Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第172話 La Danse Macabre -5-




バアトリに突き刺さった短刀から手を放し、力が抜けたように立ち上がったサキョウはティエル達を振り返った。
彼の足元には既にここではないどこかを見つめているバアトリの姿。夥しい量の血の池が広がっていく。
さすがの彼も心臓を一突きにされては二度と立ち上がることはなかった。サキョウは見事母親の仇を討ったのだ。


「母上は見ているだろうか。死んだ兄上はワシを責めるだろうか。……ワシは、間違ったことをしたのだろうか」

復讐はいつまでも終わることのない負の連鎖だ。バアトリにも、彼の死を嘆き悲しむ者達がいる。
しかし分かってはいても、心の奥底ではそれを理解していたとしても、今更復讐を止めることなどできはしない。
復讐を達成しても、この言いようのない虚無感は一体何なのだろう。晴々としないこの気持ちは一体何だろう。

止めることのできない復讐を胸に抱いているのはティエルも同じだった。
誰にともなく問いかけられたサキョウの呟きに、ふるふると首を振ったティエルの手からイデアが滑り落ちる。
やがて今まで堪えて続けていたものが溢れ出したのか、泣きながらサキョウに向かって駆け出した。
彼女がいくら全力で飛び付いてきても、サキョウの均整の取れた強靭な肉体はびくともせずに優しく受け止める。


「おかえり。おかえりなさい! おかえりサキョウ……!」

懐かしいサキョウの温もりと匂いに、ティエルは彼に抱き付いたまま声を上げて泣き始めた。
離れていた時間はほんの一ヶ月ほどだったはず。それなのに、この胸中に溢れる懐かしさは一体何なのだろう。
それほどサキョウはティエルにとって大きな存在であった。父のように頼もしく、大きく包み込んでくれる存在。


「あの日、お前達と別れた後……ワシは色々なことを考えていた。家族のこと、サクラのこと、お前達のことを」
「うん」
「このままサクラの墓の側で生き続けようとさえ思った。悲しみのあまり、何も考えられなくなっていたのだ」
「うん……」
「だがトガクレに殴られたのだよ。馬鹿者、とな。今のワシを見たら、サクラも同じようなことを言っていたと」

サキョウは続ける。

「ワシにはもう何も残されていないのだと思っていた。守るべきものも、何もかも全てを失ってしまったのだと。
 しかし、トガクレに殴られて漸く思い出したのだ。……ワシはお前達のことも守りたいと、愛していたのだと」

大きく分厚いサキョウの手の平で頭を撫でられ、鼻をすすりながらゆっくりと顔を上げたティエル。
リアンは涙を堪えていることを誤魔化すために慌てて顔を伏せ、ジハードはどこか困ったような笑みを浮かべる。
一人離れた場所に立っていたクウォーツは、そんな彼らを無表情で眺めていた。


「だから戻ってきた。お前達をサクラのように失わないために。側にいて、どんな時も守ることができるように」
「サキョウ」
「泣いてもいいんだよな。弱音を吐いてもいいんだよな。耐え続けることだけが強さではないと、漸く分かった」

そう言って、サキョウは笑う。
堪え切れずにサキョウに駆け寄っていくリアンとジハードだが、やはりクウォーツは立ち止まったままであった。
全ての感情を手放した人形のような顔付きで、ただサキョウと彼に駆け寄るティエル達を眺めているだけだった。

サキョウはティエル達一人一人の顔を懐かしそうに眺めながら頭を撫で、それからクウォーツへと顔を向ける。
彼に対して何かを言おうと口を開いた瞬間。サキョウの声は部屋に突如響いた声によってかき消されてしまった。


「やったぞ、バアトリが死にやがった! とうとうオレ達はこいつから解放されたんだ……!」
「これでもう殺される恐怖を味わうこともないんだ。家に帰れるんだよ!」
「ああ、思い返せば長かった……オレなんて五年近くもこいつらに使われ続けていたからな」

