Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第2章 旅の幕開け
第18話 ベムジン大僧正
隣のリアンに目で促され、意を決したティエルは恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れる。
嗅いだことのない異国のお香が微かに香る、意外にもこじんまりとした質素な部屋だった。
あちこちに経典と思われる書物が山積みになっており、大僧正自らが書いたと思われるお経の束も積まれている。
部屋の奥にマーチャオ像を象った銅像が祀られ、一人の老人が背を向けて立っていた。
ぱたんと扉が閉じると、大僧正と思われる人物はゆっくりとした動作で振り返る。
紫紺の法衣に身を包み、美しいベムジンの紋章が刺繍されている帽子を身に付けていた。
長い眉毛は見事に垂れ下がり、表情を察することはできない。
胸元まである長いヒゲを静かに撫でながら、シグン大僧正はティエル達に向かって深々と頭を垂れた。
「おぉ……ずっと待ちわびておりました。メドフォード王国の姫君、ティアイエル王女殿下」
「え?」
「今なんて言いましたの?」
名前と素性を言い当てられたことに対して驚くティエルと、姫君という言葉に反応するリアン。
「姫君って、まさか……このティエルが!?」
「そうです。ティアイエル王女殿下、ワシはあなたがベムジンを訪れる日を今か今かと待ち望んでおりました」
長い眉毛の間からちらりと見えたシグン大僧正の瞳は、優しい光を湛えた黒い瞳であった。
「国が悪しき者の手に渡り、ミランダ女王陛下……そしてあなたがお亡くなりになったという噂を聞いても、
ワシは決して信じたりはしなかった。必ず生きていると信じていた。あなたがご無事で……本当によかった」
「……ミランダおばあさまを知っているの?」
「ええ、それは勿論。ワシがまだまだ無鉄砲な若者だった頃、ミランダ様には大変お世話になりました」
「うそ、信じられませんわ……」
ティエルが姫君だというあまりにも衝撃的な事実に、リアンはただ茫然とすることしかできない。
よりにもよって、この姫君とは一番縁遠いような少女が正真正銘の大国の姫君だったとは。
確かに世間知らずだったのも頷ける。
「色々とお話したいことは沢山ありますが、まずは座って下され。立ち話は年寄りには厳しいですからのう」
傍らのティーポットから、茶色に濁った薬茶をカップに注ぐと大僧正はそれを二人に勧めた。
つんと鼻につく独特な刺激臭のため二人が飲めないでいると、大僧正は笑みを浮かべてカップに口を付ける。
「ところで姫様……そちらの女性はご友人ですか? 旅は道連れ世は情け。仲間がいると心強いですからのう」
「私はリアンと申しますの。古より伝わる封魔石について、シグン大僧正さんがお詳しいと聞いて」
「ほう、封魔石とな?」
「認めた者のみに莫大な力を授けてくれる魔石……何か知っていることがあったら是非教えていただけないかしら」
「あ、歴史の授業で聞いたことがあるよ。封魔石って使い方を誤れば国一つ滅ぼしてしまう恐ろしい力を持つって」
おぼろげな記憶であった。勉強不足のティエルは首を傾げながら、話についていくのが精一杯だ。
「封魔石……ほっほっほ、何でしたっけな。最近は物忘れが激しくなってきてのう」
「忘れてしまったんですの!?」
「冗談じゃよ、冗談。若い者は血気盛んで羨ましいのう」
長い顎髭を撫でながら、大僧正は愉快そうに笑った。
「莫大な力を授けてくれる封魔石。しかし使用者の精神力を大幅に削り取ってしまう諸刃の剣でもある。
精神が未熟な者が使用すればたちまち生命を奪われてしまうこともある。それはそれは恐ろしい魔石なのじゃよ」
「私が必要なのは、イデアと呼ばれている封魔石。多くの国を救い、そして滅ぼしたという伝説を持つ魔石ですわ」
「……封魔石は、決して人間が触れてはいけない代物じゃ。あれは人の心を簡単に悪魔へと変えてしまう」
呟くように大僧正は言葉を発した。
「意図せず戦乱の根元になることもある。お前さんは封魔石を手に入れて、一体どうするつもりなのじゃ?」
「私は……」
そこまで言いかけた時、リアンは今まで見せたこともないほど険しい表情を浮かべる。
思わずティエルは言葉を飲み込んで彼女のカーネリアンの瞳を見つめた。……その時。
「シグン大僧正様、大変です!」
ばん、と乱暴に扉が開いて修行僧が部屋に飛び込んでくる。
「魔物が結界を抜けて寺院内に潜り込んでいた模様です。お客人と共に早く安全なところへお逃げください!」
「ワシの事は構わぬ。それよりもこのお客人は、何があっても絶対に守り抜かねばならん!」
先程までの飄々とした様子は消え失せ、シグン大僧正は修行僧に簡単に指示を伝えるとティエル達に向き直った。
