Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第2章 旅の幕開け
第16話 聖なる都ベムジン -1-
聖なる都、ベムジン。
この都での聖職者は一般的に『僧』と呼ばれ、髪を完全に刈り上げ鮮やかな橙色の衣服を身に纏った者達だ。
神に祈りを捧げる時も十字を切らず、胸の前で両手の平を合わせて静かに目を閉じるのだ。
赤や緑、橙色の雫型の屋根が立ち並ぶ独特の文化が栄える聖なる都は、年中各地から訪れる観光客で賑わっている。
そして、この都は本来戦うことを許されないはずの僧侶達の戦士を育てている。
勿論僧として日々徳を積みながら、心身共に鍛える武闘家としての修行も行っていかなければならない。
強靱な肉体と精神、そして何事にも恐れない勇気を持ったそんな者達のことを人々は尊敬の意を込めて、
……モンク僧、と呼んだ。
「わーっ、ここが聖なる都ベムジンなんだね! ねえリアン、どうして頭に髪の毛がないひとが多いの?」
目にしたこともないベムジンの特殊な雰囲気に、ティエルは早速色々なものに興味を示し始めている。
あちこちに松明が燃えているのも相俟って、この都市の異質さをより一層深めている。
「それに屋根が丸いね、どうしてだろう?」
「髪の毛がないんじゃなくて単に毛を剃っているんですのよ。屋根が丸いのは、この都市独特の文化ですわ」
彼女の後ろに続いていたリアンも、ティエルと同じく興奮したように辺りをきょろきょろと見回していた。
「ベムジンには大陸七大美像と名高い、マーチャオ像が祀られているの。本堂に行かないと見れないのかしらね」
「マーチャオ像かー」
「折角訪れたんですから、ひと目くらいは見てみたいですわ」
目が合った僧に深々とお辞儀をされ、ティエルもそれに倣って両手の平を合わせてお辞儀を返してみる。
周囲にはティエル達と同じく旅人装束の者達が、ベムジンの町並みに感嘆の声を洩らしていた。
「そういえば、ここはモンク僧達の聖地とも言われているんですのよ」
いつの間にか数珠のアクセサリーを小さな売店で購入したリアンは、それを太陽の光にかざしている。
きらきらと光を放ち、まるで宝石のようだ。
「僧侶の慈悲深い心と武闘家の屈強な精神。その双方とも持ち併せている、まさに男の中の男といえる存在なのよ」
「へぇー、格好良いね! それってわたしもなれるのかな?」
「う、うーん……女性のモンク僧というのはちょっと聞いたことがないですわ」
呆れ半分にリアンはティエルを眺める。一見すると、どこにでもいるような普通の少女である。
特に整った顔立ちというわけでもなく、とびきり元気で世間知らずなだけの普通を絵に描いたような存在だ。
しかし、確かにリアンはこの目で見たのだ。
カマキリ男と戦った時、ティエルが並々ならぬ剣の腕を見せたことを。あれは決して見間違いではない。
恐らくティエルには自覚がないのだろうが、見習い剣士と言い切ってしまっては惜しい才能である。
じっと自分を見つめるリアンの視線には気付かずに、当のティエルはベムジンの町並みを物珍しそうに眺めていた。
「……それではモンク僧の修行の場でも見に行きます? マーチャオ像も見物できるかもしれませんし。
私、大僧正さんに大切な用があるんですの。そういえばティエルは知り合いの家を探しているんでしたわね。
寺院の人に聞けば場所が分かるかもしれないですわ。名前は知っているの?」
「あ、名前聞くの忘れてた。苗字だったら分かるんだけどなぁ」
「……なあ、聞いたか? あの水と緑の王国メドフォードで内戦があったんだってよ」
「その話はオレも聞いた。なんでも女王とお姫様は、それに巻き込まれて命を落としたんだって」
「可哀相にな……まだお姫様って十五歳の女の子だろう?」
「全ては大臣の策略だったらしいぜ。本当に物騒な話だよな」
観光客と見られる集団の前を横切った時、そんな会話がティエルの耳に飛び込んでくる。
思わず足を止めて集団に顔を向けたが、話を詳しく聞く勇気も出ずにそのまま立ち止まっていた。
こんな遠方にまで噂は広まってしまっているのだ。
彼女の脳裏に、あの憎々しげに笑うヴェリオルと左大臣ゲードルの顔が思い浮かぶ。
(許さない。……絶対に、許さない)
ぎゅっと強く拳を握りしめたティエルの様子に、リアンは眉を顰めて彼女の顔を覗き込んだ。
「……ねえ、ティエル。顔色が少し悪いですわよ。
長旅で疲れたのかしら? 寺院へ向かうのは明日にして、今日はもう宿屋で休んだ方がいいんじゃない?」
「えっ、そうかな!? わたしはいつも通り元気だよ! 早くベムジン寺院に向かおうか!」
リアンの声に勢いよく顔を上げると、ティエルは悟られぬように眩しい笑顔を浮かべて見せる。
笑っていても、恐らく顔が引き攣っているのだろう。不自然すぎて、ティエルは自分でも内心しまったと思う。
案の定鋭いリアンは納得がいっていないのか、カーネリアンの瞳でこちらをじっと見つめている。
澄んだ瞳に耐えきれず、ティエルは思わず視線を逸らしてしまう。
その瞬間、彼女は我が目を疑った。
(……ゴドー!!)
