Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第183話 集結する運命 -3-




小さな林を抜けると、見慣れたメドフォード城門が姿を現した。
門の左右にはメドフォードの紋章が描かれた国旗が掲げられていたが、今は無残に引き裂かれた姿を晒している。
まるで国旗を覆い隠すかのように、ゲードルの誕生花が描かれた新たな国旗が至る所に棚引いているのが見えた。

突風が吹き、引き裂かれてぼろぼろに朽ち果てたメドフォード国旗の切れ端がティエル達の前へと落ちてくる。
暫くその国旗の残骸に視線を落としていたティエルであったが、やがてゆっくりと膝を突いてそれを拾い上げた。
祖母ミランダもこの国旗と同じように引き裂かれて殺されたのだ。怒りのために、切れ端を握る手に力が入る。


城門の周囲はアンデッド兵士の見張りの姿もなく、思わず拍子抜けをしてしまうほど周囲に人影すら見えない。
ただ巨大な城門だけがティエル達の来訪を歓迎しているかのように、大きな口を開けているだけであった。
メドフォードを追われて一年。ここまでは決して楽な道のりではなかった。何度も挫けそうになったこともある。

だが、今は一人じゃない。どんな時も支えてくれる仲間達がいる。彼らを守りたい一心で強くなりたいと願った。
封魔石イデアという大きな力も手にしたが、果たして自分は強くなれたのだろうかとティエルは思う。
今でも守られているばかりだ。己を歯痒く思うティエルに、リアンは『その心掛けこそが大切だ』と言っていた。


「わたし、とうとう帰ってきたんだ。メドフォードに。……故郷に」

「姫様。それでは我々は作戦通り城の裏口から地下牢に向かいます。人質を解放次第、我々もすぐに姫様の元へ」
「我らアルビン隊は西門と東門から突入し、城内のアンデッドどもを一掃いたします」
「サイヤー、アルビン。どうか、無事で。死んだりしたら許さないから」
「姫様も。ご武運をお祈りしております!」


ティエルに向かって深々と礼をするアルビン率いる兵士隊と、サイヤー率いる騎士団。
役目を果たすために彼らは一斉に駆け出した。城門前は木々も生い茂り、サイヤー達の姿はすぐに見えなくなる。

気味が悪いほど静まり返った周囲。この場に残ったのは、正面から城内に突入するティエル達五人だけである。
林の向こうの城下町では、未だアンデッドとの戦いが繰り広げられている。のんびりとしている時間はなかった。
戦いを終結させるためにも一刻も早くゲードルの首を取らなくてはならない。


「ティエル、先を急ぎましょう。あまりのんびりとしていますと、ゲードルに逃げられてしまうかもしれないわ」
「うん。まずはゲードルを探し出さないと……」

リアンに促され、ティエルは城門を越えてぽっかりと口を開いた正面入口へと進んでいく。
開け放たれた扉の向こうは暗く、中の様子を窺い知ることはできなかった。……呼んでいる。誰もがそう思った。
ゲードルではない得体の知れない何かが。それが一体誰であるのか分からないが、今は前に進むしかないのだ。

いつでもイデアを抜けるように、柄に手を掛けたままティエルは城内へ足を踏み入れる。随分とかび臭いようだ。
最後尾を歩いていたクウォーツが城内へ数歩進んだところで、背後の扉は音を立てながら勢いよく閉じられた。
その重い音は、天井の高い正面ホールに何度も反響しながら消えていく。


「恐らくもう扉が開くことはないんだろうけど、それでも一応開くか試してみたくなるのが人間ってもんだよね」
「試してみたくなるのは人間だけではなく悪魔族も同じだ。……それにしても、埃っぽいな。この城」
「本当はもっと綺麗で明るいお城だったんだよ?」

閉じられた扉をクウォーツが押した瞬間埃が舞い上がる。勿論扉はびくともしなかった。
埃を吸い込み思わずごほごほと咳をした彼に、様子の変わってしまった城内を目にしたティエルは寂しげに笑う。
確かにクウォーツの言うとおり埃だらけだ。床は足跡だらけで、正面ホールの像や絵画には埃が積もっている。

