Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -
第171話 La Danse Macabre -4-
『ワシは……もう駄目であろうなぁ』
『サキョウ』
『……お前達とこれ以上旅を続けていく自信がないのだ。今は……何もする気が起きぬのだ……』
あの日。サクラの墓の前で、涙を流しながら力なく呟いたサキョウ。
白髪混じりの髪に、ぼうぼうに伸びたヒゲ。こけた頬。あんなにも精力に満ち溢れていた面影はどこにもない。
サキョウのいない時間は長かった。まるで永遠のように長かった。ティエルにはあまりにも長く感じられたのだ。
銀色に輝く短刀を握り締めたサキョウの姿は少々やつれてはいたが、ティエルがよく知るサキョウの姿であった。
彼女を押さえ付けていた人間達も、皆ぽかんと呆気に取られたように突然現れた来訪者を見つめている。
涙と鼻水が混じり合ったものを床に滴らせ、ティエルはぐしゃぐしゃになった顔を歪めながら身を起こした。
サキョウは彼女に向けて穏やかな表情で優しく笑いかけ、それからソファーに腰掛けているバアトリを振り返る。
「バアトリ」
「これはこれは、姿をお見かけしていないとは思っていましたが。わざわざ殺されに来るとは残念な方ですねぇ」
「……言っておくが、ワシはお前達の覚悟など興味はない。そして聞く気もない。ましてや理解する気もない」
「はあ」
「お前の首を落とし、母上の仇を取る。ワシの目的はそれだけだ」
銀の短刀を静かに構えるサキョウの姿を眺めてから、バアトリはサタネスビュートを手にしながら溜息をつく。
サキョウが手にしている短刀は恐らく白銀製だ。
魔に属するものを打ち砕くという白銀は、悪魔族に対して絶大な効果を発揮する。一撃で致命傷を与えてしまう。
そのため悪魔狩りを生業とするハンター達は、皆白銀製の武器を手にして力を持たない悪魔族を狩っているのだ。
「白銀の短刀ですか。随分と面白いものを持ってきたようですが、わたくしに当たらなければ問題ありません」
「驕り高ぶるな。この短刀は殺された母上の形見。お前を倒す時は、必ずこの短刀で倒すと決めていた」
「はあ、そうですか」
白く輝くナイフを構えるサキョウの瞳は怒りに燃えていた。揺るぎのない信念を秘めた黒い瞳。
サクラの墓の前で俯きながら涙を流していたサキョウの姿はそこにはなかった。勇ましいモンク僧の姿であった。
押さえ付けていた人間達を振り解いたティエルは、零れ落ちる涙を拭うこともせずに二人を見つめ続けていたが。
「残念ですが、何人かかってこようが同じことですよ。さあ、わたくしの親衛隊達。引導を渡してやりなさい!」
「御意!」
掛け声と共に、レイヒマン、マリーレスカ、サーリッヒの三名が座り込んだままのティエル達へと向かっていく。
すぐさま態勢を立て直したリアンは素早く詠唱を開始し、同じくジハードも空中に虹色の魔法陣を描き始める。
火炎の魔法メギドフレアと、極陣・業火の陣が完成したのは同時であった。
両者の放った火炎は大きな火球となり、マリーレスカは床を転がりながら服に燃え移った火をもみ消していた。
運よく炎をかわすことのできたサーリッヒの前には、妖刀幻夢を握ったクウォーツが突っ込んでくる。
あっさりと利き腕をクウォーツによって切り裂かれるが、それでも決して剣を手放さなかったのはさすがである。
そして次なる魔法の詠唱に入ったリアンに向けて大剣を振り下ろしたレイヒマンの前にはティエルが立ち塞がる。
イデアはしっかりとレイヒマンの剣を受け止めており、大剣を相手にしても彼女は一歩も退くことはなかった。
歯を食いしばり、ティエルは両手で彼の剣を押し戻していく。
少女とは思えぬ強い力にレイヒマンは己も両手で柄を握ろうとするが、それよりも早く剣を薙ぎ払われてしまう。
