Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第173話 あなたが、好きだから




バアトリや親衛隊が暴行されていた部屋を後にして、ティエル達は暖炉のある居間で疲労した身体を休めていた。
この館に長時間残り続けるのはよくないだろうとは思うが、ロクサーヌの森を夜に彷徨い歩くのは得策ではない。
細々と燃える暖炉の火を眺めながら、ソファーに腰を下ろしていたティエルは静かに目を閉じる。

復讐はいつまでも終わることのない負の連鎖。
この先に待ち受けているものが希望ではなく破滅だとしても、それでも彼らは覚悟ができていると言っていた。
旅の行く末に待ち受けているものが破滅だなんてティエルは思いたくはない。必ず希望が待っていると信じたい。
そうでもしなければ生きる希望を見失ってしまいそうだった。

イデアのジェムはあっさりと見つかった。バアトリ達と戦いを繰り広げていた先程の応接間に飾られていたのだ。
それはまるで、見つけてくれと言わんばかりの目立つ場所に。
単なる憶測だったが、もしかしたらバアトリは初めからティエル達に勝利する気などなかったのかもしれない。

四つ目のジェムを手に入れても、ティエルの心は晴れなかった。どんよりと曇ったままだ。
それは向かいに腰掛けるサキョウも同じようで、仇を討った後でも重い表情のまま両手に視線を落としている。
ジハードはいつもと変わらぬ様子だ。先程の戦闘で破れてしまった上着を器用にも繕っているようだ。


「もう、なんですの。みんな暗い顔をして! サキョウが仇を討てた上に、ジェムも四つ集まったんですから」
「リアン」
「それに……サキョウが私達の所へ帰ってきてくれたんですのよ。それだけでもう十分じゃない」

突如響き渡るリアンの明るい声。
両手を腰に当てながら、彼女はやれやれといった様子で重苦しい雰囲気を吹き飛ばような明るい口調で言った。
リアンは己の苦悩を表に出さない。誰かが苦しい思いをしていたら、己の感情をぐっと堪えて励ましている。

クウォーツがあんな状態で姿を消してしまったのだ。彼女が不安な思いを抱えていないわけがない。
それは勿論ティエル達は痛いほど理解していた。だが、それでもリアンは彼女達を励まそうとしてくれている。


「ねぇ、サキョウ。よくここまで辿り着けましたわね」
「……ティエルからの手紙を受け取ったのだ。バアトリとの決着のために、ロクサーヌの森という場所に行くと」
「そうだったんですの」

懐から皺くちゃになった手紙を取り出したサキョウ。確か速達で出したことを思い出す。
二週間前。ロクサーヌの森に出発することを決めたティエルが、色々な思いを込めて書いた彼への手紙だった。


「ワシは母上が殺されたあの日から……ただ悪魔族に、バアトリに復讐をするためだけに生きてきた」
「サキョウ」
「清く正しい僧侶として、悪魔族達を屠ってきた。いつか必ず仇と出会える日を夢見て。それが生きがいだった」
「……」

「だが死して尚、バアトリ達に剣を突き立てる彼らの姿を眺めていて疑問に思ったのだ。
 ワシら人間も悪魔族も大して変わらないのではないかと。……まるで、同じことをしているのではないかと」

静寂に包まれた屋敷。あんなにも騒いでいた人間達の声はもう聞こえない。


「バアトリも人間に狩られた過去があるのではないか。その時、ワシと同じく復讐を誓ったのではないだろうか。
 もしも悪魔狩りがなければ、バアトリが幸せに暮らしていれば、母上は死ななかったのではないかと思うのだ」

「そうかもしれないね。まぁ……もしもの話だから、ぼくは断定することはできないけどさ」
「いつまでも終わることのない復讐の連鎖。それを断ち切ることは、なかなか難しいだろう。ワシだってそうだ」
「ぼくは復讐を否定する気はないけど、そんな復讐の連鎖を断ち切ろうとしたやつを……一人だけ知っているよ」

そう言って、ジハードは微かに笑った。

束になった人間達に勝てるわけがないと。叶わぬ復讐を続けていれば、最後に傷付くのはこちらの方なのだと。
そうバアトリ達に訴えかけていたのは、同じ悪魔族であるクウォーツであった。
人間達に復讐を目論んでいるバアトリの誘いに彼が全く耳を貸さなかったのも、恐らくそれも原因の一つだろう。

