Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第185話 「さよなら」




サキョウ、クウォーツを抜いたティエル達三人は二階の廊下を走り抜け、三階へと続く大階段を駆け上がる。
かつて炎に包まれていた廊下。肉塊となり果ててしまった祖母。瓦礫のように崩れ落ちてしまったゴドーの身体。
主君を変え、国を捨ててしまったガリオン。様々な者達の姿がティエルの脳裏に次々と浮かんでは消えていく。

絶対にゲードルを許してはならない。
何故メドフォードを滅茶苦茶にしたのか。祖母を裏切ったのか。皆を殺したのか。捕まえて白状させてやるのだ。

見慣れた三階ホールに辿り着く。ティエルは剣を握る手に力を込め、一直線に謁見の間に向かって走り出した。
その時。視界の先に、憎らしいほど見覚えのある小柄で肥えた男の姿が映る。
長いガウンに禿げ上がった頭。特徴的な濃い茶色のヒゲ。他人を馬鹿にしたような目付きをした中年の男である。

……忘れるはずがない。祖母ミランダと国を裏切った、元左大臣ゲードルだった。


「ゲードル!!」
「くそっ、小娘が……とうとうここまで来おったか!」
「待てゲードル、絶対に逃がさない!」

ティエルの姿を目にしたゲードルは、長いガウンの裾を翻すと廊下の向こうへと逃げ出したのだ。
彼の周囲には数名のアンデッド兵達が控えており、その誰もが生前と変わらぬ姿をした理性ある亡者達であった。
逃げ出したゲードルを追うティエル達の前に立ちはだかるのは、土気色をした顔の精鋭揃いのアンデッド兵。

その数八名。決して突破できない数ではないが、その間にもゲードルは姿を消してしまうだろう。
移転の魔法を使ってゾルディスに逃げ込まれては厄介である。せっかくここまで来て、逃がすわけにはいかない。


「ティエルっ、急がないとゲードルが逃げてしまいますわよ!?」
「ゲードル、わたしから逃げるのか!」

剣を振り上げたティエルは迷いもせずに亡者達へと突っ込んで行く。まずはここを突破しなくては話にならない。
生気を失った顔付きのアンデッド兵士の一人が、亡者とは思えぬ身軽な動作で彼女のイデアを受け止める。
しかし死して月日の経った身体は既に脆くなりつつあったのか、それともティエルの渾身の一撃が効いたのか。

彼女の剣を受け止めたはずのアンデッド兵の腕が、まるで土が崩れ落ちるかのようにぼろぼろと砕け散ったのだ。
その光景は否が応でも先程目の前で砕け散った亡骸と化したゴドーの姿を思い起こさせた。
ほんの一瞬だけ剣を握る力が緩むが、躊躇っている暇はない。彼女のはそのまま二体目の兵士に斬りかかった。


「眩き光よ、貫く刃となりて大地を引き裂かん……ライトニングサンダー!! 」
「天雷の陣!」

薄暗い廊下にリアンの電撃とジハードの虹色の魔法陣が浮かび上がる。
魔力によって生み出された電流は互いに絡み合い、二体の兵士に直撃する。恐らく二度と甦りはしないだろう。
残るは五体。この調子ならばすぐにでもゲードルに追い付くことができる。今ならまだ間に合うかもしれない。

……そう、ティエルが思った瞬間であった。突如重苦しい鐘の音が城中に鳴り響いたのだ。

この鐘の音は、三階離れの礼拝堂の鐘の音だろう。毎日決まって零時と十二時だけ鳴らす特別な鐘の音だった。
それが何故こんな時間に鳴るのだろうか。一体何の目的で鐘を鳴らしたのだろうとティエルが首を傾げた時。
からん、という乾いた音と共にリアンのロッドが彼女の手から滑り落ちる。
誰の目から見ても彼女は明らかに動揺していた。目を見開き、それでも精一杯平常心を保とうとしていたのだ。


「リアン、どうしたの!? どこか怪我したんじゃ」
「……ちゃ……」
「え?」
「ごめんなさい。私……もう行かなくちゃいけない……!」

「どういうことだい? リアン、行くって一体どこに」

さすがに様子がおかしいと、ジハードも駆け寄ってきた。
しかし既にリアンの瞳にティエル達は映っておらず、まるで彼女達の向こうの違う誰かを見つめているようだ。
震える手でリアンはロッドを掴むと、くるりと向きを変えて元来た道へと駆け出して行ったのだ。

