Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第182話 集結する運命 -2-




「お休みのところ申し訳ございません、ゲードル様! メドフォードの残党兵が一斉に反旗を翻しております!」

早朝五時を二十分ほど過ぎた頃。静寂と暗闇に包まれたメドフォード城内に、慌てふためいた声が響き渡った。
声の主は青白い顔をしたアンデッド兵だ。腐敗していない脳を持つ、自らの意思でゲードルに仕える者達である。
彼らは必死の形相で主であるゲードルの寝室へと向かっていた。

この世の住人ではない生ける屍アンデッド。無念のうちに死んだ兵士の亡骸を、禁呪によって甦らせた姿だった。
軍事大国ゾルディスの軍は全部で五つ。焔の魔女を中心とする魔法兵団、ヴェリオル元帥を中心とする黒騎士団、
一般兵団、傭兵団、そしてアンデッド兵団から成り立っている。攻め落とす国によって兵を使い分けているのだ。

志半ばで戦死した兵士達は一度の死では安らかに眠ることを許されず、アンデッド兵として再びこの世に甦る。
恐ろしいことに甦った彼らは、死しても尚国に尽くすことを至上の喜びだと感じていた。


「ゲードル様。残党兵どもは外壁を突破した反乱軍と合流し、東西南北の詰所を次々と制圧している状況です!」
「このままでは城に攻め込まれるのも時間の問題かと」
「城内のアンデッド兵達を全て正門前に集結させ、決して奴らに侵入を許してはなりません!」

心地よい眠りの中、突如兵士達に叩き起こされたゲードルは、ベッドの中で暫し呆然とした表情を浮かべていた。
そのぼんやりとした表情から、一体何が起こっているのか理解できていないようである。
むしろアンデッド兵士の話が耳に入っておらず、起こされたことに対して若干怒りを感じているようにも見える。


「んん? なんと言った? ワシは昨夜は遅くまで女どもと飲んでおったから……疲れておるのだぞ……」
「それどころではございませぬ!」
「指揮を執っているのは、どうやらあのティアイエル姫だという情報です。ゲードル様、どうかご指示を!」

ティアイエル姫。その名を耳にした瞬間、ゲードルの顔色が見る見るうちに青ざめていく。
聞き間違いか。どうか聞き間違いであってほしい。久しく聞いていない名前だ。甘く育てられた、お飾りの王女。
一人では何もできないような甘ったれた小娘であった。既にどこか遠い地で野垂れ死んでいるのかと思っていた。

……いや、思い込みたかったのだ。
明るく人懐っこいだけが取り柄の愚かな王女。あんな小娘が一人で生きていけるほど、世の中は甘くはないはず。
それなのに、一体何故。反乱軍を率いて小娘がこの城に攻め込んでくるだと? そんな馬鹿な話があるものか。


「ティアイエル姫だと? いや、馬鹿な。あんな甘ったれた小娘に何ができるというのだ。見た者がいるのか?」
「アンデッド兵達の中でティアイエル姫の顔を覚えている者がおりまして、その者からの情報です」
「ふん、アンデッドの腐った記憶など信用できるか!」
「ですが」


肌着の上にガウンを羽織っただけの格好で、ゲードルは肌寒い廊下をアンデッド兵達と共に足早に進んでいく。

「うるさい。本当にティアイエル姫だとしても、あんな小娘に国一番の知恵者であるワシが負けるはずがない」
「……さあ、それはどうだかなぁ?」
「!」

廊下に響き渡った低い男の声にゲードルが顔を上げると、薄暗い空を背にしたヴェリオルが窓枠に腰掛けていた。
その表情は焦りなど微塵にも感じさせられない、むしろこの状況をどこか楽しんでいるようにさえ見えたのだ。
冷たさを帯びた早朝の風が、まるで意志を持っているかのように彼の深紅の外套を揺らめかせている。

「ヴェリオル殿下……そ、それは一体どういう……」
「ティエルをただの小娘だと思っていると痛い目を見るぞ? あいつはこの城にいた頃の甘ったれた姫ではない」
「そんなまさか」
「くくく、勿論ティエルだけが脅威ではないぞ。あいつの仲間には、非常にうざく厄介な奴らがいやがるんだ」

「それならばなおのこと、何故ヴェリオル殿下はこの状況で落ち着いておられるのですか!?
 あなたとて命が危ないのですぞ? まさか、ワシを見捨ててゾルディスにお帰りになるのではあるまいな!?」


必死の形相を浮かべるゲードルとは対照的に、ヴェリオルは実に愉快そうに笑みを浮かべている。

「声が震えているぞ、ゲードル大臣殿。もっとこの状況を楽しんでくれなくては」
「ヴェリオル殿下……」
「オレはこれ以上にないほど嬉しさを噛み締めているのだよ。ティエルがもうすぐここにやって来るのだ。
 オレを殺すために、オレを裁くために! 愛しい愛しいティエルがこのオレを激しく求めているのだ……!!」


狂気を含んだヴェリオルの笑い声に、ゲードルやアンデッド兵達は皆凍り付いたようにその場から動けなかった。
誰も、何も口に出すことができなかった。ただただ、笑い続けるヴェリオルの姿が心底恐ろしいと感じたのだ。
……既に、この男は狂っている。狂気の渦に飲み込まれてしまっているのだと。

凍り付いた空気を背に、ヴェリオルは気にも留めることもなく妙に晴れやかな表情で廊下を歩き始めた。
内戦時には火を放たれたメドフォード城だったが、火はすぐに鎮火され、今では火事の痕跡など残ってはいない。
彼が現在向かっているのは謁見の間だ。メドフォードの頂点に君臨する者のみに許された王座がそこにはある。

