Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第14章 BLACK・KNIGHTS
第159話 BLACK・KNIGHTS -1-
サバス邸の地下牢は薄暗く、頑丈な鉄製の壁で区切られている。
組織同士の抗争で捕らえた者を拷問する場所でもあったが、ここ最近はサバス組に歯向かう組織も少なくなった。
長らく使用していない地下牢の存在が、まさに刃向かう者が存在しなくなったサバスの権力を現していた。
地下牢の前まで辿り着いたサバスが入口の黒服達に目配せをすると、太い鉄格子の扉が静かに開けられていく。
中には、四名の年若い者達が両手を拘束された状態で転がされていた。催眠ガスの効果がまだ続いているようだ。
長い茶色の髪をした幼さの残る少女。魅力的な肉体を持った美しい女。色素の抜けた髪を持った『異端』の青年。
何よりも一際目を引いたのは、サバスが喉から手が出るほど手に入れたかった、生きている悪魔族の若者である。
その上目を疑うほどの美しさだ。彼は値が付けられないほどの価値がある商品だった。是が非でも手に入れたい。
この悪魔族は、有り金全てを手放してでも手に入れたいと思わせる魅力があった。
「この者達が、黒騎士の言っていた囚人達か?」
「はい。全員写真と顔を確認しましたが、間違いありません。早急に黒騎士達に引き渡した方が宜しいかと……」
「分かっている。だが見てみろ、生きている貴重な悪魔族を前にして、それはあまりにも惜しいじゃないか」
物欲しそうな目付きで地下牢を眺めたサバスは、懐から愛用のパイプを取り出すとゆっくりと吹かし始めた。
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冷たい床の感触にぶるっと身震いをしたティエルは、ぼんやりとした表情のまま目を開いた。
一体何故こんな場所に転がされているのか。ここはどこだ。両手は背に回されている状態で縛られているようだ。
催眠ガスから目覚めたばかりの後遺症だろうか。頭が上手く働いてくれない。そして身体中が酷く疲れている。
ここはサバス・コレクションの会場ではない。灰色の壁に囲まれた、窓一つない肌寒い部屋……まるで地下牢だ。
微かな呻き声と共に、側で転がされていたジハード達も身を起こしていた。両手は同じように拘束されている。
やはり彼らも自分達の置かれた状況を、完全に把握できていないようだった。首を傾げつつ周囲を見回していた。
「……お目覚めになられましたか。少々手荒な真似をしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
突如地下牢に響き渡ったくぐもった若い男の声に、ティエル達は弾かれたようにして飛び起きる。
開け放たれた鉄格子の先に、黒い鉄兜を身に着けた男達が立っていた。ヴェリオルの配下である黒騎士達だった。
ゾルディス王国の精鋭達。今更一体何の用があるというのか。どうやらヴェリオルの姿は見受けられないようだ。
先頭の男が発した声にはどこかで聞き覚えがあった。
顔半分を覆う黒兜のために声は若干反響してくぐもってはいたが、ティエルは確かに聞き覚えがあったのだ。
悪名高いゾルディス王国の黒騎士団とはいえ、この先頭の男はティエル達に対して紳士的に振舞おうとしている。
それならば、ある程度は事情を説明してくれるかもしれない。このままでは何も分からないのだ。
「あなた達はゾルディス王国の黒騎士団なの? 会場に睡眠ガスを撒いたのは、わたし達を捕らえるために?」
「はい、そのとおりです。騙し打ちでもしなければ、あなた方を捕らえるのは難しいですからね」
「わざわざ捕らえてどうするの? ゾルディスに連行して、焔の魔女に逆らった罪として打ち首にするつもり?」
「いいえ、とんでもない」
「目的を教えてよ。それに、鉄兜で顔を隠したままっていうのも失礼なんじゃないの?」
「……これは手厳しい。さすがは我が姫様ですね」
怪訝な表情を浮かべるティエルをまるで微笑ましく見守るかのように。
青年は一歩進み出ると、流れるような動作でティエルの前で恭しく跪いた。そしてゆっくりと兜を外していく。
さらさらとした絹のようなプラチナブロンドが零れ落ちる。優しげな深い青の瞳。誠実で、真摯な眼差しの青年。