振り返ると、先程までティエル達に刃を向けてきた老若男女様々な人間達の姿があった。
ロクサーヌの森に迷い込み運悪くバアトリに捕らえられてしまった者達だ。今まで相当虐げられてきたのだろう。
皆歓喜の涙を流しながら喜び、あるいは抱き合いながら互いの無事を喜んでいた。彼らも哀れな被害者といえる。

そんな喜び合う彼らの瞳に、バアトリの死に放心したように床に座り込んでいたレイヒマン達の姿が映った。


「……この気持ちの悪い化け物どもが、よくも今まで好き勝手してくれたな」
「穢らわしい悪魔族め。今日までオレ達が味わい続けた恐怖と苦しみを受け取りやがれ!」
「死ね!」

彼らは壁に飾られていた宝剣や槍を掴むと、既に戦意を失っているレイヒマン達三人に向けて次々と振り下ろす。
あまりにも咄嗟の出来事で、ティエルが止める間もなかった。

「……っ!」
「ぐっ!」
「ああぁっ!」

レイヒマン達三人の親衛隊は、抵抗をすることもなく己の背や腹に突き刺さる刃を虚ろな瞳で眺めていた。
絶対的な主であるバアトリが死んだ今、目的を完全に見失ってしまった。生きる気力すら残っていなかったのだ。
憎しみに任せて次々と振り下ろされる刃。肉が削げ、骨が折れようとも三人の親衛隊はぐっと耐え続けている。


「ち、ちょっと待っ……」
「あなた達人間に、情けはかけられたくありません!」
「主と共にここで討たれるのもまた運命だ」

思わず止めようと飛び出したティエルを制し、レイヒマンとマリーレスカが血走った眼で彼女を睨み付けた。
ぎくりと足を止めたティエルは、それでも決して目を逸らすようなことはせずに彼らの最期を見つめ続けていた。
次第に肉塊へと変えられていく悪魔達。既に事切れているはずなのに、一方的な私刑は止むことなく続けられる。

暫くその様子を無言で眺めていたクウォーツだったが、やがてゆっくりと目を逸らした。
だが。そんな彼にも、人間達の刃が向けられたのだ。


「おいてめぇ、他人事のように見てるんじゃねぇよ。てめぇもこいつらの仲間の悪魔族だろうが!」
「そういえばオレ、この男に斬り付けられたんだぜ? ほら、この腕のところ……くそぉ、マジで痛ぇよぉ……」
「全くひでぇ話だよ。オレ達だってお前らを殺さないと、逆にバアトリ達に殺されちまうところだったのに」
「さっさとこいつも殺しちまおうぜ!」

これはさすがにまずい状況になった。人間達は皆いきり立っていて、制止を聞くような状態ではないだろう。
クウォーツを守るためには、人間達に刃を向けることもやむを得ないとティエル達が彼へ駆け寄ろうとした瞬間。
目にも留まらぬ速さで妖刀幻夢を腰から引き抜いたクウォーツは、その剣先をぴたりと先頭の男へと向けたのだ。


「……殺せるものなら殺してみろ」
「!」
「私に剣を向けるのならば、それなりの覚悟をしてもらう。全員殺す。貴様達はそれでも私に向かってくるのか」

水を打ったように静まり返る周囲。
妖刀幻夢を向けられた男は、ごくりと固唾を飲み込んだ。確かに悪魔族の容赦のなさは身に染みて分かっている。
この男はずっと側で見続けてきたのだ。館に迷い込んできた旅人達が、面白半分に一人二人と殺されていく様を。
次は自分の番だろうか。いつ自分の番が来るのか。そんなことばかりを考えて、幾夜も眠れぬ日々を過ごした。

この青い髪をした青年を今すぐに殺してやりたい、と。この場にいるティエル達を除いた誰もがそう思っていた。
そうでもしなければ気が済まなかった。……だが、同時にこの青年に決して勝つことができないと悟っていた。
恐らくこちらが剣を振り下ろすよりも先に、この悪魔族に首を刎ねられるだろう。そう本能が告げていたのだ。


