Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -
第168話 La Danse Macabre -1-
ロクサーヌの森は、まるでティエル達を奥へ誘うかのように暗い道が続いている。周囲に色濃く漂う淫靡な瘴気。
ともすれば精神を飲み込まれてしまいそうになり、ティエルは慌てて大きく息を吸い込んで心を落ち着かせる。
その時。段々と森の奥からオレンジ色の明かりが近付いてくるのが分かった。
誰かがこちらに向かってくる。敵か味方か。恐らくはバアトリに関連がある人物なのは間違いないだろう。
思わず足を止めたティエル達は、互いに顔を見合わせてから息を潜めるようにして注意深く様子を伺っていた。
やがて相手が認識できる位置まで近付いてきたそれは、青白い顔をした一人の男が手にしたランプの光であった。
年齢は恐らく三十代後半か。艶やかな長い黒髪を背中に流し、鮮血のような真っ赤なルージュを唇に乗せている。
しっかりとした体躯を包んでいるのは、まるでどこかの近衛兵のような黒の制服であった。
明らかに人ではない妖気を漂わせたこの男は悪魔族だ。クウォーツやミカエラとよく似た雰囲気を持っていた。
男はティエル達の前まで歩み寄ると、ふわりと優雅に一礼をしてみせる。
「このような場所までようこそおいで下さいました。わたくし、バアトリ様の従者であるレイヒマンと申します」
「……」
「我が主人であるバアトリ様も、あなた方の来訪をお待ちしておりました。色々とお話はお伺いしておりますよ」
柔らかで紳士的な物腰。穏やかで丁寧な口調。……それなのに、このレイヒマンという男の嫌な空気は消えない。
どうしてなのだろうとティエルは首を傾げたが、男の目を見つめた時に漸く理解した。全く笑っていないのだ。
口元には笑みを浮かべているが、レイヒマンの瞳は全く笑っていなかった。瞳に浮かんでいるのは明らかな敵意。
彼らにとって憎悪の対象である人間のティエル達に敵意を向けていることに対しては理解できる。
しかし。レイヒマンの深い憎悪が一番多く向けられている相手は、同じ悪魔族であるはずのクウォーツであった。
ティエルは知らない。同じ悪魔族だからこそ、誘いを断ったクウォーツに対して最も憎しみが深いということを。
そしてバアトリが珍しく気に掛けている相手ということもあって、若干の嫉妬も混じっているのも理由の一つだ。
「ふぅん。バアトリからぼくらの話は伺っているって……聞くのが怖いなぁ。どうせ怖いこと言ってるんだろ?」
「いえいえ。強く美しい二人の青年達、と伺っておりますよ」
「……ちょっとぉ。他にも二人の美しい乙女達がいるんですけれど。バアトリは目に入っていないのかしらね?」
「これは失礼いたしました。バアトリ様は、女性に興味を持たれないのですよ。そして同じくわたくしもですが」
「あらそう……同性愛者ばかりじゃ、悪魔族の数が減っていくのも何だか頷けるような気がしますわねぇ……」
「それが運命ならば、致し方のないことです」
リアンに向かって軽く会釈をするレイヒマン。彼女が口にした棘の含まれた台詞も、意に介してはいないようだ。
悪魔族は両性愛者だというが、バアトリやミカエラ達を見ていると同性愛者の方がどうやら多いのかもしれない。
彼らの種族が減り続けている理由の一つでもある。勿論、最大の減少理由は『悪魔狩り』が占めているのだが。
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屋敷まで案内をすると歩き始めたレイヒマンの背を眺めながら進んでいくと、やがて古びた屋敷が見えてきた。
錆びた門や外壁に絡み付く蔦。カーテンは全ての窓が閉め切られており、中の様子を窺い知ることはできない。
どことなくハイブルグ城を連想させる雰囲気の屋敷であった。悪魔族の好みは似るのだろうか。
「さあ、こちらです」
