Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第178話 故国奪還までの道のり
ベムジン二日目の早朝。
この町の中でも一番の規模を誇る大きな宿から少し離れた広場にて、激しい木刀の打ち合いが続けられていた。
バアトリ襲撃時の怪我によって暫く中止となっていたティエルとクウォーツの早朝訓練が久々に再開したのだ。
カンカンと小気味よく鳴り響く木刀の音。清々しい音だが、ティエル本人は彼の動きを目で追うので必死である。
勿論クウォーツは普段よりも手加減をしてくれているだろうが、それでも人間離れをした速さには変わりない。
今日の訓練は、彼に一撃でも木刀を当てることができれば終了だった。
かれこれ二時間近くは特訓を続けているが、息の荒いティエルに対してクウォーツは息一つ乱していないのだ。
既にティエルは彼から数十回以上木刀の一撃を食らっている。手加減しているとはいえ、かなりの痛さだった。
「ど……どうして」
「?」
「どうして、クウォーツは疲れてないの? 二時間近くも木刀で打ち合っていたら、普通は疲れるでしょ……」
「お前は無駄な動きが多い」
ひらりと華麗にティエルの渾身の一撃を避けると、目前に降り立ったクウォーツは指先で彼女の額を軽く小突く。
これが剣ならば、今頃ティエルは頭を貫かれて即死していたであろう。
「無駄な動きって?」
「まず剣を振る時、必要以上に大きく振りかぶりすぎる。だから隙が多い。あと受け身が全く取れていない」
「えっ、受け身って疲れと関係あるの?」
「受け身が取れていないから、その分身体にダメージが大きい。そして疲れも蓄積する。痛みで動きも鈍くなる」
「なるほど……」
「あと、お前は相手が態勢を立て直すのを待っているだろ。悪い癖だ」
「そうなの?」
「騎士道精神といえば聞こえはいいが、戦闘は試合じゃない。殺し合いだ。相手の隙や状況を全て味方につけろ」
「状況を味方につけるってどういうこと?」
「少しは自分で考えろ」
「はぁい」
少々辟易した様子のクウォーツは、左手で握った木刀でとんとんと己の肩を叩きながら溜息をつく。
自分で考えろと突き放されてしまい、暫くの間思案顔を浮かべているティエルだが。やがて、ぽんと手を打った。
「分かった。相手の隙を自分のチャンスにしなさいってことだ!」
「そうだ。戦闘中の隙は命取りとなる、それだけはよく覚えておけ」
「肝に銘じておきます。……ということは、これも隙ありっていうのかな?」
「!」
ぽこん、と。悪気のない満面の笑顔を浮かべながら、ティエルは手に持った木刀でクウォーツの頭を軽く叩いた。
さすがのクウォーツも、まさか会話中に一本取られるとは思わなかったのだろう。
しかし相手の隙をチャンスにしろと言ったのは自分である。硝子の瞳を瞬いた後、今日は私の負けだ、と呟いた。
クウォーツから漸く一本取ったところで、本日の早朝訓練はお開きとなった。
時刻は七時過ぎだ。そろそろ朝食の時間だろう。タオルで汗を拭きながら、宿までの道のりを二人で並んで歩く。
昨夜は遅くまでティエルはサイヤー達とこれからのことを話し合っていた。そして五時からの早朝訓練だ。
国を奪還するまでに、やらなくてはならない仕事は多い。はっきり言って寝ている時間も惜しいほどであった。
「ティエル」
「なぁに?」
「私が言うことではないかもしれないが、あまり焦るな」
「……焦ってるように見えるかな」
「さぁな。変に気張らず、お前はお前のままでいればいい」
他人に興味なんてありませんという顔をしながら、クウォーツは時折他人の感情に対して鋭い一言を口にする。
彼の言うとおり、確かに焦っているのかもしれない。
サイヤー達と顔を合わせたことで、国奪還が現実味を帯びてきたためだ。王女としてしっかりとしなければと。
「今まで実感がなかったけど、とうとうここまで来たんだなって。絶対に国を取り戻さなければならないって」
「……」
「でも、本当にわたしは国を取り戻すことができるのかなって。そう考えると、なんだかとても怖くなって」
