Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第174話 最後の地図




早朝のひんやりとした肌寒い空気。どこからか、朝を告げる聞いたことのないような鳥の鳴き声も聞こえてきた。
辺りが段々と明るくなってきていることに気付いたクウォーツは、ゆっくりと目を開ける。
白い霧に包まれたロクサーヌの森はとても静かで、魔の住まう森なのだとは到底思えぬほど神秘的ですらあった。

肌寒さに思わず身を震わせる。
……そこで初めてクウォーツは、己が温かく柔らかいものに寄り掛かって眠っていたことに気が付いたのだ。
無表情のまま静かに顔を上げると隣ではリアンが静かな寝息を立てていた。一体何故ここに彼女がいるのだろう。

「?」

彼女がここへ来たことすら気付いていなかった。気配に気付くことができぬほど、それほど無防備だったのか。
ここへ来たのがもしもリアンではなくバアトリに捕らえられていた人間達だったなら、間違いなく殺されていた。
しかし彼女がここにいる理由がどうしてもクウォーツには分からなかった。思い当たる節がないのだ。


規則的に繰り返されるリアンの寝息。
悪魔族がゆえであるクウォーツの透き通った白皙の肌とは違い、ほんのりとピンクに染まった健康的な白い肌。
普通の男達から見れば、確かに彼女は魅力的な女なのだろうとは思う。だが外見の美しさが彼女の魅力でない。

気落ちしている誰かがいれば、己の感情を殺して明るく振舞っている。
本来であれば彼女も同じように泣きたいだろうに。気丈に振舞い、いらない世話ばかりを周囲に焼きたがる女だ。
……知っていた。その笑顔の裏に、彼女がとても大きな苦しみを背負っていることを。苦しみ続けていることを。

ティエル達が彼女を信頼していくほど、心を許せば許すほど、リアンはどこか哀しげな表情を浮かべていた。
何も知らなかったわけじゃない。決して気が付いていなかったわけじゃない。
だがそれに気付いていない振りをしていることが、彼女にとって一番いいのだろうとクウォーツは判断したのだ。


「ん……」

クウォーツが身じろぎをした振動で目が覚めたのか、リアンの目が開かれていく。
蜂蜜を数滴落としたようなカーネリアンの瞳にクウォーツの姿を映してから、彼女は幸せそうに微笑んで見せた。

「おはよう」
「……」
「あなたねぇ、おはようって言っているんですから何か言いなさいな」

しかしクウォーツは言葉を返す素振りすらなく、黙ったまま彼女の顔を見つめているだけであった。
それにしても普段はしっかりと丁寧に結っている彼女の髪はぼさぼさで、身体の至る所に擦り傷が見受けられる。
しかも靴も片方がない。一体どんな状況でここに来たのだろうか。身だしなみには気を遣う彼女らしからぬ姿だ。


「何故ここにいる」
「えっ?」
「私に用があったのか」

「……用ならもう済みましたわよ。あなたが眠っている間に口に出したら、少しだけすっきりしましたわぁ」
「は?」
「さーて、屋敷に戻って髪を整えようかしらね。いい女が台無しですわ。あなたも少し寝癖付いていますわよぉ」

立ち上がったリアンは服に付いた泥をぱんぱんと叩き落とすと、霧深い森を振り返りもせずに歩き始めた。
段々と霧で霞んで見えなくなっていくリアンの後ろ姿。
彼女の姿が完全に霧の向こうに消えてしまっても、それでもクウォーツは表情一つ動かさずに見つめ続けていた。







屋敷の門には、夜と変わらず四つの無残な亡骸が晒されていた。その亡骸の前で立っていたのはティエルである。
しっかりと目を逸らさずに。まるで凄惨なこの光景を、目に焼き付けようとしているかのようだった。
森の奥から現れたリアンの姿にほんの少しの間だけ視線を向けるが、再びティエルはバアトリ達へと顔を向ける。

「……どうしてだろうね。わたし、何故かこの光景を決して忘れちゃいけないって思ったの」
「ティエル」
「目を逸らさずに彼らの姿を真っ直ぐ見て、バアトリ達の死をずっと覚えておかなければならないと思ったんだ」


顔の原型など最早留めてはいない。髪の色から辛うじて誰が誰だったのか分かる程度である。
昨夜はあれほど騒いでいた人間達の姿は全く見受けられない。忌々しいこの屋敷から早々に逃げ出したのだろう。
バアトリ亡き後のロクサーヌの森に脅威はない。彼らは皆無事に森から抜け出ることができたのかもしれない。

確かにバアトリ達の行ってきたことは、決して許されるようなものではない。
戯れに命を奪うことがどんなことを意味するのか。嘆き悲しむサキョウの姿を見て痛いほど思い知らされている。


「わたしもバアトリと変わらない。復讐のためにヴェリオルを討とうとしている。許すことなんてできない」
「ええ」
「でも……ヴェリオルの死を嘆き悲しむひとだっているのかもしれない。そのひとは、わたしを決して許さない」
「そうかも、しれないわね」