ティエルにとっては懐かしいはずの正面ホールだったが……この薄暗い中で目にすると、薄気味悪くすら思えた。
内装は城を出る時と比べて何も変わっていないはずなのに。
こちらを睨み付けているかのような騎士の像も、絨毯も、シャンデリアも何一つ変わっていないはずなのに。


「ううむ……ゲードルという者は掃除すらせんのか。さすがのワシでも、埃が積もるまでは放置をせんぞ?」

「部下が全員アンデッド兵ばかりじゃ、隅々まで綺麗に掃除をすることは難しいんじゃないかな。
 生前のまま知能のあるアンデッドは数が少ないんだ。殆どは生ける者の肉を求めることしか頭にないのだから」

像に積もる埃を指でなぞりながらジハードが振り返る。
だが城内には生き残り達が大勢いるはずだ。彼らは皆、己の境遇に絶望し、生きる気力を失っているというのか。
日々ゲードルの怒りを買わぬよう、ひっそりと静かにただ生きているだけの毎日を送り続けているのだろうか。


「まぁ、掃除はともかくとして。ゲードルとやらは一体どこにいるんだろうね、ティエル」
「あいつは王と名乗っている。もしも彼が現国王としてわたしを待ち受けているとすれば、謁見の間にいるはず」
「うむ。ならば、早速向かおう!」

皆ティエルの発言に異存はなし、と静かに頷いたその時。突如正面ホールに拍手が響き渡った。
瞬時に戦闘態勢に切り替えたティエル達が一斉に振り返ると、二階へ続く大階段の前に大きな人影が現れたのだ。
生きた気配が感じられない。アンデッド兵士か。しかしティエルは、その大柄なシルエットには見覚えがあった。


「お帰りなさいませ、姫様。わたくしはあなたの帰りを……このような姿になっても尚、待ち続けておりました」


その人物が一歩前に進み出ると、天井のシャンデリアに薄暗い光が灯った。
弱々しい光に照らされたのは質素な紺の衣服を身に着けた、大柄でふくよかな身体である。小さな目に大きな鼻。
生気を殆ど失ってしまっているくすんだ土気色の肌は、この者が生きた者ではないことをありありと示していた。

「ゴドー……?」
「兄上?」

ティエルとサキョウの声が重なった。
シャンデリアの光に照らされたこの男は、間違いなくあの日ヴェリオルに惨殺されたはずのゴドーであったのだ。
だが。ゴドーはヴェリオルによって右肩から鳩尾付近まで深く切り裂かれていたはずだ。確かに致命傷だった。

飛び散る血飛沫と、零れ落ちた臓物が今でもティエルの記憶に鮮明に残っている。……奇跡的に助かったのか。
本当によかった。生きていてくれて本当によかった。ガリオンと同じようにヴェリオルに助けられたのだろうか。


「ゴドー、無事ならどうしてもっと早く会いに来てくれなかったの!? サキョウもずっと、ゴドーのことを」
「いいえ姫様。そういうわけにはいかなかったのです」
「えっ?」

涙を滲ませながら駆け寄ろうとするティエルを静かに制したゴドーは、悲しげな表情を浮かべて首を振った。


「わたくしは既に命尽きている身。アンデッド魔術によって生き長らえてしまった、哀れな教師でございます」
「どういうこと……?」
「兄上がアンデッドなどワシは信じませぬ! こうして生前と変わらぬ姿で兄上は立っているではないですか!」

思わず飛び出したサキョウは震える手でゴドーの両手を握り締めるが、その手がびくりと強張った。
ゴドーの手が生きているとは思えぬほど冷たかったのだ。まるで氷のような。死人のような。体温が、なかった。
まさか、と信じられぬような表情で恐る恐る顔を上げたサキョウを哀しげに見つめ、ゴドーは静かに口を開いた。

