Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第14章 BLACK・KNIGHTS
第154話 ……わからないよ
「クウォーツ、こんな所で何を……」
そこまで言いかけたリアンは口を閉ざし、思わず落としてしまった愛用のロッドを拾うために片膝を突いた。
まさかこんな場所で彼の姿を見かけるなんて夢にも思わなかった。
薄暗い路地で絡み合う男女の姿など、娼婦街では特に珍しい光景ではない。ここに来るまで何組も目にしていた。
男女の睦み合いを覗き見する趣味もないので、今回もリアンはそのまま路地の横を通り過ぎようとしていたのだ。
……そう、青い髪を目にするまでは。青い髪なんてクウォーツ以外にいるはずがない。何故ここに彼がいるのだ。
男が娼婦街にいる理由なんて一つだけだ。女を買いに来たのだ。まさか、そんな。いや、彼も男だ。仕方がない。
だが仕方がないと心は理解をしていても、認めたくはない。どす黒い嫉妬心がリアンの中に渦巻いてしまう。
第一ハイブルグ時代からクウォーツは『愛人をやっていた』と言っていたではないか。それも一人だけではない。
この間のマリアに対する態度から見ても、彼は貞操観念が非常に緩い青年なのだということも勿論知っている。
それは、男だからという以前に悪魔族という種族柄仕方がないことではあったが。女を買うくらい些細なことだ。
リアンの声に振り返ったクウォーツの口は血で汚れていた。『血』が目的なのか、『精気』が目的だったのか。
もしかしたらその両方なのかもしれない。悪魔族は性行為で精気を得ることができるのだ。
彼の前ではできるだけ素直な女であろうと決心したはずであったが、心にも思っていない台詞が彼女の口を出る。
「あ……あらまあ、どうやら私はお邪魔だったみたいですわね。立ち去った方がよろしいかしら?」
口を汚す血を拭おうともせずにただ無表情でリアンを見つめているクウォーツから、思わず目を逸らしてしまう。
吸血されていた女はどうやら娼婦だったようだ。いいところだったのに、と悪態をつきながら身を起こしていた。
首筋にうっすらと牙の痕が残ってはいるが、生きていた。そして吸血されていたことを気にも留めてはいない。
「ちょっと何なのよぉ、せっかく盛り上がっていたのに邪魔しないでくれる?」
「悪かったですわね。……あなた、この男には気を付けなさい。軽い気持ちで近付くと、痛い目に遭いますわよ」
「なぁに、それどういう意味よ? あーあ。なーんか邪魔されたから白けちゃったじゃない」
壁に手を付きながらゆっくりと立ち上がった娼婦は、スカートの砂を軽く叩き落とした。
そして未だ地面に座り込んだまま言葉を発しないクウォーツに向け、名残惜しそうな表情を浮かべて笑いかける。
「とびきり色男のお兄さん。せっかくいいところだったのに、邪魔をされちゃったわね」
「……」
「そうだ。もし次に会うことができたら、大サービスでタダで抱かせてあげる。あんた、すっごく上手そうだし」
「なっ……何を言っているんですの、もう用が済んだら行きなさいな!」
「はいはい、じゃーね」
ひらひらと手を振って見せた娼婦は、背を向けると次の客を求めて歩き始める。特に命には別条はなさそうだ。
彼女が去った後でも、重苦しい沈黙が続く。重苦しいと感じているのは恐らくリアン一人だけなのだろうが。
どのくらい黙り込んでいたのか。リアンは大きな溜息をつくと、己の白いハンカチをクウォーツへと差し出した。
「口の周り……血だらけですわよ。その姿で町を歩いたら、それこそヴァンパイアハンターに通報されますわ」
座り込んだままクウォーツは差し出されたハンカチを見つめていたが、ふいと視線を外して手の甲で口を拭う。
リアンが現れなければ、今頃あの娼婦は血を吸われつくして確実に死んでいただろう。
だが血を摂取したことによってクウォーツの身体から先程まで感じていた倦怠感と飢えは綺麗に消え去っていた。
「そんなに機嫌を損ねないで下さいな。私だってあなたのプライベートを邪魔するつもりはなかったんですのよ」
「……」
「大体邪魔をされたくなかったら、外でなんかしてないで勝手にホテルでもどこでも行けばよかったんですから」
クウォーツは口を閉ざし続けている。
何も答えず、表情すらも動かず。彼の特徴的なアイスブルーの瞳は、その名の通り氷のように冷めきっていて。
それから静かに立ち上がったクウォーツは、リアンに顔すら向けずに薄暗い路地の更に奥へと歩き始めた。