軋んだ音を鳴らす大きな扉を開け放つレイヒマン。
広々とした正面ホールは薄暗く、風もないのにゆらゆらと頼りなげに揺れる必要最低限の蝋燭だけが灯っていた。
バアトリの趣味なのか、絵画や甲冑、そして細工の美しい宝剣が至る所に飾られているようだ。
「まさかバアトリ様が他人に興味を持つなんて思いませんでしたよ。愛人にすら決して執着はしなかったのです」
「うーん……執着というか、単に執念深いだけのようにぼくは思えるけどね」
「それはどういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だよ。バアトリは自分の思い通りにならないクウォーツを、単に屈服させたいだけだと思うよ」
「……」
「あなたはレイヒマンと言ったっけ。あなたが心配しているような感情は、全く存在していないんじゃないかな」
「たとえそうだとしても、わたくしは羨ましく……そして少しだけ恨めしい」
ジハードの発した台詞から察するに、このレイヒマンという男はバアトリに並々ならぬ愛を抱いているのだろう。
愛人にすら執着をしなかったバアトリが、クウォーツを何度も仲間に引き入れようとしていた。
況してや自分の館に招待までしている。その事実は、レイヒマンにとっては耐え難いものだったのかもしれない。
実際は恐らくジハードが言ったように、執着ではなく屈服させたいだけのような気もするのだが……。
当の本人であるクウォーツは、レイヒマンに視線を向けられても目線すら合わせることはなかった。当然である。
クウォーツからすれば何度も仲間になれと無理矢理持ち掛けられ、挙句の果てには散々嬲られ続けたのだ。
もしも彼に人並みの感情があったならば、恨めしく思うのはむしろ彼の方だろう。
そんな会話を続けながら薄暗い廊下を歩き続けていると、やがて広々とした大きな応接間に通された。
完全に客人扱いだ。テーブル上には暗い表情をしたメイドが淹れた紅茶が、湯気を立てながら人数分並んでいる。
屋敷に辿り着いた途端に襲撃を受けるかもしれないと危惧していたティエルは、少々拍子抜けをしてしまった。
少々お待ち下さい、と言い残したレイヒマンは応接間から姿を消した。バアトリを呼びに行ったのかもしれない。
予想外の紳士的な扱いに戸惑ったティエル達であったが、並べられた紅茶に手を付けようとする者はいなかった。
ティエルは緊張した顔付きでソファーに腰掛け、ジハードとリアンは用心深く周囲の様子を探っているようだ。
一人離れて窓際で立っているクウォーツは、腰のベルトに吊り下げている妖刀幻夢の柄に手を掛けている。
紅茶を運んできたメイドもそうであったが、廊下ですれ違った数名の使用人達の目付きは皆どこか虚ろであった。
全てを諦めてしまったかのような絶望的な表情。この森で行方知れずになった旅人達の成れの果てである。
怪我や病に倒れて使用人として使い物にならなくなった者達は、容赦なく拷問にかけられて殺される運命だった。
一体どのくらいの時間が過ぎ去ったのだろうか。……やがて扉の向こうから、微かに足音が響いてきた。
それは急ぐようでも緩やかでもなく。どこか上機嫌で。だが、間違いなく真っ直ぐにこちらへ向かってきている。
やがて足音は閉じられた扉の前でぴたりと止まり、静かに応接間の扉が開かれた。
丁寧にくるんとカールのされた髪と口髭。艶めかしく赤く色付いた唇は、ルージュを引いているのだろうか。
骨太の身体に黒いコートを羽織ったバアトリがレイヒマンを伴って姿を現した。彼は上機嫌で口を歪めて見せる。
「ふふふ、人間の方々。ようこそ我が館へ。随分とお待ちしておりましたよ」
「バ……バアトリ!」
「そんなに身構えないで下さいよ。まぁ、少し落ち着いて紅茶でも飲んだらいかがです? 美味しい紅茶ですよ」
バアトリの姿を目にした瞬間、ティエルやリアン、ジハードはソファーから立ち上がると皆一斉に武器を構える。
