Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第167話 ロクサーヌの森




ロクサーヌの森。
たとえ昼間でさえも光が届かぬこの森は、迷い込んだら二度と外に出ることができないという言い伝えがある。
今日まで幾人もの勇敢な旅人達が森の中へと入っていったが、誰一人として戻って来る者はいなかったのだ。
森の奥に潜んでいるのは恐ろしい魔物か、それとも得体の知れない妖魔の類なのか。それを知る者は誰もいない。

突然のバアトリの襲撃から約二週間後。ティエル達は町で収集した情報を元にロクサーヌの森に向けて出発した。
ギルドで情報を求めた冒険者達は皆口を揃えて『迷い込んだら二度と出ることができない』と忠告をしてきた。
そんな彼らの言葉を、ティエル達は曖昧な笑顔を浮かべながら黙って聞くことしかできなかったが……。


恐らくバアトリはサキョウの母親の仇である。彼と決着をつけに行くことをサキョウにも知っていてもらいたい。
追ってきてくれることを祈りながら、ティエルはエルキドに向けて手紙を送った。

あの激しい雨の日。サクラの墓の前で佇んでいたサキョウのやつれた顔を、今でも鮮明に思い出すことができる。
窪んだ目。黒い隈。雨に濡れた髪にうっすらと混じる白髪。どこを見ているのかも分からぬ虚ろな瞳。
どんな時でも豪快で快活なサキョウの普段の姿を知っているからこそ、ティエルの胸は激しく締め付けられた。
人の死はいつか乗り越えなくてはならない。時間はかかっても、前に進んでいくのが残された者の役目なのだ。


一方。バアトリとの戦いで重傷を負ったクウォーツは、丸々三日間意識が戻らなかった。
襲撃から四日後。部屋に駆けつけたティエル達が数日ぶりに目にしたクウォーツの姿は随分と痛々しい姿だった。
歩けるようになるまで暫く時間がかかりそうだと言い、その日からやや無謀な彼のリハビリが始まったのだ。
ジハードは彼に事の顛末を全て話したらしい。嘘をつくことにならなくて良かったとティエルは心から思った。

皆が寝静まった夜中にホテルを抜け出すジハードとクウォーツの姿を、窓から何度も見かけたことがあった。
昼は歩行訓練、夜は人気のない場所で模擬戦闘と、ジハードは彼につきっきりでリハビリを手伝っている。
残念ながらティエル達の中でクウォーツの動きについていける者はいない。ティエルなど相手にならないだろう。

それでも彼がジハードを選んだということは、そこにはティエル達の立ち入れない大きな信頼があるのだと思う。
リアンが冗談めかして『男の友情ですわ』と言っていたが、何故ジハードはやんわりとそれを否定したのだろう。
『ぼくの片思いの友情だけどね』と言って彼は笑っていた。笑えない。何故ジハードはそんなことを言うのだろう。

いくら考えてもティエルには分からないことであったが、聞いてはいけないような、……そんな気がした。







ジハードが三日間ティエルとリアンの二人を部屋に立ち入ることをやんわりと止めたのは、
熱で魘され続けるクウォーツの譫言を、彼女達に聞かせるわけにはいかないというのが理由の一つでもあった。
はっきりとしない断片的な言葉だったが、その内容は恐らく『アレクシス』を死なせてしまった時のものだろう。

やはりこれ以上クウォーツの精神を不安定にさせることは好ましくない。バアトリとの決着は三人でつけに行く。
勿論勝算があるわけでもない。だが三人で力を合わせれば、勝てない相手ではないかもしれない。
もしもの時はこの額の札を外してでもバアトリと相打ちにできれば。ティエルとリアンは必ず生かして帰すのだ。

決して死が怖くないわけではない。だがそれよりも、大切な存在をこの手から失ってしまう方が恐ろしかった。
バアトリの襲撃から三日目の夜、ジハードはそんなことを考えながらベッドの傍らの椅子に腰掛けていた。
その時、目の前のベッドがぎしりと軋む。
思わず彼が顔を上げると、三日ぶりに意識を取り戻したクウォーツが上半身を起こそうとしているところだった。

「気が付いたのかい、クウォーツ!」
「……私は」
「え?」
「私は死んだのか」

クウォーツらしくもなく記憶が混乱している。助かるはずのないあの状況で、それも仕方がないことだと思う。
しかしあれだけ魘され続けていて、目が覚めた第一声が何かと思えば随分と素っ頓狂な台詞だった。
何故助けを求めてくれなかったのか、アレクシスとは一体誰なのか、彼に問い詰めたいことは山ほどあったが、
これ以上のない真顔でクウォーツから発せられたその台詞に、ジハードは若干毒気を抜かれてしまったのだ。