「ちょっと、待ちなさいよクウォーツ! 私の話を聞いているんですの!?」
「私は」
「……え?」
「私は、もうこれ以上……お前達の側にいてはいけないんだと思う」
一体何を言い出すのだろう、クウォーツは。……できることなら聞き間違いだと思いたかった。
振り返った彼はリアンの瞳に視線を合わせることもなく、古びた煉瓦の壁をゆっくりと指でなぞっているだけだ。
彼の指先に黒い煤のような粉が付着していく。いや。そんなことよりも、まずは彼に何か答えなければならない。
「と……突然どうしたんですのよ。あんな場面を私に見られた程度で、側にいられないだなんて大袈裟ですわ」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題? 今はそんな冗談が言えるような状況じゃないって、あなたも分かっているでしょう」
「分かっている」
「なら、どうして」
「……正直、もう限界なんだ。悪魔族が人間の振りをして生きていくことが。そもそも不可能なことだったんだ」
如何なる時でも弱音を決して吐くことのないクウォーツが。その彼が、はっきりと『限界』だと口にしたのだ。
それほどまでに彼は追い詰められていた。己が悪魔族であることを。周囲が人間ばかりであることを。
確かに以前のリアンは知らずのうちに、彼に人間であることを強いていた。血を摂取することを好まなかった。
だがその行動が悪魔族であるクウォーツの命を削ってしまう行動だと気付いてからは、強いることをやめたのだ。
「前にも言ったが、私は血や精気を摂取しなければ衰弱する身だ」
「……知っていますわ」
「その対象がいつか貴様達になるかもしれない。無防備に眠る貴様達に、牙を突き立てる日が来るかもしれない」
「で、でも……今までだって大丈夫だったじゃない? そうよ。だからこれからだって、きっと大丈夫ですわ」
「何故そう言い切れる。……当人の私が言っているんだ、もう限界だと。貴様だって本当は気付いているはずだ」
そんなこと、クウォーツに言われなくともよく分かっている。
彼の危うい精神力で保たれていた旅だったのだ。そして、この先彼が豹変しないという保証はどこにもなかった。
心のどこかではそう理解していたリアンだったが、彼を失ってしまうことを恐れて、あえて目を背け続けていた。
「それなら血なんて好きなだけ私があげますわ。あ……あなたさえ嫌じゃなければ、精気だっていくらでも……」
「……」
「ど、どうして黙るんですのよ」
「そこまでして私が側にいる必要があるのか。それでは貴様達にとって、私の存在は単なる重荷になってしまう」
「重荷なんかじゃ」
「私は見てのとおり感情が欠けている男だ。そんな私が側にいたところで、貴様達に一体何の得がある」
「それは」
「一番大切なはずの、愛という感情がない。どうやって愛せばいいのか分からない。愛し方が分からないんだ」
クウォーツは、愛という感情を持つことのできない自分を、リアン達の重荷だと思っている。思い込んでいる。
親愛の情も友愛の情も理解できなければ、彼女達と共にいる資格はないと思っているのだ。
血を摂取しなければ生きていけないのなら、リアンはおろかジハードやティエルも喜んで血を差し出すだろう。
だがクウォーツは『そんなに負担をかけてまで、感情のない己が共にいる必要があるのか』と疑問を持っている。
どうすれば彼に分かってもらえるのだろう。感情がないのではなく、自分の感情に気付いていないだけなのだと。
「愛せないから、感情が欠けているから、とか……損得を考えてあなたと一緒にいるわけじゃないんですけどね」
「……」
「こんな風に悩んだり迷ったりしていることが立派な感情じゃない。お願いだから、自分の感情を否定しないで」
「そんなことは」
「少し強がりで無神経だけど、青臭く悩んだりしていて。そんな、いつも精一杯生きているあなたが皆好きなの」
仲間として。そう、これは仲間としての好意だ。そう思うと、リアンの口からは素直な言葉が溢れてきたのだ。
己に向けられる全ての愛情を偽りだと思い込んでいるクウォーツに、この言葉が届くとは思ってはいない。
暫く無表情で彼女を見つめていたクウォーツだったが、やはり理解できないといった様子で力なく首を振った。
「分からないよ。分からない。……そう言われたとき、一体どんな顔をしてなんて言えばいいんだ」
「クウォーツ」
