Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第180話 もう、決して迷わない




日が完全に暮れた頃。
静まり返ったメドフォード城門前に、まるで人目を避けるかのように闇に紛れてひっそりと大きな馬車が止まる。
黒塗りされた馬車に繋がれているのは同じく黒い色をした馬である。御者でさえも黒いフードを身に纏っていた。

その馬車に気付いた見張りの兵士──灰色の鎧に身を包んだ、既にこの世の住人ではない屍兵士が片手を上げる。
アンデッド兵士だ。死して尚現世を彷徨い続ける魂を、その朽ちた身体に宿す恐ろしい兵士であった。
削げ落ちた肉。腐臭。剥き出しになった歯。かつて瞳があったであろう場所は、ぽっかりと空洞が開いている。

軋んだ音と共に徐々に開かれていく城門。その重苦しい音は静寂に包まれた周囲に重く響き渡っているようだ。
進んでいく黒い馬車を出迎えたのは、屍兵にしては比較的しっかりとした足取りの兵士であった。
馬車から姿を現した大柄な人物に向けて恭しく頭を垂れて出迎えたアンデッド兵士は、無感情な声を発する。

「お待ちしておりました、ヴェリオル元帥」
「出迎えご苦労。くっくっく……その腐った脳みそでもオレの名前を憶えていたのかね」
「はい。幸いにも脳まで腐食は至っておりませぬもので」


黒檀のような黒髪と太い眉。しっかりとした鼻梁。太い眉の下には、髪と同じような黒の瞳があった。
雄々しく勇猛な雰囲気を纏う男だが、それでも狂気の印象が拭えないのはその復讐に燃える瞳の所為だろうか。
見るもの全てを射抜く力強い瞳。だが、その黒い瞳の奥にはありありと怨みの炎が陰鬱に燃え続けているのだ。

低い笑い声を発したヴェリオルは、漆黒のフードを上げるとアンデッド兵士に向けて侮蔑の言葉を投げかけた。

「死して尚生に縋り付く堕ちた人間どもめ。とっとと豚野郎の元へ案内しろ。名前は確かゲードルといったかな」
「はい。ではこちらへ……」







「おお、これはこれはヴェリオル殿下。本当にお久しゅうございます」

メドフォード城謁見の間にてヴェリオルを出迎えたのは左大臣ゲードルであった。
いや……『元』左大臣ゲードルと呼んだ方が正しいだろう。小柄で立派なヒゲを蓄えたずんぐりとした男である。
現在彼はメドフォードの王と名乗り、民の税を私欲で食い尽くしていた。酒に女。財宝。手に入らぬものはない。

希少な生物の毛皮で作られたガウンを羽織ったゲードルの姿を見ると、ヴェリオルは思わず嘲笑を浮かべる。
メドフォードの頂点に立つ者がこの滑稽な豚のような男なのか。あまりにも不相応で、自然に口元が歪んだのだ。
一方ゲードルは、こちらを見やって笑みを浮かべるヴェリオルを訝しげに眺め、気を取り直したように口を開く。


「ところで殿下。今回は一体どのようなご用件でしょうか?」
「……どのような用件、だと?」
「ひっ!?」
「暫く見ないうちに随分と偉くなったものだな、ゲードルよ。このオレにそんなことが言えるようになったのか」

「い、いえ! 失言でございました、そのような意味で申し上げたのではございません!」


さっと顔色を青くさせたゲードルは、床に額を擦り付けんばかりにひれ伏した。
恐怖のあまり小刻みに歯を鳴らしながら身体を丸めるその様子は、仮にも王と名乗る者の威厳など欠片もない。
ヴェリオルという男は己以外の全てを駒だと考えている。そして手駒を呆気なく殺してしまう恐ろしい男なのだ。

「顔を上げろ、ゲードルよ。だが三度目はないぞ」
「は、はいっ」
「元々お前なんぞに用はない。近いうちにこの地に現れるであろう、オレの花嫁を出迎えてやろうと思ってな」







現在メドフォード城を占拠しているのは、王と名乗るゲードルと千名以上のアンデッド兵達であった。
元メドフォードの近衛兵や騎士団、兵士達は皆身分を剥奪され、日々奴隷のように働かされているのだという。
確かに死して尚戦い続けるアンデッド兵は脅威であったが、一人一人の力は到底生きている者達には及ばない。

その上総指揮官は戦争経験のないゲードルである。
そもそもメドフォードを手に入れることができたのも、ゾルディス黒騎士団の協力があって成し遂げたものだ。
あの内戦から約一年が経とうとしており、黒騎士団が完全に手を引いている今こそが国奪還のチャンスであった。

ベムジンの宿屋の一室。
第一会議室と称しているこの部屋で、現在ティエル達はメドフォード奪還に向けて作戦会議の真っ最中であった。
丁寧にまとめられた報告書に暫く目を通してから、ティエルはどこか納得のいっていない表情で顔を上げる。


「うーん……本当に黒騎士団は手を引いたのかな? 執念深いゾルディスがあっさりと手を引くなんて思えない」
「ですが姫様。城内の密偵達の話では、三月ほど前からゾルディス黒騎士団の姿を見かけなくなった……と」
「残る敵は左大臣ゲードルとアンデッド兵士のみ。今こそ反逆者を打ち倒し、国を取り戻す絶好の機会なのです」

「ゾルディスは元々北の小国だったんでしょ? ここ数年侵略を繰り返して、巨大な軍事国家になったんだよね」
「はい」
「それなら、どうしてメドフォードを諦めるような行動を取ったんだろう?」