その顔は、メドフォードの女達ならば誰もが憧れた、そしてティエルがとてもよく知る人物の顔であった。
「オレの名はゾルディス黒騎士団副団長ガリオン。ヴェリオル元帥の命により、あなた方をお迎えに参りました」
「ガリオン!!」
「お久しゅうございます、姫様。お元気そうでこのガリオン、若干安心いたしました」
目の前の光景が信じられないでいるティエルとは対照的に、ガリオンと名乗った青年は穏やかな表情を崩さない。
とびきりのハンサムだと侍女達が騒いでいたあの頃の容姿は未だ健在だ。何一つ変わってはいなかった。
しかし……あの炎の夜。ガリオンはティエルを逃がすためにヴェリオルに立ち向かい、殺されたと思っていた。
「ガリオン、あなたはヴェリオルに殺されたはずじゃ……」
「ええ。確かにオレはあなたを守るために命を捨てる覚悟でした。ですが、しぶとく生き残ってしまったのです。
あの夜、あなたの運命が大きく動き出したように。……オレの運命もまた同じく、大きく動き始めたのですよ」
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全てが始まった運命の夜。
ティエルをゴドーの元へと逃がし、ガリオンは仲間の騎士と共にヴェリオルやアンデッド兵達と戦い続けていた。
仲間達が一人倒れ二人倒れ、かけがえのない友人達が次々と殺されていく光景。辺りは既に血の海であった。
背後から剣を振り下ろしてきたアンデッドの首を力任せに刎ねると、力尽きたガリオンは地に膝を突いてしまう。
剣を握る手が血で滑る。体力の限界なのか、それとも死への恐怖なのか。がたがたと手が小刻みに震えている。
己はここで命尽きるのだと改めて実感したのだ。自分が死ねば、家族や友人達は一体どうなるのだろうか。
「金髪のお坊ちゃんよ、オレを相手にここまで粘ったのはお前が初めてだよ」
がっくりと膝を突いたガリオンを、薄い笑みを浮かべたヴェリオルが見下ろしていた。
彼の手にしている巨剣は血で濡れており、床に血溜まりを作っている。これも全て殺された仲間達の血であった。
ミランダ女王を、仲間達を殺したヴェリオルが憎い。この手で殺してやりたかったが、それも叶わなかった。
「このまま殺しちまうのは勿体ないな。どうだ、お坊ちゃん。ゾルディスに来て……オレの右腕にならないか?」
「ふ……ふざけるな! オレはメドフォードで生まれ、そしてこの剣を一生メドフォードに捧げると誓った!」
「ほう?」
「お前に仕えるくらいならば、オレは最期まで戦い続ける。たとえこの命が尽きたとしても、戦い続ける……!」
唇を噛み締め、ガリオンは力を振り絞って立ち上がった。ぼたぼたと滴り落ちる鮮血。
血走った目で剣を振り上げながら向かってくる彼の様子を眺めていたヴェリオルは、満足そうに口笛を鳴らした。
そしていとも簡単に巨剣デスブリンガーで、彼を斬り捨てたのだ。斬られた脇腹が焼け付くように痛かった。
激痛のために思わず剣を手から離してしまい、そのままガリオンもゆっくりと冷たい床へと倒れていく。
もう二度と立ち上がることはできないと自分でも悟っていた。……脳裏にぼんやりと浮かび上がるのは家族の姿。
父や母に、五歳離れた弟。そして親友のサイヤーの姿。週末の飲みの約束は、守れそうもなかった。
最後に浮かび上がったのは、長い栗色の髪をした少女の姿だった。恐れ多くも妹のように愛しく思っていた少女。
彼女のために、この先剣を握り続けると誓ったはずだった。
「……ティエル、姫様……」
身体中の血が流れていく感覚。ぼんやりとした意識の中、ガリオンは無意識に彼女の名を呟いていた。
できることなら、最後まで彼女を守りたかった。もう一度だけでもいいから、彼女の声を、笑顔を見たかった。
ひたすらに彼女の無事を祈りながら、ガリオンの意識はそこで途絶えたのだった。
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「次に目を覚ましたのはゾルディス国でした。……皮肉にも、オレはヴェリオルに助けられてしまったのですよ」
「ヴェリオルに?」
「はい、そうです。姫様、残念ながら今あなたの前で立っている男はメドフォード騎士団のガリオンではなく、
ゾルディス黒騎士団のガリオンなのです」
