Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第176話 サキョウとモンク僧




「やっぱり何度見てもベムジン寺院は迫力があるなぁ……何度といっても訪れたのはこれで二回目なんだけどね」

地方から訪れた観光客さながらに、ティエルは口を大きく開けたまま目の前に聳え立つベムジン寺院を見上げる。
重厚にして堅牢、立派な石造りの建造物だ。朱の色に塗られた太い柱。金箔のアクセントがとても美しい。
緑色の外壁は見たところ塗装をしたような様子がないため、元々黒ずんだ緑色の石を使用しているのだろうか。

巨大な門は遠路遥々訪れる参拝者達のために解放されており、派手ではないがきちんと整備された中庭が見える。
そこには様々な国の衣服を身に着けた参拝者達の姿や、鍛え抜かれた肉体を持つモンク僧見習いの姿もあった。
サキョウが常に額に巻いている鉢巻を彼らはしていない。恐らく、見習いのうちは巻くことができないのだ。

見習いモンク僧のうちの一人がサキョウの姿に気付いたようで、両手の平を合わせて深く礼をする。
サキョウもまた同じように手を重ね合わせて頭を下げた。
ベムジンの僧侶は相手と目が合うと礼をする風習があるそうだ。ティエルも彼に倣い、ぺこりとお辞儀をする。


「ベムジンの建造物は、ぼくの故郷の建築様式と若干似たところがあるね。あの丸みを帯びた屋根なんて特に」
「あら、そうなんですの」
「実家とよく似た造りだから、ちょっとだけ懐かしくなったよ」

「……ん? こんな大きな寺院と似た実家って、あなた意外にもどこかのボンボンだったりするんですの」
「あくまでも似た造りって言ってるだろ。リアンの目が急にぎらぎらとし始めてて怖いなぁー」
「し、失礼ですわね。誰がお金にぎらついているんですのよ! 私はもう男性に地位もお金も求めてなくてよ?」

「ふぅん。そうなんだってさ、クウォーツ。恋をすると女は変わるものだねぇ」
「何故私に話を振る」
「ジハードあなた、少し黙りなさいな!」

神聖なるベムジン寺院の前で場違いなほど賑やかである。振り返ったサキョウは静かにしろと口元に指を当てる。
重厚な建造物に溜息をつく人々の間を抜け、門と同じく大きく開け放たれている正面入口へと向かう。
正面入口の左右には二人、サキョウと同じ鉢巻をした屈強な男達が門番のように立っていた。モンク僧であった。

二人のモンク僧はサキョウ達に向けて礼をしかけるが、やがてその目が大きく開かれる。


「もしや……サキョウ先輩?」
「やはりサキョウ殿だ、サキョウ殿が長旅から戻られたぞ!」

「うむ、今帰った。お前達も日々修行を怠ってはおらぬか」
「勿論です。先輩のような立派なモンク僧を目指し、日々精進しております!」
「シグン大僧正様もサキョウ殿のお帰りをお待ちでした。ささ、お連れの方々もどうぞこちらへ……ん?」

笑顔でサキョウに駆け寄っていく二人のモンク僧だったが、ティエル達へと顔を向けた瞬間に顔が強張っていく。
彼らの視線の先は、勿論青い髪をしたクウォーツである。モンク僧にとって悪魔族は永遠の宿敵なのだ。
その様子を見てクウォーツは、やはりな、と小さく呟く。元より僧侶達の目を誤魔化せるとは思っていなかった。


「サ、サキョウ先輩……この青年は、もしや悪魔族では?」
「悪魔族を捕らえるとは、さすがサキョウ殿! それにしても、おぞましいほど美しい姿をした化け物ですね」
「いや、捕らえたのではない」
「えっ?」

クウォーツの前に立ちはだかったサキョウは、二人のモンク僧達に向かってはっきりと言った。

「彼はワシの仲間だ。命を助けられたことも数え切れないほどある。こいつに手出しをすることはワシが許さぬ」
「……仲間? 何を言っているのです、サキョウ先輩。あなたほどのお方がモンク僧の誓いをお忘れか!?」
「この件が大僧正様に知れたら、破門でございますよ! まさかこの淫魔が、サキョウ殿を拐かしたのでは……」

後輩達に詰め寄られても、サキョウは柔らかな笑みを崩すことはなかった。
彼らの言うことは尤もである。ほんの一年ほど前ならば、サキョウも彼らと同じようなことを言っていただろう。
分かってもらえなくて当然だ。そしてこれ以上、彼らに己の考えを押し付けるわけにもいかないとも思っている。

僧侶として異端はサキョウの方なのだ。
それでも、クウォーツにこそこそと身を隠させるような真似をさせたくはなかった。だからここまで連れてきた。
大切な仲間だということを後輩達にも知って欲しかった。色々な悪魔族が存在することを知ってもらいたかった。
だが、侮蔑の言葉をクウォーツが投げかけられる結果となってしまった。何もかもが裏目になってしまったのだ。


そんなサキョウの心境を知ってか知らずか、クウォーツが一歩前に進み出た。

この世のものとは思えぬ彼の美貌に、モンク僧達ですら目を奪われる。ただ人間を堕落させるためだけの存在だ。
すぐに我に返ったサキョウの後輩達は、拳を構えて今にもクウォーツへ飛び掛かりそうな気迫を纏っている。
一体何を、と口を開きかけたサキョウを無言で制したクウォーツは、身構えるモンク僧達に無感情な顔を向けた。

「安心しろ。貴様達の大切な先輩とやらは、今でも変わらず清く正しい僧侶のままであるよ」
「なんだと?」
「黙れ、穢らわしき淫魔め! そんなことは、お前などよりも我々がよく知っている」