「ねえ、リアン? どうしちゃったの、リアン!?」







これで、三十四体目。
生ける者の肉を求めて本能のみで襲い掛かってくる亡者達を斬り捨て、クウォーツは声には出さずに呟いた。
彼の手にはべったりと返り血が付着し、それは潤滑剤となって何度も妖刀幻夢を滑り落としそうになってしまう。

返り血を拭い落とす時間すら、アンデッドの群れは彼に与えてくれなかった。
しかし顔や衣服には一滴の返り血すら付着していないのは、クウォーツの剣の腕前の賜物といったところだろう。
周囲には肉塊となり果てたアンデッド達の死体が散乱しており、足の踏み場もないほどだ。凄まじい光景である。

残るは三体。奇声を発しながら向かってくるが、地面を蹴って難なくかわすと妖刀幻夢で容赦なく首を刎ねる。
生々しい音を立てながら地面に崩れ落ちるアンデッド達の音を最後に、辺りは元の静けさを取り戻した。


「少し手間取ったか」

クウォーツ以外の生ける者の気配が完全に消え去った二階ホールで、彼は一つ溜息をつく。さすがに少々疲れた。
手や妖刀幻夢に付着した返り血を軽く拭い落とし、ティエル達が向かって行った長い廊下へと視線を移動させた。
今頃彼女達はどうしているのだろうか。大臣とやらに出会い、果たして仇を討つことができたのか。

その時。無表情のまま妖刀幻夢を鞘に収めようとした彼の瞳が、すうっと細められる。突如気配を感じたためだ。
剣を握る手に力を込めて背後を振り返ったクウォーツだが、想像もしていなかった意外な人物の姿に眉を顰める。
彼が眉を顰めるのも無理はない。背後に音もなく立っていたのは、三階へ行ったはずのリアンだったためだ。


「……やぁね、あなたは誰なのか確認もせずに剣を向けるの? 妖刀幻夢、下ろしてくださらないかしら」
「何故貴様がここにいる」
「四十体近い亡者を一人で倒してしまうなんて。本当にあなたって、何から何まで私の思い通りにいかない男ね」
「意味が分からない」

どうして彼女がここにいるのだろうか。どこかに急いで向かっているといった様子にもクウォーツには思えた。
色々と聞きたいことは山ほどあるが、彼はゆっくりと妖刀幻夢を鞘に収める。


「どこへ行くつもりだ」
「そんな怖い顔をしないで下さいな。逃げ出したゲードルを皆で手分けして探しているところだったんですのよ」
「逃げ出した?」
「ええ。三階に行ったら、既にゲードルは逃げ出していたの。私は二階を、ティエル達は三階を探していますわ」

「……」
「私はもう少しだけ二階を探し続けますわ。あなたは三階に行って、ティエルやジハードと合流して下さいな」
「断る」
「えっ?」

「三階を二人で探しているのなら、二階は私と貴様の二人で探した方が効率が良いのでは」


確かにクウォーツの言っていることは一理ある。台詞を間違えたか、とリアンは少々後悔をした。
ティエルとは違って彼は簡単に丸め込めるような相手ではない。やはり、どこまでも思い通りにならない男だ。
慎重かつ疑い深いクウォーツのことだ。少しでもおかしな真似をすれば、すぐに不信感を抱かれてしまうだろう。

普段であれば彼と二人だけで行動できることに、リアンは喜んでいただろう。……だが今はそんな状況ではない。
クウォーツに不信感を抱かれぬようにこの場を切り抜けなければ。


「それにしても、些か腑に落ちない点がある」
「な、何がですの?」
「手分けをして探すにしても、敵陣で女が一人で行動するべきではない。まずジハードがそれを許さないはずだ」
「あら……あなたに男だとか女だとかの概念があるとは驚きですわねぇ」

「こんな時だからこそ、誰よりも貴様がティエルの側についていなければならないと思う。離れるべきではない」
「……ふぅん」
「どうした?」

「ジハードがそれを許さない、とか……私がティエルの側についていないと、とか……。
 あなた本当に二人のことが大好きで大好きで仕方ないんですのね。片方は男性なのに正直妬けちゃいますわぁ」

