Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第187話 Distorted Love -1-
国を裏切り手中に収めようとした国賊ゲードルを討ったティエルは、謁見の間への廊下を静かに歩き続けていた。
もう迷いはない。残るはヴェリオルのみ。恐らく彼は謁見の間にいるのだろう。確証はないが、そんな気がした。
こんな状況だというのに先程からティエルはひどく落ち着いていた。……心臓の鼓動は全く乱れてはいない。
先程アンデッド兵に射られた左腕の傷は、ジハードによって応急処置が施されていた。血は完全に止まっている。
痛みを感じないわけではないが、我慢できないほどではない。
ぴたり、とティエルの足が止まる。
目の前には頑丈な両開きの扉。大きく彫られたメドフォード王家の紋章がその存在を彼らに誇示しているようだ。
この扉の向こうにメドフォード最高権力者のみが座ることを許された王座がある。祖母ミランダの席であった。
孫娘のティエルに対しては聖母のように優しい表情を浮かべていたミランダだったが、王座に腰を下ろした彼女は
まるで別人のように厳しい表情を浮かべていたことを思い出す。まさにメドフォードを背負う王の顔である。
幼いティエルはその様子を見て、もしや祖母は二人存在するのではないかと大きな勘違いをしたこともあった。
今となっては幼いがゆえの微笑ましい勘違いである。
祖母との思い出が溢れるこの場所で、ティエルは思わず感傷的になってしまった己を諫めるかのように首を振る。
今はヴェリオルを倒すことだけを考えなければ。あの男は、生半可な覚悟で倒せるような相手ではない。
愛する家族を奪い、故郷を奪い、ティエルを笑いながら絶望に突き落とした人物。決して許すわけにはいかない。
ぐっと強く拳を握り締めたティエルは謁見の間への扉を睨み付け、乱暴ともいえるような動作で一気に開け放つ。
メドフォード城三階。謁見の間の最奥、最高権力者の象徴である王座に、黒い髪をした大柄な男が腰掛けていた。
均整取れた鋼の体躯を包む深紅の外套。太い眉に鼻梁。雄々しいという言葉はこの男のためにあるのではないか。
開け放たれた扉の音に、男は閉じていた目をゆっくりと開いていく。全ての者を憎むような暗い眼差しであった。
目を合わせただけで誰もが気圧されてしまう、どこまでも深く、壮絶な憎しみの炎が宿った黒い瞳である。
「……ヴェリオル!!」
「ティエルか。久しぶりだな、元気そうで安心したよ。ん? 左腕の傷はもしかしてゲードルにやられたのか?」
彼女の発した声を耳にすると、ヴェリオルと呼ばれた黒髪の男は満足そうに満面の笑みを浮かべた。
足を組んだまま王座に腰を下ろしていたヴェリオルの声は、まるで愛しい恋人を前にしているかのように優しい。
ほんのこの一時だけ、彼の憎しみに支配されていた表情は実に穏やかであった。
そしてティエルはどこか奇妙な懐かしさを感じていた。遠い昔、こんな声をした男と出会ったことがあるような。
「白々しいことを言うのはやめて。わたしの怪我なんて今はどうでもいいでしょう。お前には関係がないことだ」
「大いに関係があるさ。お前の身体は、お前一人だけのものではない。夫であるオレのものでもあるのだからな」
「夫? 笑わせないでよ、憎い仇の間違いでしょう」
イデアを握り締めたまま、ティエルはゆっくりと王座に向かって歩いていく。
だがヴェリオルは微動だにしない。彼女を眩しそうに見つめたまま、余裕の態度を崩そうとする様子はなかった。
「ヴェリオル。お前を倒せば……全てが終わる」
「そうだな」
「おばあさまの仇、ゴドーの仇、みんなの仇。その身で受け止めろ!」
「確かにオレを殺せば復讐は終わる。お前の長い旅は終わるんだ。よくここまで辿り着いたな、偉いぞティエル」
「馬鹿にするな!!」
完全に子供扱いだ。舐められている。依然として余裕のヴェリオルに、ティエルは思わずかっとなって叫んだ。
この男の所為で多くの罪のない者達が死んでいった。それなのに何故この男は笑顔で王座に座っていられるのだ。
馬鹿にしている。今にも飛び出していきそうなティエルをジハードが制し、前に進み出たのはサキョウであった。
「……ヴェリオルよ、お前は我が兄ゴドーの仇。そして死して尚、兄を生ける屍として辱め続けたお前を許さぬ」
「辱めたぁ? どんな形であれ、生き長らえさせてやったんだぜ? 逆に感謝をしてもらいたいくらいだがね」
「実の兄を生ける屍にされて、ワシが感謝すると思ったか!」
「このオレが憎いのならかかってこいよ、クソ坊主が。そこの白髪のお坊ちゃんもまとめて相手にしてやろうか」
「!」
「オレの可愛いティエルに纏わり付く害悪ども。お前らが生きている限り、ティエルはオレのものにはならない」
再びヴェリオルの瞳に憎しみの暗い炎が宿る。