ばきりという音。……イデアとの押し合いに負けたレイヒマンの愛剣は、先端の刃が折れてしまった。
クウォーツに続きこんな幼い少女相手にすら勝つことができなかった。レイヒマンは己の無力を思い知ったのだ。
少し離れた場所では、漸く衣服の炎を消し去ったマリーレスカが振り返ると、周囲には極陣が仕掛けられていた。
赤く染まった右腕を前に突き出し、笑みすら浮かべていないジハード。
彼の顔や腕など至る所に見受けられる切り傷は、恐らく先程人間達に襲い掛かられた時に傷付けられたのだろう。
「……動くな。できれば、あなたを殺したくはない」
「どうやら私は負けてしまったようだな。復讐を誓っていても、まだまだ詰めが甘かったということか……」
完全なる敗北を悟ったマリーレスカは己の周囲に仕掛けられた極陣を眺め、諦めたように剣を手放したのだった。
クウォーツとサーリッヒの決着も既についており、これでバアトリの親衛隊全員が敗北してしまったことになる。
その様子を眺めていたバアトリは漸くソファーから立ち上がる。そんな彼の前に立ち塞がるのはサキョウの姿。
「母上の仇だ。バアトリよ、永久の眠りにつくがいい!」
「受けて立ちましょう。永久の眠りにつくのは、あなた達人間の方なのだとわたくしが思い知らせてあげますよ」
「ほざけ!」
右手で掴んだサタネスビュートを流れるような動作で振り下ろすバアトリ。
それと同時にサキョウは白銀の短刀を握り締めながら駆け出した。獲物を求めて飛び掛かる、毒蛇のような鞭。
サキョウの動きは、圧倒的な素早さを誇る悪魔族のバアトリにとっては止まって見えるほど鈍いものであった。
それでも短刀を振り下ろし、サタネスビュートを切り裂いていくサキョウ。さすが魔を打ち砕く白銀である。
再生力が高いはずのサタネスビュートが再生しにくくなっているようだ。時間をかけて徐々に再生されていく。
やはり厄介ですね、と呟いたバアトリは飛び掛かってきたサキョウの拳を避けて身軽に宙へと飛び上がった。
「遅いですよ、人間が! あなた達はこうも愚鈍で脆弱なのに。それなのに、自分達を支配者だと思っている」
「……」
「自分達が頂点だとも思っているのですか。そんな人間達に、わたくしは絶対に負けるわけにはいきません!」
口元に狂気を含んだ笑みを浮かべ、バアトリは短くなった鞭を手繰り寄せると殺意の宿った瞳で振り下ろした。
その刹那。サキョウの握っていた短刀が蝋燭の光をぎらりと反射し、鋭い光はバアトリの視界を一瞬だけ奪った。
サキョウの母親の形見である短刀であった。それが、たかが蝋燭の光を反射しただけで眩い光を放ったのだ。
「バアトリよ、ワシらの痛みを思い知れ!」
「なっ!?」
僅かな隙を見逃さず、頬をサキョウの拳で強打されたバアトリの身体は勢いよく吹っ飛び床へと叩き付けられた。
彼が身を起こす間も与えずにサキョウは馬乗りになり、無防備な首筋へと白銀の短刀を押し付ける。
しかしバアトリは依然余裕の笑みを浮かべたままだ。殴られた程度では大したダメージになっていないのだろう。
「ふっ、ふふふ……あっはっは」
「何がおかしい!」
「いえ……おかしなこともあるものですねぇ。そんなちっぽけな短刀が、蝋燭の光をあんなに反射するなんて」
「……この短刀はお前が殺した母上の形見だ」
「それは先程聞きましたよ」
「無念のうちに殺された母上の意思が、お前の視界を奪ったのだろう」
「そうですか。まぁ、殺した人間のことなどいちいち覚えてはいないですからねぇ……どうでもいいことですが」
仰向けに押さえ付けられたまま、バアトリはサキョウに向けて薄い笑みを浮かべた。
その時バアトリは思い出したのだ。数十年前、彼が四季の美しいと言われるエルキドへ観光に訪れた時のことを。
悪魔族であるバアトリを一目見て、侮蔑の言葉を投げ付けてきた老婆がいた。石を投げ、口汚く罵り続けてきた。