輝かしい王であったエドガー。彼の早すぎる死によって、次に王位を継いだのは彼の弟であるブラムであった。
そして、ブラムもまた早々にこの世を去り……王位継承権は、ティエルの伴侶となる者に与えられることになる。
彼女が立派に成人するその日まで、ミランダはメドフォードの母として君臨し続けることを決めたのだ。

常に優しげな笑みを浮かべていた女王ミランダ。メドフォードの聖母なのだと、人々は皆口を揃えて言った。
しかし彼女の本性を知った今となっては、聖母などヴェリオルにとってただの笑い話にしか思えない。


『あ……あなたは、エドガー……いえ、ヴェリオル!』


あの夜。まるで亡霊を目にしたかのような眼差しで、ミランダは言い放った。
随分昔に死んだ己の息子とヴェリオルを見間違えるなど、あの時の彼女は一体どれほど気が動転していたのか。
今でもヴェリオルは少し後悔をしている。……ミランダ女王を何故、もっと苦しませて殺さなかったのかと。

「まあいい。ミランダよ、精々あの世で歯痒く眺めていろ。この呪われた王国メドフォードの末路をな……!」







メドフォード城門前噴水広場。
毒々しい紫色をした魔法陣が宙に浮かび上がり、燃えるような深紅の瞳を持った黒犬が次々と姿を現した。
大人の背丈はあるかと思われる巨大な黒妖犬『ヘルハウンド』は、アンデッド兵士達の喉を食い千切っていく。

そしてヘルハウンドの攻撃から逃れた者は、新たな魔法陣から生み出されたジャイアントバットの餌食となった。
勿論これはクウォーツの召喚魔法であり、凶悪な魔物達を従えて先陣を切る彼の姿はまさに悪魔の王者である。
美しかった噴水広場はアンデッド兵達の亡骸で凄惨な光景に塗り替えられていく。

「相変わらずうちのエースは怖いものなしだねー。もうアンデッドはクウォーツ一人に任せていいんじゃないの」
「何言ってんだよ、悪魔族なんかに負けていられるかってんだ!」
「あなたは……確かサイヤーといったっけ? あなたもなかなか対抗意識がすごいねぇ。あははは」
「オレは、こんな状況であははとか笑っているお前が怖ぇよ……」


前方で交わされるジハードとサイヤーの会話。
行く手を塞いでいたアンデッドの群れが倒れていく中、ティエルは腐肉で滑る地面を蹴り上げて進んでいく。
生き残ったアンデッド兵士が真横から突っ込んでくるが、動きが鈍いためにあっさりと攻撃をかわせられた。
力強く握りしめたイデアを横に払うと、断末魔の叫びを上げる間もなくアンデッドの首が飛んでいく。

メドフォードを出発した当時と比べ、随分と慣れてしまった肉を斬る感触。
しかしティエルは、あの炎の夜に初めて肉を斬った時の感触を決して忘れてはならないと思った。
斬ることに耐え切れなくなり吐いたこともあった。剣を握る意味を見失い、何度も立ち止まりそうにもなった。

それでも彼女は剣を握り続けた。剣を握る道を選んだのだ。初めて斬った感触を忘れないように、胸に誓って。


「ティエル、大丈夫か? 顔色が悪い。暫くワシの背後に隠れているのだ。アンデッドどもは任せろ」
「……サキョウ」
「逸る気持ちは分かるが焦っては駄目だ。焦りは小さなミスを生み、やがてはそれが大きなミスへと繋がるのだ」

「分かってる。でも、わたしは大丈夫だよ。この噴水広場を抜ければ、メドフォード城門はすぐそこだから」
「お前がそう言うのであれば、ワシはもう何も言うまい」


心配そうにこちらを覗き込んでくるサキョウに笑顔を向け、ティエルはしっかりと頷いて見せる。
ジハード達が、メドフォードの兵士が、皆命を懸けて戦っているという状況なのに音を上げている場合ではない。

数十体のアンデッド兵士達を一掃すると、メドフォード城門までの薄暗い大通りは完全に人の気配がなくなった。
既に夜が明ける時間帯のはずだが……空は分厚い雲に覆われており、朝日を目にすることはできないようだ。
城の周囲は小さな林に囲まれており、大通りからでは木々に隠されて城門の様子を窺い知ることができなかった。


「アルビン、サイヤー」
「はい!」
「お呼びでしょうか、姫様」

林に差し掛かったところで、ティエルは背後に控えていた兵士副隊長アルビンとサイヤーに顔を向ける。

「作戦通り、城門を突破したらサイヤー隊は城の裏口から地下牢に向かって捕らえられている人質達の救出を」
「お任せください」
「アルビン隊は二手に分かれ、西門と東門から城内へ突入しアンデッド兵達の殲滅を」
「承知いたしました!」

「わたしは正面から突入する。王女であるわたしが正面から堂々と現れれば、ゲードルの目はこちらに向かう」


ゲードルの目がティエルに集中しているその隙に人質達を解放し、城内のアンデッドを一掃するという作戦だ。
敵の目が集中するということは、言い換えれば最もティエル達五人が危険に晒される立ち位置だと言える。
作戦会議では勿論何度もアルビン達は反対し続けていたが、ティエルは決して意見を曲げることはしなかった。

ここからが正念場である。
しっかりと頷いたアルビン達に笑顔を向けたティエルは、強くイデアを握り直すと城門に向けて駆け出した。





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