王座から緩やかに立ち上がると、傍らに立て掛けられていた巨剣デスブリンガーを軽々と片手で担ぎ上げた。
本来であれば悪魔族だけが扱うことのできる武具。溢れんばかりの魔性に打ち勝つことができるのは悪魔だけだ。
彼は禁呪を用いて、人間の身でありながらデスブリンガーを完全に支配することができたのだ。
「そういやクソ悪魔の姿が見えないが……まあいい。このメドフォード城謁見の間をお前達の墓場にしてやろう」
ヴェリオルが大きくデスブリンガーを振り上げた瞬間、ティエル達は我に返って彼から距離を取る。
巨剣のリーチは長い。ヴェリオルを相手に戦う場合は距離を取りつつ隙を狙って致命傷を与えなくてはならない。
だがデスブリンガーに纏わり付いていた濃い瘴気が、亡者の形を取りながら次々とこちらに向かってきたのだ。
「……亡者の魂に負けてたまるかよ!」
すぐさま障壁陣を展開させたジハード。亡者の瘴気は虹の魔法陣に跳ね返され、ヴェリオルへと突っ込んで行く。
衝撃で砕け散る大理石の床。燃え上がる絨毯。
軽やかに身を翻したヴェリオルの背後で、直撃を受けたと思われる太く大きな柱が音を立てながら崩れ落ちた。
「ほほう? デスブリンガーの瘴気を跳ね返すとは、なかなかできた防護魔法じゃないか。白髪のお坊ちゃんよ」
「お褒めにあずかり光栄だよ。……まぁ、色々な意味で死者に生者が負けるわけにはいかないんでね」
「そいつはどうかな?」
死んだ存在に生きた存在が負けるわけにはいかない。『思い出』に、『現在』が負けるわけにはいかないのだと。
ジハードの発した台詞は、クウォーツからずっと死者と重ねられ続けてきた自分を奮い立たせるためでもあった。
ティエルとサキョウを守るかのように立ち塞がったジハードは、ティエル達にしか聞こえぬ声で小さく囁いた。
「……ティエル。ヴェリオルが腰を下ろしていた王座に装飾されている宝石を見たかい?」
「見たよ。あれは、確かにイデアのジェムだった」
「なんと! それではヴェリオルを相手にしながらイデアを完成させねばならんということか」
「そうなるね。ぼくらがあいつの目を逸らしている隙に、ティエルはジェムを手に入れイデアを完成させるんだ」
「おいおいお前ら、オレを前にして内緒話とはいい度胸だなぁ!」
巨剣を軽々と操り重い一撃を繰り出してくるヴェリオルに、ティエル達は攻撃を避けるだけでも精一杯であった。
リーチの長さで思うように近付くことができない。
ならば近付く必要はないとジハードが極陣を仕掛けようとするが、ヴェリオルは彼を集中的に狙っているようだ。
どうやら攻撃範囲の広いジハードから先に殺せば、後はどうとでもなると考えているのだろう。
三対一での戦いであっても互角、いやそれ以上に戦うことのできるヴェリオルの強さは、まさに鬼神であった。
反射的に姿勢を低くしたサキョウのすぐ頭上で風を切る音が鳴った。
ほんの少しでも頭を下げるタイミングがずれていれば、今頃彼の首は遥か彼方に飛ばされていたのかもしれない。
振り下ろされたデスブリンガーの一撃を転がって避けたティエルは、笑みを浮かべるヴェリオルを振り返る。
「ヴェリオル、わたしはお前に聞きたいことがある!」
「なんだいティエル? ……オレへの熱い愛の告白なら、この戦いが終わってからゆっくりと聞いてやるからな」
「どうしてこの国を狙い、おばあさまを残酷に殺したのか。それに七年も待ち続けたって一体どういうこと!?」
「……」
「わたしとお前の間に、七年前メドフォードで何があったの? わたしはお前なんて知らない。それなのに……」
「お前なんて知らない……か」
息もつかせぬ巨剣の猛攻を必死に避けながら訴えかけてくるティエルに、ヴェリオルの表情が悲しげに歪んだ。
それは気を付けて見つめていなければ分からないほど僅かな間であったが。
「確かにそうだろうなぁ、ティエル。何も知らず、偽りの家族と幸せに暮らしてきたお前に分かるはずがない」
「えっ?」
「だからといってお前を責める気はないよ。何も知らされていなかったんだ、仕方ないだろう。お前に罪はない」
「偽りの家族ってどういうこと……? 何を言っているのか全然分からないよ!」
「ああ、可哀想なティエル。あのメドフォードの女狐にずっと騙され続けてきた、可哀想なオレだけのお姫様」
「メドフォードの女狐って誰のことなの? ヴェリオル、お前は一体わたしの何を知っているの」
「ティエル。ヴェリオルの言葉に惑わされてはいかん、戦闘に集中するのだ!」
まるで憐れむような、慈しむような眼差しを彼女に向けて浮かべるヴェリオル。
呆然とした表情でその場に立ち尽くすティエルにサキョウが怒号を飛ばすが、彼女の足が動くことはなかった。
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