「そうだ、サキョウよ。……わたくしは、死んでいるのだ」

正面ホールに重く響き渡るゴドーの声。
とても聞き慣れた声のはずなのに。とても心安らぐ声だったはずなのに。まるで別人の声を聞いているようだ。


「ヴェリオルに斬られて死んだわたくしを、ゾルディス王国は禁呪によって甦らせたのですよ。
 単なる戯れです。ただ姫様達を再び絶望させるためだけに、わたくしを亡者にしてこの城に留まらせたのです」
「……」
「確かにわたくしは生きることを望みました。アンデッドであろうが、何であろうが。姫様をお助けしたかった。
 炎の中で力尽きていた姫様を安全な場所へと運び出し……けれど、姫様に姿を見られるわけにはいかなかった」

「どうして!? わたしはゴドーが死者であっても構わなかったのに……!」


やはり、あの炎の夜に見たゴドーの姿は幻ではなかったのだ。
彼女の力になるために生ける死者として甦ったゴドーだった。だが、何故黙って立ち去ってしまったのだろうか。
いつまでも側にいると言ってくれていたではないか。アンデッドであろうとティエルは彼に側にいて欲しかった。
だがどこか寂しげに微笑んだゴドーは、ゆっくりと分厚い手の平を己の胸に当てる。

「禁呪に魂を売り渡し、生ける死者となったわたくしの姿を……姫様にも弟にも見られたくはなかったのです」
「兄上」
「ああ、残念ながらそろそろ終わりの時が近付いてきたようです。わたくしは戯れに命を与えられたアンデッド。
 未練の力で生き続ける死者はこの世に留まり続ける理由を失うと、元の朽ちた死体に戻ってしまうでしょう」

「兄上、嫌です! ワシを置いていかないで下さい……!」
「サキョウよ」

涙を浮かべて詰め寄るサキョウに手を伸ばしたゴドーは、氷のように冷たい両手で彼の顔を優しく包み込んだ。
その時サキョウは確かに兄の体温を感じた。母親が惨殺された夜、一晩中慰め続けてくれた温かい兄の手だった。
母親を失って兄も辛いはずなのに、彼はそんな素振りを弟の前では決して見せなかったのだ。


「最期にお前に会えてよかった。メドフォードで待ち続けていれば、お前に会えるような気がしたのだ。
 相変わらず泣き虫なところは変わっていないが、こんなに立派になって……もう兄として思い残すことはない」

「兄上、この戦いが終わったら共にエルキドに帰りましょう。父上も兄上のことを心配しておりました」
「……それは無理なのだ。お前は絶対に死んではならん。生きろ、わたくしの分もしっかりと生きるのだぞ」
「そ、そうだ! ここに稀代の癒術師がおります。彼ならば何か策があるかもしれませぬ……なぁ、ジハード!」

「!」

必死の形相で振り返ったサキョウを暫く見つめ続けていたジハードだったが、やがて顔を逸らすように下を向く。
次に口に出さなければならない台詞を、サキョウの表情をまともに目にしながら言うことができなかったのだ。
だが、言わなければならない。

「前にも言っただろ……命を落としてしまった者を、生き返らせることはできないよ。癒しの力は万能じゃない」
「そんな」
「そりゃあ何とかしてやりたいよ。でも、一度失ったものを取り戻すことは……できない。ごめん、サキョウ」

「いえ、あなたが謝ることはありません。一度きりの人生だからこそ、生きることは何よりも素晴らしいのです」

ジハードに向かって会釈をしたゴドーは、涙を溢れさせるサキョウを眺め、それからティエル達へと顔を向ける。
生前と全く変わらぬ笑顔だった。厳しくも優しい彼の人となりが一目で分かるような。そんな、笑顔だった。


「サキョウが一人ではないと知って安心しました。姫様、皆さん。どうか……我が弟をよろしくお願いします」
「ゴドー兄上……!」
「サキョウよ、わたくしの心はいつもお前と共にある」

溢れる涙を拭い、サキョウが思わずゴドーに手を伸ばした瞬間。目の前のゴドーの身体が一気に崩れていった。
まるで瓦礫のように。骨であったもの、肉であったもの。それらが全て床に落ちて、小さな山を作り上げる。
ゴドーの手であった朽ちた骨を握りながら、それを信じられぬような眼差しで眺めるサキョウ。

ティエルはゴドーが崩れていく光景を目を逸らさずに見つめ続け、それから唇を噛み締めながら俯いたのだった。





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