「ちっ、いい気になるなよクソ淫売野郎が。お前ら悪魔族は、オレ達人間がいつか必ず滅ぼしてやるからな」
「……」
「忌々しい悪魔族どもの死体を門の前で晒したら、さっさとこんな館からは逃げ出そうぜ。みんな」

心底悔しげに口を開いた男は右手で掴んでいた剣を乱暴に投げ捨てる。
男の言葉に頷いた面々は、既に息絶えて転がっているレイヒマン達の亡骸を憎しみを込めて何度も蹴っていた。
クウォーツはその光景を静かに眺め、漸く妖刀幻夢を鞘に納める。そして足早に部屋から立ち去っていった。


「待って、クウォーツ!」

彼の後を追おうと駆け出したティエルの肩を、サキョウが優しく掴んで引き戻す。
どうして止めるの、と彼女が眉を顰めながらサキョウを見上げると、彼は何も言わずにふるふると首を振った。
今はそっとしておこう、というサキョウの意を汲み取ったティエルは唇を噛み締めて彼の去った方向を見つめる。

「私達もこの部屋を出ますわよ。先程彼らが言っていたでしょう、バアトリ達を門の前で晒すって」
「うん……」
「サキョウにとってもクウォーツにとっても、この部屋にいつまでも留まり続けるのはあまり宜しくないですわ」

確かにリアンの言うとおりである。
この館に囚われていた人間達は、バアトリやレイヒマン達の亡骸に今までの恨みとばかりに暴行を続けていた。
いくら先程まで死闘を繰り広げていた相手とはいえ、これ以上彼らを見ていることに耐えられなくなったのだ。

どこか空いている部屋で一夜を明かして出発しよう、と最後に締めくくるようにしてジハードが頷いたのだった。







鬱蒼と生い茂る木々の隙間から、か細い月の光が差し込んでいる。その光に動かぬ四つの人影が照らされていた。
錆びた大きな門に括り付けられているのは四人の悪魔族の死体であった。衣服を剥ぎ取られた全裸の死体だ。

男性器は目を背けたくなるほど無残に抉り取られており、無造作にそれぞれの口に突っ込まれている。
身体中には無数の傷痕。裂かれたもの、突かれたもの。傷口から溢れ出る血は、まだ乾ききってはいなかった。
人間達の姿は既に見受けられない。バアトリ達をここで晒した後、全員この館から逃げ出したのだ。当然だろう。

バアトリ達の死体の前で一人佇んでいたクウォーツは、辺りに色濃く漂う血の臭いを吸い込んでから目を閉じる。
周囲はあまりにも静かで、時折死体から滴り落ちる血の音だけが響き渡っていた。


……この無残な姿が、己の最期なのだろうかとクウォーツは考える。いつかは自分もこのように殺されるのかと。
ゆっくりと硝子の瞳を開いた彼は、バアトリの顔を濡らしている血を指で拭い、ほんの少しだけ舐め取った。
温もりを失った、ぬるりとした冷たい感触。
本当にバアトリは死んだのだ。あれほどしぶとかったのに。あれほど苦戦を強いられたのに。こうもあっさりと。

目を閉じれば鮮明に、まるで昨日のことのように『アレクシス』を失ってしまったあの夜の光景が浮かび上がる。
次々と殺害されていく隠れ住んでいた悪魔族。命乞いをした者、無抵抗の者も人間達は笑いながら殺していった。
しかし人間達は捕らえたクウォーツを簡単には殺さなかった。彼一人だけが、殺されなかったのだ。

それはクウォーツを見逃してくれたわけではなく、ただ、彼らの娯楽と欲望のために殺されなかっただけである。
もしもあの時、己が無力な悪魔族などではなく戦う力を持っていれば。もしも守れるだけの力があったならばと。
今頃『アレクシス』は側で笑っていてくれただろうか。……ああ、二度と戻れない過去にすがってしまうなんて。


『クウォルツェルト。君を守れなくて……すまなかった』

涙を流しながら言った、あの時の『アレクシス』の心境は未だ分からないままだけど。
ふるふると頭を振って思考を止めたクウォーツは、そのまま振り返りもせずに暗い森の奥へと駆けて行った。





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