しかしバアトリはそんな彼らの様子に慌てることもなく、優雅な仕草で向かいのソファーに腰掛けた。
一体どういうつもりだ。決着をつけるのではなかったのか。訝しく思いながらもティエル達は渋々と腰を下ろす。
「落ち着いてお茶なんか飲めるわけないじゃない。わたし達をこんな場所に呼び出して、何を企んでいるの?」
「企んでいるなんて人聞きが悪いですねぇ」
さも意外そうに驚いた顔を作るバアトリ。
紅茶のカップに口を付け、ティエル達を順々に眺めていく。彼に見つめられると思わず身体が強張ってしまう。
同じ悪魔族であるがゆえか、ほんの少しだけクウォーツを連想させるような、心を奪われそうになる瞳であった。
全員の顔を眺め、ゆっくりと間を空けてからバアトリは再び口を開いた。
「本来であれば皆さんをここで始末しようと考えていたのですが、少し気が変わりました。取引をしませんか?」
「取引?」
「ええ。……あなた方人間の呪縛から、どうかクウォーツさんを解放していただきたいのですよ。
もう二度と悪魔族である彼に関わらないと誓って頂けるのならば、イデアのジェムもお渡しいたしましょう」
やはりバアトリは、クウォーツを仲間に引き入れることを諦めてはいなかったのだ。
言い換えれば、ジェムを譲るから彼を渡せと言っているようなものだ。冗談じゃない、とリアンは眉を顰める。
仲間の誘いを断ったクウォーツに対して、両腿の骨を砕くという大怪我を負わせただけでも許せないというのに。
「呆れましたわ。何度もフラれているくせに、いい加減に諦めたらいかがですの? 本当に執念深い男ですわね」
「情熱的で一途だと言って下さいよ。ふふふ、あなた方にとって決して悪いお話ではないはずでしょう?」
「悪いお話ではないどころか、てんでお話にならないですわ」
「果たして彼にとってはそうでしょうかね? ……ねぇ、クウォーツさん?」
そこで、ティエル達の視線が一斉にクウォーツへと注がれる。
だが彼の無表情は僅かに動くことすらもなく、まるでどこか他人事のようにバアトリを眺めているだけであった。
名指しで問い掛けられているというのに、傍観者……もしくは全く関心がないようにも見える。
「クウォーツさんさえ首を縦に振るだけで、あなたのお友達は命も助かりイデアのジェムも手に入るのですよ」
「……」
「よく考えて結論を出して下さい。逆に言えば、もしもあなたが断れば一人残らずお友達は殺されてしまいます」
「私は」
そこまで言いかけてクウォーツは口を閉ざした。これは完全に脅迫だ。ティエル達の命を天秤に掛けられている。
遅かれ早かれ、こうなることは目に見えていた。そして、もうこれ以上バアトリを拒むことは不可能だと。
バアトリはクウォーツ本人を暴力で脅迫することに効果がないと考え、その矛先をティエル達の命に向けたのだ。
全てを諦めたように目を閉じたクウォーツが、バアトリに向けて歩み出そうとした時。
厳しい表情で剣を構えたティエルは彼を行かせぬように前に立ちはだかった。剣先はバアトリへ向けられている。
同じくロッドを構えたリアン、呪文の詠唱を終えたジハードが明らかに殺気を放ちながらバアトリに顔を向けた。
「クウォーツ、あいつの言葉に耳を貸さないで。わたし達はバアトリを敵に回すよりも、あなたを失う方が嫌だ」
「!」
「あの男の元に行こうとしていたなら怒りますわよ。今はそんな冗談が言える状況じゃないって言ったでしょ?」
「悪いけど、ぼくはこの面倒くさい伯爵様もイデアのジェムも両方、バアトリにくれてやる気はないんだよね」
「……おやおや、命を大切にしない愚かな人間達ですねぇ。すぐに己の選択を後悔することになりますよ?」
紅茶のカップを静かにテーブルに置いてから立ち上がるバアトリ。
わざとらしく残念そうに溜息をつき、だがそれほど気にも留めていない様子でやれやれと彼は肩を竦めて見せた。
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