「嬉しいよ。ありがとう。私も好きだよ。そんな言葉を伝えればいいのか? それとも別の言葉を伝えるのか?」
「……」
「教えてくれ。私は今、お前になんて言えばいい?」
やはり彼には届かなかった。それでもいい。……それでも、少しでも伝わることを期待していたのかもしれない。
一体何が彼から感情を奪ったのだろう。何が原因で、彼は感情の大部分を失ってしまったのだろう。
「飾られただけの甘い言葉なんかいりませんわ」
「……」
「あなたが今思ったことを、そのまま口にすればいい。ただ、あなたの本当の言葉が聞きたい」
「今、思ったことを」
「ええ」
「……何も……思わなかった。本当に何も、思わなかったんだ」
暫くの間沈黙を続けていたクウォーツだが、やがてゆっくりと顔を上げる。普段と変わらぬ無表情であった。
そんな彼の様子を目にしたリアンは、彼を責めるようなことは口にせずに寂しげな笑顔を浮かべる。
出会ったばかりの頃は彼を責めていただろう。どうして分かってくれないの、と恐らく彼を詰っていただろう。
だが、彼もきっと悩んでいる。ティエル達と出会ってから、クウォーツは悩んで、迷って、生き方を探している。
光の下で生きる悪魔族の生き方を探している。そんな彼を、これ以上責める気なんて起きなかった。
この話題はもう終わりにしなければ。きっと彼も、これ以上話題を引きずり続けるのを良しとはしないだろう。
「ねぇ、クウォーツ。もう時間も遅いですし。あなたは先にホテルに戻っていて下さいな。夕食は済ませたの?」
「貴様は」
「え?」
「貴様は一緒に帰らないのか」
「ええまぁ……まだ用事が残っていまして」
サバス・コレクションに参加するための会員証を求めて、ダフ屋の場所を突き止めたところまでは順調だった。
しかしダフ屋のヘルグという男は相当の好色らしく、男には高額の値段を、女には身体を要求するのだという。
好きでもない男に抱かれることなど慣れている、とリアンは己に言い聞かせながらここまで来たのはいいのだが。
やはりクウォーツ以外の男には身体を触れられたくはないと、こんな時間まで悩み続けているのが現状であった。
我ながら弱くなったものだ。人をここまで変えてしまう『愛』という感情は、なかなか厄介である。
「用事?」
「そう、大したことのない用事ですわ」
「大したことがなければ別に明日でもいいだろう。恐らく、オークションに参加するための会員証絡みだろうが」
「だから大したことがないって言っているじゃない。しつこい男はモテませんわよ」
「そんなことはいい。さっさと話せ」
「もう、分かりましたわよ……相変わらず強引な男ですわね」
彼は自分に対する好意には呆れるほど鈍感なのに、それ以外の事柄に対しては鋭い。嘘を瞬時に見抜いてしまう。
嘘をつくことが許されぬ硝子の瞳を向けられて、リアンは事の顛末をクウォーツに向けて渋々と話し始めた。
ダフ屋の居場所は突き止めていること。だが店主が好色男のため、抱かれなければ商品を売ってもらえないこと。
なかなか決心がつかずに、こんな時間まで迷い続けてしまっていること。
相槌を打つこともなく無表情のままのクウォーツだが、全部声に出したら若干心が軽くなったような気がした。
「あなたに話したら決心がつきましたわ。さっさと終わらせて帰ってきますから、あなたはホテルに戻って……」
「貴様は馬鹿なのか」
「な、なんですって!?」
「馬鹿でなければ、ただの阿呆だ。私がダフ屋に行けばいいだけだろうが。そんなに好色男に抱かれたいのか?」
「そんなわけないじゃない! 皆の前で任せろと言った手前、誰かに頼るわけにはいかなかったんですのよ!」
「意味が分からない」
半ば意地になっているリアンを暫く眺めていたクウォーツだが、やがて反論を許さぬ迫力のある声音で口を開く。
「二度も言わせるな、ダフ屋には私が行く。地図を寄越せ」
「……」
確かに意固地になっていた。クウォーツから散々馬鹿だの阿呆だの言われても、仕方がないとリアンは思う。
胸元から取り出したダフ屋までの地図を渋々クウォーツに渡す。
地図を受け取った彼はそれをコートの胸ポケットに入れ、ホテルまで送る、と言って返事も待たずに歩き始めた。
稀に不器用な優しさを見せる彼が好きだ。……ああ、もう後戻りができないほど彼を愛してしまっている。
すたすたと進んでいくクウォーツの背中を眺めながら、リアンは彼に伸ばしかけた手を強く握りしめたのだった。
+ Back or Next +