Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第14章 BLACK・KNIGHTS

第155話 Savas Collection -4-




ホテルの前でクウォーツと別れたリアンは、彼から教えられた部屋番号を探しつつ十八階の廊下を歩いていた。
ふかふかの赤い絨毯。小さなシャンデリアが等間隔に並んでいる。まるでどこかの王宮の廊下のようであった。

絶対についてくるなとクウォーツから釘を刺されたが、やはり一緒にダフ屋に行けばよかったのかもしれない。
男ならば大金を積めば商品を売ってくれるとは聞いているが、果たして彼一人で行かせても大丈夫だったのか。
はっきり言ってしまえば、クウォーツは普通の男ではない。男女問わず劣情を抱かせてしまう悪魔族の男である。

……ゾルディスで彼を買ったブノワ大臣のような下劣な男がいないとも限らない。


「リアン、遅かったじゃない! どこかで危ない目に遭ってるんじゃないかって、本当に心配してたんだよ!?」
「ティエル」

考え事に没頭しすぎていた。
聞き慣れた少女の声に顔を上げると、扉の前にはティエルが不安そうな表情を隠そうともせずに立っていたのだ。
リアンに駆け寄ってきた彼女は拗ねたように唇を尖らせる。恐らく何も食べずに帰りを待ち続けていたのだろう。


「みんなでご飯食べたかったのに……ジハード達も部屋にいないし、一人で待つの寂しかったよ」
「遅くなってごめんなさいね、色々と手間取ってしまって。クウォーツとは外で会いましたけど、ジハードも?」
「うん、退屈だから部屋に行ったら空っぽだったの。夜の町のお散歩なら、わたしも行きたかったなぁ……」

「そのうち戻ってきますわよ。それにしても、食いしん坊のティエルがよく夕食を我慢できましたわねぇ」
「わたしはそんなに食いしん坊じゃないもん!」


よしよしとティエルの頭を優しく撫でてやると、子供扱いするなと彼女は頬を膨らませて更に拗ねてしまった。

やはり彼女を眺めていると妙な安堵感に包まれる。先程まで思考を占めていた暗い考えが吹き飛んでいくようだ。
娼婦街で出会った時の状況から察するに、クウォーツは吸血衝動に駆られていて余裕がなかったはずだ。
恐らく何も告げずに部屋を飛び出したのだ。そして、ジハードは尋常ではない様子の彼を探しに行ったのだろう。


「自信満々に任せろと言った手前申し訳ないんですけど、実を言うとまだ会員証を手に入れていないんですの」
「んー、会員証のことは後でみんなで考えようよ。リアン一人に押し付けるわけにもいかないし」
「それなら大丈夫ですわ、私の代わりにクウォーツが会員証を買いに行っていますから。彼に任せましょう?」
「クウォーツが?」

「……ティエル、リアン!」

その時。息を切らしながらジハードがこちらに向かって廊下を走ってくる。
彼女達の元に辿り着いても、延々と夜の町を走り続けていたためか呼吸を整えるだけでどうやら精一杯のようだ。


「ジハード、大丈夫!? お水持ってこようか?」
「いい、飲んだら吐きそう……それよりクウォーツを見かけなかった? あいつ、体調悪いのに部屋出て行って」
「クウォーツなら外で会いましたわよ。”食事”も済ませていましたから、体調は良くなったと思いますけど……」
「え?」

素っ気なく口を開いたリアンの言葉にティエルとジハードは目を瞬いたが、すぐに言いたいことを察したようだ。
クウォーツの体調が悪かったのは血を吸っていなかったためで、そして外で誰かを吸血したことを察したのだ。
彼が今まで一人で苦しんでいたことにティエルは不満だったのだろう、己の健康的な腕を眺めながら口を開いた。


「体調を崩すほど我慢をしていたんなら、わたしの血をあげるのに。……どうして何も言ってくれないんだろう」
「あなたを殺したくないからよ。殺したくないから、彼は何も言わない。黙って出て行ったの」
「でも」

「それは私達を信用していないからじゃなくて、彼なりに私達を守ろうとした結果なの。それを分かってあげて」







リアンをホテルの前まで送り届けたクウォーツは、渡された地図を頼りに再び娼婦街へと足を向けていた。
愛用の黒いコートの襟を立て、顔を隠すようにして酔っ払いや娼婦達の好奇な視線を振り切りながら歩き続ける。

厄介な面倒事を避けるためにも、人一倍目立つ顔を隠しながら歩けと別れ際に何度もリアンから言われたのだ。
確かに己が悪い意味で目を付けられやすい容姿であることは自覚している。自覚はしているが、それは大袈裟だ。
そんな小さなことをいちいち気にしていては、町など到底歩けない。