復讐よりも、ただひたすらに強さを磨き続けた。もう二度と惨めに負けたくはないと。敵に打ち勝てるようにと。


「……あいつ、帰ってくるかな」
「帰ってくるよ。クウォーツは必ずここに帰ってくる。このままお別れだなんて、絶対に思いたくない」

ジハードの言葉に、ティエルは駄々をこねるようにふるふると首を振った。
目の前で同族達に剣を突き立てられ、そして自分にも剣を向けてきた人間の姿を見た彼の心境は知る由もない。
いくら復讐は無駄なことだと考えている彼だとしても、この一件で人間達に絶望してしまったのではないか。
だからあの場を立ち去ったのではないだろうか。そして……二度とここへ戻ってくることはないのかもしれない。


「もう休みましょう。ティエルも、ジハードも。そしてサキョウもみんな疲れているんですのよ」
「うん……」
「今日はもう考えるのはやめて身体を休めなさいな。私達の旅は、決してここで終わりではないんですからね」

リアンの言葉に面々はどこか力なく頷くと、その場で脱力したかのように寝転がったのだった。







どのくらいの時間が過ぎ去ったのか。
僅かに肌寒さを覚えたリアンは、ぶるっと身震いをして目が覚めた。毛布も何も掛けていないのだから当然だ。
軽く顔を上げると、暖炉の火が弱々しく燃えているのが見えた。柱時計の時を刻む音が静かに鳴り響いている。

ティエル達はそれぞれ長いソファーで横になって熟睡しているようだ。
先程までの重苦しい表情は消えて、安らかな顔付きで眠っている彼らの姿を眺めると、リアンは思わず安堵する。
だがその安堵の表情はすぐに消えていく。やはりクウォーツの姿が見えない。……まだ帰ってきてはいないのだ。

もしかしたら、彼は二度とここへ帰ってはこないのではないか。このまま、どこかに行ってしまうのではないか。
次々と不安が押し寄せてくるが、頭を振ってすぐに暗い考えを追い払う。こんな時に弱気になってはいけない。
暫くソファーの上で座り込んでいたリアンだったが、やがて意を決して立ち上がると廊下に向かって歩き始めた。

そんなリアンの後ろ姿を黙ったまま静かに見送っていたジハードの視線に、彼女が気付くことはなかったが。


物音一つしない廊下を歩き、バアトリ達と戦った広い応接間を軽く覗き込む。そこにも勿論人影は見えなかった。
廊下を抜けて玄関ホールから外へ出ると、血生臭い湿った風が彼女を包み込む。
大きく開かれている門には、無残な姿となったバアトリ達の亡骸が晒されていた。直視できぬほど惨憺たる屍達。

思わず吐き気を覚えて口を押さえてしまうリアンだったが、ぐっとそれを堪えると、門の前を静かに通り過ぎる。
目の前に広がる黒い森。木々の隙間からか細い月明かりが差し込んでいた。


「どこにいるの、クウォーツ」

少しでも気を抜けば、恐怖に負けてしまいそうになる。
ここにはいないクウォーツの姿を求め、呼び慣れた彼の愛称を口に出してみる。……だが返事をする者はいない。

「……クウォーツ!!」


今度は強く名を呼んでみるが、彼女に応えてくれるものは重苦しい梟の声だけであった。
彼はここにはいない。その事実がリアンに強い恐怖をもたらした。手足が震え、全身に冷や汗がどっと噴き出す。
得体の知れぬ黒い森はこのまま彼女を飲み込んでしまいそうであった。

今まで奥に抑え続けていたものが途端に溢れ出したのか、リアンは彼の名を叫びながら森の中を駆け出したのだ。

湿った土の臭い。次々と通り過ぎていく曲がりくねった大きな木。ぼんやりと妖しい光を発する魔法ゴケ。
盛り上がった太い木の根に何度も躓いてしまっても、それでもリアンはクウォーツの姿を求めて駆け続けていた。
ここでクウォーツを見失ったままでいれば、本当に彼は二度と戻ってくることはないだろう。そう感じたのだ。


……どのくらい走り続けていたのだろう。
何度も転んだために身体のあちこちに擦り傷ができている。いつの間にか靴も片方失くしてしまっているようだ。
ずきずきと痛む足に構わず走り続けていると、大きな木の根元に座り込んでいるクウォーツの姿を見つけたのだ。

安堵のために、整ったリアンの顔が思わずくしゃくしゃに歪んでいく。丁寧に結っている髪など既に解けている。
痛みも忘れてクウォーツに駆け寄って行くと、彼は手足を投げ出した状態で眠っていたのだ。
普段の彼からは想像もつかないほどあまりにも無防備で、警戒心の欠片もない姿。彼は、それほど疲弊していた。