このベムジンの多くの僧侶達を束ねている、威厳と力に満ち溢れている存在だ。
「ティアイエル姫様、リアン殿。こういう状況じゃ、どうか早く安全なところへお逃げくだされ」
「どうして魔物がベムジン寺院に入り込んでいたんですの? 何が狙いなんですのよ?」
「狙いは寺院の破壊と僧侶の殲滅じゃろう。ベムジンは聖なる都。それは人間の心の拠り所とも言える場所じゃ。
魔に属する者どもにとってこの町は、奴らに都合が悪すぎるものがあまりにも多い。だから壊すのじゃよ」
そう言うと大僧正は床の絨毯をめくり、隠し通路の入口に視線を向ける。
「どうか今は早くお逃げくだされ。ティアイエル姫様、また後ほどお会いいたしましょう!」
「おじいさんはどうするの? ここに残って、魔物と戦うの?」
「優しいお心遣い感謝します姫様。しかしワシも僧の端くれ。ベムジンを守る義務がありますのじゃ」
「だ……大僧正様っ、そちらに何匹か魔物が……ぐあっ!」
その声と共に恐ろしくも醜悪な魔物が廊下の影からぬっと姿を現した。
巨大な牛が二足歩行しているような容貌の魔物達だ。手には血濡れた斧を所持している。
その斧で誰かの命を既に奪った後なのだろうか。
「反対側の廊下からも来ましたわ! ティエルったら何を突っ立っているんですの、早く逃げますわよ!」
「う、うん……」
そう言いかけて、急かされるようにティエルが隠し通路の階段に足を向けた時。周囲に大きな声が響き渡る。
「シグン大僧正様をお守りしろ、決して魔物どもの好きにはさせるな!」
一際力強く太い男の声が聞こえると、数人の屈強な男達を従えた精悍な黒髪の巨漢が姿を現したのだ。
「皆の者、行くぞ!!」
「おう!」
選り抜きの戦闘僧侶、モンク僧。
やはりその名前は伊達ではなく、勝るとも劣らない体格の魔物相手に互角以上の戦いを繰り広げている。
次々と魔物をその拳で粉砕していくモンク僧の姿は、頼もしくも勇ましくもあった。
戦いぶりに足を止めながら見惚れているリアンの隣で、ティエルはある男を見つめたまま視線を逸らせなくなる。
「陣形で囲むのだ! 一体に集中しろ、複数を相手にしてはいかん!!」
「あのおじさん……」
無意識のうちに呟き、ティエルはぎゅっと手を握りしめる。
何故なら先頭に立って指示を出し、自らも勇ましく魔物に立ち向かっているモンク僧……。
彼はあのベムジン寺院まで快く案内をしてくれた、どこかゴドーと似ている男であった。
「……モンク僧だったんだ」
「ティアイエル姫様、サキョウをご存知ですか?」
彼女の呟きを耳にして振り返ったシグン大僧正。
「そういえばサキョウの兄は、メドフォードで教師をしていると聞いたことがあります。確か名はゴドーと……」
(だから見間違えちゃったんだ。ゴドーの弟だから、一瞬だけ見間違えちゃったんだ。
ごめんなさいと何度謝っても済む事じゃないけれど……あなたの兄は、わたしのせいで死んでしまった)
「うがぁぁぁっ!?」
突如響き渡った悲痛な悲鳴。顔を上げると、モンク僧の一人が魔物の吐き出した炎に包まれていたのだ。
それを機に魔物達は斧を投げ捨て、灼熱の炎を僧侶達に向かって吐き付ける。
無敵であった生身の僧兵達は、炎を前にしては手出しができない。彼らは次々と壁際に追い詰められていった。
やがて立ち上がっているモンク僧の姿も少なくなり、その先頭にいたサキョウは歯を食い縛る。
「ううむ……まさか炎を吐き出すとはな」
それでも彼は諦めることはない。拳に力を込めると、唸り声をあげて恐れもなく魔物に向かっていった。
「だが、ベムジンはワシが必ず守り抜く!!」
(……このまま、もしもゴドーだけではなく弟のサキョウまでもが魔物に殺されてしまったら?
わたしが何もできなかったから? 見ていることしかできなかったから? わたしが……無力だから……?)
強く握り締めた手の平に、汗が滲んでいた。
身体がぶるぶると小刻みに震え始める。恐怖のためではない、別の理由であった。
(誓ったじゃないか、あの日。もう誰も失うことのないように、守れる強さが欲しいって……!)
あの炎の夜。なす術もなく、目の前で倒れていく者達。殺されていく者達。彼らはまだ生き続けたかったはずだ。
ティエルがあまりにも臆病で弱かったせいで、誰一人として助けることができなかった。
そんな葛藤を続けるティエルの視線が、隣に静かに佇むリアンと合った。
「……大丈夫、きっとあなたなら」
そしてリアンは愛用の大きなロッドを構え、しっかりと真っ直ぐに。ティエルの瞳を見つめた。
「一番大切なのは強さよりも……誰かを守りたいという、強く願う心なんじゃないかしら」
「うん、リアン。きっと、そうだよね……!」
涙を瞳に溜めながら頷いたティエルを眺め、リアンはにっこりと満足そうにロッドを振り上げた。
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