一年近く旅を続けてきたとはいえ、彼女はまだ温室育ちの十六歳の少女だ。
生き残りの兵士や騎士達の期待全てを一身に受け、国の未来を背負うにはティエルの肩はあまりにも小さすぎた。
だがジョンやリック達のティエルを目にした時の表情が、今でも忘れられない。
ああ、やっとこれで救われる。辛い日々は終わるんだ。誰もがそれを疑わない、そんな希望の眼差しであった。
宿の前で立ち止まってしまったティエルに、同じくクウォーツも足を止めて振り返る。
木刀を担いだ手とは反対側の手を伸ばし、彼はティエルの栗色の髪をわしゃわしゃとさせながら頭を撫で付けた。
稽古の後にせっかく整えた髪が鳥の巣状態である。柔らかなティエルの髪はすぐに絡まってしまうのだ。
クウォーツにとってこの行動に深い意味はなく、気落ちしている相手に対するサキョウの行動を真似ただけだが。
「もぉぉお、なにすんのクウォーツぅぅ……」
「元気になったか」
「髪の毛をぐしゃぐしゃにされて、どうして元気になるのよう」
「?」
ぷんすかと頬を膨らませているティエルに、クウォーツは彼女が怒る理由が分からずに首を傾げるだけだった。
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「姫様、おはようございます!」
「お食事中大変失礼いたします、少々急ぎでお伝えしたいことがございまして……」
「あ、二人ともおはよー」
ティエル達が宿の一階で和やかな朝食を取っている時。突然二人の男が彼女達のテーブルに向かって歩いてくる。
目立たないように二人とも町人の格好をしているが、サイヤーと兵士副隊長のアルビンであった。
サイヤー達は普段ベムジンにて仕事をしながらメドフォード奪還に向けて活動を続けている。やはり金は必要だ。
「そんなに急いでどうしたの? ちょっと待って、今急いで食べ終えちゃうから。このパン美味しいんだ」
「あっ、いえいえ。姫様やお仲間の方々はゆっくりしていただいて結構です」
口の周囲にイチゴジャムを付けてパンを頬張るティエルに、熱いスープを急いで口にして咽せているサキョウ。
彼らを急かしてしまっていることに気付いたサイヤーは、慌てて両手を振った。
サイヤーの隣に立っているのは兵士副隊長のアルビン。強靭な肉体に茶色の立派なヒゲを持つ壮年の男である。
こう見えても世話好きの苦労人で、現在囚われの身となっている兵士隊長モルダーの頑固さに苦労していた。
ゆっくりしてもいいなら、とティエル達は再び食事を続けることにしたようだ。
咽せているサキョウの背を叩いているリアン。そして眠気を隠そうともせずに、大あくびをしているジハード。
大きなパンに齧り付いているティエルの姿を微笑ましく見守っていたアルビンだったが、その表情が突然強張る。
同じく背後で控えていたサイヤーも、緊張した面持ちでマントの下に隠し持っていた剣の柄に手を掛けた。
「……何か?」
アルビンやサイヤーの視線の先には、足を組んで優雅に紅茶のカップに口を付けているクウォーツの姿があった。
クウォーツはベムジン寺院に立ち入ることを許されなかったために、サイヤー達は彼のことを知らなかったのだ。
エルキドやゾルディス王国ほどではないが、メドフォードでも悪魔族に対する差別は根強い。
「青い髪、尖った耳、その容姿。姫様……もしやこの男はエルフ族などではなく、悪魔族ではないのですか!?」
「そこに直れ、成敗してくれるわ穢れた悪魔族めが! この兵士副隊長アルビンが姫様をお守りしてみせるぞ!」
「いえ、アルビン殿はお下がり下さい。このサイヤーが悪魔族を見事始末してみせます!」
「うるさいな。血気盛んなお坊ちゃんだ」
「お、お坊ちゃん!? いや、ちょっと待て。多分お前の方が年下だろうが!」
「そんなことはどうだっていい。紅茶くらい静かに飲ませろ」
「ああ、そりゃあ悪かった……じゃねぇよ! なんでオレが悪魔族なんぞに謝らないとならねぇんだっての!?」
あのサイヤーが、完全にクウォーツのペースに乗せられている。