確かにティエルの疑問は尤もである。
メドフォード国は資源も豊富だ。ここを拠点に他国を攻め入れば、更なる領地を手に入れることができるはずだ。
以前、焔の魔女は言った。『全ての種族が幸せに暮らせる王国を作るために、現在軍事力を蓄えている』と。

ならば大国であり資源も豊富なメドフォードを手放す理由がない。
それともヴェリオル率いる黒騎士団が、初めから国が目的ではなかったとしたら。目的は別にあるのだとしたら?
ゾルディスの最終目的である『全ての種族が幸せに暮らせる王国』が、ヴェリオルの目的ではないのだとしたら。

そもそもメドフォードの内乱自体が、ヴェリオルの単独行動によるものだとしたら。一体目的は何なのだろうか。
黒騎士団は確かに手を引いたのかもしれないが、恐らくあの男はまだメドフォードから手を引いていないだろう。
ティエルが戻ってくる日を今か今かと待ち構えているのかもしれない。


「常に最悪のケースを考えて進攻ルートを考えよう。……アルビン、城及び城下町の地図は用意できる?」
「はい、すぐにでも」


ベムジンに到着してからのティエルには、次から次へと難題が降りかかり、他のことを考える余裕すらなかった。
メドフォード残留組との連携、武器の確保、進攻ルート。地下牢に捕らえられている者達の安全の確保。
考えなくてはならないことが山積みである。国を取り戻すという目的の大きさを彼女は改めて実感したのである。

まずは国民の安全が第一だ。そして、全てにおいて被害は最小限に留めたい。


「アンデッド兵士達は私とジハードに任せて下さいな。あいつらは火に弱いですし、焼き尽くしてあげますわよ」
「相変わらず物騒な発言だね。あはは、あなたは味方までうっかり焼き尽くしそうで怖いなぁ」
「し、失礼ですわね。そんなことしませんわよ!」

アンデッド相手に魔術師の存在は非常に頼もしい。
ぶるんと豊かな胸を揺らしながら自信満々の笑みを浮かべるリアンとは対照に、実に気を抜いた様子のジハード。
先陣を切るのはワシらに任せてくれと、サキョウは己の分厚い胸板を叩いてからクウォーツの肩に腕を回した。

ティエルが休む間もなく作戦会議は進んでいき、同じく時間も矢のように過ぎ去っていく。
ベムジンに滞在して一ヶ月。そしていよいよ明日メドフォードに向けて出発となった。故国奪還作戦開始である。
時刻は既に深夜。会議室での打ち合わせを終えたティエルは、自室に向かって宿の廊下をゆっくりと歩いていた。


ベムジンからメドフォードまでは約二週間ほどかかるだろう。ティエルの長い旅も、漸く終わりを迎えるのだ。
決して楽しいことばかりの気楽な旅ではなかったが、リアン達との出会いは彼女の人生を大きく変えた。
仲間というよりは、彼らの存在は家族に近い。家族を全て失ってしまったティエルにとっては心の拠り所である。

……できることなら、あともう少しだけ。旅を続けていたかった。


暫く廊下を歩きながら、ふとティエルは足を止める。大きく開かれた窓から見えるのは、満天の星空であった。
まるで宝石を散りばめたような夜空。暫しの間空を見上げていたが、やがて己の身体を抱きしめるように俯いた。
明日。いよいよ明日から国を取り戻すための戦いが始めるのだ。

不安でないはずがない。気を抜くと震えそうになる身体を押さえ、ティエルは再び自室に向かって歩き始める。
王女として皆に不安な表情を見せるわけにはいかない。彼らの希望の象徴が不安な顔をしていてはいけない。
常に胸を張って皆を導いていかなければならない。それが、ティエルの役割なのだ。


「遅かったですわね」
「!」

唐突に掛けられた声に顔を上げると、部屋の前ではリアンが佇んでいた。こんな時間まで起きていたのだろうか。

「リアン、まだ起きてたの?」
「ええ。眠れなくて。星空でも眺めていたら眠れるかと思ってね。ティエルこそこんな時間まで会議でしたの?」
「わたしはお飾りみたいな存在だけどね。作戦は殆どアルビンやサイヤー達が立ててくれているし」
「あなたの役目は、作戦を立てることではなく皆の象徴として戦いに生き残ること。どーんと構えていなさいな」
「そう、だね」

戦争において王族は象徴である。決して失ってはならない大切な象徴だ。
先陣を切って戦いに赴く姫君の姿をサイヤー達は求めてはいない。姫は守られるべき存在だと彼らは考えている。
それは、皆を守るために剣を握ったティエルにとっては歯痒くもあり、悲しくもあった。


「……わたし、皆を守るためにイデアを探し求めていたのにな」
「納得が行っていないのも分かりますけど、希望の象徴であるティエルが死んでしまったら全く意味がないのよ」
「それは、分かってるけど」

「まぁ、あなたがじっとしている事なんてできないでしょうから。その時のために私達がいるんですからね」
「え?」
「ティエルの無茶に付き合うことができるのは、メドフォードの兵士でも騎士でもなく……私達だけでしょう?」

「うん……!」

ティエルに顔を向け、リアンは笑みを浮かべる。いつだって彼女はティエルの無茶に付き合い続けてきてくれた。
いや、彼女だけではない。サキョウは勿論、クウォーツやジハードだってそうだ。
共に過ごしてきた彼らの存在があったからこそ、ティエルはこの一年間安心して背中を預けることができたのだ。

もう迷ってはいけない。弱気になってはいけない。リアン達の存在が勇気をくれる。立ち止まっている暇はない。
……そう固く心に誓ったティエルの瞳には、もう先程までの迷いは消えていた。





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