Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第186話 リュミラージュ大聖堂




「ヴェリオル元帥、どうやら侵入者は現在三階にてゲードルと接触した模様です。すぐに応援を向かわせますか」

水と緑溢れる大国メドフォード。その最高権力者の象徴である王座にゆったりと腰掛けているのはヴェリオルだ。
そんな彼の元へ、黒い甲冑を鳴り響かせながら二人の黒騎士が向かってくる。
王座で心地よさそうに目を閉じていたヴェリオルは、その部下の声を耳にすると興が削がれたように顔を上げた。


「ふん、捨て置け。元々ゲードルなんぞに何の期待もしていない。そろそろ始末する頃合いだと考えていたしな」
「え?」
「あいつは王の器ではない。僅かな間いい夢が見れたことだけでも、このオレに感謝していただきたいくらいだ」
「それでは」
「応援を向かわせる必要はない。奴が自滅してくれるならば、それはそれで始末する手間が省けるというもの」

「はっ。では、我々黒騎士団は引き続きヴェリオル元帥の警護に」
「その必要はない」

一礼をして去って行こうとした黒騎士二名の背に向かって、ヴェリオルは実に珍しくやんわりとした声をかける。
機嫌が良いのだろうか。彼の声にいつもの険はなかった。


「お前達二人はゾルディスへの帰還を命じる。オレの警護など必要ない」
「も、もうすぐ王女達はここへやってくるのですよ!? ヴェリオル元帥の身にもしものことがあっては……!」
「オレの身が、なんだって?」

思わず前に詰め寄った黒騎士の首を掴むと、ヴェリオルは表情を歪めながらそれを軽々と持ち上げたのだ。
黒騎士の足が床から離れる。泡を吹き、呻き声を発しながら苦悶の表情を浮かべる様子を目を細めて眺めていた。
もう一人の黒騎士は彼を止めることもできずに、まるで凍り付いたようにその場に立ち止まっているだけである。

ヴェリオルに逆らった者の末路を身に染みて理解しているためだ。彼に逆らい首を刎ねられた者も少なくはない。


「このオレが、警護なしでは己の身すら守れぬ軟弱者だとお前は言いたいのかね? 分かったらさっさと消えろ」
「ひ……ひぃぃ」
「……そこのお前もいつまでぼさっと見ている? 首をへし折られたいか」
「い、いえっ! 即刻ゾルディスへ帰還いたします!」

力を失ったように床に崩れ落ちる黒騎士から視線を外し、ヴェリオルはもう一方の黒騎士へと顔を向ける。
ぎくりと強張った敬礼をした黒騎士は、呆然として座り込んでいる仲間を引きずるようにしてこの場を後にする。
彼らの忙しない足音は静寂に包まれる謁見の間のあちこちに反響し、不快な旋律をいつまでも奏で続けていた。

小さくなっていく彼らの姿を暫く眺めていたヴェリオルだが、静けさを漸く取り戻す頃にゆっくりと目を閉じる。
身を包むような静寂が実に心地よい。


「ティエルよ。いくつもの屍を越え、ここまで這い上がってくるのだ。絶望の底から這い上がってくるがいい。
 そして這い上がってきた時……オレは再びお前に絶望を授けよう。もう二度とオレから離れられないようにな。
 その時こそ漸くお前は気付くことになる。最後にお前に寄り添うのはこのオレなのだと。オレだけなのだと!」







三階の廊下で立ち塞がるアンデッド兵士を倒したティエルとジハードは、ゲードルの姿を求めて走り続けていた。
リグ・ヴェーダを小脇に抱えながら、ふとジハードは隣を走るティエルに視線を移動させる。
アンデッド兵士との戦闘中、突如謎の言葉を残してリアンがどこかへ走り去ってしまった。一体何があったのか。

彼女がどこへ向かったのかを確かめる間もなかった。屍兵といえどゲードルの警護をしているだけあって強敵だ。
漸く全てを倒した時には、既に彼女の姿はどこにも見当たらなかったのだ。

ゴドーを弔うために一階に残ったサキョウ。アンデッドの群れを相手にするために二階に残ったクウォーツ。
そして三階で消えたリアン。気に掛かることはそれこそ山ほどあるが、とにかく今はゲードルを優先しなくては。
ジハードの隣を無言で走り続けるティエルは、今までに見せたこともないような険しい表情を浮かべていた。
ティエルが何も言わなくとも、ジハードには彼女の心境が痛いほど伝わってきたのだ。


長い廊下の二度目の角を曲がった時、向かいの角を曲がるガウンの裾が見えた。……間違いなくゲードルである!