普段のリアンらしからぬ言葉。そこに込められた明らかな嫉妬の響きに、クウォーツは無表情のまま首を傾げる。
一体何故彼女は突然こんなことを言うのだろうと。自分は特別におかしな台詞を口にした覚えはなかった。
正直意味が分からない。何に対して妬くことがあるのだろう。そもそもこんなに悠長にしていていいのかと思う。


「だからこそ、あなたの選択は腹が立つのよ。私を妬かせるほどの相手に対して、そんな選択をするのなら」
「何が言いたい。言いたいことがあるのなら、はっきりと言え」

「じゃあはっきりと言いますわ。あなた、この戦いが終わったらそんな二人を置いて姿を消すつもりでしょう?」
「!」
「やっぱり……そうなんですのね」

「……そうもなにも……そもそも悪魔族の私がいつまでも人間の側にいるわけにもいかないだろう。
 同じ人間である貴様が、あいつらの側にいてやればいい。ティエル達には私などよりも貴様の方が必要なんだ」


あまりにもティエル達の意思を無視したクウォーツの台詞だ。彼の言葉を耳にしたリアンは、静かに背を向ける。

「人間と悪魔族は、決して相容れることのない存在。永遠に混ざり合わない存在だとあなたは言いたいのねぇ」
「ああ」
「けれどねクウォーツ。私達がそんな小さなことを気にするように見えて? あなたには私達がそう見えるの?」
「そういうわけでは」

「それならティエル達から離れようとしないで。あなたは誰かが側についていないと……生きられない人だから」


それは勿論、クウォーツが一人では生きていけないような頼りない人物というわけではない。
生き方だけが人一倍不器用な彼は、一人になると恐らく破滅の方向へと進んでいくだろう。そういう人物なのだ。
彼には、鎖に絡め捕られた雁字搦めの運命から手を引いてくれる人物がまだ必要であるとリアンは思っている。

そして……その彼の手を引く光のような存在は、きっと自分ではないのだろうと心のどこかでは分かっていた。
できれば、クウォーツにとって自分はそういう存在でありたかったが。決して願ってはいけない叶わぬ夢なのだ。
だから、お終い。この想いは今日で最後にするから。リアンとして、彼に最後に伝えられる言葉を。


「お願いだから……差し出される手を振り払うようなことはしないで。ちゃんとその手を掴んで、幸せになって」


瞳に涙を浮かべて振り返ったリアンは、そのままクウォーツを包み込むように強く抱きしめたのだ。
彼に想いが伝わらなくてもいい。それでも良かった。どうかこの、ただ一つだけの願いが彼に伝わるようにと。
リアンとしての最後の願いは、彼が幸せに生きてくれることだった。そしてそれはティエル達が不可欠であった。

しかし彼女に抱きしめられたクウォーツは、薄青の瞳をぱちりと瞬いたまま状況を理解していないようだった。
相変わらず自分に対する好意には鈍すぎる男だ。いや、鈍いという言葉は間違いだ。『信じていない』のだろう。
一体どんな壮絶な人生を歩み続けたら、他人の好意を信じられなくなるのだろう。彼は決して語らないけれど。

クウォーツを抱きしめている手を緩め、何かを吹っ切ったように顔を上げたリアンは彼に優しく微笑んで見せる。


「こんなに苦しい思いをするのなら、あなたなんかと出会わなければよかった。……けれど、今日でおしまい」
「え?」
「さよなら……クウォーツ」


止まったはずの涙が、リアンの瞳からぽたりと一滴零れ落ちた。
彼に対する胸の奥の想いも、涙と一緒に全て床に零すことができたらどんなに楽だっただろう。
様子がおかしいと何かを言いかけたクウォーツから身を離し、リアンは背を向けると暗い廊下を駆け出したのだ。

数秒遅れて彼女を追おうと足を踏み出した彼の前に、まるで行く手を塞ぐかのように次々と亡者達が姿を現した。
まだこんな大量に隠れていたのか。最初の二、三体は勢いで蹴散らすことができたが、数が尋常ではない。
クウォーツが妖刀幻夢でアンデッド達の首を斬り落としている間にも、リアンの姿は闇の向こうへと消えていく。

追うことは不可能だと悟った彼は、無表情のままもう一度だけリアンの消えた廊下の奥へと顔を向けた。
……二度と彼女に会えなくなるような。そんな、気がした。





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