殺されたはずのゴドーが、ゆっくりと通り過ぎたのだ。
(ゴドー、ゴドー……やっぱり生きていたんだね! わたしの所へ戻ってきてくれたんだ!!)
「ゴドー!!」
ぼろぼろと止め処もなく溢れ出した涙を拭うこともせず、ティエルは大きな後ろ姿に向かって叫んだ。
その声に彼は歩みを止め、暫く迷っている様子で立ち止まっていたが、やがて意を決したのか振り返った。
彼は泣いているティエルの姿に一瞬だけ驚いたように表情を崩したが、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「失礼だが、おぬしはどなたかな?」
違った。……完全に人違いであった。
先程はゴドーと瓜二つだと感じたのだが、改めて眺めて見ると全く違ったのだ。
短く切り揃えられた黒髪に、額に巻かれた鉢巻き。大きくどっしりとした鼻、見る者を安心させるような厚い唇。
太い眉の下には、ゴドーとよく似た優しい黒い瞳があった。
年の頃は四十代前半、といったところだろうか。ゴドーよりも些か年若い。
日焼けした健康的な肌。無駄な肉が一切省かれた鋼のような筋肉は、まさに芸術であった。
「お嬢さん。ワシに何かご用かな」
見惚れてしまうほど強靱な肉体の男は、もう一度優しい笑顔で口を開く。怯えさせないように、ゆっくりと。
「あ……ごめんなさい、人違いでした……」
がっくりと力が抜けたように答えたティエルに、精悍な風貌の大男は暫しの間熟考してから口を開いた。
「どうやらワシは、お嬢さんの知り合いに似ていたようだなぁ」
「ううん。気にしないで、よく見たら全然違ったの」
まるで広い海のように全てを包み込む雰囲気を持ったこの大男に、ティエルは素直に好感を持った。
できることなら、もっと話していたい。近くにいたいと思った。
「そうだ、おじさんはベムジンの人だよね?」
「うむ」
「よかったら寺院までの道のりを教えてくれないかな」
聖なる都ベムジンは建造物が重なり合うようにして建てられているため、初めて訪れた者はとても迷いやすい。
そのティエルの言葉に、大男はお安いご用だとばかりに自分の分厚い胸板を叩いて見せる。
「こうして出会ったのも何かの縁だ。よし、ワシがベムジン寺院まで案内しよう!」
「やったあ、ありがとう!」
「……ベムジンって道案内の看板が少ないですし、どうしようかと思っていたんですのよ。不親切な町ですわぁ」
そう言いながら、急にリアンがティエルの背後からぬうっと顔を出した。そういえば彼女も一緒だったのだ。
「あなた達、さっきからこの私の存在を完全に忘れていながら会話をしていましたわよねぇ。切ないですわ……」
「うおっ!? びっくりした。なんだ連れがいたのか、気付かなくてすまんな」
「急に後ろから顔を出さないでよ! 心臓に悪いじゃないの」
「まあ失礼な! 私、心臓に悪い顔なんてしていませんわよ。ちょっと、ティエル逃げるんですの!?」
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先頭を歩く男の広く逞しい背中を見つめながら、ティエルは一つ小さな溜息をついた。
ゴドーはもういないのだ。それは自分でも分かっているつもりであった。けれどやはり認めたくはない。
「お嬢さん達は、このベムジンに参拝に来られたのかな」
道行く人々に軽くお辞儀を返しながら、大男が振り返る。
「まだ若いのに感心なことだなぁ……是非心ゆくまでこのベムジンを堪能してくれ。どこから来たのだ?」
「えっと、あの。わたし、ファーレン王国から来たの」
まさかメドフォード王国と答えるわけにもいかず、ティエルはメドフォードの隣国ファーレンの存在を思い出した。
勿論訪れたこともない国なので、色々と突っ込まれては誤魔化すことができないのだが。
「あなたファーレン王国から来たんですの。知らなかったですわ。あの国は雨が多くて大変だと聞きますけど」
「わはは、そんな遠方から来てくれたのか、ここはどこか落ち着く故郷のような都。旅の疲れを癒やすには十分だ」
笑顔を浮かべた男は、重厚な鉄製の門の前まで来ると立ち止まる。門からはびりびりとした威圧を感じるが、
どこか開放的で窮屈さを感じないのは、寺の僧侶達の人柄が現れているのだろうか。
「ここがベムジン寺院だ。……ワシはここで失礼しよう」
「ありがとう、おじさんのお陰で助かったよ!」
「いよいよ寺院ですわよぉ。どきどきいたしますわね」
お礼を述べるティエル達に向かって静かに両手の平を合わせた大男は、元来た道を戻りながら、
「ゴドー、か」
と、小さく呟いた。
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