蠅でも払うかのようにあっさりと老婆を殺そうとした瞬間。一人の女が老婆をかばうように飛び出してきたのだ。
ぼろ雑巾のように裂かれる四肢。彼女が手にしていた買い物籠からは、様々な野菜が散らばっていった。
恐らくこの女は老婆を守ろうと飛び出したのだろう。当時のバアトリは罪のない人間まで殺すつもりはなかった。
だが……女が命を懸けてかばった肝心の老婆の方は、礼を言うどころか悲鳴を上げながら既に逃げ出していた。
ああ、人間というものはなんて醜い生き物なのだろうと。この時バアトリは心の底から侮蔑の感情を抱いたのだ。
「どうやらわたくしの悪運もここで尽きてしまったようですね。親子の愛情には勝てなかったということですか」
「なんだと?」
「良かったですねぇ、あなたの勝ちですよ。ふふふ……このとおりわたくしの負けです」
妖しげな笑みを崩さぬまま、バアトリは己のコートを開いて見せる。
ベージュ色をしたベストは真っ赤に染まっていた。……バアトリの胸からは、折れた剣の先が覗いていた。
先程ティエルが折ったレイヒマンの剣先だった。その刃先の上に、バアトリは運悪くも倒れ込んでしまったのだ。
短刀に反射した蝋燭の光。遠くに飛ばされたはずのレイヒマンの刃先。ありえない偶然が重なった結果であった。
それとも……この結果は必然だったのか。
じわじわと広がっていく赤黒い血。一瞬だけサキョウの決心が鈍るが、頭を振って余計な考えを振り払った。
このバアトリも理由があったのかもしれないが、仇は仇。母を惨殺した憎き仇だ。甘さは捨てなければならない。
「もう終わりにしましょうか。あなたの思いも、わたくしの思いも」
「……」
「わたくしも生きることに少々疲れてしまいました。この辺で幕を下ろすのも……いいのかもしれませんねぇ」
バアトリが初めて浮かべる寂しげな笑みだった。それから彼は、ゆっくりと首をクウォーツの方へと向ける。
「クウォーツさん」
「!」
「仲間と信じていた者達に裏切られ、無残な死に様を晒すあなたの姿が見れなかったことだけが心残りですね」
「……」
「せいぜい残り少ない生を、精一杯幸せに生きなさい。ふふふ……わたくしは先に地獄で待っていますよぉ」
運命を乗り越えて、精一杯幸せに生きなさいと。
悪魔族でも幸せに生きることができるのだと証明してみなさい。それが、バアトリの言葉に隠された真意だった。
勿論クウォーツは何も言わない。無言で薄青の瞳を向ける彼に微笑んだバアトリは、それから静かに目を閉じる。
「……さあ、殺しなさい」
バアトリに突きつけていた短刀をぐっと握り直し、サキョウは静かにそれを頭上に掲げる。
忘れもしない己の誕生日。サキョウの好物をたくさん作るから楽しみに待っててね、と笑顔で出掛けて行った母。
夕方を過ぎても、夜になっても、いつまで待っても帰ってこなかった母。……変わり果てた姿で発見された母。
散らばった臓物の山。転がった野菜。
子供は見るなと、自警団達によって引き離された。しかしあの光景は、今でも鮮明に焼き付いてしまっている。
「うわああああぁっ!!」
悲痛な叫び声と共にサキョウは母の形見である白銀の短刀を、バアトリの心臓に向けて振り下ろした。
肉に突き刺さる柔らかな感覚。ごつんと骨に当たるが短刀は骨を砕き、寸分の違いもなく心臓へと突き刺さる。
まるで噴水のように上がる血飛沫。恐らく即死だろう。あれほど恐れた強敵にしては、呆気ない最期であった。
凄惨な場面だが、ティエル達も、レイヒマン達も、人間達も……誰一人として目を逸らす者はいなかったのだ。
完全に息絶えたバアトリの横でサキョウは、身体中に浴びた返り血を拭い、目を閉じて涙を流したのだった。
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