「バカ、そんなわけないだろ。まぁ天使のようなぼくを見たら、天国だと勘違いしちゃうのは無理もないけどさ」
「何故私は生きている。あいつはどうなった」
「バアトリは……」

バアトリはもう死んだと、クウォーツに嘘を伝えるべきか。
彼には傷を治すことに専念してもらい、その間にティエル達とロクサーヌの森を目指す方がいいのだろうか。
無表情のまま硝子の瞳でじっとこちらを見つめてくるクウォーツ。嘘をつきとおすことには昔から自信があった。

偽りの笑顔の仮面を付けたままならば、相手がクウォーツだとしても簡単には嘘を見破られることはないだろう。
だが……彼を守るためだとはいえ、本当にそれでいいのだろうか。もしも逆の立場ならば、どうしていただろう。
危険から遠ざけることだけが全てではない。『守る』ということは、そういうことではないのではないか。


「ジハード?」
「馬鹿はぼくの方だな。……どうしてこんなことが分からなかったんだろう」
「?」
「ううん、こっちのこと。バアトリは生きている。ロクサーヌの森という場所で、決着をつけたいと言っていた」

「決着?」
「ああ。どうやらバアトリは、イデアのジェムを所持しているらしいんだ。罠だと分かっていても行くしかない」
「……」
「あなたはどうする? ぼくの本音としてはここで安静にして、ぼくらの帰りを待っていてもらいたいけど……」


無駄だとは思いつつも一応本音を付け加えてみる。彼が大人しくここで待ち続けるという選択をするはずがない。
それは勿論分かった上での発言だ。暫し無言の間が続き、クウォーツが口を開いた。

「十日ほど、時間が欲しい」
「うん」
「それまでに必ず体調を戻しておく」

「戦闘に復帰するには……十日は少ないよ」
「あまり時間をかけても、あいつが痺れを切らしてまた襲撃してくるかもしれないだろ」

私を見て分かるように悪魔族は気まぐれだからな、とクウォーツは言葉の最後にそう付け加える。確かにそうだ。
だが十日はあまりにも少ない。それこそ血の滲むような努力をしなければ難しいのではないか。
それでもクウォーツは十日だと言った。彼がそう断言するのなら、この際とことん付き合ってやろうではないか。

「いいよ、リハビリに付き合ってあげる。どうせ無茶ばかりして怪我するんだから、回復役は必要だろ?」
「無茶ばかりとはなんだ」
「クウォーツみたいに無茶するやつと友達続けられるのは、ぼくぐらいだぜ? もっと大事にしてほしいなー」

冗談を言うような口振りで、ジハードはほんの少し困ったように笑ったのだった。







大都市マクディアスを出発してから一週間後、ティエル達はロクサーヌの森へと辿り着いた。
何もない平原を歩き続けていると段々と木々の数が多くなっていき、やがては目前に深い森が姿を現したのだ。
名も知らぬ不気味な鳥の鳴き声。見たこともないような形をした植物が手招きをするように生い茂っている。

悪魔族が住まう森のためか、ハイブルグの森とどこか似ているとティエルは感じた。
正直バアトリは恐ろしい。以前戦った時に、彼の強さは嫌というほど思い知らされた。勝算は無きに等しかった。
無理に勝つ必要はない。相手の人数は分からないが、最悪イデアのジェムを手に入れることさえできればいい。

だが……もしかしたら生きてこの森を出ることはできないのかもしれない。
そんな恐ろしい考えが胸を過ぎったティエルは、ぐっと唇を噛み締めて首を振った。弱気になってはいけない。
不安なのは勿論ティエルだけではないのだ。それでも僅かな可能性を信じて、彼らはこの森へとやってきた。


大きな道が真っ直ぐと続いている。時折左右に道が続いていたが、ティエル達はただ真っ直ぐに進み続けた。
下手に道を曲がってしまえば、戻れなくなる可能性もあるためだ。
バアトリの待ち構えている場所がこの森のどこに存在しているのか分からない今、闇雲に歩き回らない方がいい。

くねくねと重なり合うようにして生い茂っている木々には、淡い紫や青色に発光している光ゴケが付着していた。
その光が暗い森の中をぼんやりと照らしている。
これだけならば単なる幻想的な森なのだが……周囲に色濃く満ちる妖気が、その様子をどこか淫靡に見せていた。