「わたしは、どうしたらいいんだろう。今ここで復讐を諦めて、負の連鎖を断ち切らないといけないの……?」

愛するひと達を奪っていったヴェリオルを絶対に許すことはできない。
全てを忘れて生きていくなんて。全てなかったことにして生きていくなんて。そんなこと、できるはずがない。
殺された祖母達は復讐など望んではいないのかもしれない。それでも、どこかでけじめをつけなければならない。


「……できないよ」

その時。庭に置かれた大理石の置物の上にいつの間にか腰掛けていたジハードが、ひょいと彼女を振り返る。
彼の傍らにはスコップを肩に担いだサキョウの姿もあった。

「全てを忘れてしまうことができたら、どんなに楽だろうね。けれど……決して忘れることなんてできないよ」
「復讐が新たな憎しみを生んでしまうことも承知の上で、それでもワシは立ち止まることができなかった」
「うん……」
「しかし、死者は皆平等に弔ってやるのが我がモンク僧の掟。いつまでも亡骸を晒しておくわけにもいかんしな」


バアトリ達が晒されている門まで歩み寄ったサキョウは、縛り付けられている縄を解いて亡骸を下ろし始める。
手伝うよ、とティエルも彼に倣って亡骸を抱え下ろす。それに続いてジハードやリアンも黙々と手伝い始めた。
暫く無言の作業が続く。……虫が湧き始めた死体からは、微かな腐臭が漂っている。これがあのバアトリなのか。

やがて屋敷の庭に、花すらもない真新しい四つの墓が出来上がった。
木で作られた簡素な墓標。派手な装飾を好むバアトリならば、きっと目を細めながら文句を言っていただろう。
四つの墓を前にして、ティエル達が一息ついたとき。霧深い森の奥からゆっくりと人影が向かってきたのだ。

青い髪に、紺を帯びた黒のドレスコート。ティエル達の前まで歩み寄ってきたのは、クウォーツであった。
ずらりと並ぶ四つの墓と泥に塗れたティエル達の姿を交互に眺めると、彼はほんの少しだけ首を傾げて見せる。


「おはよ、クウォーツ」

手に付いていた土を軽く払うと、ティエルは満面の笑顔でクウォーツを迎えた。
もしや彼は帰ってこないのではないかと危惧していた他の面々も、どこかほっとしたような表情を浮かべている。
久々に全員が揃ったのだ。立ち上がったティエルは背からイデアを引き抜くと、墓に黙祷を捧げるように掲げた。

朝の光に反射して、美しく輝く銀の剣。淡い薄緑の宝玉の中には、小さな光が四つ。揃った四つのジェムである。
剣を掲げた瞬間。イデアの宝玉が強い光を発して、墓の前に大きな地図を映し出した。
セレステール、エルキド、大都市マクディアス。バアトリの館。五つのジェムのうち既に四つは手に入れている。
今ここに大きく映し出されている地図は、最後のジェムの在り処なのだろう。


「ここが」
「最後のジェムの在り処……」

四つの墓の前に映し出されている地図は、ティエルがよく知る国であった。
メドフォード王国。人々は水と緑の王国と呼んでいる。ティエルの旅の始まりの地であり、旅の終着点でもある。
最後のジェムがメドフォードに存在するというのだ。……これは、果たして運命ではなく必然だったのか。


「メドフォードに最後のジェムがあったんだ……わたしがイデアを手に入れたことは、単なる偶然だったのにね」

「最後のジェムの場所に相応しいではないか。きっとゾルディスからメドフォードを取り戻す機会は今なのだ」
「勿論私も最後までティエルに付き合いますわよ! ここまで来て、今更引き返せるものですか」
「ぼくも付き合うよ。いけ好かないゾルディス国が、ティエルの故郷を好き勝手にしているのは許せないからね」

イデアを握り締めたまま呆然としているティエルへと、サキョウ達が歩み寄っていく。
クウォーツは何も言わずにいつもどおりの無表情であったが、最後まで付き合ってやる、と肩を竦めて見せる。
ありがとうと口にしてから瞳が潤んでしまったティエルは慌てて袖で擦り、涙を誤魔化すために笑顔を浮かべた。


「わたし、必ず国を取り戻すよ……!」

「その意気ですわよぉ。うふふ、そうと決まれば早速出発の準備ですわね」
「ならば途中でベムジンに寄ってくれぬか。大僧正様やモンク僧の仲間達に挨拶をしたいのでな」
「……ベムジンって、私の苦手な血気盛んで汗臭くて筋肉質な男が多すぎるんですのよ」


屋敷へ足を向けるリアンとサキョウの会話を耳にしていたティエルは、懐かしさに笑いを吹き出してしまう。
同じく歩き始めたジハードは、心配させやがって、と隣を歩いていたクウォーツの脇腹に軽く肘鉄を入れる。
最後にティエルも屋敷の中へ戻ろうと歩きかけ、その足がぴたりと止まった。視線の先には作ったばかりの墓。

同情はしない。同情はできない。そして、バアトリも決してティエルに同情されることを望んではいないだろう。
それでも。

……せめて、彼らに永遠の安息を。





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