Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ
第188話 Distorted Love -2-
「ティエル。ヴェリオルの言葉に惑わされてはいかん、戦闘に集中するのだ!」
呆然とその場に立ち尽くすティエルに向けてサキョウが怒号を飛ばすが、彼女の足は凍り付いたように動かない。
ヴェリオルの言葉はただの出まかせだろう。ティエルを動揺させるために、意味深な言葉を並べているだけだ。
七年前。偽りの家族。メドフォードの女狐。騙され続けてきた。ティエルの不安を煽るような言葉ばかりである。
そんな言葉にいちいち気を取られている場合ではない。ここでヴェリオルを倒せば全てが終わるのだ。
我に返ったティエルはイデアを横に払う。相手の僅かな隙を、己のチャンスにしろとクウォーツから教わった。
「ぐっ!」
肉を裂く確かな手ごたえ。
剣を振り上げていたために胴ががら空きであったヴェリオルは、まともにイデアの一撃を食らいバランスを崩す。
切られた服の隙間から赤い傷口が露わになったが致命傷には程遠い。彼にとっては掠り傷のようなものだろう。
「ティエルよ。今お前の頭の中は、さぞかしオレで埋め尽くされていることだろう」
「……」
「憎しみでもいいさ。お前はオレのことだけを考えていればいい。永遠にオレだけを見つめ続けてほしいんだ!」
「何を馬鹿なことを言っているの」
壊れた笑い声を発するヴェリオルに、思わず寒気を覚えたティエル。
理解できない。これほどまで執着される理由が理解できなかったのだ。それともかつて面識があったのだろうか。
ただ一つだけ言えることは、ヴェリオルの目は本気だ。本気でティエルに憎まれてもいいとすら思っているのだ。
彼女の心を永遠に奪うことができるのならば、たとえ憎しみでも構わないと。それはとても哀しい愛情であった。
「ははは。馬鹿なことではないさ、オレは本気だ。……ああ、そうだな。お前にはきっと分からないだろう」
戸惑うティエルの前まで歩み寄ると、ヴェリオルはにっこりと満面の笑みを浮かべて見せる。
彼の言動に動揺を隠し切れずイデアを構えることも忘れてしまった彼女は、次の瞬間右腿に激しい痛みを感じた。
思わずヴェリオルから距離を取ろうとしたティエルであったが、何故か一歩も動くことができない。
彼女を縫い止めるように腿に深く刺さったデスブリンガーは、腿を貫通して大理石の床へ突き刺さっていたのだ。
激痛に思わず身体が強張り背後に倒れかけたティエルを、ヴェリオルは手を伸ばして優しく抱きとめる。
「……ティエル、今からオレと一緒にゾルディス王国へ帰ろう。あの国ならば、必ずお前を幸せにしてやれる」
「は、離……して……!」
「焔の魔女は差別のない国を作るなどと絵空事を言っているが、そんな王国などオレはまっぴらごめんだ。
あの国はオレが作り変えてやる。選ばれた者しか生きることを許されない、オレとお前の究極の楽園を作ろう」
優しく、まるで愛の祝詞を歌うように。だが確実に狂気を含んだ声色で、ヴェリオルは彼女の耳元で甘く囁いた。
宰相である焔の魔女は、かつて『全ての種族が幸せに暮らせる王国を作ろうと考えている』と言っていた。
そのために各国を占拠し力を蓄えているのだと。人間も悪魔も平等に暮らせたらどんなに素晴らしいことだろう。
「覚えているかな。昔、オレと約束しただろう? 将来はオレのお嫁さんになると。こんな風に、指切りをして」
そう口にしながら小指を絡めてくるヴェリオルに、ティエルは無意識のうちに封印し続けていた記憶に戦慄した。
幼い頃、確かに誰かと指切りをして約束を交わした記憶があった。しかしその相手は既に死亡している人物だ。
どうしてこの男がその約束を知っているのだろう。どうしてこんな記憶を今日まで忘れてしまっていたのだろう。
約束を交わした相手の名は『ギル』。父王ブラムの側近だった男だ。
ヴェリオルに支えられた身体が小刻みに震え始める。刺された右腿の痛みは既に麻痺してしまっているようだ。
「……もしかして、ギル……?」
「そうだな、確か当時はそんな名前で呼ばれていた。やっぱり覚えていてくれたんだな。嬉しいよ、ティエル」
「あなたは……死んだはずじゃ」
「オレはお前を迎えに行くために戻ってきたんだ。今度こそオレ達が結ばれるように。二度と離れぬようにな」
「そのためにゲードルと手を組んでメドフォードを襲ったの!? おばあさまや、みんなを殺したの……!?」
ギルは死んだ。八年前、ティエルが八歳だった頃。流行り病にかかったティエルの両親と共に病死したはずだ。
そうミランダから聞かされていた。当時のことを詳しく聞こうとしても、皆揃って口を噤んでしまうのだ。
