Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第2章 旅の幕開け
第17話 聖なる都ベムジン -2-
「わあぁぁぁー……」
この実に間の抜けた声は、
首が痛くなるほど暫く寺院を見上げていたティエルが、やっとのことで口にした言葉である。
重厚にして堅牢、立派な石造りの建造物がそこにあった。
朱の色に塗られた太い柱。大人三人が手を繋いでも届きそうもないほど巨大である。
金箔のアクセントがとても美しい。
深い緑色の塗装……というより、元来の色合いなのだろうか。経年劣化で変色している部分ですら芸術的であった。
上半身を晒した筋骨逞しい男達が、様々な場所で祈りを捧げて(瞑想というらしい)いるのが見えた。
綺麗に剃り上げられた頭。その一部分だけを長く伸ばし、綺麗に編んでいる者も見受けられる。
これもまた初めて見る髪形だ。リアンに尋ねたところ、弁髪という由緒正しい髪型なのだそうだ。
そんな光景を眺めていると、ティエルとリアンは一瞬異世界に迷い込んでしまったような感覚に襲われた。
屈強な僧侶達が寺院内を忙しそうに歩いている。
ぼうっと突っ立って眺めている二人に気付いたのか、入口付近にいる若い弁髪の男が近付いてきた。
「ようこそ、ベムジン寺院へ。我々はあなた方を歓迎いたします」
静かに両手を合わせ、深々とお辞儀をする。慌ててティエル達も同じように頭を下げる。
「今日は参拝に来られたのですか? それとも、マーチャオ像を見学されたいとか」
「わたし、モンク僧の修行が見てみたいな! 勿論そのマーチャオ像っていうのも見たいんだけど」
興奮して、声が半分裏返ってしまっていた。とにかくティエルは噂のモンク僧とやらを間近で見たかったのだ。
やはり強い者には憧れがある。
「私は大僧正様にお会いしたいんですけど……突然訪れて、そんな簡単には会えませんわよね?」
会釈をしつつ前に進み出たリアンに、弁髪の男は暫く考えてから口を開いた。
「シグン大僧正様にご用の方ですか。勿論、モンク僧の修行やマーチャオ像はいつでも見学することができますよ。
しかし大僧正様はかなりお年を召されており、面会の予約がない方がお会いになるのは難しいと思われますが」
「そういえば、リアンって大僧正さんに用があるって言っていたよね」
「そこをお願いできませんの? ねぇ逞しいお兄さぁん」
「わわっ、ち、ちょっと!? 困りますよ……」
顔を赤くさせながら困り果てる弁髪の男に、ぐいぐいと自慢の大きな胸を押し当てながら詰め寄るリアン。
「そ……そういえば確か……長い茶色の髪をした少女が訪ねてきたらすぐに伝えるように、とお伺いしております。
あなたがその方なのかは分かりませんが、すぐに確認してまいります。名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「わたしはティエルだよ」
「ティエルさんですね。そうだ、確認をしている間……寺院を見学されていてはどうでしょう」
「だったらわたし、モンク僧の修行場を見に行きたいな!」
「それじゃ、私はマーチャオ像を見たいですわね」
「了解いたしました。では三十分後に、この場所でお待ちいただけますか」
両手を静かに合わせ、弁髪の男は大僧まさに面会を申請するために奥の廊下へと歩いて行った。
「……それにしても、すごく礼儀正しいおにいさんだったね」
「礼儀作法も大切な心得の一つなんですのよ。ティエルもモンク僧に礼儀を一から教えてもらったらいかが?」
「失礼だなぁ。一応わたしは礼儀作法くらい城で習って……ううん、やっぱりなんでもないや」
思わずリアンに詰め寄るが、急にぎこちない笑顔を浮かべたティエルはそそくさと彼女から離れていく。
「さあ、さっそく寺院観光に行こうよ!」
「……? おかしな子ですわね」
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朱色と緑に統一されたベムジン寺院の内装は、まさに見事であった。
豪華や派手だという印象はないが、質素かつ堅実な内装に漂う重厚な空気。
まるで屈強なモンク僧たちを表現しているようにも感じられた。
マーチャオ像と呼ばれ、大陸七大美像に数えられる仏像が祀られている大広間へやって来たティエル達。
高さは約八メートルほどで、全体的にくすんだ赤褐色をしていた。
耳たぶの豊かな三つの顔を持ち、それぞれ慈愛、修羅、無を象徴する表情を浮かべているのだと説明書きがある。
「ねぇ、この修羅の顔ってすごく恐くない? 怒ったときのゴドーの顔にそっくりだ」
鬼のような形相の修羅の顔を怒ったゴドーと重ねてしまう。もう二度と目にすることのできない彼の表情。
毎日のようにゴドーに叱られていた日常は、戻ってこない。
「前から思っていたんですけど、ゴドーって誰なんですの? もしかして、ティエルのお父さんかしら?」
「……うん、そんな感じ。お父さんみたいなひと」
手摺りから身を乗り出していたティエルだったが、ひらりと身軽に地面に着地すると歩き始めた。
「弁髪のおにいさんとの約束の時間までまだまだあるよね。次はモンク僧の修行の場に行ってみようよ。
女の子の僧侶もいるのかな?」
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「ここがモンク僧の修行場かぁ!」