「ねえ」

口を閉ざしたまま歩き続けるティエル達に向けて、リアンが唐突に声をかける。
賑やかで口数の多い彼女にしてはこれでも大人しい方であった。重苦しい雰囲気に耐えられなくなったのだろう。

「バアトリの持っているジェムを合わせると、これで四つのジェムが集まったことになりますわよね?」
「うん。ジェムは全部で五つだから、残りは一つだよね。わたし、もっと長い年数がかかるかと思ってたけど」
「そうですわねぇ。じゃあもしも全てのジェムが集まったら、ティエルはどうするんですの?」


「わたしは国を取り戻すために戦うよ! そのために封魔石を探していたんだし……みんなの仇も取らなきゃ」

リアンの言葉に振り返ったティエルの脳裏に、サバスの屋敷の地下で剣を向けてきたガリオンの姿が浮かんだ。
一瞬だけ彼女の表情が曇ったが、すぐに力強い表情に戻す。
ヴェリオルやゲードルを相手にしようというのに、こんな感傷的になっていてはいけない。甘さは捨て去るのだ。


「あなたはジェムを全て手に入れてからが大変ですわよぉ」
「分かってる。リアンは?」
「そうねぇ……私はティエルが無事に国を取り戻してから、本来の目的をイデアで果たしに行きますわ」

いかなる強国ですら滅ぼす力があるという封魔石イデア。リアンはそれだけを求めて旅を続けてきた。
『無事に国を取り戻してから』と言った彼女の台詞から察するに、王都奪還の際も共に戦ってくれるのだろうか。
いや、リアンは関係がない。そんな都合のいいことを考えて、彼女をこれ以上巻き込んではいけない。


「……ジハードはどうするんですの?」
「うん?」
「この旅が終わったら、やっぱり二人のお兄さんのいる故郷に帰るんですの? きっと心配していますわよ!」
「故郷に帰るという選択肢はないなぁ。これでも色々と問題がある身だし……兄は二人とも結婚してるからなー」

「えっ。ジハードのお兄さん、二人とも結婚してたの?」
「年の離れた兄だからね。でも、長兄夫婦も次兄夫婦も一つ屋根の下で暮らしてたよ」
「そうだったんですの。ジハードのお兄さんなら、きっと顔は整ってるでしょうし……見てみたいですわぁ」
「あはは、リアンは相変わらずだな。それが全然似てないんだよ、三人とも」


額の青い札に軽く息を吹きかけながら、ジハードは誰もが見惚れてしまうほど完璧な笑顔を浮かべて見せた。
この笑顔が、本来の彼の笑い方ではないことをティエル達は知っている。彼は本来、少し困ったように笑うのだ。


「故郷に帰る気がないなら、メドフォードにおいでよ。わたしが国を取り戻せたらの話だけどさ」
「メドフォードに?」
「うん。そうしたら、ずっとジハードと一緒にいられるし!」
「……まぁ、ずっとティエルのおもりをしているのも大変そうだけど。それもなかなか楽しいかもしれないね」
「おもりなんてひどーい! わたしは赤ちゃんじゃないもん。いつか必ず素敵なレディになる予定なんだから」

むすっと頬を膨らませたティエルだったが、それから最後尾を無言で歩き続けているクウォーツへと顔を向ける。
彼女が顔を向けても、勿論クウォーツは表情一つ動かさない。相変わらず、まるで生きた人形のような青年だ。


「クウォーツは? ねえ、ジェムが全て集まったらクウォーツはどうするか考えてる?」
「さあ」
「あなたねぇ、さあってことはないじゃないですの。さすがに何も考えていないわけじゃないでしょう?」
「……」

「じゃあさ、わたしが無事に国を取り戻すことができたら……クウォーツもメドフォードで一緒に暮らそうよ!」

あっけらかんと言い放ったティエルの台詞に、リアンは彼女のように迷いもなく言えることが羨ましいと思った。
種族の問題もあるだろう。人の目もあるだろう。それでもティエルは隔たりを簡単に乗り越えていくのだ。
邪気のない純粋なティエルの笑顔を暫く眺めていたクウォーツだったが、ほんの少しの間ちらりと視線を逸らす。
それからゆっくりと視線を戻すと、普段のように淡々とした声で口を開いた。


「そうだな」
「うん、きっと楽しいから!」

クウォーツの言葉に幾分かほっとしたような表情を浮かべたティエルは、彼に向けていた顔を漸く前へと戻した。





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