中には、異様に赤黒い男が立っていた。
だがその男の両腕は、死神の巨大な鎌のようにも見える。まるでカマキリ男である。
べっとりと血が付着していることから、間違いなくこの男がハンター達を襲ったのだ。


「うう……クソガキ来ちまったのか。早く逃げろ、こいつはオレ達の手に負える相手じゃねえ……!」
ベッドの脇には、腹を裂かれたファングが蹲っていた。思わずティエルは駆け寄って彼を支えてやる。

「大丈夫!? 酷い傷だ……あいつが例の殺人犯なの?」
「そうだ。あの両手の鎌を振り回されたら、反撃する暇もなかった。死にたくなかったら今すぐ逃げろ!」


「逃がさねぇ……誰一人として逃がさねぇ。ガキだろうが全員綺麗に切り刻んでやるよ」

カマキリのような男は口元に厭らしい笑いを浮かべると、ティエル達に向かってゆっくりと近付いていく。
赤黒い男だと思ったのは、その男が全身に血を浴びていたためであった。


「さあ、どんな風に切り刻んでほしい? 八つ裂きか、それとも綺麗に首だけか? 両足か、片腕か!!
 なんなら真っ二つというのもありだぜ? ……さあ好きなものを選べ!!」

「ティエル! 後ろを見なさい、賞金首が向かってますわよ!」
既に呪文の詠唱を始めていたリアンは、完成した魔法をカマキリ男に向かって発動させる。

「眩き光よ、貫く刃となりて大地を引き裂かん。くらいなさい、ライトニングサンダー!」
勢いよく放射状に眩い火花が散ったかと思うと、それが一筋になりカマキリ男に直撃する。大ダメージだ。


「うぎゃあぁ、魔女か畜生! この女から先に殺してやる!!」
あの強烈な電撃でまだ動ける体力があるのだろうか。
完全に怒りを露わにしたカマキリ男は、両腕を振り上げながらリアンへと突っ込んでいく。

「させない!」

リアンが傷付くことだけは阻止しなければと、ティエルは地面を強く蹴ってカマキリ男の背を一直線に切り裂いた。
飛んだ血飛沫に一瞬だけ視界を奪われたティエルを、男は右腕の鎌で容赦なく斬り付けるが、
それを驚くべき反射神経で致命傷を避ける。それでも決して浅くはない傷だった。


「ティエル、そいつからすぐに離れて! 内腑煮たぎり、魂燃え尽くす、冥府に潜む者……きゃああぁっ!?」
「バーカ、これ以上魔法は唱えさせねぇよ!」

呪文の詠唱に気付いたカマキリ男は、両手をクロスしつつ正面からリアンに襲い掛かる。
ティエルの様な反射神経を持ち合わせていない彼女は、避けることもできずに直撃を食らってしまったようだ。


「魔女、まずはお前から切り刻んでやる……女の悲鳴と血飛沫ってのは最高に気分が盛り上がるよなぁ?」

腕や太腿から溢れ出た血を押さえながら蹲るリアンに、カマキリ男はゆっくりと歩み寄っていく。
この男の表皮は意外なほど硬い。まるで鋼鉄だ。一撃で剣が使い物にならなくなってしまうかと思うほどであった。
戦い慣れていない自分に、果たしてこの者は倒せるのだろうかとティエルは焦りを覚える。
ハンター達の言うとおり、大人しく逃げた方が良かったのではないだろうか。

(……けれどリアンは、わたしを信用してくれていた。背後を預けてくれていた。……わたしが、)

剣を握り締める手にぎゅっと力が入る。決して戦うことに、肉を切る感触に慣れたわけではない。
けれど、どんなに恐ろしくても。どうしても立ち向かわなくてはならない時がある。


「待て! わたしが相手になる。リアンから離れろ!!」

心臓が口から飛び出そうになるほど緊張している割には、意外に落ち着いた声が出たなとティエルは思った。
最近は恐ろしいことが重なりすぎて感覚が麻痺してしまったのだろうか。
しかし今はそんな事など、どうでもよかった。