「やっと、見つけた」

絞り出すようにして声を発したリアンはクウォーツへと歩み寄ると、ゆっくりと彼の前で立ち止まる。
周囲は相変わらず黒く塗り潰したような森が広がっているが、不思議と先程までの恐怖は綺麗に消え去っていた。
それよりもただ安堵感が彼女の胸一杯に広がっていた。もう怖いものなどないと、そう思わせてくれる勇気が。

「やっとあなたを……見つけた……」

眠るクウォーツの姿を暫くの間眺めていたリアンは、それからゆっくりと彼の隣に腰を下ろした。
その強さゆえに頼る場面が多かったクウォーツだったが、こうしてまじまじと眺めてみると寝顔は意外にも幼い。
そこで、リアンは彼が年下だったことを改めて思い出したのだ。そんな彼に、気が付けばいつも守られていた。

一見すると華奢に見える彼の身体は案外力強く、戦闘中に限らずリアンの危機を何度も救ってくれた。
クウォーツは己が傷付くことに躊躇いがない。捨て身の攻撃が彼の強さだ。だがそれはとても悲しいことだった。
彼が強さを求めた理由をリアンは知らない。彼は何も語らないのだ。一人で悩んで、一人で解決しようとする。


「ねえ、クウォーツ」

不意にリアンが口を開いた。
勿論彼女に応えるものは誰もいないが、返事など初めから期待はしていない。

「……サキョウが言っていたでしょう? 辛いときは泣いてもいいんだって。耐え続けることが強さではないと」


心を殺してぐっと堪えていることが強さではない。心の強さとはそういうことではないのだとサキョウは言った。
しかし誰にも頼ることをしないクウォーツの性格を考えると、弱音を吐くことは難しいことなのかもしれない。
他人に無防備な部分を決して見せない。常に強くあろうと、気を張り続けているようにもリアンには見えたのだ。

悪魔族からは恥さらしだと罵られ、人間からは迫害され、彼は悪魔と人間の間で答えの出ない悩みを抱えている。
どうして誰にも頼ってくれないのだろう。どうして何も言わないのだろう。一人で抱え込もうとするのだろう。
お願いだから……もう、一人で黙ってどこかに行こうとしないで。

穏やかな静寂が続く。彼の隣は、どうしてこんなにも心地が良いのだろう。その理由をリアンはもう認めている。
以前まではその事実を認めたくはなくて目を逸らし続けていた。けれど、一度認めてしまえば心が楽になった。
クウォーツが眠っている今なら言える。想いを受け止めてもらえるとは元々思っていない。だから、これでいい。


「クウォーツ、あなたが好きよ。……あなたの良いところも悪いところも、全部、ぜんぶ、愛してる」


気が付けば、側にいるのが当たり前になっていた。
誰よりも強がりで、無神経で、優しくない。女心を知ろうともしないクウォーツにいつも振り回され続けていた。
けれど意外にも努力家で、いつも己よりも他人を優先する。彼が稀に見せる優しい一面を見るのが好きだった。

その時。
眠っているクウォーツの身体がぐらりとバランスを崩し、隣で腰を下ろしているリアンの方へと突然倒れてくる。
完全に彼に寄り掛かられた状態であった。彼の吐息が首筋をくすぐり、リアンの心臓が早鐘のように打ち始める。
己は色事において百戦錬磨だと自負があった。男を手玉に取ってきたはずなのに、この程度で気が動転するなど。


「あっ、あの、ちょっと」
「……私は」
「えっ?」

リアンに凭れ掛かったまま、クウォーツが口を開いた。起こしてしまったのかと思ったが、寝言のようである。
殆ど聞き取れないような掠れた小さな声で、彼は言葉を続けた。

「私は、ずっと……お前に愛されたかったんだ。……ギョロイア……」


ギョロイア。
クウォーツを己の復讐のために利用しようとしていた老婆の名だったが、今でも彼の心を大きく占め続けている。
彼女に向けるその感情を、ほんの少しだけでもこちらに向けてくれたら。
ああ、もしも自分がギョロイアになれるものなら。彼女の代わりに惜しみない愛情を彼に注ぐことができるのに。

艶々とした柔らかなクウォーツの青い髪をいじりながら、リアンはどこか寂しげな笑みを浮かべたのだった。





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