礼儀正しい青年の仮面を脱ぎ捨て、ティエルのよく知る若干口の悪い普段のサイヤーの姿に戻ってしまっている。
完全に手玉に取られているサイヤーの姿が珍しく、暫くの間しげしげと眺めていたティエルであったが。
「サイヤー、アルビン。クウォーツはわたしの大切な仲間なの。……だから、彼に手出しは絶対にしないで」
「む……むむう……悪魔族が仲間だなんて、本気ですか姫様!?」
「もしやこの男に騙されているのでは? こいつ、他人の人生をあっさりと狂わせそうな顔をしていますし……」
「他人の人生をあっさりと狂わせそうな顔ですってよ、クウォーツ。うふふ、褒められてるじゃないですの」
「褒められたのか?」
「褒めてねぇっての!」
にこにこと笑みを浮かべるリアンの前で、首を傾げるクウォーツとサイヤーの怒りの台詞が見事に重なった。
刺々しい態度のサイヤーであるが、案外仲良くなれるのかもしれない……と密かにティエルは思ったのであった。
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「実はお伝えしたい内容というのは……作戦本部を、姫様のお泊りになられているこの宿に移そうと思いまして」
「うん、わたしもそう思ってたの。いつまでも大僧正さんのご厚意に甘えるわけにもいかないし」
「現在宿の主人と交渉中でして、予定では明後日までには宿の二階から四階までを貸し切ろうと考えております」
騒がしい朝食を終え、サキョウ達の泊まる男性部屋に集ったティエル達。
ソファーやベッドに腰掛ける面々に順繰りに視線を向けた兵士副隊長のアルビンは、咳払いをしてから口を開く。
確かにいつまでも寺院の世話になるわけにはいかない。これから先は、自分達の力で切り開いていかなくては。
「ベムジンで活動している者達の数は約百五十名。近隣の街で活動をしている者達は、三百名を超えております」
「そんなに生き残りのひと達がいたんだ」
「はい、姫様。それがしが確認できたご遺体はミランダ様……そして騎士団と兵士の一部、数名の侍女達でした」
「……おばあさま」
「ミランダ様をお守りすることができず、本来であれば兵士副隊長として責任を負い自害すべき身でございます。
ですが姫様。どうか、この生き延びた老いぼれめに、国を取り戻すという大義を与えては下さらぬか……!」
目に涙を浮かべながらティエルの前で跪くアルビン。
兵士副隊長として誇り高い彼にとって、国を追われた今現在の状況は生き恥を晒し続けているようなものだろう。
このままでは単なる生ける屍だ。誇りを取り戻すため、奪われた国を取り戻すために彼は命を捧げる覚悟である。
「顔を上げて、アルビン」
「……」
「あなたの覚悟、確かに受け取った。この戦い、必ず勝って生き残りなさい。それがわたしが与える大義だ」
「御意にござります!」
ティエルの言葉を何度も噛み締めたアルビンは、涙を流しながら再び頭を深く垂れたのであった。
「水を差すようで悪いけど、国を取り戻すといっても簡単な話じゃない。具体的にはどんな方法を取るんだい?」
「ジハード」
「ぼくは部外者といえどもこの戦いに命を懸ける気でいるんだから、負け戦にはしたくはない。絶対に勝つよ」
ティエル達の会話をベッドに腰掛けたまま黙って聞いていたジハードだが、やんわりとした口調で言葉を発した。
やんわりとした口調ではあるが、シビアな彼らしく言っている内容はなかなか厳しい。それも当然である。
だが部外者であるのに、ジハードは『この戦いに命を懸ける』とまで言ってくれている。感謝してもしきれない。
「はい。実はメドフォード城内にも、我々と内通している者達が大勢おります。
その者達と連絡を取り合いながら内外からメドフォードを攻める戦法なのです。ですが、まだ時間は必要かと」
「分かった」
そう言って振り返ったアルビンに、ティエルはしっかりと頷いて見せた。
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