案の定ぴたりと足を止めたカマキリ男はティエルを振り返るが、彼女を見た途端に表情が強ばる。
先程までの彼女の気迫と比べ物にならないほどの迫力を纏っていたためであった。
何が彼女をそうさせたのか勿論カマキリ男は知らない。彼女が何のために剣を握っているのか知る由もなかったが、
そのティエルの気迫はカマキリ男やリアンには勿論、ハンターのファング達の目にもはっきりと分かったのだ。


「なんなんだお前は!?」

思わずじりじりと後退を始めたカマキリ男は、怒りに燃える瞳でこちらを真っ直ぐに見据えるティエルを凝視する。
その瞬間。彼女は弾かれたように地面を蹴り、隙だらけのカマキリ男の懐に潜り込んだのだ。

「な……なんで、こんなガキに……オレ……が……」

刃に切り裂かれ、大量の血を吐き出しながらカマキリ男は呻くように呟いた。
リアンは勿論、ファング達も呆気に取られた表情でティエルとカマキリ男を見つめていることしかできなかった。


(あれほど硬い表皮を斬り裂くだなんて、ティエルの持っていた剣は単なる剣じゃなくて魔法アイテムだったの?)

蹲りながらリアンは顔を上げ、ティエルが握りしめている剣を見つめる。
しかし残念ながらどう見ても平凡で、どこにでもあるような簡素な剣である。

(それとも……斬り裂いたのはティエルの力……?)


どさりとカマキリ男が倒れると、ティエルの周囲に取り巻いていた気迫は呆気なく消えてしまった。
一瞬だけ軽い目眩を覚えたティエルだったが、それでもしっかりとした足取りでカマキリ男に歩み寄る。
騒ぎを聞きつけた宿屋の主人も入口から恐る恐る覗き込んでいた。

「カマキリおじさん。ひとつ、聞いてもいい?」
苦しげに口元に笑みを浮かべたまま倒れているカマキリ男の側に、ティエルはそっとしゃがみ込む。

「どうして、こんなことをしたの。どうして、この宿屋に泊まる人たちを殺したりしたの。どうして……?」
「……どうして、か」

ひゅうひゅうとか細い息をしながら、男は口を開く。


「随分昔の話だ。オレがまだ人間だった頃……娘を連れてこの宿屋に泊まったことがあったんだ。
 一度でいいからベムジン寺院へ参拝に行きたいという、病弱な娘の願いを叶えてやろうと思ってな……」
「この宿屋に?」
「ああ、ここは料理が美味しいと有名でな。オレは娘を喜ばせたかった。ただそれだけだった。
 だが……オレが少しの間外に出ていた間に、娘が発作を起こしてしまったんだ」

そう言ったカマキリ男は、生きとし生ける全ての者を呪うような、深い憎しみの瞳を宿屋の主人に向ける。

「すぐに医者を呼んでくれたら死ぬようなことにはならなかった。だが、この男はオレの娘を見殺しにしたんだ!!」
「……ば、化け物め、よくもうちの宿屋の評判を落としてくれたな! さっさとこいつをギルドに渡してくれ!」

うんざりしたように頭を振った主人は、汚らわしいものを眺めるような表情を浮かべてカマキリ男を指さした。
だが勿論、誰一人として動こうとする者はいなかった。


「その日は丁度どこかの金持ちが泊まりに来ていて、この男は接待を邪魔されたくなかったために
 娘の助けを求める声を無視した。『黙っていろ、薄汚い貧乏人』と苦しむ娘に言い放ったそうだな。
 息を引き取る寸前に、あいつが泣きながらそう言っていたんだよ」

カマキリ男は目に涙を溜めながら、ティエルへと振り返る。


「丁度お前くらいの年頃の……オレにとってはそりゃあ可愛い娘だった。それからオレは魔物と契約し、
 強靭な身体を手に入れた。この宿屋の主人をじわじわと追い詰めてやろうと思ったんだよ。
 最後の標的は勿論そこに立っているおと、」