「でも、わたしと一緒に国を取り戻すために戦ってくれるから……こうして会いに来てくれたんだよね?」
あの頃と変わらず真っ直ぐとした瞳で見つめてくるティエルに向かって、ガリオンは静かに首を振って見せる。
「くれない……の?」
「姫様。オレはゾルディス国王と出会い、そしてあのお方の代弁者である焔の魔女の考えに強く共感したのです」
「……え?」
「我が王は全ての種族が幸せに暮らせる王国を作ろうと考えておられ、そのために現在軍事力を蓄えています。
いつの時代も力を持つ者が正義です。弱い者は、強い者に搾取される運命。それは仕方のないことなのです」
ガリオンは続ける。
「争いの起こらぬ世界など所詮は夢のまた夢。どこかが戦争を終えた途端、他の国が戦争を始めるのですよ。
ならば圧倒的な力を持つ一つの国が世界を支配すればいい。恐怖こそが世界を一つにするのだと気付きました。
もう二度とあんな悲しい戦争を起こさぬためにも、全ての種族のためにも、世界は一つにならなければいけない」
ティエルはガリオンの言葉を呆然としながら聞くことしかできなかった。
恐怖で世界を一つに? 戦争を無くすために? 全ての種族が幸せに暮らすために? それで幸せといえるのか。
いくら恐怖で押さえ付けようとも、争いはきっと無くならない。余計に激しい争いが起こるのではないか。
頭が真っ白になりそうだった。
仲間達を目の前で次々と殺されてしまったガリオンは、主君を変え、もうあの頃の彼ではなくなっていたのだ。
「今回このような手荒い真似をしてしまったのは、全てあなた方を無傷のまま我が国へとお連れするためです。
力を欲する我が国にとってあなた方は貴重な人材なのです。さあ、姫様。共に素晴らしい国を作りましょう!」
「ガリオン……」
ティエルが生気の抜けた顔を上げると、その拍子にぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。
いつもサイヤーにからかわれていたお人好しのガリオンは、メドフォードに忠誠を誓ったガリオンはもういない。
剣を教えてくれた、時折城下町へと一緒に出掛けてくれた、実家のパン屋を継いだ弟の話を嬉しそうに語る彼は。
「行けないよ。一緒に行くことなんか、できないよ……!」
「そうですか……ああ、残念ですよ姫様。ならば、我が国のために力尽くでもお連れしなければなりませんので」
「!」
「おい、お前達。こちらの方々を丁重にお連れしろ」
やれやれと深い溜息をついたガリオンは、背後に控える黒騎士達に顔を向ける。
すると、それが合図だったかのように黒騎士達がこちらに向かってくる。無理矢理にでも連れて行くつもりだ。
ティエル達の武器は全て取り上げられており、全員縄によって後ろ手で拘束されている。圧倒的に不利な状況だ。
その時。……会話を盗み聞きしていたと思われるサバスが、にやにやと笑みを浮かべながら地下牢に姿を現した。
「おっとお待ち下さい、我が家で乱闘騒ぎを起こされては困りますなぁ」
「サバス殿」
「まぁ、場合によっては許可してもいいでしょう。こちらの青い髪の悪魔族。こいつを譲って頂けるのならばね」
「あの金貨の量では不足ですか? サバス殿。最初にあなたも納得してくれたはずだ」
そうガリオンが口を開いた時だった。突如地下牢に吸血蝙蝠の群れが現れ、辺りを黒で埋め尽くしたのだ。
勿論これは密かに発動させたクウォーツの召喚魔法である。
予想外の事態に黒騎士達が怯んだ隙を見逃さず、ティエル達は開け放たれたままの地下牢の扉から飛び出した。
「なっ!?」
「追え、追うんだ! 決して彼らを逃がしてはならない!」
「は、はい!」
ガリオンは吸血蝙蝠を振り払おうとしている黒騎士達に怒鳴ると、呆気に取られた表情のサバスへと振り返る。
サバスが乱入してしまったために、ティエル達に逃げられた。やはりこの者は信用すべきではなかったのだ。
「サバス殿、これ以上関わらない方が身のためですよ。あなたはゾルディス黒騎士団を敵に回すおつもりか?」
「……ひっ!」
ガリオンに向けられた剣に思わず両手を上げたサバスは、青い顔をさせながらこくこくと何度も頷いたのだった。
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