「止まれ、ゲードル!」
「小癪な小娘どもが……ワシの精鋭アンデッド兵士を倒しおったか」

ティエルの声に軽く舌打ちをしたゲードルは、足を止めるようなことはせずに再び前を向いて走り続ける……が。
ゲードルの前方からサキョウが現れたのだ。恐らく彼もティエル達を追って漸く三階へと辿り着いたのだろう。
前方を塞がれてしまったゲードルは左右を警護するアンデッド兵に目配せをすると、背後の渡り廊下へと消えた。


「逃げるな! 国を裏切り、おばあさまやみんなを死に追いやったお前だけは絶対に許すわけにはいかない!!」

ぐっと唇を噛み締めたティエルは、ゲードルの消えた渡り廊下の先へと転がり込むように突っ込んで行った。
その瞬間。彼女の目に入ったものは何百本と並ぶ蝋燭の光。薄暗さに慣れていたせいか、暫く視界を奪われる。
華麗な細工の施された金の燭台が、まるでティエル達の訪れを歓迎するかのようにずらりと並んでいたのだ。

金の縁取りのされた深紅の絨毯の最奥には、美しい純白の像が蝋燭の光に浮かび上がるようにして立っていた。
この像こそがメドフォード王国を守護すると言われる、初代メドフォード国王リュミラージュの像である。
変わることのない勇ましくも慈愛に溢れた表情を浮かべ、リュミラージュはティエルを優しく見下ろしていた。


「ここは……リュミラージュ大聖堂……」


勢いよく中へと転がり込んだために転倒してしまったティエルは、剣を床に突きながらゆっくりと立ち上がる。
リュミラージュ大聖堂とは、メドフォード三階の渡り廊下の先に位置する離れの塔にある。
畏まったお祈りや退屈で長い説教を聞く場所でもあったため、幼い頃からティエルはこの場所が苦手であった。

かつてはこの場所に立っていたのは穏やかな笑顔をした神父だったが、現在は醜い笑みのゲードルだった。
大きな溜息をつき、最早逃げるのは不可能だと判断した彼は初めてティエルと向き合って口を開いた。


「ゲードル」
「……とうとうここまで辿り着きましたな、ティエル姫様。本当にお久しゅうございます」
「漸くわたしと向き合う覚悟を決めたのか」

「ええ。こんな結末になるのなら、あの時あなたを見くびらずに殺しておけばよかったと後悔している所ですよ」
「……そう」
「たかが甘ったれた王女を一人逃がしたところで、ワシの運命には何一つ影響はないと思っておりましたのに」


それからゲードルは目を細めながらティエルを眺める。

相変わらず幼い顔をした少女だと思った。だが、彼を真っ直ぐに射抜く眼差しはあの頃とは比べ物にならない。
戦闘のために負った傷だらけの身体。箱入りの姫君が一人で生きていけるほど世の中は決して甘くはないだろう。
ここまで来るために、この日のために一体どれほどの苦難を乗り越えてきたのだろうとゲードルは微かに笑った。

慈愛の眼差しで彼らを見守るリュミラージュ像は、アンデッドに支配されたこの王国を憂いているのだろうか。


「てっきりどこかで野垂れ死んでいるものとばかり。……はっはっは、今でも信じられませんよ」
「ゲードル。お前は国を乗っ取り、己の欲のために皆を虐げ続けた。その行い……決して許すことはできない!」
「ええ、そうでしょうとも。最後の決着の場所がリュミラージュ大聖堂になるとは、運命を感じますなぁ……」

ティエルはイデアを強く握りしめると、一歩前に進み出る。
温かな光に包まれるリュミラージュ大聖堂はしんと静まり返っており、力強いティエルの声が響き渡った。


「わたしはお前を倒すためにメドフォードに戻ってきたんだ。……さあ、お前も王と名乗るなら剣を抜け!!」
「ティエル姫様、あなたはやはり甘いお人ですな。あんな仕打ちをしたこのワシと、正々堂々と戦うおつもりか。
 ……そんな姫様だからこそ、心を動かされ共に命を懸けて戦おうとする者達がいるのかもしれませんなぁ……」