絡んで来ようとした酔っ払いを軽くかわし、大きな通りから外れた道に入ると立ちんぼの女達も見受けられない。
一つ隣の通りに足を踏み入れただけで、あの喧しい客引き達の声が嘘のように静まり返っている。
暫く進んでいくと、数人の男の声が耳に飛び込んできた。男達に混じって聞き覚えのある女の声も聞こえてくる。

野太い男の声に、気の強そうな女の声が飛び交っている。どうやら道の真ん中で激しい口論の真っ最中のようだ。


「いいじゃねぇかよ、少しくらい付き合えって。売女のくせにお高くとまっているんじゃねぇよ」
「馬鹿言うんじゃないよ、あたしにも選ぶ権利はあるんだから。金持っててもあんたみたいな男はお断りだね!」
「たかが売女に選ぶ権利なんざねぇよ、お客様にでかい口を叩くじゃねぇか。なぁ?」

どうやら口論は長引きそうである。早速面倒事か、とクウォーツは表情一つ動かさずに皺くちゃの地図を広げた。
関わり合いにならないように回り道を探すも、この地図によるとかなりの遠回りになってしまうようだ。
距離にして三倍近く。早めに用事を済ませたかったクウォーツは、揉めている集団に向かって迷わず歩き始める。


「強情な女だな、いいから来いって。ちょっと付き合えよ!」
「嫌だって言ってるでしょ! あっ、そこの黒いコートのお兄さん助けてよ……って、あれ!? あんた……」
「?」

素知らぬ顔で通り過ぎようとしていたクウォーツだが、女の発した素っ頓狂な声に思わず振り返ってしまった。
男達に絡まれていた女は、先程クウォーツが欲望に負けて牙を突き立てた赤毛の娼婦だったのだ。
振り返ったことで完全に面倒事に巻き込まれてしまったようだ。立ち止まった彼は、薄い色の瞳を男達に向けた。

一方男達の方は新たな獲物の登場を歓迎するかのように、にやにやと下卑た笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。


「なんだこいつ、やけに綺麗な顔して……男娼か?」
「この辺では見たことがねぇ顔だな。ところで兄ちゃんよ、この道を通りたきゃ通行料を払ってくれや」
「大人しく金を渡してくれりゃここを通してやるよ。それとも……二度と商売ができねぇ身体になりてぇのか?」

「通行料か。ならば受け取れ」
「えっ?」

男達に囲まれても慌てるような素振りは見せずに無表情のまま、クウォーツは彼らに向かって左手を突き出した。
その途端。数十匹の吸血蝙蝠が突如姿を現し、牙を剥き出すと容赦なく男達に襲い掛かる。


「うぉお!? 痛て、痛てて、痛てぇって!?」
「この野郎、変なものを呼びやがった!」
「畜生、走って振り払え! ぎゃあぁ、追ってくるなー!」

叫び声を上げながら遠ざかっていく男達の背を眺めながらクウォーツは、釣りはいらんよ、と小さく口を開いた。
その隣では赤毛の娼婦が呆気に取られたような表情で突っ立っていた。
一体何が起きたのか。蝙蝠達は突如姿を現したように見える。この青年は、魔物を使役する力を持つというのか。


「あんたって妙な妖術を使うんだね、もしかして悪魔族じゃ……。まぁいっか。ありがと、お陰で助かったよ」
「……」
「そういえば、次に会ったらタダで抱かせてあげるって約束したよね。お礼にどう? 今からうちに来ない?」

思わぬところで時間を取られてしまったと、娼婦に顔を向けることもなくクウォーツは地図を手に歩き始める。
完全に無視をされた状況であるのに、娼婦は気にも留めずに彼が手にした地図をひょいと覗き込んだ。


「へー、どっか行くの? もしかしてあんたの目的地って、この地図の丸印が書いてあるところ?」
「……」
「そこあたしの家なんだけど。あんたが用があるのは、ダフ屋のヘルグ兄さんの方かぁ。なぁんだ、残念」
「兄?」
「うん、ダフ屋ヘルグはあたしの兄さん。丁度いいじゃない、家においでよ。汚いけど、お茶くらい出すからさ」


商売用の笑みを浮かべて豊満な胸を揺すって見せた娼婦は、薄ぼんやりと灯りの続く通りの向こうに顔を向ける。
暫く沈黙を続けていたクウォーツだったが、やがて彼女に腕を引かれながら仕方なく歩き始めたのだった。





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