「……早く死ね、化け物!!」

男、と口に出そうとしたカマキリ男の頭を、ぐしゃっという音と共に宿屋の主人は勢いよく踏み潰す。
血が辺りに飛び散り、ティエルの頬に赤い色が点々と付着した。


「お前のせいで、うちの商売はあがったりだ! よくも、よくも、よくも!」

既に息絶えているカマキリ男の顔面を、宿屋の主人は狂ったように踏み続けていた。
その様子を、生き残ったハンターやティエル達は、止めることすらも忘れて呆然と見つめ続けていた。







「ほらよ、百五万リンだ。確かに渡したぞ」

冒険者ギルド前。カマキリ男の死体の運搬を手伝ってくれたファングから、金貨の入った麻袋を手渡される。
他のハンター達も包帯でぐるぐると巻かれ、あの後は皆で医者の元へと駆け込んだのだ。
ファングから手渡された金貨の袋を、ティエルは暫く黙ったまま見つめていた。


「なんだか、あまり納得いかないな。悪いことをしたんだからあのカマキリおじさんは許せないけど、でも……」

最期に涙を流しながらティエルに訴えた彼の顔がいつまでも脳裏に残っている。
この先きっと忘れることはないだろう。


「あの宿屋の主人、最後は鬼気迫るものがありましたわね。どちらが魔物か分からなかったですわぁ」
見た目よりも傷が浅かったのか、治療を受けて随分と元気になったリアンが口を開いた。

「指名手配の恐ろしい殺人犯を倒して賞金は手に入ったんですし……あまり考えすぎると身体に悪いですわよ」
「そうだけどさ……」

未だに納得がいかない様子のティエルの頭を、ファングは優しくぽんぽんと叩く。

「そこのおっぱいボインボイン姉ちゃんの言うとおりだぜ。考えすぎるのも良くないってな。
 ……そんじゃあここでお別れだな。オレ達は仲間を埋葬しなきゃならねーからな、早々にこの町を出るぜ」


「一応あなた達も一緒に戦いましたからね。これ……少ないですけど、埋葬する費用に使って下さいな」

袋の中から金貨を十数枚取り出したリアンは、驚く顔のファングに向かって差し出した。
暫く目を瞬いていた彼は、やがてリアンから金貨を受け取る。


「サンキュー、ありがたく受け取っておくぜ。あんたマジでいい女だな、オレの彼女にしてやってもいいぜ?」
「お断りいたしますわ。……私、年下の男が好きなんですの」
「つれねぇなぁ。まぁ、その気の強いところも魅力的だけどな。年上の男のアダルトな魅力もいいもんだぜ?」
「もう、出発するなら早くしなさいな!」

「へへへ、怒んなって。……そうそう忘れていたぜ、仲間が使っていた別の宿屋を代わりに使ってくれてもいい。
 いくらお前らが並外れて神経が図太くても、あんなことがあった宿屋にこれ以上泊まりたくはねぇだろ」

汚い文字で紙に宿屋の名前と部屋番号を書き殴ると、ファングはそれをティエルに渡した。


「宿泊代は前払いだから、気にせず泊まってくれ。もう二度と会うこともないだろうが……それじゃあな」
「ありがとう、ファング」
「いいってことよ。クソガキ……じゃなくて、ティエル」

軽く手を振ったファングは、待っていた仲間と共に夜の町へと消えていく。
その後ろ姿をいつまでも見つめていたティエルは、握りしめていた手のひらをそっと開いてみた。
手のひらには、まだカマキリ男の血痕がこびり付いているような気がした。

どこか思い詰めた様子のティエルを眺め、リアンは表情を曇らせる。
だが、それからとびきりの眩しい笑顔を浮かべ、後ろからティエルを強く抱きしめたのだ。


「……ティエルっ。これでやっと柔らかいベッドで眠れますわね、だからそんな暗い顔をしないで下さいな!」
「リアン!? びっくりした……」

唐突なリアンの行動に暫く面食らった表情を浮かべていたティエルだったが、やがて笑顔を浮かべた。
リアンの体温を感じながら、彼女はもう一度だけ自分の手のひらを見つめた。


(わたしは、忘れない。何があっても、決してあなたのことは忘れない。……だから、どうか安らかに)
そう心に強く誓ってから見つめた手のひらに、もう血痕は見えなかった。





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