決して揺らぎはしない強靭な意思を秘めた、真っ直ぐに相手を見つめるティエルの眼差し。
その瞳を暫く無言で見つめていたゲードルだったが、やがて隣に立つアンデッド兵士から剣を奪い取って構える。
ティエルの背後に立っているジハードとサキョウは不安な表情を隠せていなかったが、これは彼女の勝負なのだ。
それを理解しているからこそ、二人はティエルを見守ることしかできなかった。

また一歩。イデアを構えたまま、用心深くティエルが前へ歩み出す。その瞬間地面を蹴ったのはゲードルだった。
剣を振り上げたゲードルは歪んだ笑みを浮かべて叫んだのである。


「しかし姫様、あなたは甘いのではなく甘すぎる。それが命取りとなりましょう! 屍兵よ、この小娘を殺せ!」
「!」
「ここで朽ち果てろ、メドフォード王女ティアイエルよ!!」

ゲードルの声と共に柱に身を隠していたアンデッド兵士が姿を現し、ティエルに向かって矢を放ったのだ。
危ない、と叫んだジハードの声を合図に地面を蹴って飛び出したティエル。
真っ直ぐに心臓を射抜くはずであった矢はそのために大きく外れ、彼女の振り上げた左腕へ深々と突き刺さる。

だがティエルは足を止めずにそのままゲードルへと突っ込んで行く。一刻も早くこの戦いに終止符を打つために。
とうとう小細工を諦めたゲードルも、同じように彼女へ向かって行った。

「覚悟しろ、ゲードル!」
「くそっ、暗殺失敗か。こうなったらこの手で始末してやる。……甘ったれた小娘なんぞに負けはせんわ!」


……ざくり、と。肉を裂いた音。
ティエルを斬るために剣を振り上げたゲードルの手が止まった。まるで彼一人だけが、時が止まったかのように。
永遠にも感じられた暫しの静寂の後。力が抜けたように、ゲードルの手から剣が抜け落ちる。

ゲードルの左肩から腰にかけて、大きな傷口がぱっくりと開いていた。赤黒い血が次から次へと溢れ出してくる。
それが一体何を意味するのかを理解する間もなく、哀れな元左大臣は床へと崩れ落ちた。
ゲードルが倒れた瞬間に残りのアンデッド兵二体がティエルへ飛び掛かるが、ジハード達によって殴り倒される。

床に転がるアンデッド兵士達。もう二度と立ち上がれはしないだろう彼らを、ゲードルは虚ろな瞳で眺めていた。
確実に致命傷である傷は、目に見える速度でゲードルの命を削り取っているようだった。


「……国賊、元左大臣ゲードル。言い残すことはあるか」
「ふっ、ふふふ……ティエル姫様、お見事です。剣の腕も随分と成長いたしましたなぁ……」
「あなたの言うとおり、わたしは今でも甘ったれた王女だ。そんなこと、あなたに言われなくても分かっている」

厳しい表情を浮かべたまま両手でイデアを掲げたティエルは、倒れているゲードルの前でぴたりと足を止める。
力強い言葉とは裏腹に、ゲードルに向けられている剣は微かに震えているようだった。


「けれどわたしはあの夜に誓った。仇を討ち、国を取り戻すと。あなたを斬ることにも……もう迷いなどないと」
「……覚えておきなさい、姫様。全ての者が清い心を持つわけではないのだと。汚い人間は案外多いのですよ」
「汚い人間?」
「姫様のすぐ側で、悪意を隠している人間がいるかもしれません。生ける者は誰しも心に闇を抱えているのです」

ゲードルは続ける。

「しかし姫様。それでも……真っ直ぐな心で相手と向き合いなさい……。
 その心はいつか相手の心を動かすことができるかもしれません。あなたなら……きっとできるでしょう……」


そう口にしたゲードルは苦しげな表情で目を閉じる。
暫く迷ったような様子を見せていたティエルであったが、やがて覚悟を決めたように剣を握った手に力を込める。
まだ幸せであった頃のメドフォードの日々が彼女の脳裏を過ぎ去っていく。それはまるで、走馬灯のように。

他人を見下したような笑みを浮かべるゲードルも、かつては優しい笑顔をティエルに向けてくれたこともあった。
だがそれは、二度と戻ることのできない日常で。


「……元左大臣ゲードル、覚悟!」

イデアの刃が、深く肉に埋め込まれる感触。……振り下ろした剣は、いつもより重く感じた。





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