Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第184話 集結する運命 -4-
からん、と。ゴドーの手であったものが地面へ落ちる。
数十年経過したかのように随分と脆くなっていた骨は、亡骸の山に落ちた瞬間に粉々になって砕け散ってしまう。
「サキョウ」
ぼろぼろの衣服と骨だけになってしまった亡骸を抱きしめるように俯くサキョウに、ティエルは一歩踏み出した。
彼の悲しみは計り知れない。ゴドーは彼にとって、大切な家族だったのだから。
勿論ティエルにとってゴドーは家族と呼べる存在だ。だが、この兄弟には彼女の立ち入れない確かな絆があった。
サクラの墓の前で絶望の表情を浮かべていたサキョウの姿が過ぎる。
彼はこの短期間に二人もの大切な家族を失ってしまったのだ。慰めの言葉など思いつかない。かけてはいけない。
しかしサキョウの隣にしゃがみ込んだティエルは、彼の表情を目にすると驚いたようにはっと口元を押さえた。
サクラの墓の前で俯いていた彼と、ゴドーの亡骸を抱きしめているサキョウの表情が全く異なっていたためだ。
歯を食いしばり、強靭な意思の宿る黒い瞳はぎらぎらとした光を放っている。瞳に宿っているのは確かな怒りだ。
もう如何なることがあっても、決して生きる希望を見失わない。生き続ける。そんな強い怒りと意志であった。
「メドフォード王女、ティアイエル殿」
「……はい」
突如サキョウから畏まった静かな声で名を呼ばれ、ティエルは同じく真剣な瞳で彼の瞳を見つめる。
「兄上の命を弄んだゾルディス王国は憎き仇だ。ゲードルだろうが、ヴェリオルだろうが誰であろうと許すな」
「はい」
「決して奴らに情け容赦をかけるな。相手はお前から大切な家族を奪い、友人を奪い、国を奪った奴らなのだ」
「分かってる。わたしは、必ずおばあさまやゴドーの仇を取る。決して情けをかけるようなことはしない」
魔法が解けて朽ちた白骨となってしまったゴドーの亡骸を見つめてから、ティエルはしっかりと頷いて見せた。
叱られた記憶の方が多いけれど、ゴドーは彼女に未来を繋いでくれた存在である。
そんな彼の命を冒涜するようなアンデッドの魔術をかけ、戯れに壊すようなゾルディス国を許すことはできない。
真摯な表情で自分を見つめるティエルの頭を、サキョウはいつものように大きい手の平で優しく撫でてやった。
それから彼は背後のリアン達へと顔を向ける。
「……兄上の亡骸をいつまでも晒しておくわけにもいかぬ。人目につかぬ場所まで兄上を運ぼうと思っている」
「それなら、ぼくも手伝うよ」
「いや、お前達は先に行くのだ。こうしている間にも、ゲードルが姿を隠してしまう可能性もあるかもしれぬ」
「でも」
「なぁにすぐにお前達を追うさ。……どうか、ワシの我が侭を許してくれ」
納得のいかない表情のジハードを制してティエルは静かに頷くと、振り返らずに大階段を駆け上がっていった。
続いてクウォーツや、何度も振り返りながらリアンも階段を駆け上がっていくが、ジハードは動こうともしない。
彼が床に散らばるゴドーの遺体に向かって軽く印を切ると、ほんの一瞬だけ骨が薄緑色の光に包まれる。
「ジハード」
「サキョウの兄さんが、これ以上禁呪に弄ばれるようなことがないように。どうか、安らかに眠れますように」
気休め程度のおまじないのようなものだけれど、とジハードは力のない笑顔を浮かべた。
ああ、サクラの時も今回も。サキョウの大切な人物を救うことができなかった自分は、なんて無力な存在なのだ。
いくら他人よりも高い魔力を持っていようと、肝心な時に役に立たなければそれは無力と同じであった。
「すまない。ぼくは、また何もできなかった」
「……馬鹿だな、ジハード」
「え?」
「許してくれ。ワシはお前を……いつもいつも困らせてしまっている。謝らなければならないのはワシの方だ」
涙を堪えているような声を発してから、サキョウはジハードを己にぐいと引き寄せると強く抱きしめたのだ。
サキョウの力強い腕が微かに震えている。
治癒魔法は決して万能ではないとジハードが言っていたにも拘らず、淡い期待を抱いて何度も彼を困らせていた。
勝手に期待をされて、そして勝手に絶望されてしまうジハードの立場になって考えたことがなかったのだ。
「お前がいなければ旅は成り立たなかった。全滅していた場面も少なくない。お前がいてくれて本当によかった」
「でも」
「さあ、行くのだジハード。ティエル達を癒すことができるのは、お前しかいない。……お前だけなんだ」
力強い手で背中を叩かれ、漸くジハードはのろのろとした足取りで階段を上がり始める。
やがて何かを吹っ切ったかのように駆け出した彼の後ろ姿を眺めてから、サキョウは静かに目を伏せた。
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二階へと通じる大階段を駆け上がっていくと、しんと静まり返った二階大ホールがティエル達四人を出迎える。
正面の廊下の先には三階へ上がるための階段があり、そして左右には赤い絨毯の敷き詰められた長い廊下が続く。
やはりここにも人の気配がない。アンデッド兵士達の人影すら見えなかった。
「……誰もいませんわねぇ。そういえばサイヤーさん達は無事に捕らえられている人達を助け出せたのかしら?」
場のあまりの静けさに、思わずリアンが表情を曇らせる。