「ならばそれでいい。……正直言って、大勢の僧侶どもに囲まれるのは居心地が悪い。私はここで失礼しよう」

面々が思わず息を飲むほどふわりと優雅な一礼をしたクウォーツは、それから背を向けてゆっくりと歩き始めた。
後で必ず迎えに行く、とサキョウは遠ざかっていく背に向けて返事はないと知りつつも声をかけたのであった。







クウォーツを仲間と認めているとはいえ、サキョウは全ての悪魔族を認めているわけではない。
彼以外の悪魔族は滅ぼしても構わないといった考えが完全に消え去ったわけでもない。悪魔族はやはり宿敵だ。
確かに矛盾している考えなのは自覚している。良かれと思った行動が、全て裏目に出てしまっていることも。

先程のモンク僧の後輩達は、去って行ったクウォーツを追うようなことはしなかった。
それは尊敬している先輩に対しての精一杯の譲歩であった。本来であればすぐにでも捕らえたかったのだろうが。
大僧正の部屋まで続く長い廊下を進みながら、サキョウは先程から浮かぶ重苦しい表情を崩すことはなかった。

クウォーツが先程自分から言っていたように、そもそも『彼が町に入らなければ済む話』だったのだ。
それをまるで、彼を晒しものにするかのように連れてきてしまった。僧侶の掟の厳しさは知っていたではないか。


何故、クウォーツに対する行動は全て裏目に出てしまうのだろう。
良かれと思って選んだ答えが正しいかは分からない。それでもいいじゃないかとサクラに言われたことがあるが、
果たしてそれでもいいのだろうか。現にクウォーツに随分と気まずい思いをさせてしまった。

シグン大僧正の部屋の前まで辿り着いたサキョウ達であったが、彼はなかなか扉をノックしようとはしなかった。
そんなサキョウの腕を、隣のティエルがそっと触れる。


「……仕方がないのかな。モンク僧のひと達は、今までずっとそういう教えを受け続けてきたんだもんね」
「ティエル」
「サキョウも最初はそうだったんだ。だから悲しいことだけど、仕方がないんだって思わないといけないのかな」
「仕方がない……か」

ほんの一瞬だけ表情に影を落としたサキョウは、それから拳を力強く握り締めてから大僧正の部屋の扉を叩いた。
少々軋んだ音を立てる大きな扉を両手で開くと特徴的な香の匂いが廊下に広がる。
ベムジン寺院の僧侶達の頂点に君臨する高名な大僧正の部屋にしては、随分と質素な印象を受ける部屋であった。

「シグン大僧正様。サキョウ=タチバナ、只今戻りました!」


ベムジンの象徴であるマーチャオ神の銅像の前には、紫紺の法衣に身を包んだ小柄な老人の姿があった。
この老人こそが僧侶達の頂点シグン大僧正である。

「おお……よくぞ無事に戻ってきてくれた、サキョウよ。そしてティアイエル姫様も、リアン殿もお変わりなく」
「はい!」
「長旅でさぞ疲れたじゃろう。ささ、とりあえず座ってゆっくりと話を聞かせてくれ」

垂れ下がった長い眉毛のためにシグン大僧正の表情は分からなかったが、声から察するに大変喜んでいるようだ。
両手を広げてサキョウ達を出迎えた大僧正は、彼らの顔を一人一人懐かしそうに眺めていく。
サキョウ、ティエル、リアンと順繰りに眺めていき、そこでジハードへ目を留める。そういえば初対面であった。


「そこの白髪の若者は初めて見る顔じゃのう。よいよい、旅は道連れ世は情け。仲間が多いと心強いからのう」
「お初にお目にかかります、シグン大僧正。ジハードと申します。サキョウからお噂はかねがね聞いております」
「ほっほっほ、そんなに畏まらんでもよいよい。サキョウや姫様の友人ならば、ワシにとっても大切な客人じゃ」

「えっ、ジハードって敬語使えたんだ……」

完璧な会釈と共に頭を下げるジハードを、ぎょっとした顔付きで眺めるティエル達。
王族相手にすら敬語を使ったことのない彼が、初めて敬語を使っている姿を見たのだ。驚くのも無理はなかった。
そんな様子を目にしたジハードは、失礼な言い草だな、と思わず口に出していたが。


「姫様、ベムジンへ戻ってきたところを見ると……故国奪還のために、いよいよ動き出す時が来たのじゃな?」
「はい! このとおり封魔石イデアも手に入れることができたの。まだ完全な力は取り戻していないけど……」
「なんと。封魔石を手に入れるとは、さすがはミランダ様のお孫さんじゃ」

白銀色に輝く大剣イデア。嵌め込まれている淡い薄緑の宝玉の中には、小さな光の点が四つ光り輝いていた。
その一つ一つの光にはそれぞれ悲しい思い出が宿っているが、今は前に進むことだけをティエルは考えている。


「そうじゃ、サキョウよ。……風の噂で、忌むべき悪魔族を信仰する邪教『サバトの福音』が壊滅したと聞いた」
「その件に関しましては、アリエスという協力者がおりまして。彼のお陰で封魔石を手に入れたようなものです」
「よくやった。おぞましい化け物である悪魔族を、信仰の対象にする恐ろしい邪教など滅びるべきだったのじゃ」
「……あ、あの、実は」

シグン大僧正ならばクウォーツのことを分かってくれるだろうと思っていた淡い期待は、呆気なく打ち砕かれた。
それでもサキョウは口を開きかけたが、言ってはならないと、隣のティエルの瞳によって無言で遮られたのだ。





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