場のあまりの熱気に、暫くティエルとリアンは文字通り口を開けたまま突っ立っていた。
鍛え抜かれた男達の発する熱い闘気は、部屋の温度までもを大幅に上げてしまっているようだ。
様々な心得や厳しい戒律が書かれた張り紙が至る所に貼られていた。『魔よ滅せよ』『禁酒禁欲』など様々だ。
板張りの床が軋むほど強く地面を蹴り、見事な宙返りを披露しているモンク僧の姿もあった。
せいや、せいやという大きな掛け声と共に、脇を締めて拳を突き出す。その動きに隙はない。
「うわぁ、やっぱりモンク僧ってかっこいいな。あれリアン……なんだか顔色が悪いけど、どうかしたの?」
モンク僧達の熱い修行に思わず感激したティエルは、興奮醒め切らぬまま隣のリアンに声をかけた。
しかし、彼女は青い顔をしながらふらふらとその場に崩れ落ちる。
「私、こういう男臭すぎる場所は苦手なんですのよ……ううっ、汗臭い……野蛮な男達の蒸れた臭いがしますわ」
「はぁ!? なにそれ、意味が分からないよ」
呆れたように言ったティエルの言葉も、半分程度しか聞いていないのだろう。
先に行けとばかりにリアンは手を振って訴える。
仕方なくティエルは手摺りの近くで蹲っているリアンをそのままに、修行場へと足を踏み入れた。
「おや、珍しい。女性が見学に来られるのは久しぶりですよ!」
流れ落ちる汗を拭いながら、立派な体格をしたモンク僧見習いがティエルへ声をかけた。
がっしりとした腕など、彼女の腕の三倍ほどもある。
この者と勝負をしたら完全に負けてしまうだろうなと考えて、ティエルは少々落ち込んだ。
「ここの人たちは皆強いんだね、心も身体も。羨ましいな。わたし、体験レッスンがあったら参加してみたい!」
眩しい汗を飛び散らせ、拳を前に突き出すモンク僧達。大木でさえも折ってしまいそうな激しい勢いである。
「ねえ、女の人のモンク僧は少ないのかな? この修行場にはいないみたいだけど」
「ははは、勿論女性のモンク僧もおりますよ。まぁ……男と比べて圧倒的に数は少ないかもしれませんが」
そう言ってからモンク僧見習いはバツが悪そうに笑う。
「ところで手摺りの側でぐったりとしている女性は、お連れの方ですか? 随分と顔色が悪いようですが……」
「リアンのことだったら大丈夫だよ。少しここの熱気にやられちゃったみたい」
「ティエル、早く戻ってきなさいなー!」
遠くから青い顔をしながらリアンが何やら叫んでいるが、男達の声に搔き消されてよく聞き取れない。
「興味があれば体験レッスンに来て下さい、我々はいつでも歓迎しますよ」
「ありがとう、お邪魔しちゃった」
見習いモンク僧に軽く礼を述べると、ティエルは未だにしゃがみ込んでいるリアンの元へ駆け寄った。
ティエルの顔を目にしたリアンは、ほっとしたように額の汗を拭った。
「……もう満足いたしましたの? それにしても、ティエルの意外な好みが分かってしまいましたわ。
まさかあなたが汗の飛び散るムキムキのマッチョ男が好きだったなんて……私には絶対に無理なタイプですわね」
「なにそれ? 別にわたしは、そんな目的でモンク僧の修行の場を見に行ったんじゃないもん」
「うふふ、別に照れなくてもいいじゃない。あなたのことが一つ知れて嬉しいんですから」
「だから違うってば」
「でも私は汗臭さとは縁遠い、まるで薔薇の匂いが周囲に香るような……細身で優雅な美青年がいいですわねぇ」
「リアン、ひとの話全然聞いてないな!」
そんな他愛のない言い合いを続けながら弁髪の男との待ち合わせ場所へ向かうと、
丁度男がこちらに向かって走って来るのが見えた。
「……大変お待たせいたしました!」
「どうだったんですの? やっぱり会うのは無理かしら?」
「いえ、シグン大僧正様はお会いになられるそうです。ささ、こちらへご案内いたします」
弁髪の男に続いて、関係者以外立ち入り禁止である静まり返った廊下にティエル達は案内された。
歩みに合わせて揺れる男の三つ編みを後ろから眺めながら、ティエルはふと思いついたように口を開く。
「大僧正ってどんなひとなのかな? 確かこのベムジンで、一番偉いお坊さんなんだよね」
「シグン大僧正様は、あの伝説の生きた仏と言われるゼミダラ前大僧正様の一番弟子であったお方なのですよ」
「へぇ……」
「ティエル。折角僧侶さんが説明してくれているんですから、もう少し興味のありそうな相槌を打ちなさいな」
「あ、ごめん。別に興味がないわけじゃないんだよ。リアンはどうしてその人に用があるの?」
「そのうちに分かりますわよ」
「ふーん、いいけどさ」
どこか含みのあるリアンの言い方に、然程興味を示す様子もないティエルの前に大きな扉が現れた。
修行僧の男はティエルとリアンに対して一旦制止の仕草を取ると、力強く扉をノックした。
ドンドン。
二回叩いた後、背筋をしゃんと伸ばしてはっきりとした声で言葉を発する。
「シグン大僧正様、お客様をお連れいたしました!」
「……入りなさい」
扉の中から嗄れた老人の声が聞こえると、軋んだ大きな音が鳴りゆっくりと扉が開かれていく。
部屋の中は薄暗く、様子がよく分からない。
「それでは、わたくしはこれで」
軽く会釈をすると、修行僧は一礼をして去っていった。
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