病死した両親とギルのことはもう忘れるんだと、二度と彼のことは口にするなと何度も祖母から釘を刺された。
当時のティエルは、両親と友人を亡くしてしまった自分に対して祖母が気遣ってくれているのだと思っていた。
祖母の言うとおり幼いティエルは彼らのことを忘れるように努め、ギルに至っては記憶から消してしまった。
彼らが死んだ当時の記憶は、ギルを思い出した今でも殆ど残っていない。
しかしギルは死んではいなかった。この目の前の黒い髪をした男がギルなのだという。
ティエルを今日までずっと苦しめ続けてきた男が、あの優しかったギルだというのだ。信じられるはずがない。
彼女とギルだけしか知らないはずの秘密の約束をヴェリオルが知っている。やはり彼は、本当にギルなのか。
父ブラムの側近であったギルは顔中に酷い火傷を負っており、常に包帯で己の顔を覆っていた。
彼の素顔を目にしたことはない。城の者達は皆彼を薄気味悪い男だと言い、誰一人として近付く者はいなかった。
……ティエルと、彼の剣の腕に憧れを抱いていたガリオンとサイヤーを除いては。
昼下がりの中庭で、よく四人で楽しく語らっていたことを思い出す。包帯の隙間から覗く彼の瞳は優しかった。
周囲が何と言おうともティエル達を見つめる黒い瞳は、とても優しい感情を浮かべていたことだけは確かだった。
ヴェリオルがギルであるのならば、彼があの夜ガリオンを殺さずに生かしておいた理由が大いに理解できたのだ。
皆から避けられる自分を純粋に慕ってくれていた少年達を、当時のギルはとても可愛がっていたのだから。
「あなたが本当にギルであるのなら……どうしてわたしやガリオン達から故郷を奪うようなことをしたのよ……」
「ティエル」
「純粋にあなたを慕っていたガリオンやサイヤーを苦しませるようなことをするの……?」
「苦しませる? 何を言っているんだティエル。オレはガリオンを忌まわしい王国の呪縛から救ってやったんだ」
「!」
「お前が望むのならば、いずれサイヤーも迎えに行ってやろうか。あいつらならば我が黒騎士団を任せられる」
狂気の色を瞳に宿したまま、ヴェリオルが耳元で甘く囁いた。彼は既に壊れてしまっている。
一体いつからなのか。ギルとして彼女の前に現れた頃から既に壊れていたのか。何故壊れてしまったのだろう。
刺された右腿の感覚が殆どなくなってしまった。傷口から血が溢れている。早く止血しなければならないのに。
「ティエル。約束どおり、結婚しよう。辛いこと、苦しいこと、お前を悲しませる全てからオレが守ってやる」
「何を寝言をほざいてやがる! お前が一番ティエルを悲しませているんじゃないか!!」
「ヴェリオルの言葉に惑わされるでない、ティエル!」
ジハードとサキョウが叫んでも、ティエルは彼を凝視したまま凍り付いたように動かなかった。
そんな彼女の様子を好意的に解釈したヴェリオルだったが、ジハード達の声を耳にすると不快そうに口を歪める。
ヴェリオルにとってジハード達の存在はティエルを奪ってしまう害悪でしかない。この世から抹消させなければ。
「ああ……クソどもがうるさいな。すっかり奴らの存在を忘れていたよ。オレ達の幸せを壊そうとする害悪め。
ティエル、とても痛かっただろう。ごめんな。お前の綺麗な身体に初めは傷を付けるつもりじゃなかったんだ」
「あ、ぅっ!!」
猫なで声を発したヴェリオルは、ティエルの右腿に突き刺さるデスブリンガーを一気に引き抜いた。
感覚の麻痺したはずの腿に激痛が走る。苦痛の声を上げたティエルは力を失い、思わず床に倒れ込んでしまった。
血は彼女の右脚を完全に赤く染め上げており、床に血溜まりを作っていく。
「オレ達の幸せを壊そうとする奴らは……誰であっても絶対に生かしておくわけにはいかない!」
拳を握り締めながら勢いよく突っ込んできたサキョウに向かって彼はデスブリンガーを振り下ろした。
その瞬間虹の魔法陣が宙に浮かび上がり、無数の細かい氷の粒が次々とヴェリオルの右腕へ吸い寄せられていく。
完全に氷に覆われてしまった半身。デスブリンガーを振り下ろそうとした体勢のままヴェリオルの動きが止まる。
これは好機とサキョウの激しい蹴りが彼を襲うが、遠くに蹴り飛ばされるはずの身体は微動だにしなかったのだ。
「な、なに!?」
「……ティエルの血を吸ったデスブリンガーの魔力に護られたオレに、クソ坊主の赤子の蹴りなど通用せんよ」
「!」
その瞬間ヴェリオルの右半身を覆っていた氷が砕け散り、振り下ろされた剣はサキョウの肩へと深く食い込んだ。
とどめとばかりにデスブリンガーから放出された死者の魂が、生者の魂を食い尽くそうと四方に飛び散った。
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