彼女の言うとおりだ。こんなにあっさりと進めるとは思っていなかった。アンデッド兵は一体どこへ消えたのか。
城下町での激しい戦いが嘘のように城内は気味が悪いほど静寂に包まれているのだ。これは罠か。それとも……。
もしかしたらゲードルはティエルを待っているどころか、配下と共に安全な場所へ隠れてしまったのではないか。
そんな不安がティエルの胸を過ぎっていく。
「本当に誰もいないと思っているのか」
「どういう意味なんですのよ」
「生きている奴らの気配は感じないが、亡者の気配ならばあちこちから感じるがね」
「え?」
「よかったな、ティエル。逃げ出すどころかむしろ大歓迎だ」
不安に押しつぶされそうなティエルの心境を知ってか知らずか、普段のような淡々とした声でクウォーツが呟く。
彼の台詞と同時に廊下に並ぶ扉が次々と開き、あちこちの部屋からアンデッド達が姿を現したのだ。
その亡者の殆どはゾルディス兵士の格好をしていたが、中にはメドフォード騎士や侍女の格好をした者達もいた。
既に腐ってしまっている亡者が多く、その身から腐臭と腐肉を垂れ流しながらゆっくりとこちらへ向かってくる。
「この服装……まさか、殺されたメドフォードの騎士や侍女達のアンデッド……!?」
そんな。まさか、でも。もしかして。ティエルはがたがたと小刻みに震えながら一歩後ろに下がった。
恐らく城が襲われたあの夜ヴェリオルによって惨殺された者達だろう。ゲードルに反抗して殺された者達だろう。
仲の良かった侍女サリエもこの中にいるのだろうか。身体中を食い千切られて絶命した彼女の姿が忘れられない。
だが。彼らの魂を救うためにも、その禁呪に弄ばれた命を断ち切ってやらなければならないのだ。
「突破するにしても数が多すぎる。二十体以上……いや、三十体はいる。囲まれないうちに駆け抜けるんだ」
「ジハードの言うとおりですわ。屋内で炎の魔法を使うわけにもいきませんし、相手にしない方が得策ですわよ」
アンデッドに有効なのは炎の魔法である。しかし屋内で炎の魔法を使用するのは、まさに自殺行為なのだ。
鈍い動きであったが、理性を失ったアンデッド達は生ける者の肉を求めてじりじりと確実に歩み寄ってきていた。
確かにジハードが言ったとおりに駆け抜ければ突破できなくはないだろうが、果たしてそれでいいのだろうか。
その時。
ティエル達の間を縫って先頭に進み出たのはクウォーツであった。ふわりと広がる紺を帯びた長いドレスコート。
艶のある長い前髪を無造作に払いのけ、彼は静かにティエルを振り返る。
「仮に私達が突破できたとしても、後から追ってくるであろうサキョウがこの亡者どもに襲われる可能性がある」
「!」
「だがこいつらを全員相手にしている時間はない。ティエル、お前は大臣とやらを逃がしたくはないのだろう?」
「……うん」
「敵討ちだとか大臣だとか、はっきり言えば私には関係がない。だから急いでいる奴は先に行けばいい。
私は……そうだな、丁度よく獲物がここに大勢いる。暫くの間、この亡者どもの相手をしていることにしよう」
ここは任せてさっさと先に進め、とクウォーツの薄青の瞳がそう言っている。
確かに彼は強い。しかしティエル達の中でも抜きん出た強さを持つ彼だとしても、相手は三十体以上の亡者達だ。
決してクウォーツの強さを信用していないわけではないが、万一のことがあるかもしれない。一人は危険すぎる。
思わずクウォーツに詰め寄ったティエルだが、彼女の行動を遮るかのように彼は勢いよく妖刀幻夢を引き抜いた。
ぎらりと妖しく光る赤い刀身。
「心配するな。私は、負けない」
それから彼はティエルの返事も待たずにアンデッドに向かって歩き始める。
あの時も、この時も。クウォーツはいつもそうだ。一人残ると決めた彼は、何を言っても聞いてはくれないのだ。
心配するこちらの気持ちも知らないで、と。声には出さずにティエルはぐっと唇を噛み締める。
「ティエル、先を急ぎましょう。クウォーツなら大丈夫、彼は強いわ。決して亡者達に負けるような男じゃない」
「分かってる」
リアンに促され、だがティエルは未だ不安を隠そうともせずに走り始める。
暗い廊下の向こうへ進んでいく二人に続こうとジハードも一歩足を踏み出し、それからクウォーツを振り返った。
「クウォーツ」
「なんだ」
「……死ぬなよ」
「私が負けると思うか?」
「思うわけないだろ。今まであなたの側にどれだけいたと思ってるんだ」
「そうだな」
ぱしん、と。
クウォーツは無表情のまま、ジハードは不敵な笑みを浮かべて二人は無言で手を打ち合い、それぞれ背を向ける。
暗い廊下を駆けて行ったジハードの姿が完全に闇に紛れて見えなくなると、クウォーツは静かに周囲を見渡した。
アンデッド達の数は更に増しているようだ。囲まれている。
さすがのクウォーツといえども、三十体を超える敵を相手にするのは難しい。だが負けるわけにはいかなかった。
「肉……新鮮ナ……肉ノ匂イガスル」
「……肉ガ欲シイ……」
「肉ヲ食ッタラ……楽ニ……ナレルンダ」
じりじりと歩み寄ってくるアンデッドの群れを眺め、クウォーツはほんの少しだけ小首を傾げて見せる。
次の瞬間。彼は左手の妖刀幻夢を振り上げると、目にも留まらぬ速さでアンデッドの群れへと突っ込んで行った。
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